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20.未来へつなぐ

本日3話目の投稿です。

最終話です。

 婚約発表から半年後。学院長から紡がれる愛の言葉に対して十回に一回キーラが「……私も大好きです」と返せるようになった頃に、二人は結婚式を挙げた。

 あまりにも急な展開にキーラは驚いたけど、ウェディングドレスは既に仮縫いまで済んでいたし、ロベルタント公爵邸にキーラの部屋も準備されいて唖然とするしかない。

 心の準備ができていないのはキーラだけで、「ちょっと待ってくれ」なんてとてもとても言える状況ではなかった。


 それでも、唯一の懸念事項だけは確認しなくてはならない。

 この半年があっという間だったことと、何も言われないことをいいことに、今日まで聞きそびれてしまった。


(聞けば私の人生は、きっとがらりと大きく変わってしまう。聞くのが、怖い)


「どうした? 何か思い詰めた顔をしているが……?」


 夫婦の寝室でくつろいでいた学院長が背もたれから体を起こし、隣に座る不安げなキーラを見下ろした。同時に絡めた指にグッと力が入る。


「いえ、あの、ちょっとだけ痛いです……」

「その顔は、逃げられそうで不安だ。我慢してくれ」

「…………」


 キーラが無言なことにもっと不安が増したのか、学院長はキーラの右手を握ったまま空いた右手をソファの背もたれに置いた。


(なにこれ? 背もたれドン? レイ様の腕の中に囚われた状態ですけど? それに、逃げられるのは私だと思う)


「あの、今更確認すること自体が卑怯だと思うんですけど……」

「卑怯? キーラが卑怯とは、心外だ」

「……いや、あの、自分のことですから……。何が言いたいかと言うと、できればこのまま仕事を続けたいのです」


 背もたれドンでは、目の前に学院長がいて目を逸らすなんてことはできない。

 だから、「逃がすものか」とぎらついていた目が、ホッと落ち着く瞬間も見逃すことがなかった。「良かった……」と安堵の声を漏らして、自分の首元に埋まる瞬間までしっかりとらえた。


(かわいい。自分を食べようとしていた獰猛な野生動物に一瞬で懐かれてしまった心境って、きっとこんな感じなはず)


「キーラに仕事を辞めて欲しいなんて、思ったことがない。お金を稼ぐためだと言いながら、キーラが教師という仕事に誇りを持っていることは誰よりも俺が知っている」


 高給取りになるため、学院長の側にいるために教師になったキーラだけど、実はこの仕事が好きだ。外国語だけではなく、貿易を絡めて法律まで教えるキーラに感謝する教え子も多い。

 それに、コートレット国が貿易に強くなりつつあるのはキーラの力によるものなのは、貿易に携わる者なら誰もが知っている事実だ。


 キーラがホッとして洗いたての金色の髪に顔をうずめていると、「でも、一つだけお願いがある」と学院長が額を合わせる。


「授業をする上でアースター商会の副業が重要なのは、俺だって分かっている。分かっているけど、仕事量は減らして俺との時間を作って欲しい」

「……それは、私も同じ気持ちです。ですが、本当に仕事を続けていいのですか? この国の常識では、貴族の妻は家庭を支え仕事を持ちません。ましてや公爵家となれば、領地経営も内向きの仕事も普通の貴族より忙しいはずですよね?」


(教師の仕事は好きだし続けたいけど、我が儘ばかりも言っていられない。仕事かレイ様かと言われれば、私だってレイ様を選ぶ! 仕事を捨てるのは、辛いけど……)


「領地に関しては元々信用できる者に任せているし、屋敷の内政に関しても家令と侍女長に権限を与えている。主である俺がそうやって来たのだから、キーラが無理することはない。もちろんキーラの知識が必要な時も多々あるだろうから、そういう場合は協力してやってくれ」

「もちろんです!」


 鼻息荒く気合を込めて返事をしたキーラの銀髪を優しく撫でると、学院長は嬉しそうに笑った。


「確かにこの国では、貴族の女性は仕事を持たないことが美徳とされている。でも最近はキーラに憧れて、仕事を持ちたいという令嬢は意外と多いんだ」

「フレイヤ様以外にもですか?」

「あぁ、文官の試験を受ける女性も増えているし、キーラの授業を受けたことで貿易会社を立ち上げようという令嬢もいる」

「そう言えば、少し相談を受けたことがありますね」


(てっきり家が貿易商なのだと思ったけど、自分で会社を興そうとしていたんだ。今度もう少し詳しく話を聞いてみよう)


 自分が手伝えそうなことを考えているキーラを、学院長は誇らしげに見つめている。


「キーラが苦しんで拓いてきた道を、俺はもっと広げたい。リエットール学院でも、女性の自立について進めていくつもりだ」

「それは……、貴族の反発が大きいんじゃないですか?」

「その反発にもやっかみにも中傷にも、キーラは一人で耐えてきただろう?」

「家族のこともあって、ずっと辛かったですけど、学院長に出会えたおかげで一人じゃなくなりました」

「キーラにプライベートで学院長と呼ばれるのは、久しぶりだな」


 フレイヤの名前呼びに嫉妬したことを告白した時に、キーラしか呼ばない特別な名前で呼んで欲しいと言われた。『レイ様』呼びも随分と板についてきたけど、『学院長』だってキーラにとって大切な呼び名だ。


「学院長としては、その道の先駆者であるキーラには、胸を張ってみんなを引っ張って行って欲しい……。って、どうした? キーラ、何で泣いているんだ?」

「……『お前みたいな誰にも相手にされない貧乏令嬢は、仕事するしか逃げ道がない』とずっとバカにされてきたのに……。私を認めてくれる人がいて、その上応援してくれるなんて、夢でも見ているみたいです」


