3.学院長からの依頼
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
天井まで伸びていると見間違えるくらい高い本棚で壁をぐるりと囲われた学院長室は、普通にしていても圧迫感を感じてしまう。
でも、部屋に呼び出された者が委縮してしまう一番の理由は、部屋の雰囲気のせいだけではない。この部屋の主である学院長の存在が大きいのは、誰もが知っている。
そんな殺気すら感じさせる凄味を見せる学園長を前にしても、臆することがないキーラは貴重な存在といえるのかもしれない。
仕立ての良さが貧乏人の目には痛い服に身を包んだ学院長はとにかくデカく、キーラよりも十センチ以上背が高い。座っているのにデカいと感じてしまうのは、鍛え上げられて幅も厚みもある身体のせいだ。
三十歳の若さで学院長として教育改革を成功させてきた男は、野性的で険しい顔立ちだけど見目が良い! 強面と怖がられるのに憧れる令嬢が後を絶たないのは、この顔のせいだ。
加えて歳の離れた王弟だが、今は臣下に下ってレイモンド・ロベルタントとして公爵位を賜っている。こんなにも完璧な男が、どうして攻略対象でないのかとキーラは不思議に思いながらもホッとした。
長めの前髪を上げてサイドに流している姿は王子様だけど、がっしりとした鷲鼻からは意志の強さを、薄い唇からは酷薄さが感じ取れる。一番印象的な緑色の目は冷たく厳しく恐ろしいけど、丸い眼鏡で多少は怖さを抑えているはずだ。眼鏡をかけることを提案したキーラとしては、そう信じたい。
眼鏡の話は、二人以外は誰も知らない秘密だ。下らない秘密の共有だとしても、キーラはとっては宝物だ。
なぜキーラが学院長と向き合っているかと言えば、呼び出されたからにほかならない。
教師の中で一番歳の若いキーラは、何かといえば呼び出されて用事を言いつけられる。
他の教師達は学院長を恐れていて、「ご愁傷様」とでも言いたげな顔で見てくる。だけど、学院長を前にしても恐怖なんて感じないキーラにとって、呼び出しはご褒美みたいなものだ。
ただ、時期が今でなければの話だけど……。
(卒業式が終わったばかりで、入学式前だよ? この時期の教師がどれだけ忙しいか知っているよね?)
キーラの警戒心を知ってか知らずか、学院長は穏やかだ。
キーラと二人の時の学院長は、いつもの威厳と殺気が抜け落ちる。力の抜けた態度で椅子からキーラを見上げて、とんでもない名前を口にした。
「レフィー・ストイルという名に聞き覚えは?」
「……え?」
「レフィー・ストイルだ」
学院長が口にした名前を、キーラが知らないはずがない。
知らないどころか、フワフワのピンクブロンドを緩い三つ編みにした大きな水色の瞳を持つ美少女が勝手に頭に浮かんでくるぐらいだ。
(うっわぁぁぁ、『ゼロカネ』のヒロインだよ!)
キーラは口から飛び出しそうな真実と跳ねまわる心臓を抑えて、普段は怖いくらい冷たいと言われる顔で冷静を装った。
学院長は信頼しているけれど、「私の前世の記憶によると、その子はヒロインです!」なんて言えるはずがない。
前世の記憶があるなんて言った時点で、「頭は大丈夫か?」と思われるに決まっている。そんな状況で、この世界に存在しない『ゲーム』の話なんてできるはずがない。
それじゃなくても現実世界の中で乙女ゲームと同じ状況が起きるなんて話は、突拍子もなさすぎる。攻略対象である五人を「この人達、浮気します!」と、名指しで非難しているのと変わらないのだから。
(とにかく、当たり障りのない回答を……)
「……もうすぐ入学する新入生の、首席合格者ですね?」
「面識は?」
「ありません!」
「そうか? キーラが懇意にしているアースター商会と関わりがあると思ったんだが……」
「アースター商会は、あくまでも私の副業先です。仕事以外のことは私には分からないですよ」
すました顔で銀縁の眼鏡をくいっと上げては見せたけど、内心は汗だくだ。心臓が上半身で暴れまくっていて、鼓動が学院長に聞こえていないかと気が気じゃない。
こんなにも動揺しているけど、キーラは嘘なんてついていない。ヒロインとは全く面識がないと、胸を張って言える。
現実のレフィー・ストイルについてキーラが知っているのは、リエットール学院の入学試験を首席で合格したことだけだ。
ゲームの設定では、攻略対象の一人であるアースター商会の跡取り息子であるネイトとヒロインは、幼馴染で仲が良かったはずだ。現実でもそうだから、キーラと面識があると思ったのだろうか? そうなのだとしたら、大きな間違いだ。
(ゲームを知っているだけに、レフィー・ストイルには近寄らないよう細心の注意を払っていたのよ。だから本当に現実世界でヒロインを取り巻く環境については何も知らない。なのに、どうして、ヒロインの話になるの? 私、モブなのに……。これがゲームの強制力?)
