18.前世持ちの末路
本日最初の投稿です。
よろしくお願いします。
天井の高い広く明るい部屋には、どこを見ても高級で上品な落ち着いた色合いの家具しか目に入らない。キーラが座っているソファーも滑らかなビロード生地で、触り心地も座り心地も最高だ。
だからこそキーラにとって居心地の悪いこの部屋は、王太子の執務室だ。
人払いをした部屋にいるのはキーラと学院長とフレイヤと王太子の四人で、事件の後始末についての報告がしたいと王太子に呼び出された。
「側妃は離縁となり、ギネールに送り返すことが決まっている。もちろんギネールにも、多額の慰謝料を支払わせる」
「あの国のことですから、戦争だと言ってきたのではないですか?」
「フレイヤの言う通りで、戦争を匂わせてきた。だが、側妃が嫁いできた時とは異なり、我が国は貿易を通して周辺諸国との関係が密接になっている。他国からも人身売買について責められ、さすがのギネールも戦争を仕掛ければ自分の首が締まると理解した」
ギネールの人身売買は他の国でも行われていた。コートレット国以外にも対応が必要で、一国のみを相手にしている余裕もない。
「人身売買に関わる裁判はこれからだが、サザイユ家だけでなく多くの貴族が裁かれ処罰を受ける」
「国王の政治に対する不満が大きすぎたせいで、意外にも第三王子派は多かったからな。この国から多くの貴族が消えるし、これからが大変だぞ?」
「この不祥事を作り出した諸悪の根源とも言える国王にも、早々に退場してもらう。今悩んでいるのは、第三王子の処遇だよ……」
王太子は元々能力のない貴族よりも優秀な平民を登用したがっていた。こんな状況ではあるけど思い描く未来図に繋がるチャンスとも言えるため、生き生きと暗躍しているという話だ。
そんな絶好調なはずの王太子の顔色が、第三王子の話になった途端にどす黒く曇っていく……。
「あいつはてっきり能力を隠していて、俺の失脚を狙っていると思っていたんだ。まさか本当に馬鹿でしかなかったなんて、思いもしなかった。ギネールや側妃達に名前だけを利用されていたに過ぎない」
「本人に実害はないから、お咎め無しということでしょうか?」
目を吊り上げて明らかに不満気なフレイヤに、王太子は首を横に振った。
「このままだなんて火種を残す真似はしない。利用されていたと知りながら何の行動も起こさなかったことだって、立派な罪だ。今後ギネールに利用されることもないように、警備が厳重で戒律も厳しい辺境の修道院に送る」
「まぁ、順当でしょうね」
そう吐き捨てたフレイヤの第三王子に対する態度は、随分と手厳しい。
二人の間に何があったのかは分からないけれど、第三王子が前世持ちで王太子推しなことはキーラも予想がつく。ゲームの世界が現実だという誤った考えから、抜け出せなかったのだろう。
(辺境の修道院に行って、『ゼロカネ』から離れることは第三王子にとって良いことだと思う)
急に扉の方から騒がしい声が聞こえてくる。分厚い扉から伝わってくるくらいだ、外の様子は大騒ぎなはずだ。
右眉を引き上げて心底嫌そうな顔を扉に向けた王太子が、「いい加減にしろよ」と吐き捨てた。
あまり感情を表に出さない王太子の嫌悪感丸出しな態度に、キーラだけではなく他の二人も驚いて目を見開いている。
そんな三人に気付かず舌打ちをした王太子は扉の前に立つ衛兵に「入れろ」と指示を出すと、キーラ達三人に「俺の手には負えない。何とかしてくれ」と懇願してきた。
疲れ切ったその様子に唖然とする三人を尻目に、開いた扉から転がり込むように部屋に入ってきたのは第三王子だ。
ふわふわと揺れる金髪は入り口での攻防で乱れていて、暴れすぎて汗をかいたのか顔に張り付いている。丸い藍色の瞳は涙をためた状態で、真っ直ぐに王太子しか見ていない。
