8.勘違いですれ違い
本日最初の投稿です。
よろしくお願いします。
部屋に入ってきた学院長を見て、チャンスとばかりにレフィーが叫んだ。
「お願いします! もう叩かないで! 私が何をしたというのですか?」
キーラは今、崖っぷちに立っている……。
形勢逆転で優位に立ったレフィーは、瞳を涙で濡らしながら心では嬉々としている。
「アラマス先生に部屋に連れ込まれて、突然叩かれたんです! もう何が何だか……」
(レフィーからこぼれる大粒の涙には、どれだけの価値があるのだろう? 学院長を惑わして私の人生を壊すんだから、それなりの価値よね? 涙なんて誰だって同じ成分なのに、私とは大違い。知ってはいたけど、世の中は本当に厳しい。まぁ、これだけの体格差と容姿の差があれば、どちらが被害者かなんて考えるまでもないか……)
「アラマス先生の暴力に、よく耐えましたね?」
学院長のその言葉は、キーラを真っ暗な闇の底に突き落とした。とてつもなく大きい喪失感に堪えるために、キーラは爪が食い込むほど両手を握り締めた。
「あんなに大きな女の人から叩かれて、頬が痛いし怖くて」
「腕も長いし力もありますからね、吹っ飛んだのではないですか?」
「叩かれた反動で机に身体がぶつかりました。でも先生は許してくれず、私の腕を掴んで……」
小鹿のようなレフィーは、そう言って再びブルリと震えた。
そんな完璧な演技を見ていた学院長の瞳は、みるみる冷たくなっていく。それはもう、凍えるほどに。
「そうですか……? その割に頬は、赤くなったり腫れたりしていませんね? 良く喋れているから、口の中も切れていないようだ。貴方の話と全く一致しませんね?」
「……なっ! 私が嘘を言っていると? この私ではなく、あんな馬鹿力の大女を信じるんですか?」
「アラマス先生より貴方を信じる理由が私にはない。それに、貴方の大きな罵声は、廊下にまで聞こえていましたよ?」
「…………」
小鹿のレフィーは真っ赤になって震えているが、それが羞恥なのか怒りなのか恐怖なのかは分からない。
そんなこと考えられないくらいに、学院長の穏やかなのに確かな怒りが怖い。
「ここは学ぶ場所ですから、自分の行動について考え直すチャンスを一度は与えます。ですが、次はありませんよ?」
学院長は穏やかそうな顔をしているが、目は全く笑っていない……。
その恐ろしい顔を直視してしまったレフィーは、それが自分に向けられたことが信じられない顔をしている。耐えきれなくなって挨拶もせずに、もつれる足で部屋から出て行ってしまった。
レフィーが走り去った先にまで厳しい視線を送り続ける学院長は、「マナーの補習が必要だな」と厳しい顔で吐き捨てた。
キーラの知るヒロインは、迂闊だけど純粋で真っ直ぐだった。あの人を見下した態度で嘘までつくとは、驚きすぎて訳が分からない。
とにかくマナーの再講習はして欲しいと、「同感です」疲れた声で学院長に同意した。
でも、どうしてだろう?
学院長から厳しく険しい目が向けられた上に、両手を組んで仁王立ちされている……。
怒りしか感じられない状況だけど、何か怒らせることをしたのかキーラは思いつかない。
レフィーのマナーがなっていないことだろうか? でもそれは、キーラのせいではない。考えれば考えるほど、分からない。
「俺がキーラを信じるとは思わなかったという顔をしていた」
(それか!)
