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2.ひっつめ眼鏡

本日二話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 シルバーリーフと黄色の花が色鮮やかなミモザが、空の青さに映える。

 リエットール学院女子寮の玄関前にあるミモザの木が満開になると、別れの時期なのだなとキーラは肌で感じる。毎年そう思うのは、教師という仕事のせいだけではない。


 リエットール学院は王立なので身分は公務員だ。

 職場の近くに家がある貴族以外は、公務員は王城の近くにある官舎に入るのが一般的だ。キーラがリエットール学院の女子寮に住んでいるのは、王城の側に建てられた官舎からでは学院に通うが遠く不便でしかないからだ。

 苦肉の策として女子寮の一室がキーラの部屋になったわけだが、自然と寮の管理までキーラの仕事になってしまった。

 教師になって丸五年経とうとしている今では、管理人のように入退寮時にはキーラが立ち会うのが当たり前だと思われている。そのせいでミモザを見ると「あー、退寮の手続きだ……」と、つい事務的なことが頭に浮かぶというわけだ。


 つい先日卒業式を終えた今日も、令嬢が迎えに来た家族と共に自分の家へと帰っていく。


(さっさと馬車に乗って帰ってくれれば、終わりなんだけどね……)


 荷物をまとめて、ではさようならと帰っていく学生は少ない。三年間共に過ごしてきた友達と離れるのが名残惜しくて語り合ってしまうのだ。退寮の立会いは、入寮の三倍くらい時間がかかるのが常だ。

 正直に言えば、「この時間がもったいない!」とキーラは叫びたい。それを我慢しているのは、生徒達が置かれた状況に同情しているからに他ならない。


 この国の令嬢は、卒業と同時に結婚するケースが多い。結婚してしまうと家を優先する風潮が強くて、自由に友人に会うことすらできなくなる。

 旦那や義理の親や使用人の目を気にせず友達と話ができるのは、今日が最後なのかもしれない。そう考えると、咎めたりなんてできない。


 今日退寮予定の令嬢も、とっくに帰り支度を整えていて後は出て行くだけだ。

 両親も迎えに来ているけど、友人達とのお喋りに花が咲いて玄関で止まったままだ。いつもであればそろそろ帰ってくれておかしくない時間が経っているけど、彼女は学生時代から話好きで人の言うことを聞かないタイプだった。

 まだ時間がかかるのは間違いないと諦め、キーラは彼女の部屋に忘れ物がないか確認を先に済ませることにした。




 ずっと近く立っていたキーラの姿が見えなくなったことで、生徒も親も気が緩んだのだろう。キーラが部屋の点検を終えて戻ってくる頃には、思い出話なのか悪口なのか分からない状態になっていた……。

 退寮する女生徒が、目に涙をためて友達三人に不安をこぼしている。


「私はまだ、婚約者が決まってないの……。ひっつめ眼鏡みたいに、独身で働くことになったらどうしよう……」

「大丈夫よ! マリサはひっつめ眼鏡とは違って可愛いもの!」

「そうよ! ひっつめ眼鏡は、男顔負けのデカさで、つり目で、地味顔だから、男性から相手にされなかったのよ。マリサとは大違いよ!」

「あの目で上から見下ろされたら、怖さと屈辱感で男なんてみんな逃げるわね」

「偉そうな顔して授業をしていたけど、誰にも選ばれなかった貴族の恥さらしだって気付いてないのよ!」


 四人の少女たちがキーラの容姿を馬鹿にして、寮に響き渡る声で大笑いしている。

 彼女達は悪意を露わにするけれど、別にキーラが四人の生徒に特別厳しかったわけではない。この中傷自体が、昨日今日言われ始めたことでもない。コートレット国の社交界における、キーラの評価なのだ。


 男性の平均身長が百七十センチのこの国では、小柄な女性が好まれる。見栄を気にする貴族では特にその傾向が強く、身長が百八十センチもあるキーラなど論外だ。

 幼い頃から群を抜いてデカかったキーラは、そんなことは言われるまでもなく誰よりも知っている。

 ちなみに『ひっつめ眼鏡』とは、キーラのことだ。

 青みがかった銀髪を耳の下で団子状にひっつめ、少し吊り上がったブルーグレーの瞳には細い銀縁の眼鏡が光っている。服装もいつも装飾のないグレーのワンピースなので、地味でお堅くきついを総称してついたあだ名だ。


 目の前のこの状況に、キーラから静かにため息が漏れる。

 卒業したとはいえ、寮だって学院の一部には違いない。キーラはいつ戻ってくるか分からない状況で、教師の悪口を言う場所には適していないはずだ。

 迎えに来ていたマリサの両親が口を開いたので、てっきり四人を諫めるのかと思ったら……。


「そう言ったら可哀そうでしょう? アラマス先生は、酷い容姿だけでなく家族でも苦労しているのよ」

「そうそう、アラマス家は伯爵とは名ばかりの、貧乏底辺貴族だ。アラマス先生の父親は馬鹿が付くほどのお人好しで有名な間抜けだ。領地経営だってできない馬鹿に、あの欠陥品を嫁がせるために必要な持参金が準備できるわけがない」