縋りつくように右手を伸ばして「兄上ぇぇぇぇ」と叫んで走ってくるのを見たフレイヤは、「何あれ、気持ち悪い」とこの世で一番嫌いなものを見た顔で吐き捨てた。
もちろん、キーラも同感だ。
第三王子はそのまま王太子の胸に飛び込むのかと思いきや、キーラ達のいるソファーよりずっと後方で衛兵によって行く手を阻まれた。
王太子の指示もなく衛兵が動いたところから見て、この場所で止められるのはいつものことなのだろう。
「どうして? 僕だって兄上の近くで話がしたいよ……」
愛らしい顔立ちで十五歳という年齢より若くみえる少年が悲しそうにそう呟けば、本来であれば同情を引ける場面のはず。
でも、少年の前には二人の衛兵が厳戒態勢だ。呼ばれている兄上だって嫌悪感丸出しで目も合わせない。ここまで揃えば、キーラには分かる。
(あぁ、完全に『ゼロカネ』の住人になってしまったんだ。現実世界に帰ってくることは不可能なんだな……)
「毎日毎日いい加減にしろ! お前だって一応王族なんだぞ? 自分のしていることが非常識だと分からないのか! 二度と顔を見せるなと言っているだろう!」
「あぁ、怒った顔も素敵だ。全てに無関心な王太子が、怒りを僕に向けている! 僕は特別な存在だ!」
第三王子の呟きが聞こえた衛兵二人の顔色は青いし、なぜかその声を拾ってしまったキーラも胃が痛い。
「修道院に行くのを延期しているのは体調不良だと聞いていたが、随分と元気ではないか。それだけ動けるのなら、今すぐ出発しろ!」
「どうして悪役令嬢でもない僕が、修道院に行かないといけないの? 兄上が王になれるのは僕のおかげなんだよ? そんな僕がずっと側で見守り続けるのは、当然の権利だよ!」
「お前ごときが、何ができるというのだ! 自惚れるのも大概にしろ!」
部屋がビリリと揺れるほどの怒りをまとった怒鳴り声だったけど、第三王子には響かずうっとりさせるだけだ。
「僕の助けがなかったら、兄上は王になれなかったんだよ? 邪魔な第一王子だって始末してあげたでしょう?」
そう言った第三王子は、小首をかしげて微笑んでいる。
王族を、ましてや自分の兄を殺したと告白しているとは思えない様子に、見ている誰もが戦慄した。
一番最初に我に返ったのは、前世の記憶があるキーラだ。
「第一王子殿下は刺殺されたと聞いています。第三王子殿下が元側妃に頼んだということですか?」
「うーん、ちょっと違うなぁ……」
口元に手を置いた第三王子が、心外だという顔をしている。
第一王子を殺したことは彼にとっては手柄で、その手柄を側妃に取られるのは納得いかないのだ。
「確かに元側妃も第一王子を殺そうとしていたけど、ことごとく失敗していたんだよね。だからもう任せられないと思って、暗殺者である侍女にアドバイスしてあげたんだ」
「……何、を……?」
「第一王子の守りは堅いから、第二王子を狙えってね。だって、そうすれば絶対に第一王子は身を挺して庇うでしょう? 実際に僕の予想通りになったのは知っているよね? あの時は、思わず手を叩いて飛び上がりそうになったよ」
「……もし、第一王子が庇わなかったら、どうするつもりだったの?」
「そんなことにはないと確信していたけど、そうなった場合はもちろん僕が庇ったよ? 兄上より大事なものはないからね」
ニッコリと微笑む藍色の瞳からどろりと狂気がこぼれ落ちた。その狂気が、絨毯から壁から部屋中を真っ黒な歪んだ世界に塗りつぶしていく。
キーラ達が得体のしれないモンスターに心臓が凍り付かされる中、フレイヤだけが毅然と立ち上がり第三王子の左頬をひっぱたいた。
ぱぁんと乾いた音にビクリとして二人の方を見ると、第三王子は何が起きたか分からない顔で立ち尽くしていた。
