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わたしを囲むたくさんの隣人たちは、わたしが危なくなると必ず顔を出して助けに来てくれる

 隣人。

 この熟語をはじめて知ったときから、日常とはしっくりこない何処(どこ)か滑り落ちるような違和感を感じている。

 普段使いに「お(となり)」や「ご近所」を指す総称として使っている諸兄(しょけい)も多いから、周囲からささくれ立つことなどない言葉ではある。

 けれど・・・・・

 隣人って響きには、「到来物(とうらいもの)お裾分け(おすそわけ)に」とドアを開け通行人が行き交う(みち)を介した一戸建て同士の間柄(あいだがら)よりも、アパートメントやマンションの同じドア同じ窓同じ間取りの部屋の一枚壁をさっきまで背中合わせしていたもの同士がグルリ回って「ピンポンを鳴らし」「ピンポンを聞いて」玄関先で落ち合う構図が畳まれているから、もしも壁や天井の呼称の目隠しが外れてしまったらシロアリかミツバチみたいな大家族や同居人のカオスが一気に溢れてしまうから、それに昨夜も続けてしまった「あんな事情」があるから、どんなに顔や身体を引っ付けてもけっしてお互いが交わらないように「隠されたものを」(かば)ってる気配が、私の中でどうしても立ち上がってくるのだ。

 

 だから・・・・・

 隣人で呼ばれるひとの顔は世間のそんなありきたりではなく、かといって救世主の声で語られる「隣人を愛しなさい」の崇高さをまとった真っ正面で見つめる相手ほど気高くはなく、どこまで近づいてもぼんやりを続けて互いの距離が縮まったり触れ合ったりすることを梃子(てこ)でも動かさない相手。

 耳の奥の袋小路した先で、体育座りしたままバランスを(つかさど)三半規管(さんはんきかん)のような存在。

 それが私の中の隣人だ。




 そうおもうと・・・・・

「三半規管」もそれを知ったときから日常とはしっくりこない何処(どこ)か滑り落ちる違和感を感じた。理科実験室に置いてある人体標本から抽出された耳周辺を眺めると、頭蓋(とうがい)断面図の袋小路した耳の奥にある構図を見たときから、その記憶が始まる。

 そんなところで居座るってるのに、伝ってくる音を運んでいくわけではなくバランスを保つための器官。ここがうまく働かないと、平衡感覚が崩れて「めまい」を起こしてしまうのは教えてくれても、そんな場所で体育座りしている意固地(いこじ)なツブ貝したかたちの「謂れ(いわれ)について」は、誰も教えてはくれない。

 

 その次に、理科実験室のモヤモヤを「更に広げる」ような、或いは「真理へ導く」ように現れたのは、ミトコンドリアだ。

 わざわざ剝がして覗かなければ、一生関わり合いにならず平然とやりすごせる「おどろおどろしさ」を、白衣着た体育会系の男が襟首掴んで「どうだ、見てみろ」と、うすい(へん)に剝がした細胞を見せてくる。

 そこで「ウヨうよ」「クネくね」していたのがミトコンドリアだ。

 顕微鏡のピントが合うと、うすい(へん)は、たくさんの水を(たた)えた水面(みなも)に変わる。

 拡大された私の細胞はアールがかったリゾートプールに変わり、水面からシルバーチップの流線型(りゅうせんけい)した美しい肢体が浮かび上がってきて、午後の日差しを受けて長い二の腕をゆっくり交互に背泳ぎする優雅な遊泳は、「ぷかり」「ぷかり」とあちらこちらに浮かんでくる。

 後年、ミトコンドリアが元々は別の生き物だったこと、酸素を使ってエネルギーをたくさん作る好気性細菌(こうきせいさいきん)が細胞に取り込まれたことは教えてはもらったが、今に至っても昼下がりの「優雅なシルエットに言及された言葉」には出会わない。

 いまでもずっと、広げてはくれたが真理へは(いま)だに導いてくれない「おせっかい」なままだ。

 わたしの中の隣人は、けっして真っ正面を向き合い見つめ合うことをしない。けれど、日常の、生活の、生業(なりわい)のすべてにおいて、一緒に同じ方向を見ていてくれる実感はある。わたしに似てあまりお喋りはしてこないが、それでも「危ないとき」には顔を出し、必ずわたしを助けてくれる。


 こんなことが、あった・・・・・

 この間の山道を走っていたときのことだ。わたしは自動車運転が得意な方ではない。(こお)っていようが吹雪(ふぶ)いていようが雪道を自動車を使って仕事場まで行かねばならない雪国には不向きな人間なのだ。

