19.初めての夜会
本日二話目の投稿です。
あと一話で完結します。
ローゼント侯爵家に連れ込まれたキーラは、満足気に微笑むフレイヤに愛想笑いを返していた。
「先生、その笑顔は全然ダメです」
「お嬢様、ここまで涼し気で凛々しい美人です。笑わないという選択肢もあるのではないかと」
フレイヤの美を理解し、共に研究を重ねてきたという侍女の発言にキーラは驚いた。
(常に優雅に笑えと育てられる令嬢が、笑わないとかないでしょう?)
「それは……、ありね!」
「えぇっ!」
フレイヤの一言に、他の侍女達も一様にうなずいている。困っているのは、フレイヤによって完璧な化粧を施されたキーラだけだ……。
実は完璧なのは化粧だけではなく、細身のキーラのために作られた金色のドレスも完璧だ。おまけにアクセサリーはエメラルドで、金と緑で完全に学院長の色をまとった仕上がりになっている。
貧乏すぎて自分のデビュタントでさえ参加できなかったキーラは、今日行われる王家主催の夜会がデビューとなる。
正直に言えば夜会なんて出たくもないけど、学院長との婚約が発表されるとなれば出ない訳にはいかない。しかも、ドレスもアクセサリーも既に作られていて、化粧道具を広げたフレイヤが手ぐすねを引いて待っていた。逃げる余地なんて、一ミリもなかった。
(もちろん、逃げる気なんてないけどね。嫌味なんて言われ慣れているんだから、長年培われた抜群の聞き流し能力を発揮してやるわ!)
と強がってみても、聞き流すのも結構な労力だ。笑わないで済むなら、それに越したことはないとキーラも思うが……。
「私が笑わないと、学院長の評判に関わるんじゃない?」
「あの学院長が、今更評判を気にすると思いますか?」
「……まぁ、気にしないだろうけど……。私の、気持ちの問題?」
「先生は、この国の歴史に残る女性です! ちょっとくらい型破りな方が、伝説としては華やかです」
(これ、聞き流したいけど、聞き流したら駄目なやつよね?)
「歴史とか伝説とか、ちょっと話が見えないんだけど……?」
「以前にジョーゼス様が言っていた、学院長の『国王になることは望んでおらず、一つの政策のみ叶えられれば地位も名誉も何もいらない』という言葉を先生は覚えていますか?」
「裏山から攫われた時に聞かされたわね? つい最近のことなのに、何だか遠い過去の気がする……」
「学院長が叶えたい政策は、『女性の社会進出』です」
学院長が教育の門戸を広げようとしているのは、キーラも知っていた。それこそ、貴族に関わらず平民も同じレベルの教育を受けられるように、そこに男女の差なく平等に、と……。
「周りの中傷に負けることなく自分の力で撥ね返し、誰よりも優秀で進化し続けている。そんな先生は、一部の女生徒からは憧れの存在です。もちろん、わたくしもその一人です」
「はぁ……?」
「ご自分のされていることが、この国の女性の生き方に影響を与えるなんて思ってもいないところが、先生の素敵なところなんでしょうね」
「……私は通常の令嬢のルートに乗れずに、働くしか道がなかった貴族の恥さらしでしょう?」
「そんなのは先生の才能に嫉妬した無能な輩の負け惜しみなのが、今日分かりますよ?」
キーラがキョトンとしていると、扉がノックされた。
ガッチガチに緊張したキーラは、「こりゃ、笑うのは無理だな」と早々に笑顔を諦めた。
レイモンド・ロベルタント公爵の隣を歩くキーラに、視線が矢のように降り注いでいる。それはもう痛いほどだ。
この国で一番の優良物件でありながら、自分の保身のために国王が結婚を許さなかった孤高の存在がレイモンド・ロベルタントだ。それでも密かに狙う貴族は後を絶たなかったが、彼が相手をすることはなかった。
そんなレイモンド・ロベルタント公爵が突然婚約を発表するという噂が流れ、社交界は驚愕した。泣き崩れた令嬢の多くが、「婚約者を一目見てやろうと」今日の夜会に臨んでいる。
そして今、多くの貴族が身動きが取れないまま、レイモンド・ロベルタント公爵とその婚約者を凝視している。
強面でまともに目を合わせられる人間の方が少ないはずの男が、自分の色に染め上げた婚約者に穏やかな表情を向けているのだ。「こんな顔ができるのか?」「こんな人だったか?」と、あまりの溺愛ぶりに誰もが度肝を抜かれている。
しかし、観客が一番驚いているのは、婚約者に対してだ。
婚約者の名前は発表されていなかったけれど、あの背の高さや青みがかった銀髪から、レイモンド・ロベルタント公爵の婚約者がキーラ・アラマスであることは間違いがない。