 嬉しくて涙の止まらないキーラを、学院長は愛おしそうに抱きしめた。腕の中は居心地が良過ぎて、涙が余計に止まらない。


「キーラを傷つけてきた連中を、全員罰したい!」

「レイ様と出会えた今が幸せだから、私は全て許すことにします!」

「……俺としては納得いかないが、キーラがそう言うなら従う。今まで頑張ってきた分、これからは俺がキーラを甘やかす」

「えぇっ! そんな急激な変化に、恥ずかしくてついていけませんよ……」

「キーラは恥ずかしがり屋だし、甘え慣れてないからな。俺はずっとそんなキーラを甘やかしたかったから大丈夫だ」


 何がどう大丈夫なのかキーラには分からないけど、学院長はとにかく蕩けるように幸せに微笑んでいる。そんな笑顔を向けられているのが自分であることが、キーラにとっても泣きたくなるほど幸せだ。


(それに、私もきっと似たような顔をしているのよね)


「お手柔らかにお願いします。私も……、大好きです」


 恥ずかしさのあまり脳が大噴火したキーラは、真っ赤な顔を隠すために学院長の胸の中に倒れ込んだ。







 兄への執着が危険視された第三王子は修道院に送られた。毎日王太子宛の手紙を書いているそうだけど、検閲後に現地で捨てられ王太子の手に渡ることは永遠にない。


 その話をレフィーにすると、彼女は震え上がった。


「『ゼロカネ』のネイトと現実のネイトが違うのは分かってる。第三王子はゲームと現実を混同したままなんだね。明日は我が身。いつまでも『ゼロカネ』にこだわるのは止めるわ」


 そうハッキリと言い切ったレフィーは、急に勉強に身を入れるようになった。

 質問をしに来るついでに、日本のことで盛り上がり、いつの間にかキーラの研究室の常連になっていた。


 キーラの結婚にショックを受けたネイトは、「分かっていたことだ」と何度も呟いて自分を納得させた。「仕事に生きる!」と宣言しただけあって、商会長が驚くほどに商売の腕を磨いている。


 ポレットは、実は家が第三王子派として人身売買に関わっていた。

 自分は関わっていないとはいっても、実家がなくなったポレットは戒律の厳しい修道院に入れられた。人との会話よりも神への祈りを重要視する環境の中では、人の不幸なんて感じることができない。そんな環境に耐えきれず、心が壊れてしまったらしい。


 フレイヤは家族を説き伏せて、学院を卒業後に留学することを決めた。すぐにでも旅立つかと思ったけど、「先生の授業をみっちり受けたいですし、先生にお化粧の仕方を教える必要がありますから」と言って、毎日のようにキーラの研究室に現れる。

 キーラが着飾るのは自分の前だけにして欲しいと思っている学院長と、よく言い合いになっているのはもはや学院の名物だった。


 王太子は相変わらずの無表情に変わりはないけど、フレイヤの前では表情が緩むのはキーラの思い違いだろうか?

 立場は王太子だけど、仕事は国王同然だ。妃が必要であることは周知の事実だけど、その話になるとチラリとフレイヤに目が行くのは、やっぱりキーラの見間違いなのかもしれない。




 愛する人に守られて、大好きな仕事に打ち込んで、優しい仲間に囲まれて、キーラの幸せな毎日はあっという間に過ぎていく。







 今日は解放日でもないのに、旧校舎の階段を昇る音が校内に響く。

 水色の制服を着た三人の少女が、冒険者気分で五階の奥の部屋を指差した。


「あの部屋が、女性自立の始まりの場所よ!」

「言われなくたって誰だって知っているわよ! 周りの中傷を撥ね退けて教師となったキーラ・ロベルタント学院長の研究室でしょう?」

「この部屋に、実業家としても有名なフレイア様や女性の地位向上の活動家レフィーさんが集まって、女性の自立について意見を交わし合ったのよ。凄い場所よね?」


 三人の生徒達は研究室を遠巻きに見ながら、当時を想像して胸を躍らせている。


「キーラ学院長がいなければ、私達は今頃、将来の夢なんて持てなかったのよね?」

「そう思うと怖いわね……。アミィの曾祖母様って、私達に希望を残してくれたすごい方なのね! 家でも伝説だらけなの?」


 アミィと呼ばれた銀髪で長身な少女は、研究室の一点を見つめている。その視線の先には写真立てが置かれていて、キーラとレイモンドと三人の子供達が微笑んでいる。


「女性自立の母って呼ばれている顔と、家での顔は全然違うの。曾祖父様との仲睦まじい話ばかりで、幸せな結婚をした女性というイメージしかないわ」

「キーラ・ロベルタントは女性自立の第一人者として、レイモンド・ロベルタントは妻を支えてその道筋を作った立役者として、教科書に二人の名前が寄り添うように載っているものね。仲良し夫婦だったのは有名な話だわ!」


『教科書に載せるなら、絶対に名前を並べてくれないと嫌だ! 教科書とはいえ、キーラと離れるのは許しがたい!』

 レイモンドがそう言って譲らなかったのは、ロベルタント家では有名な話だ。


 そっと研究室に入ったアミィは、窓から中庭を見下ろした。キーラが見た景色とは少し違うけれど、何かが共有できたようでワクワクしてくる。

 曾祖母が友人や生徒や愛する人と過ごした場所で、アミィも新しい何かとの出会いに胸を躍らせた。




終わり


これで完結です。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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