 それを、皆んな、分かっていてくれる。

 だから、峠を超えた下り坂、エンジンブレーキやらポンピングブレーキやらで滑らないように下手は下手なりに神経を使っていると、少しづつ筋肉の硬直は増して負荷がくる。それは、意識的にいろいろな脇を締めに掛かった結果の疲労もあるが、たくさんの掌がハンドルを握り、たくさんの足がアクセルやブレーキペダルに足をかけてくる宇宙飛行士やジェット戦闘機パイロットが経験する十人や二十人の乗ってくる「Gの疲労」と同じものであることは間違いないことだ。

 雪道にタイヤがとられ、対向車のある相手車線に崩れそうになった瞬間、慌ててハンドルを切りブレーキを踏んだとこまでは覚えているが、模様替えしたあとのように一瞬の真っ暗闇を(かぶ)せて、180度向きを変え側道に停車したドライビングテクニックは、わたしには備わっていない運動神経を持ち合わせている「隣人たちの誰か」だ。


 恥をさらすようだが・・・・・・、

 幼い頃からの人見知りは相変わらずなのに初対面ですぐに懇ろ(ねんごろ)になる金のかかる女の(ところ)出入(でい)りしたり、顎の尖った男たちがたむろする鉄火場のヒリヒリした空気は居心地が悪いのをしってるくせに博打に手を出したり、そんな悪所通いを止めらあれずにいた。三十路を過ぎてから、三年に一度五年に一度の「奇数の齢廻り」にドス黒さが訪れ、深溝(ふかみ)へと引っ張られる。

 あげくに、一度でも裏切ったら何をしでかすか想像のつかない大人し顔(おとなしがお)の妻にすんでのところでばれそうになったり、あんなにもあった結婚前からの隠し口座の残高がゼロを超えてマイナスになった自分の金に払う利息や返済に額に冷たい汗が横広がりに流れたのは何度あったろう。

 が、そこから先、浸った足が破滅に付かないように、かならず、誰かしらが、手当(てあて)を挟んでくれる。

 「ふたたびの逢瀬」と思い出すより先に下腹の奥や肌が毛羽立つような女に限って急に店じまいしてしまい、音沙汰を切られる。

 見張り役の黒服に口角の上がった微笑でお馴染みさんの顔パスまでいくあたりで、賭博場の摘発を朝のニュースで知る。

 5年前、顔も見たこともないおばさんたちが亡くなり、その何十分の一かの遺産が振り込まれたときは、冷たい汗を横広がりにながさなくて済むようになったのに、そんなすっからかんにするためだけの悪銭には使えなくなる。

 3年前、妻から「お互いの位置情報が確かめられるから」と口角の上がった微笑みが崩れないまま高機能つきの携帯電話を誕生日プレゼントにもらったときは、むかし子守の婆さんに腰ひもを結わえられ半径3メートルしか遊べなかった幼馴染みの顔がそれと重なり、もうそんな悪所通いの気分は萎えてしまう。

 それでチャラになるわけではないが、どうにかこうにかそんな継ぎ接ぎ(つぎはぎ)だらけでが破れずにいるのは、そうした「他力(たりき)」のおかげ。皆んな、不器用で臆病なくせに慎重さに欠けるわたしの日常を守ってくれた大切な隣人たちだ。




 きっと、冷たい汗が横広がりに流れるのも、微動だに動かない妻の口角の上がった微笑みを見つけるのも過去形で終わっては呉れないだろう。各々(おのおの)の悪所を断っても、わたし自身を断たない限り、足元の危うさは消えない。いい歳をしたオッサンの腰を「これ以上、危ないところに行かないように」と、腰に紐を結わえてくれることは、金輪際ないのだ。


 だから・・・・・

 わたしは、未だに出会わぬしっかりものの隣人がもっとたくさんいて、困ったわたしを助けてくれることに期待する。

 皆んな同じ顔、同じ服装、几帳面なしっかりもので、わたしに出会ったときに慌てないよう、小さいけれど「ずっと待ちわびていたひとに今夜はじめてお目にかかるんですから」と行きつけの花屋が拵えてくれた花束を握って訪れてくれることに期待する。こんなオッサンに幻滅しないで一途に守ってくれることに期待する。

 そんな確からしさを、三半規管とミトコンドリアを原色図鑑で見つけるたびに感じる隣人たちの面影を、わたしは多色刷りのその美しい肢体に重ねるのだ。


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