「いつもであれば、間違いなく私が悪役にされる場面でした。あの状況で私を信じられる、学院長に驚きです」
「今までキーラ周りにいた馬鹿共と、俺を一緒にしないで欲しい」
「それは……、本当に申し訳ありません。信じていただき、ありがとうございました」
キーラが慌てて頭を下げたのは、喜びで崩壊した顔を見られないためだ。
ヒロインが思っていた性格と違って、思いかけず追い詰められてしまった……。
その後の学院長の言動に、落胆したり、驚いたりと忙しくて、信じてもらったことを喜んでいる暇がなかった。
(学院長の氷点下な怒りに気持ちがいっちゃってたしね。思い返せば、圧倒的に不利な状況なのにも関わらず、学院長は無条件で私を信じてくれたのよね)
「俺がキーラを疑うはずがない。もう少し俺を信用すべきだろう?」
「さっきのような状況になると、いつも諦めるのが当たり前だったので……ごめんなさい……」
キーラの当たり前に、学院長が顔を顰める。
理不尽を受け入れるしかない悔しさが分かるだけに、これが「当たり前」になった過去のキーラを助けに行きたい。
「それで、誰も頼らない誰も信じないキーラが出来上がったのか……」
「人に頼るのはリスクが高いです。自分が一番信用できるし、駄目だった時に諦めがつきます!」
「…………その気持ち、分かるけれど。それでも、俺のことは信じて欲しいよ」
「……ありがとうございます」
(出会ってからずっと、学院長が信頼できる人なのは知っている。でも、『信じる』と言葉にするのは怖い。だって、そんなことを言ってしまったら、気持ちが抑えられなくなりそう……)
「レフィー・ストイルは、随分と困った人物だな……。随分とキーラを侮辱してたぞ? もっと言い返えせば良かっただろう?」
「私の容姿の話や、貴族らしく生きていないことは事実ですからね。言い返しようがないです」
「容姿ってなんだ? 女が背が高いのは駄目で、男はいいってのが既におかしい。デカい俺には、キーラくらいの身長がちょうどいいだろう? 家のことだけで外で働かない女性が貴族らしいっていうのもおかしい。優秀な人間がその才能を生かして働くのは素晴らしいことだし、そこに男も女も貴族も平民もあってはならない」
そう興奮して捲し立てる学院長。
王族なのに本当にそう思ってくれているし、思うだけでなく行動に移しているところが本当に凄い所だとキーラは思う。
(こういう人だから、みんなから慕われるんだろうな)
「それで、どうしてこんなことになった?」
さっきとは打って変わって、学院長から一気に表情が消えた。
できれば、この話は避けたかった……。絶対に無理なのは分かっていたけど……。
「……ストイルさんに『王太子殿下に擦り寄って王太子妃を狙っている』という噂がありまして……。毎日生徒会室の前で待ち伏せまでしていると聞いたので、これは教師として注意が必要だと思いました」
「俺に相談せずにか?」
普段は見下ろされることなんてない上に、元将軍の殺気に満ちた視線なんて見返せるはずがない。
「……あの」
勇気を出して見上げた学院長の顔は冷たく険しくて、キーラの身体から一気に体温を奪い去る。出かけた言葉だって引っ込んでしまう。
「暴行未遂やスピーチもあって、レフィー・ストイルが要注意人物なのは分かっているだろう? 俺に相談しようとは思わなかったのか?」
「……申し、訳ありません」
相談するべきだったのに、後回しにしてしまったのはキーラのミスだ。
ネイトに言われた言葉を馬鹿みたいに鵜呑みにして、結局学院長に迷惑をかけてしまった。
「謝って欲しいのではない。さっきのこともそうだが、キーラが俺を信用できない理由が知りたい」
いつもは自信に満ち溢れて堂々とした学院長が、困り果てた顔でキーラに答えを求めている。
屈強な強面が全身で悲壮感を訴えているのに、適当に流せるほどキーラの神経は図太くできていない。
恥ずかしい話だろうが、もう言うしかない。
「……学院長と私が恋人同士って噂があると言われて……。そしたら、身の程知らずにも恥ずかしくなってしまって、会いに行きづらくなってしまったんです。そんな馬鹿みたいな理由で相談に行かずに、申し訳ありませんでした」
「ああ、なるほど」
「そんな馬鹿みたいな噂なんて、誰も信じてないと分かっているんです! でも、色々と問題のある私と噂になるなんて、学院長に迷惑がかかると思ったんです!」
「……迷惑?」
恥ずかしさを堪えての必死の告白に、なぜか学院長は言葉に不満をにじませる。不満を不快だと理解したキーラは、また必至で弁解をする。
まぁ、不満の理由を勘違いしている時点で、弁解しても何の意味もないのだけれど……。
「あり得ない話だと分かっているのに、あんなことを言われたのは初めてで耐性がなさ過ぎて勝手に一人で恥ずかしくて……。個人的な都合で、勝手な判断をして申し訳ありませんでした」
「いや、いい。別に怒っている訳ではない。色々言いたいことはあるが、全てが落ち着いてから伝える。さっさと片付けるから、少し待っていて欲しい」