「貴族の女性は嫁いで家を守るのが当たり前だけど……、嫁ぎ先もなく家も貧乏じゃあ働くしかないわ。貴族の娘が働くなんて前例のないことをして、世間からの非難があっても頑張るしかない可哀相な人なのよ」


 とまぁ、娘達と共に悪口に便乗してしまった。この親にして、この子ありだ……。

 両親の顔にも生徒達の顔にも、気持ちよさそうな嘲笑が浮かんでいる。これもキーラにとっては、見慣れた顔だ。

 王立学院の教師といえば、国内有数の頭脳を持つ証だ。キーラへの中傷には、優秀さゆえのやっかみも少なくない。


(まぁ、この夫婦の言っていることに嘘はないしね。お父様の馬鹿さ加減も、あれだけやれば有名にもなるわ。知らないのは本人だけよ……)


 アラマス家はド貧乏な伯爵家だし、キーラには一度も釣書が送られてくることはなかった。キーラが働くことを選んだのは早く、結婚できなかったからじゃないけど。まぁ、特別騒いで訂正することでもない。

 こんな中傷は、キーラにとっては日常的だ。当然傷ついたりもしたけど、今はもうこんなことで悲しんだりはしない。しないけど……。


(長い経験の中で耐性はついたけど、腹が立たない訳じゃないんだよ!)


 気持ち的には壁にパンチでもキックでも喰らわせたいところだが、長年培ってきた自制心をフル活動させて抑える。マリサ達の前に出る準備として、口元だけを微笑ませて歩き出す。

 もちろん驚かせるつもりはないので足音を立てて近づいたのに、中傷していた方は罪悪感があるのかビクリと身体を震わせるから不思議だ。


「お部屋には忘れ物はありませんでしたから、お帰りいただいて大丈夫ですよ」


 キーラが何事もなかったように対応しているので、全員がホッと胸をなでおろした。

 このキーラの神対応のせいで、自分達が数的優位に立っていると勘違いしてしまったようだ。

 調子に乗った父親が代表して「先生にはお世話になりました。優秀な先生に教えてもらえて有意義な三年間を送れました」と笑顔で声をかけてくるが、決して頭は下げない。


「卒業おめでとうございます! マリサさんに素敵な婚約者ができることを、心からお祈り申し上げます」


 相変わらず口角だけを上げたキーラが穏やかにそう言うと、さすがに気まずそうな顔になる六人。

 慌てた様子でその場を後にしようとする後姿に向かって、キーラは思いっきり同情を込めて言ってやった。


「マリサさんの目も当てられない成績では、どんな試験にも受かりません。仕事に就くなんて到底無理な話ですものね」


 彼女達がキーラに言った中傷に比べれば可愛い嫌味に過剰反応した父親が、顔を真っ赤に怒らせて振り返った。


「なっ! 貧乏伯爵家の嫁き遅れのくせに、言葉が過ぎるぞ! 勉強しか取り柄のないお前と違って、可愛いマリサなら結婚相手だって選べるんだ!」

「ご存じだとは思いますが学院の成績ランクは、就職だけではなく婚約の釣書にも乗ります。あの成績で選ばれるか……? 成績表を見たご家族ならお分かりですよね? 分からないようなら、もう一度ご説明しましょうか?」

「………! し、失礼する!」


 下唇を噛みしめるマリサ家族の背中に、キーラはエールを送る。


「これから苦労するけど、頑張ってくださいね!」


 真っ赤な顔をした六人は、逃げるようにその場から走り去っていった。




 手を振って六人を見送ったキーラが首を左右に回すと、ガキバキと音が鳴る。それでもスッキリせず、右肩と左肩を回しながらキーラは自室へと戻る。

 部屋に入ったキーラが最初にしたのは、クローゼットを開けること。数枚のグレーのワンピースがかかっている中に、なぜかカーキのつなぎの様な服がある。つなぎを手に取ったキーラは、さっさと着替えると柔らかそうな皮の編み上げブーツに履き替えて裏口から寮を出た。


 キーラが向かった先は、リエットール学院の裏山だ。

 植物学や生物学のサンプルを取るためにある裏山は、担当教員が手入れを怠ったため草木が伸び放題で人が足を踏み入れられる状態ではない。それだけでなく夕方辺りになると「うぉぉぉぉぉぉ」という獰猛な獣の鳴き声が聞こえるという噂もあり、より一層誰も近づかなくなった。

 そんな人気の全くない裏山だからこそ、人が一人通れるけもの道があることをキーラ以外誰も知らない。

 なぜキーラが知っているのかと言えば……。


「うぉぉぉぉぉぉぉ! 可哀相で悪かったなぁぁぁぁ」


 つなぎを着たキーラが雄たけびを上げて、けもの道を駆け上がったり駆け降りたりと忙しい。

 キーラは怒りを抑えきれなくなった時、けもの道を何往復もしてストレスを発散している。こうやって身体を酷使することで、怒りや虚しさを空っぽにしてさっさと寝るのが健康維持の秘訣だ。


