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15.オークションに潜入②

本日二話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 恐怖と混乱で叫び出す寸前のキーラに、給仕はトレイを近づけて「いかがでしょうか?」と聞いてきた。

 思わず凝視してしまった給仕からは、キーラを疑う素振りは見えない。スパイだとバレたのではないことに一安心のキーラだけど、だからといって窮地を脱したわけではない。

 逃げるためには、まずこの給仕を回避する必要がある。


 辛うじて微笑んだキーラが手を上げて拒否の姿勢を示しているのに、なぜか給仕はキーラとの距離を詰めてくる。


(要らないって言ってるんだから、近づく必要ある? 何なの? はっきり言いなさいよ!)


「さる高貴なお方が、貴方様と一緒にお酒を飲むことを希望されています」


 給仕の言葉は、キーラに返事を求める類のものではない。有無を言わさない決定事項だ。


(嘘……、嘘? 嘘! 計画は断念したのに、どうして側妃自ら実行させるのよ! どんだけチョロいの? もう、嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ)




 給仕に連行されたも同然に入り口とは別の扉からホールを出ると、そこには明らかに用心棒と分かる大男が立っていた。

 三十代半ばくらいの男は黒いタキシードを着ているものの、はち切れんばかりに筋肉が盛り上がっているのが分かる。赤い髪は短く刈り込まれ、それじゃなくても険しい三白眼はキーラを値踏みしながら睨みつけている。

 とても失礼な態度ではあるけど、破落戸という感じはしない。「こちらへどうぞ」と言って道案内をしてくれる態度からも、それなりの礼儀は知っていそうだ。軍隊経験者なのかなと、キーラは勝手に想像して「なら絶対に勝てない」とため息をつきかけて息を止めた。


(好奇心旺盛な男が、高貴な方に誘われて落胆するなんてあり得ない!)


 前を歩く赤髪の大男は、歩く間に何度かチラリとキーラを確認した。

 ただ単についてきているかと確認しているのか、怪しい人物として警戒しているのか……。判断はつかないけど、見られる度に身体がビクリと震えそうになるから止めて欲しい。


 暫く歩いたところで屋敷の奥にある扉の前で男は止まり、身体には似合わない力でノックをする。

 内側から扉が開くと、男は一歩下がった。一緒に部屋には入らないようだ。そうなると、廊下で見張りをしているということだ。


(逃走経路が、一つ消えた……)




 男の「早く入れ!」と言わんばかりの圧に押し込まれるように扉をくぐったキーラは、ピンクとレースだらけの部屋に度肝を抜かれた。


(えっ? 貴賓室? ここが貴賓室のはずがない。絶対ない。側妃専用の部屋? それにしたって、なにこれ? 子供部屋?)


 目の前の子供じみた部屋を見ていると顔が引きつってしまうため、キーラは慌てて正面のガラスの扉に視線を集中させる。

 今日は少し蒸しているので、テラスに出るガラスの扉とカーテンが少し開いていた。四方がピンクの部屋の中で、そこだけぽっかりと暗闇が広がっている。

 キーラの状況を考えれば暗闇は恐ろしく見えてしまいそうだけど……、この部屋にいる限りは心休まる色に思えるから不思議だ。


 そうやって何とか驚きから心を落ち着けたキーラは、側妃へと視線を移した。

 国王が嫌っているだけあって、側妃が公式行事などの表側に出てくることはない。側妃の顔を知っている国民は少なく、キーラももちろんその一人だ。

 薄いピンクの壁の色と同じ色合いの絨毯に小花が刺繍されたピンクのひらひらフリルカーテン、そんな少女趣味全開な部屋でピンク色のソファーに座るその人が側妃だとキーラが確信できたのには訳がある。

 側妃の顔立ちが、第三王子とそっくりだからだ。


(そっくりだからといって、同じじゃないのよね……。フレイヤさんの言葉を借りるならば、「素材が台無し」ってとこね)


 いくら愛らしい顔立ちとはいえ、年を取ればかつての可愛らしさは損なわれていく。王族ともなればそれに代わる優雅な所作や貫禄がそれを埋めていくのだろうけど、残念ながら側妃には欠片も見当たらない。

 部屋と同じように服も髪型も化粧も少女趣味で彼女には若々しすぎて、痛々しい。

 それに気づけずに、いつまでも自分の中では可愛い少女のままの側妃は、下ったらずな甘えた声で命令する。


「仮面の下の顔が見たいわぁ」


 見た目だけが若作りなのかと思ったけど、喋り方まで少女のままだ……。理由は分からないけど、側妃の時間だけが過去で止まってしまっているみたいだ。これを目の当たりにしたキーラは、ぶわりと全身に鳥肌が立った。

 気味が悪くて身動きが取れないキーラに、側妃の側に控えている右頬に大きな傷跡がある屈強な男が「早くマスクをお取りください」と耳打ちしてくる。

 キーラは仕方なくマスクを取ったけど、そのまま頭を下げたので側妃からは顔が見えない。


「お初にお目にかかります。このような場で無粋かもしれませんが、貴方様に名乗る名誉を私にいただけないでしょうか?」


 もったいぶったキーラが顔を見せずにそう言うと、側妃は上気する声で「許してあげる」と急かす。

 ニッコリと微笑んで顔を上げたキーラは、「ガインザー・エレンハルトと申します」と名を告げた。

 優男(ガインザー)の気障な台詞は、側妃の自尊心をしっかりとくすぐれたようだ。


「まぁ! セレシュ国って行ったことがないけど、みんなガインザーみたいに中性的で美しいのかしら?」

「男性には雄々しさが求められる国です。私のような半端な人間は、国では持て余し者ですよ」

「持て余し者、ね……。わたくしにも、ガインザーの気持ちが分かるわ。世の中の人間がみんな正しい目を持っていれば、わたくし達は苦労しないで済んだわね」

「私の国の女性にも、貴方のように正しい目を持った美しい人がいれば良かったのですが……」


(言っていて、死にそう……。ローゼントさんの『殺し文句講座』を受けておいてよかった)