あたふたと赤くなっているキーラにつられたのか、学院長も赤くなってもごもごと早口でまくし立てた。
話は全くかみ合っていないのに、何だか知らないけれど二人共照れてしまって話にならない。
年齢に合わない甘酸っぱい空気はいたたまれないと、学院長は話を元に戻す。
「とにかく、だ。王太子に対するストイルの行動は許されるものではないのだから、キーラの判断を責めようとしているのではない。ただ、俺は、キーラに危険な目にあって欲しくないだけだ」
危険と言われても学院内でのことで人目もあるし、なによりキーラがレフィーに力で負けるはずがない。それなのに学院長は心配そうに眉を下げてキーラを見つめる。
「コートレット国は、三つの勢力が次期国王の座を争っている」
「……は、い?……」
「正統派で一番優勢なのが、王太子派。二番手が、ギネール国をバックにした側妃が指揮する第三王子派。最期は大穴、王弟派」
『ゼロカネ』でも王太子と第三王子は争っていたけど、王弟は蚊帳の外だった。
でも、現実での功績を見れば、学院長が次期国王に推されるのも納得だ。軍人として国を守り、教育者として平民にも教育の場を広げた。貴族はともかく平民からの支持は、王弟である学院長が一番高い。決して大穴なんかじゃないはずだ。
「今回のことだが……。この三つ巴の争いから抜き出ようとした第三王子派が、王太子の評判を下げようとレフィー・ストイルを雇った可能性もある」
「それは、王太子殿下が婚約者を蔑ろにして平民と浮気をしたと思わせるってことですか? 確かに、それは、評判が下がりますね……」
「それだけでは済まない。サザイユ侯爵家はきな臭い動きをしていて、王太子の婚約者なのに最近は側妃寄りという噂もある。どういう行動に出るか読めない状態だから、より一層危険なんだ!」
「学院長の心配は分かりましたけど、ストイルさんの様子からは雇われて演じている様子は一切なかったです。むしろ、ストイルさんも不当な噂を立てられた被害者かもしれません」
あれだけネイト推しのレフィーが、王太子に鞍替えするのは考えにくい。『王太子に執着しているヤバい奴の情報を教えてあげようと思った』というのも、きっと真実。
(ということは、『王太子に執着しているヤバい奴』がレフィーを貶める噂を流している可能性が高い?)
「ストイルを貶めて、得をする奴がいるとは思えないけどな?」
「噂の内容は、ストイルさんへの悪意を感じます」
「悪意、ねぇ……。俺にはキーラに対するストイルの悪意の方が許せない」
「それはストイルさんがネイト一筋すぎて、何か勘違いしちゃったんです」
「カルディラとの仲を邪魔をしているのが、キーラだと言っていたな? 確かにキーラとカルディラは仲が良いからな……」
「小さい頃から勉強を教えているんで、完全な師弟関係なんですけどね。ストイルさんは思い込みが激しいタイプなので、勘違いも激しくて」
ため息を漏らした学院長は、そばにある机を人差し指でトントンと弾いている。
「師弟関係だと思っているのはキーラだけなんじゃないか? 意にそぐわない婚約を破棄したカルディラは、父親に『今回のことで誰と一生を共にしたいのか分かったから、もう勝手なことはしないでくれ』と言ったそうだぞ?」
「……まさか、その相手が、私だと? あり得ませんよ! 七歳も年上ですよ? 問題だらけの私ですよ? 笑えます!」
キーラの笑い声が部屋に虚しく響く。「だよな~」と言って一緒に笑ってくれると思った学院長は、感情の読み取れない硬い表情でキーラを見ている。
「キーラの言う問題なんて、キーラの優秀さに嫉妬した貴族が作り上げたやっかみだ。俺の知るキーラは、意地っ張りで頑張り屋でちょっと抜けてる可愛い人だ。カルディラにとっては、年の差なんて関係ない。本気でキーラとの将来を考えているんだ」
(一見、自分が褒められたようでドキリとしたし浮かれたけど……。学院長が言っていることは、ネイトの気持ちをちゃんと考えろってことよね? そんなこと、学院長だけには言われたくなかった)
「意味が、分かりません! 仮にネイトが私を好きなのだとして、どうして私は学院長にネイトの気持ちを受け入れろと言われないといけないのですか?」
「違う! そんなつもりは、全くないんだ……」
「じゃあ、何なんですか?」
「……それは、まだ……、言える段階ではない……」
(何なの? そのシュンとした態度は? 逆でしょう? 学院長にネイトとの関係を考えろと言われた私がシュンとするところでしょう? 学院長は良かれと思って話してくれたんだから、ショックを受ける私が身の程知らずなのは分かるよ! だけど、学院長にそんなことを言われるなんて、さすがに辛い)
「私はまだ仕事が残っているので、失礼します!」
悲しくて悔しくて逃げるように走り出したキーラの後姿に、学院長の声が飛ぶ。
「キーラ、学院内のことに首を突っ込むなよ! 今は特に危険なんだから、絶対に余計なことはするな! 頼むから大人しくしていてくれ」
キーラは振り返ることなく、階段を駆け上った。
読んでいただき、ありがとうございました。
もう一話、投稿予定です。