(健康第一! 私が倒れたら、お金が稼げなくなって困るからなぁ)


 そして最後は、裏山の頂上から王都を見下ろすのだ。

 学院が高い位置にある分、この場所からは王都が一望できる。王城や礼拝堂や貴族の住居街や平民街がミニチュアセットのように、ところ狭しとひしめき合っている。

 空っぽになるまで走った後にちっぽけな王都を見下ろすと、何だか色々なことがバカバカしく思えてスッキリする。


「こんなストレス発散の仕方って、きっと異常よね? 前世は陸上部にでも入っていたのかしら?」

 キーラ自身にも、自分がしていることが普通じゃないのは分かっているらしい。




 そう、キーラは色々普通じゃない。

 背が高いのもそうだし、貴族の娘なのに結婚せず働いているのもそうだ。

 その中でも何より一番普通じゃないのは、日本人としての前世の記憶があることだ。

 前世の記憶があると言えば聞こえはいいけど、その記憶は本当に曖昧だ。

 自分が日本人だったことと、日本という国や文化の記憶しかなく、自分が誰で何をしていたかなんて欠片も分からない。

 当然ながら、無双なんてできない。

 この世界にもキーラにも魔力がないから魔法は使えないし、記憶がないから美味しい料理もできないし、内政についてもさっぱりだ。何か商品を生み出したりなんて、できるはずがない。


 なら前世の記憶が不要だったか? と聞かれたら、キーラは間違いなく「必要でした!」と答える。

 日本では受験は必要だけど努力すれば学ぶことができること、試験は必要だけど望んだ仕事に就けること、結婚は好きな相手とするもので、結婚しなくてもこの国ほど肩身は狭くないこと。この記憶があったことは、キーラが生きていく上で重要だった。

 貴族の女性としての概念を捨てて家族のために働くことをキーラが選べたのは、前世の記憶のおかげだ。

『この世界と別の場所では、女性が働くのは当たり前のこと』

 キーラはそれを知っていたから、怖さはあったけど前に踏み出せた。


(まぁ、その一歩を踏み出すために、常識や優しさやとにかく色んなものを捨てたけどね……)


 前世の自分のことは何一つ覚えていない記憶が、キーラの精神的な支えになってくれている。だから、この記憶があることに、とても感謝しているのだけど……。

 日本の記憶とは別に、キーラには生きていく上で役に立たない前世の記憶がある。




 その記憶とは、キーラが働くリエットール学院を舞台とした乙女ゲームだ。ゲームの名前は『零時の鐘が鳴る前に ~シンデレラは幸せを掴む~』略して『ゼロカネ』。

 キーラもリエットール学院の卒業生だけど、在学中にゲームが展開していたのではない。ゲームが始まるのはこれからで、もうすぐ迎える入学式からゲームはスタートする。

 そしてもちろん、教師であるキーラはゲームに一切登場しないというか、多分存在していない。

 記憶としてもストーリーを知っているだけで、前世の自分がゲームをしていたかは分からない。

 要は何の思い入れもないゲームの話を、鮮明に詳細に覚えているだけ。どうせだったらもっと役に立つ記憶が欲しかったなと、キーラが思ってしまうのも仕方がないことだ。


 内容はというと、パン屋の娘であるヒロインが身分違いの恋をして、紆余曲折を経て恋を成就させるという王道のシンデレラストーリーだ。

 攻略対象は「完璧で人に無関心な王太子」「宰相の息子で冷徹な皮肉屋」「騎士団長の息子で猪突猛進すぎる脳筋」「有力商会長の息子で初恋相手の幼馴染」「ショタ枠なのに不穏な第三王子」の五人。当然全員に婚約者がいて、ハッピーエンドにはもれなく婚約破棄がついてくる。

 ヒロインの攻略が始まれば、これももれなく婚約者が悪役令嬢へまっしぐら。王太子と第三王子の婚約者は処刑だし、他の三人だって娼館行き。

 ゲームとしては定番だけど、これが現実で起きたらたまったものじゃない。だって、ゲームの通りにハッピーエンドになんて、なるはずがないのだから……。


 『ゼロカネ』の記憶をキーラが思い出した当初は、現実世界でゲームのストーリーがなぞられるはずがないと思っていた。だから、『ゼロカネ』の記憶なんて思い出すこともなく、遠い彼方に押しやっていたのだ。

 あの事実を知るまでは……。


 恐ろしいことに現実世界は『ゼロカネ』と連動していることを、キーラは知った。

 ゲームの記憶がある以上、誰かの命が失われたり不幸になるところをただ見ているなんてできない。かといって一介の教師でしかないキーラに、王太子や高位貴族の行動を制限する力なんてない。

 そんなことをして誰かの怒りを買って職を失ったら、アラマス伯爵家は路頭に迷う大惨事だ。


(できる限り慎重に、『ゼロカネ』をスタートさせない。それが私にできる、ただ一つのこと)


 なんて思っていたキーラだが、ゲームの記憶を余すことなく駆使して走り回ることになってしまう……。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、よろしくお願いします。

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