学院長は引出しから取り出した二枚の紙をキーラに渡した。
ちょっとしたパニック状態のキーラは、その紙を薄目で恐る恐る見ている。が、すぐにカッと目を見開いて釘付けになった。
「三日前の夕方、レフィー・ストイルは暴漢に襲われかけた。たまたま通りかかった衛兵が、裏路地に引きずられていく彼女に気付いたので事なきを得たけどな」
「…………」
キーラが返事を返せないのは、二枚の紙を読み込んでいるからだ。
紙に書かれているのはヒロインが襲われかけた事件の経緯だけで、一番気になる原因や目的には全く触れられていない。
できるものなら学院長に「どういうこと?」と詰め寄って事件の詳細を確認したいけど、赤の他人だと言っている手前そんなことはできない。
午後に三件の配達を終えたレフィーが帰宅途中に、見知らぬ屈強な男二人に腕を掴まれ口を押えられ裏路地に連れ込まれそうになった。たまたま巡回していた衛兵が気づき、運よくレフィーを保護した。当然衛兵は男二人を追跡したが、裏路地の闇に消えた。
逃げた先は第四ブロック、平民街で一番治安の悪いスラム街だ。一般人はもちろん、衛兵だって足を踏み入れたくない場所。
執務机の上で両手を組んだ学院長は、鋭い緑の瞳をキーラに向けて愛想よく微笑んだ。
「この件について、キーラに頼みがある」
「えっ? 私に……? どうして?」
(ゲーム開始前にヒロインが襲われたなんて……、もちろん気になる! だけど、どうして私に頼むの? 前世の話とかそれらしいことだって一切話したことがないのに、前世持ちだとバレた?)
珍しくアワアワと焦るキーラに対して、学院長は鋭い目を向けて微笑んでいた……。
学院長の視線に根負けしたキーラが、渋々口を開く。
「私に……、何を頼むつもりなんですか?」
「レフィー・ストイルに接触した貴族がいないかを調べて来て欲しい」
「貴族? 暴漢に襲われかけたんですよね? どうして……」
そこまで喋って、キーラは学院長の意図に気付いた。
(学院長は、ただの暴行未遂事件だと思っていないんだ……)
実はレフィー・ストイルは、学園長にとって頭の痛い存在となっている。といっても彼女が何かをしたのではなく、その存在を疎ましく思う者の行動が学院長の頭痛の種だ。
キーラの予想が正しいことを証明するように、学院長はため息と共に吐き出した。
「レフィー・ストイルが、新入生代表のスピーチを辞退したいと言ってきた」
「どうし……、それって暴行未遂が側妃の仕業ってことですか?」
「レフィー・ストイルは何も言っていないが、連れ去られかけた際に『スピーチを辞退しろ!』と言われたのかもしれない。もしかしたら事件以前に、俺達の気付かないところで圧力がかかっていたのかもしれない」
「どちらも否定できませんね……」
「だからこそ、調べる必要があるんだ。その聞き込みを、キーラに頼んでいる」
そんなにいい笑顔でニッコリと微笑まれても、キーラも困ってしまう……。
入学式に行われる新入生代表のスピーチは、その年の首席入学者が行うのがリエットール学院の伝統だ。
今年の首席はレフィー・ストイルなのに、側妃が「由緒正しいリエットール学院の新入生代表を、王族も貴族でもない平民が行うなんておかしい!」と横槍を入れてきた。
首席入学者がスピーチするのが学院の伝統なのに、王族にさせろと言っていること自体がおかしい。しかも、側妃がスピーチさせようとしている、自分の息子である第三王子の成績は下から数えた方が早い。どうひいき目に見ても、新入生なこと以外は代表になれるような要素がない……。
学院も建前上は身分の差は無いと宣言しているし、権力の介入を許さない独立機関だ。
側妃の訴えなんて突っぱねて終わりかと思いきや、そう簡単に話はまとまらない。
平民がスピーチすることをよく思わない貴族が、予想以上に多かったのだ。側妃はそんな貴族達を味方につけて、学院長にくい下がり続けている。
(とはいっても王族に名を連ねる人が、平民相手に暴力で訴えるはずがないと普通は思う。だけど、現実でもゲームでも、側妃に至っては別格なんだよね……)
「平民の政治不信や貴族嫌いは、根強さが増す一方だ。貴族が多い衛兵が聞きに行っても、真実を話してもらえない。だからこそ、キーラの力を借りたい」
こんなにも真摯な目で見つめられたら、断れない。
側妃ともレフィーとも関わりたくないけど、学院長の頼みを断る選択肢は元からキーラにはない。
学院長との縁は、キーラが学生時代にできた。
それ以来何かと気にかけてもらって、学院の教師として部下になった。
不運続きのキーラ人生の中でも最大の窮地を救ってくれたのも、学院長だ。
基本的にお金のためにしか動かないキーラだけど、恩人である学院長のためには損得なしに何でもする。
だからなのか、いつも二つ返事のキーラの反応が遅いことに、学院長は不満そうだ。少し不貞腐れたように唇を尖らせている。
「ネイト・カルディラが入学してから、キーラが忙しくて声をかけにくくなった」
(……えっ? 突然ネイトの話? でもまぁ、そう言われてみれば、そうかもしれない。ネイトが入学してからこの一年間は、学院長に呼び出されることが減った。むしろ学院長の方が忙しいのかなと思っていたけど、遠慮していたってこと?)