今まで自分達が見下してきた嫁き遅れの貧乏令嬢が、あんなに美しいはずがないと誰もが自分の目を疑った。化粧がはげるほど目を擦ってみたところで、凛として立つキーラの美しさは変わらない。
自分の方がレイモンド・ロベルタントに相応しいことを証明しようと着飾ってきた令嬢達が、一気に色褪せてしまった……。
落胆したのは、令嬢達ばかりではない。令息達だって同様だ。
売れ残りと言われるキーラ・アラマスなら、自分が手にすることができたはずだった……。
あの優秀な能力さえあれば領地の活性化は約束された上に、これだけ美しい妻まで手にできたのだ。そう思うと奥歯を噛みしめて悔しがる者が続出している。
キーラの隣に立つ男も、苛立った顔で奥歯を噛みしめていた……。
「いやらしい目でキーラを見る男が多い。やっぱり肌の露出が高かったか……。もう帰ろう」
「いやいやいや、正直言って帰りたいですけど、そうもいきませんよね? それに、肌の露出は普通だと思いますよ? 視線も『あれが、レイモンド・ロベルタントの婚約者?』って鼻で笑う類のものですよ」
「そんな馬鹿がいるのか? どこだ? 二度と笑えなくしてやる」
学院長の気配が真っ黒になったタイミングで、「ひっつめ眼鏡の貧乏令嬢が婚約者だなんてあり得ない!」と騒ぐ令嬢の声が響いた。
声の出所を特定した学院長が、緑の目をスッと細める。
(あー、何か言ってくる人は必ずいると思ったけど、やっぱり騒動は避けられないのね……)
気にしてないと伝えるキーラの腰を掴んで持ち上げるように歩き出した学院長は、中傷した令嬢へと真っ直ぐに向かって行ってしまう。
困り果てたキーラが隣を見上げた先には、にこやかに見せているだけで一切喜色の欠片も感じられない顔しかない。
怖いとかそんな言葉で言い表せるレベルじゃない。学院長を目にした人々は、避けるように逃げ出してしまうほどだ。
ぽっかりと空いた場所に取り残された令嬢と家族は、真っ白な顔で立ちすくんで学院長の表情を窺うしかできない。
誰かと思えば二年前に学院を卒業した侯爵家の娘で、ロベルタント公爵との縁を望んでしつこかった令嬢の一人だ。学院にいた時からキーラを見下す態度は目に余る生徒だったから、気持ちを抑えることができなかったのだろう。
両親が娘を庇うようにフラフラと前に出て、膝に額を擦りつけて「娘が大変失礼いたしました」と頭を下げる。だが、気の強い娘は顔を上にあげたままで、キーラに詫びる気なんてないらしい。
(この態度はまずいわ……。レイ様の口元が引きつっている。お願い、気付いて! 今すぐ逃げて!)
キーラは「私は元からこんな中傷なんて気にしてませんから」と言って、丸太のような腕を引っ張るがびくともしない。
それなのに令嬢にキーラの小声が聞こえてしまい、「わたくしは中傷なんてしていないわ! 事実を言っただけよ!」と全くもって逆効果だ……。
学院長の凄味が増していき、もうキーラではどうにもできない水域に達してしまった。
周りの観客達も、もう怖いもの見たさでそこから動けない。
「あり得ないと言っていたが、キーラは美しく優秀で勇気もあり優しい。たまに突拍子もないことをするが、それは誰かのためを思ってのことだから仕方がないと思うことにしている。そんな俺の愛するキーラの、何があり得ない?」
「……ア、アラマス伯爵家は没落寸前と聞いております。お金目当てに決まっています!」
学院長のとんでもないのろけ発言にも引かずに発言できる令嬢に、キーラは拍手を送りかけた。でもまぁ、そんな人はキーラぐらいだ。
公爵夫妻に至っては、気が強いことで有名な娘の命知らずな発言に、血の気が抜けて目も虚ろになっている。
「アラマス家が没落寸前だったのは過去の話だ。キーラの知識とキーラの人脈で新たな商売と販路を作り、生まれ変わっている」
学院長が言っていることに偽りはないが、圧倒的に言葉が足りていない。
キーラが考えた商売を軌道に乗せるために、随分前から領地に人を派遣していた。キーラに甘えるだけの家族を徹底的に性根から叩き直しただけでなく、資金援助をしてくれたのは学院長だ。しかも、キーラがそれを知ったのは、つい先日だ。
「……令嬢とは領地や家の管理をするのが仕事です。男性の仕事を奪って働くような女性ははしたなく、ローゼント公爵夫人には相応しくありません!」
「ほう、お前なら相応しいというのか?」