「ガインザーは幸運よ。わたくしのような女性に会えるのは、稀なのよ! せっかく分かり合える人間に出会えたのだから、乾杯して楽しみましょう! こっちに来て!」


 全身から喜びを放っている側妃が、自分の隣を指差してキーラを呼ぶ。

 これっぽっちも行きたくないけど、仕方がない。側妃の後ろに控える傷のある男にキーラが目で確認を取ると、男は小さくうなずいた。


(あーあ、「お前みたいな小者に酒を酌み交わす資格はない」とか言って追い出してくれてよかったんだけど……)


 渋々なのがバレないように、何とか弾む足取りに見せかけてソファーに向かうのが難しい。それでも何とかたどり着いて隣に座ろうとすると、傷の男が側妃の向かいのソファーを指差した。

 子供みたいに頬を膨らませた側妃は、振り向いて傷の男を睨んでいる。


(側妃の振る舞いは痛々しくて見てられないけど。傷の人、ありがとう! いい仕事してますよ!)


 キーラと側妃の間に置かれた丸みのあるデザインの白いテーブルは、おとぎ話のお姫様の部屋にありそうな幼女趣味の産物。そのテーブルの上に、ワインボトルの入ったバケツ型のワインクーラーが置かれている。まるでおままごとセットの中に、ドンとビールが入っているような違和感。


 暴力的な雰囲気を隠せない傷の男が、可愛いテーブルに繊細なワイングラスを並べる姿も異様だ。

 何もかもがちぐはぐ過ぎて、側妃が言った「わたくし達の出会いに乾杯しましょう」と陳腐な言葉だけが、この状況にぴったりとはまった。

 その言葉への不快感を出さないように平常心を心掛けたキーラは、ワインクーラーからボトルと取り出すと、これ以上ないタイミングでフレイヤ直伝の悩殺笑顔を披露した。


「そうですね。素敵な出会いに乾杯しましょう」


 そう言ってコルクを抜いたキーラは、「私の苦しみを理解して下さった女神は、貴方が初めてです。こんな記念すべき日ですから、出会った人全員と喜びを分かち合いたい」とダメ押しで微笑んで見せた。

 何度も何度も何度も練習した動きはキーラの身体に染み込んでくれたらしく、怪しまれることなくやり切れた。


 キーラが何をしたのか分かっていない側妃はポッと頬を染めて、嬉しそうに「そうね、わたくしのような女神に会えて幸せ者よ? よぉく幸せ噛みしめた方がいいわ」と上機嫌だ。


(今しかない!)


「この幸せを独り占めするのは、心苦しいばかりです! 誰かと分かち合わなければ、一生分の幸せを使い果たしてしまい明日死ぬかもしれない!」

「そうねぇ、ガインザーには過ぎる幸せよね? 相手がわたくしですもの、一人で抱えきれない喜びよね? 一人でこの幸せを抱えたら、確かに死んでしまう程の幸運だわ」

「その通りです。この奇跡的な出会いに乾杯できるのなら、女神の恩恵を一人でも多くの人と分かち合いたいのです!」

「そうねぇ、女神の恩恵を独り占めしたら、罰が当たるわよねぇ。せっかくだから、ダンも一緒に乾杯しましょう」


 側妃が後ろに立つ護衛へ、乾杯に参加するよう指示を出した。これがキーラの狙っていた展開だ。

 キーラが乾杯しようと誘ったところで、護衛はにべもなく断るに決まっている。だが、主である側妃が誘ったら? そう簡単に断ることはできないはずだ。


「……いえ、私には仕事がありますので」

「このガインザーが、女神であるわたくしを襲うというの? そんなはずないじゃない?」

「それは分かりません」


 言葉と共にすくみ上がりそうな険しい視線を向けられたキーラは、優男らしくというか素でしっかりと怯えた。


「ダン、止めなさい! 心配し過ぎは、悪い癖よ。そもそも貴方お酒に強いんだから、一杯くらい飲んだってどうってことないでしょう?」


 側妃が強い口調でそう言うと、ダンは渋々自分の分のグラスを持ってきた。不満な表情を隠さずにキーラに向け、「私が注ぎます」とボトルを奪い取る。

 三つのグラスに、とくとくと赤ワインが注がれていく。赤紫色の液体がグラスの中で揺れ動き、芳醇な香りが鼻に広がった。

 そのグラスの一つをダンがキーラの鼻先に突きつけ、「まずはお前が飲め」と迫るからだ。側妃の護衛は、他国の貴族に対する礼儀を捨て去ったようだ……。


 ゴクリと唾を飲み込んだキーラが助けを求めて側妃を見ると、「当然、飲め!」という顔でうなずいている。

 少女趣味の部屋から想像するほど、頭の中までお花畑にはなり切っていなかった……。

 ダンの指に力が入り、キーラの唇につくギリギリまでグラスが押し出される。

 このままにしていたら、無理矢理口の中にワインを注ぎ込まれかねない。そうなれば、ダンがワインを口にすることはないだろう。観念したキーラは、目の前のグラスを受け取った。


「女神との出会いに乾杯」

 そう言って、キーラはグラスの中身を飲み干した。

読んでいただき、ありがとうございました。

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