5.幼馴染?
本日最初の投稿です。
よろしくお願いします。
商会長とレラが次の商談で外出した応接室には、キーラとネイトだけが残った。
入学前に既に婚約破棄が確定しつつある……。予想外の展開を前に、キーラは頭がついていかない。
(ヒロインとネイトの関係が、幼馴染でもないなんて……浅すぎる! セスタント家の裏に誰かいそうだけど、側妃というより『ゼロカネ』が絡んでいそうだし。ゲームの設定と違い過ぎるくせに、頭を悩ませることばかりだよ!)
考えることがあり過ぎて何も解決しなさそうなので、今は自分の任務についてだけに的を絞ろう。
「レフィー・ストイルに側妃が接触していないかを、アースター商会や平民街で確認してくる」のがキーラの任務だ。
セスタント家以外の貴族がパン屋に現れた噂もないから、側妃が接触した可能性は今のところ低い。
(毎日報告に来いと言われていたのに、これじゃ一回で終わっちゃうわね……。任務は完了したけど、ちょっと寂しい)
「……せい、先生!」
不謹慎なことを考えていたところにネイトから声をかけられて、キーラはびっくりして飛び上がりかけた。
目を真ん丸にしたネイトが「驚かせて、ごめん」と謝ってくるぐらいだから、キーラが思っていた以上に動揺していたみたいで恥ずかしい。
あまりにも大人げない自分を反省したキーラは、何事もなかったように笑ってみた。
いつもなら「ぼんやりするなよ!」と軽く戸を叩いてくるはずのネイトが、何か言いたげに口をもごもごさせてキーラの様子をうかがっている。
「なんだ?」と思いつつ次の言葉を待っていれば、今度はなぜか苛立った様子で商談用に整えた髪を右手でぐしゃぐしゃとかき乱している。
キーラのアルバイトには通訳と翻訳以外に、ネイトの家庭教師もあった。
ネイトが十歳にならない頃からの付き合いで、実の弟や妹よりずっと仲の良い姉弟同然。ネイトだって、キーラには気をつかうことなく何でも話してくれていた。そのネイトが言いあぐねているなんて、一体何があっただろうか?
キーラが急かさずに待っていると、パァンと大きな音が響く。目の前にいるネイトが、両手で自分の頬を叩いた音だ。
音にも驚いたけど、その頬の赤さもなかなかで手加減がない。それが良かったのか分からないけど、ネイトはついさっきまでとは違うスッキリした顔になっていた。
「先生は学院長と、随分仲が良いよね?」
「うん、そうだね。学院長にはお世話になっているよ」
(お世話になっているのが、「仲が良い」と言えるかは分からないけどね。少なくとも私は、仲が良いと思ってる)
「……それって上司と部下の関係だよね?」
「それ以外、何があるの?」
あまりにも予想外な質問に、キーラの眉間に縦ジワができる。こんなこと今まで一度も聞かれたことがないし、ましてやネイトから聞かれるなんて思ってもみなかった。
何よりも一番驚いたのは、自分自身に対してだ。
当たり前の返事をしただけなのに、キーラの胸は意外なくらい痛い……。
(学院長と私。上司と部下以外に何がある? あっ、眼鏡同盟? それだって主従関係の延長だよ。色々とあったから気にかけてもらっているし、特別な部下だとは思う。でも、分かってる。私がどう思っていようと、それ以上を望める相手じゃない。大丈夫、ちゃんと分かってる)
「学院長と先生が恋人同士だって話を聞いたから……。学院長の先生を見る目が普通とは違うのは、同じ気持ちの俺なら分かるし……」
前半の発言だけで脳みそが沸騰したキーラは、消え入るような声で言われた後半部分なんて何一つ聞こえていない。
(恋人同士? それって、恋し合う二人ってこと? 誰と、誰が? 学院長と、私が? えっ? 私が?)