「卑劣な人間だと思っていたけど、堕ちる所まで堕ちていたのね! ポレットを使ってセスタント家に噂を流したのも貴方だって知ってる。セスタント家はパン屋に怒鳴り込むだけじゃ足りず、破落戸を雇ってストイルさんを襲わせたのよ?」
「あぁ、それ? ヒロインが学院に来ないのが兄上にとっては一番だから、色々と妨害工作をしただけだよ。それでもあの馬鹿ヒロインは入学してきたんだけどね」
「入学したから何だっていうのよ! またポレットを使って、ストイルさんを貶める噂を流した! 貴方それでも王族の一員なの?」
「何も分からない人間は、それだから困るんだ!」
急に歯を剥き出しにして怒りだした第三王子を衛兵が羽交い絞めにする。
どこにそんな力が隠れていたのか二人の衛兵を引きずるように進もうとする第三王子を前に、さすがのフレイヤも顔をひきつらせた。
キーラがフレイヤを庇って前に立つと、第三王子は口元だけを歪めて笑うそぶりを見せた。
そして小声で「ヒロインとの出会いのシーンを回避させた先生なら、僕の気持ちが分かるよね?」と囁いた。
キーラの中で、第三王子に対する恐ろしさが増していく。
狂っているのか? まともなのか? 分からない、分からないけど、第三王子は『ゼロカネ』を通してでしか物事を考えられない。
「レフィー・ストイルなんかに関わって、平民に現を抜かす王太子になったら、兄上は間違いなく廃嫡されるだろう? だから、邪魔なものを排除しようとしただけ。全て兄上が王になるために必要なことなのに、何が悪いというの?」
罪悪感の欠片もない顔で言い切る第三王子にとっては、それが正義なのだろう。
「こんなにも兄上に尽くしてきたのに、これからだって一生尽くしていくのに! そんな僕が、どうして辺境の修道院に行かないといけないの? 兄上の顔が見れないところに行くなんて、嫌だよ!」
「……お前の言っていることは、俺には意味が分からない……」
「そうかもしれないね? 僕は特別な存在だから、兄上には理解できないかもしれない。でも、僕の行動の全ては、兄上のためなんだよ」
全身全霊で愛情を表現し微笑む弟に対して、全身全霊で嫌悪感を露わに憎しみを向ける兄。こんなにも嚙み合わず一方的なのに、弟はそれに気がつけない……。
「第一王子を、大事な兄上を殺したお前を、許せるはずがない」
「どうして? あいつがいたら、兄上は王になれないじゃないか!」
「俺が王になりたいと、お前に言ったか? 俺は、俺は、王になど、なりたくなかった!」
「…………! どう、して……? どうして、そんな嘘をつくの……」
『ゼロカネ』の世界の中だけで生きてきた第三王子にとって、設定以外のことは真実ではない。推しだ大好きだと言いながら、王太子の心の内なんて考えたこともなかったのだ。
「お前の行動の全てが俺のためではなく、自分自身のためだ! 吐き気がするほどおぞましい! お前が俺のために行動しているというのなら、もう二度と俺の前に姿を見せるな!」
王太子が怒りに任せて机を殴りつけた音に怯えた第三王子が、縋るようにキーラを見つめる。
「『ゼロカネ』が現実だと勘違いして生きてきた結果を、よく見ておきなさい。貴方の大好きな『ゼロカネ』の王太子と、貴方の目の前にいる現実の兄上は別人なのよ」
藍色の目から光が消えていくのが分かった。
これが現実を受け入れる最後のチャンスだったのに……、第三王子は『ゼロカネ』の中にいることを選んだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
今日三話投稿して、完結します。
最後まで読んでいただければ、嬉しいです!