「ネイトは商会長から『早く一人前になれ』とはっぱをかけられていますからね。他の生徒よりずっと勉強熱心なんです。販路を広げるためにも外国と直接やり取りするために、授業では扱わないマイナーな言語も勉強しているから、研究室によく質問しに来ます」
「よく質問に来るって、ほぼ毎日だろう?」
「確かにネイトは毎日のように質問をしに来ますけど、私は学院長からの呼び出しを断ったりしませんよ」
「……学生はいいよな、勉強を口実にキーラの時間を独占できる。俺は無理矢理用事を作らないと話もできないのに……」
学院長はうつむいて机の下の方にある引出しを開けると、ガチャガチャと中を引っ掻き回しながら小声でそう呟いた。その音にかき消されて、キーラに呟きは届かない。
「キーラの時間をただで使おうなんて子供みたいなことはしない。ちゃんと特別手当を支払うつもりだ」
引出しの中を探す手を止めた学院長は、何かと張り合うような固い声でそう言った。
普通の令嬢が恩のある大切な人から頼まれごとをすれば、当然「お金なんていただきません」と言うのだろうけどキーラは違う。そんな遠慮なんてしている余裕は一切ないほどに、お金が必要だ。
父親が全く役に立たないおかげで、キーラは学生の頃から弟二人と妹の学費を稼いでいる。それは、教師となった今も変わらない。
学院の教師は公務員だし、狭き門だけあって給料は良い。普通なら副業なんて必要ない程度に稼げるけど、普通ではないキーラは副業が必須だ。
どのくらい普通ではないかって、学生時代からアースター商会でアルバイトをしてお金を稼ぐ必要がある程だ。
学業が忙しいリエットール学院で、そんな生徒はまずいない。貴族ならば、なおさらいない。そんな絶対にあり得ない底なし沼にキーラははまっていて、今だってはまり続けているのだ。そしてそれは、これからもずっと変わらず、キーラの足を引っ張り続ける……。
「できる限りはやりますが、私は素人ですからね! 失敗したら手当なしなんて非情なことはしないで下さいよ」
「キーラが真面目なのは、よく知っている。そんなケチな真似はしないから、俺を信じろ。それと、進捗状況は毎日報告しに来ること」
「えっ? 毎日、ですか? 学院長だって、お忙しいですよね……?」
「副業をしやすい環境にした時に、できるだけ顔を見せに来るって約束だっただろ? 少なくともここ一年は全く守られていない」
(確かにそんな謎な約束を喜んでした。教師達の輪から完全に孤立した私を心配してくれただけと分かっていたけど、自分から会いにいく口実があるのはありがたかった)
目の前にずいっと出された傷だらけの大きな手を叩き落とすなんて、キーラにはできない。いつだって窮地から救ってくれるこの手を取らないなんて、そんな選択肢はない。
ギュッと握られた二人の握手によって、契約は成立した。
二枚の報告書を握るキーラの手に力が入る。
学院長だって知らないことを、キーラは知っている。
レフィーの敵は、側妃だけではない。危害を加えようとした犯人は、もしかしたら『ゼロカネ』の関係者かもしれない。
ゲームの主要登場人物なら、レフィーの存在は邪魔でしかない……。
(まさか暴力で訴えてくるとは思わなかったけどね……。側妃にしろ、『ゼロカネ』の関係者にしろ、随分と過激なタイプみたい……)
緊張で顔が険しくなるキーラの前に、甘い香りのチョコレートが差し出された。
でかい身体の学院長には似合わない繊細な細工のチョコレートは、キーラの大好物だ。チョコレートはとても高価で、自分のためにお金なんて使えないキーラでは手が出せない。それを知っている学院長は、こうやってよく差し入れてくれる。
「疲れているんだろう? 早く食べろ」
「ありがとうございます」と言って手を伸ばしかけるキーラの口に、チョコレートが押し込まれる。
甘くほろ苦い甘美な味は、何事にも代えられない。
そして、そんなキーラを満足そうに見ている学院長は、普段の強面からは考えられないほど穏やかな表情をしていた。
読んでいただきありがとうございました。
本日もう一話投稿予定です。
よろしくお願いします!