「噂を聞いた時、俺もおかしいと思ったんだ。いくら臣籍降下したとはいえ、学園長が王弟で王族なことに変わりはない。結婚するなら、それなりの身分が必要だろ。先生が恋人の訳ないのは分かってたんだけど……。人に心を許さない先生が、学院長のことは信頼しているように見えたから心配で」
悪気のないネイトの言葉がキーラの胸に刺さり、興奮も一気に冷めた。
ネイトの言うことは、いちいち全部正しい。
仕事以外では人との関りを断ったはずのキーラだけど、学院長にだけは心を開き自分をさらけ出している。学院長だってキーラには本音を見せてくれる。
だけど、キーラでは学院長の恋人にはなり得ない……。
(そんなのは、最初から分かっている。信頼してもらえるだけで、十分なんだから)
キーラと学院長がお互いを信頼し合う関係になったのには、当然ながら色々と理由がある。
まず、二人は出会いから普通とは違った。
二人が出会ったのは、八年前のキーラの入学式だ。
キーラの入学式だけど、学院長にとっても入学式と言えば入学式みたいなものだった。
というのも、直前まで軍人だった男が、急に学院長に抜擢されたからだ。この急な人事には誰もが度肝を抜かれたし、特に軍は上へ下への大騒ぎだった。
王族としてありがちなお飾りの軍人なんかではなく、レイモンド・ロベルタントは実力も人柄も申し分なく慕われていた。そんなレイモンドを中心に、軍としてもう一回り力をつけて行こうという矢先の人事だった。
いや、そういうタイミングだからこそ、その出鼻をくじく人事だったのだ。国王のレイモンドに対する悪意や恐れを感じない者はいなかった。
当然軍から最強の将軍が消えることを不安視する声や反発は大きかったけど、国王は軍の声を抑えて強引に人事を発動した。
王弟として、臣下として、国王の命令に黙って従ったレイモンドだけど、心中は穏やかなはずがない。
平民の母親から生まれたと周りから蔑まれながらも、兄のスペアとして帝王学を叩きこまれ、自由を奪われて過ごした。
兄である国王に第二王子が産まれたのがレイモンドが十五歳の時で、今度はお役御免とばかりに軍に放り込まれたのだ。苦労はしたが、持ち前の体格と賢さは軍人に合っていた。
産まれてからずっと王家のいいように振り回され続けてきたレイモンドが、やっと手に入れた心休まる場所が軍だなんて皮肉な話だ。
だが、それさえも奪われたレイモンドが、一体どんな気持ちでリエットール学院の入学式に臨んだのかは分からない。
そんな経緯で学院長となったレイモンドの怒りと苛立ちが渦巻いた入学式は、息をするのさえ気をつかう緊張感でピリピリしていた。
その年の新入生代表は、歴代トップの成績で入学したキーラだ。
王女以外で女性がスピーチをするのは初めてで、男子生徒に譲るべきではという声が教師や貴族の中では上がっていた。その理不尽な不満をひと睨みで押さえたのが、不機嫌な新学院長だ。学院長が変わっていなければ、恐らくキーラがスピーチをすることはなかっただろう。
そんな大人の駆け引きなんて知るはずもないキーラは、堂々とした態度で完璧にスピーチを終えて周りの人間を黙らせていた。
だが、困ったことに、スピーチの真最中に『ゼロカネ』の記憶が頭に押し寄せてくるという異常事態。
キーラとは無関係な物語が頭の中に溢れてくるのは、無理矢理何本もの映画を高速で見せられているみたいで脳が揺すられて気持ちが悪い。
スピーチは何とか乗り切ったけど、ステージから降りて歩き出す頃には、ぐるぐると世界が回っていた。
目の前で倒れたキーラを受け止めたのが、学院長の挨拶をするために登壇しようとしたレイモンドだった。
普通に考えれば、異様に緊張感の張り詰めた場所でスピーチをやり切った生徒が倒れただけの話だ。そうはならなかったのは、貴族社会でのキーラ・アラマスの立ち位置が普通ではないから。
新入生代表のスピーチがキーラだったことに腹を立てていた生徒達は、「デカ女のくせに、強面の将軍にビビッて白目をむいて倒れた」と言って笑い話にした。
もちろんキーラはそんな噂なんて全く気にしない。
周りの令息達より背が高くて優秀なだけで「見下している」とやっかみを受け、中傷されることなんて慣れ切っている。
そんなことよりも、突然『ゼロカネ』という自分とは全く関係のない記憶が降ってわいたことで頭は一杯だった。今まで自分が持っていた前世の記憶と種類が違い過ぎて、意味が分からなくて、気持ち悪くて、周りなんて気にしている余裕はなかった。
しかし、学院長はそうはいかない。
軍という男社会で生きてきた人間が、学院という別世界で歩き出した一歩目で女子生徒を気絶させたのだ。気にならないはずがない。
そんな訳で、入学式の翌日にキーラは学院長室に呼び出されてしまった。
キーラが学院長室に行くと、既に部屋の扉が少し空いていた。
学院長室は扉から長方形に伸びていて、部屋の一番奥に執務机があり、その手前に応接セットであるソファーが置かれている。
だからソファーで話している声が、キーラの立つ廊下にまで漏れてきていた。
盗み聞きしているみたいで嫌だけど、時間通りに来ているキーラは帰るわけにもいかない。かといって勝手に扉を閉めるのも躊躇われて、そのまま立っているしかできない。
「……っひっ! 申し訳ございません」
「ちょっと待ってください、ゼライン先生。私は先生の教育方針について聞いただけです。そんなに怯えなくても……」
「ひぃぃぃぃぃ! 申し訳ございません。許して下さいぃぃぃぃ!」
こんな声が聞こえてくれば、中で何が起きているのか気になるに決まっている。丁度いいことに扉が少し開いている。この状況で、扉の中を見ない人はいるだろうか? キーラは見る派の人間だ。
ソファーには学院長と、教師では一番古株の髪の薄いゼライン先生が向かい合っていた。
学院長は純粋に学院のこと教えてもらいたかっただけなのに、絶望的に顔が怖い。
軍では厳めしい顔は人を従わせる道具の一つになるのだろうけど、ここは穏やかさと適度な厳しさが重んじられる教育の場。残念だけど、学院長の顔はマイナスにしかならない。
ゼライン先生の過剰反応に思わず伸びた学院長の手は、もちろん宥めようとしただけだ。それなのに暴力を連想させてしまうのは、彼の経歴とあの凶悪な顔のせいだ。
ビビりまくったゼライン先生が自分の身を守ってソファーから滑り落ちると、脱兎のごとくキーラの横を走り去っていった。
ゼライン先生が飛び出して行ったことで扉はフルオープンとなり、キーラと学院長を遮るものは何もなくなった。
口をパックリと開けたまま覗いていたのが気まずいキーラと、伸びかけた手をどうすればいいのか分からない悲しそうな学院長。とんでもない再会だ。
「……あ、アラマス嬢……。どうぞ、入って……」
「…………………失礼、します……」
読んでいただき、ありがとうございました。