「もちろんです! わたくしの行儀作法は完璧ですし、社交界では中心的な役割を果たしています。必ず公爵様のお役に立てます!」
起死回生のチャンスとばかりに、令嬢は上気した顔で一歩前に出た。相対する男の顔が、冷え切った殺意しか浮かんでいないことにも気付かずに……。
「ローゼント家は外国とのやりとりが多いが、お前は何カ国語話せる? 使用人にはセレシュ国やサーザイル国の者もいるが、もちろん言葉は話せるな?」
「……いえ、外国語は……」
「話せないのか?」
「はい……」
「外国語も話せずに、何がローゼント公爵夫人に相応しいだ! 俺も舐められたものだな! ちなみにキーラは、俺よりも多くの言語を操るぞ?」
屈辱に震える令嬢は、それでも顔を上げて自分をアピールする。両親は立ちながら失神したようで、もう止めることはできない。
「わたくしは社交界で大きな影響力を持った存在です。わたくしを妻にすれば、多くの貴族を味方につけてみせます!」
「この俺に、馴れ合いで腐り切った貴族の力が必要だと? 俺はお前の大事な汚れた貴族を罰し狩る側の人間だ!」
「……ひっ!」
「影響力があるなんて言えるのは、他国との信頼関係で築かれた人脈を持ったキーラのような人間だ! お前など、キーラと比べること自体が烏滸がましいわ!」
散々文句も惚気も言ったはずなのに、学院長の気は収まらない。いや、自分がいかにキーラを大事にしているかを、キーラを傷つける者がいれば容赦しないことを、今がチャンスとばかりにアピールしている。
「不愉快だ、二度と俺達二人の視界に入り込むことを許さん!」
「…………」
令嬢はへなへなと床に崩れ落ちた。
そうもなるだろう。二人の視界に入るなってことは、王都にはいられないことを指している。ロベルタント公爵をここまで怒らせたのだから、まともな結婚も望めない。令嬢としての未来は断たれた……。
ゴミでも見るような目を令嬢に向けたレイモンドは、何事もなかったように背を向けてその場を後にした。
「彼女はレイ様への憧れが強くて、ちょっと私に文句を言いたかっただけですよ?」
「ちょっと、か? あれが! キーラを馬鹿にする輩は、誰であろうが許さない! いやらしい目で見る者も、絶対に許さない!」
レイモンドの言葉に身を震わせた令息達が、こそこそと逃げ出していった。
ひと悶着あったせいで完全に孤立してしまったキーラ達の下に、フレイヤが優雅に現れた。
「アラマス先生を自分のものだとアピールしたいのは分かりますけど、ちょっとやり過ぎじゃないかしら? 今までの学院長のキャラと違い過ぎて、みんな戸惑っていますわよ?」
「人のことなんて知ったことか!」
「ちなみに我が家の父なんて、卒倒寸前ですわ」
フレイヤが笑いながらそう言うと、学院長はニヤリと笑い「今までは我慢していた分、好きなようにする」とキーラの腰に回る腕の力が強まった。
「我慢って……。学院長はいつからアラマス先生のことが好きだったのですか?」
フレイヤから飛び出した質問にギョッとしつつも、期待を込めた目でつい隣を見上げてしまうのが乙女心だ。
(ちょっと、こんなところで第三者がする質問? でも、私には絶対に言えないから、心から感謝します。ありがとう、ローゼントさん!)
「そんな大事な話を、キーラ以外にするはずがないだろう?」
「まぁ、されても困りますけどね?」
自分で話を振っておきながら、フレイヤはうんざりした顔をしている。
以前からキーラへの好意は隠してはいなかった学院長だが、今はキーラへの愛情を所かまわず向けてくる。近くでそれを見続けている人間が、うんざりするのも仕方がないことだ。
キーラと学院長がホールに戻ってくると、待っていたとばかりにオーケストラが音楽を奏で始めた。
本来であればファーストダンスは王族が行うものだけど、国王夫妻は人身売買事件が尾を引いて貴族からも冷めた目で見られている。サザイユ家は一族郎党地下牢送りで取り調べられていて、王太子には婚約者不在だ。
ということで、ファーストダンスを踊るのはキーラと王弟であるレイモンド・ロベルタント公爵に白羽の矢が立ってしまった……。
婚約のお披露目も兼ねているので、キーラも泣く泣く引き受けるしかない。
学生時代に授業でダンスを習っているし、成績としても悪くなかったはずだけど……。
当然のことだけど、授業と人前で踊るのは大違いに決まっている。その人前とおう次元だって、常識外れすぎる。初ダンスが王族主催の夜会のファーストダンスだなんて、緊張しない人がいたら教えて欲しい!
「俺に身を任せておけば大丈夫だ。すぐに終わる」
「そんな風に思える余裕がありませんよ……。これだけの人達の前ですよ?」
「そうか? なら人目が気にならなくなる話をしよう」
かっちんこっちんのキーラの身体を支えた学院長は、キーラの耳元でそう囁いた。
「さっきの話の続きだ」
「どの話ですか?」
「俺がいつからキーラを好きだったかという話だ」
「!」
足元ばかりを気にしていたキーラの顔が反射的に上がると、幸せ一杯な顔が迎えてくれた。この顔を見ると、キーラも幸せなんだけど……。
とてもじゃないけど慣れるものではない。見る度に、身体が発火する。
「やっぱり気になっていたか?」
「……そりゃ、気になるものじゃないですか? 今だって、こんな幸せ、夢のようですし……」
「夢なんかじゃない。丸眼鏡を勧めてもらった時から、キーラは俺にとって特別な存在だ」
「嬉しいですけど、その時から好きってわけではないですよね?」
「そうだなぁ、もうほとんど好きだったとは思うけど、危険を冒してまで手放したくないと思ったのは……」
「思ったのは……?」
「土砂降りの中で泥だらけのキーラが、俺に心をさらけ出してくれた時だな」
「……泥だらけで、恨み節の醜い心をぶちまけられたんですよ? あれのどこに好きになる要素があるんですか?」
二人の間にお花畑のような美しい思い出がある訳ではないけれど、何もキーラにとって人生のどん底が恋をした瞬間だと言われても、ちっとも嬉しくない。
「頑ななキーラが一番心を開いているのは俺だと自負はしていたけど、決して全てをさらけ出したりせず距離を置かれていただろう? 最初はキーラの状況を考えれば仕方がないと思っていたけど、途中から物足りなくなっていた。俺はキーラの全部が欲しくなっていたんだ。そんな時に、ああやって全てをさらけ出してくれた。もう絶対に離さないと心に誓った」
「……でも、あれから、結構経ってますよ?」
「そうだな……。俺は随分と忍耐強く待ったのに、セレシュ国に逃げられかけたよ」
「…………」
自分の嫉妬と勘違いを思いしたせいで、足が止まりそうになる。そこは学院長が巧みなリードでカバーしてくれたけど、危なかった……。
「俺に借金がある状態のキーラは、プロポーズを受けてくれないだろう?」
「そうですね」
「妹のデビュタントの費用や持参金を俺が準備したら、キーラはその金を返すまで俺の気持ちには応えてくれないよな?」
「……そうですね」
「そこで俺は考えた。キーラを頼ってばかりの家族を叩き直して、自分達で必要な金を稼がせようと! あいつらが自立しない限り、キーラは家族から離れられないだろう?」
「…………そうですね……」
「キーラのおかげで下準備は完璧だったから、後は人を送り込んで一日でも早く自立できるようスパルタで鍛えあげた」
「……家族が、お世話をかけました……」
不出来な家族を思ってキーラの視線が足元に落ちかけた時に、演奏が終わった。
学院の三倍は広く、天井は倍近く高い、シャンデリアや壁の装飾も豪華絢爛で、飴色の床は顔が映り込みそうに磨き込まれているホールの中央に二人は立っている。
王族が座る中二階のバルコニー席から現れたのは、王太子。
「王弟として、軍を支える将軍として、国の教育を改革する学院長として、ずっとこの国を支え続けてくれているレイモンド・ロベルタントが、長年一途に想い続けたキーラ・アラマスに遂に愛を受け入れてもらった。二人の婚約を、王家は承認した!」
芝居がかった王太子の言葉に、会場中が湧きあがる。
学院長に引っ張り上げられるように腰を掴まれたキーラは、ホールの中央を何度もくるくると回りながら歓声に応え続けた。
読んでいただき、ありがとうございました。
あと一話で完結します。
20時頃投稿します。




