13.第一王子の死
本日二話目の投稿です。
王太子が話し始めた内容は思いがけないけど、キーラにとっても忘れられない出来事だった。
「私より三つ年上だった第一王子である兄が亡くなったのは、今から五年前だ。兄がリエットール王立学院に入学する直前だった」
第一王子はキーラの三つ年下に当たり、キーラが教師になる年に入学してくる予定だった。
在学時に既に採用が決まっていたキーラは、自分の卒業式の準備よりも第一王子の入学式の準備に追われていたからよく覚えている。
それに、『ゼロカネ』について考えさせられた事件だった……。
その頃のキーラは『ゼロカネ』に思い入れはないし、ゲームが現実で起こるはずがないと信じていたから積極的に思い出す気もなかった。
当時のキーラにとって『ゼロカネ』は、遠い昔に読んだことのあるおとぎ話でしかなかった。
そんな霞がかった記憶だったのに、第一王子が死んだと聞いて頭の中で何かが弾けた。
『ゼロカネ』の中でも、ほんの一瞬だけ。「第一王子は側妃に殺された」と説明があった真っ黒な場面が、頭に浮かんだ。
その瞬間、現実もゲームの通りに進むのだと思い知った。怖くて、震えと涙が止まらなかった。
ゲームが現実に影響していると、もっと早くキーラが気づけば、第一王子の暗殺は阻止できたのかもしれない。
(だって、私は、第一王子が側妃に殺されると知っていたのだから……)
冷静に考えれば第一王子に「貴方は側妃に殺されるから気をつけて!」なんて言えるチャンスが、キーラにあるはずがない。
百歩譲ってゲームという不確かな世界の記憶を学院長に理解してもらったとしても、学院長経由で伝えるのは危険すぎる。それは、側妃の犯罪を予告する行為に、学院長を巻き込むことになってしまうから。
結局キーラには何もできない。何もできないのに、ものすごい罪悪感に打ちのめされたことは忘れられない。
このことがあったからこそ、絶対に『ゼロカネ』をスタートさせないとキーラは誓った。
「兄の入学と併せて、立太子とフレイヤとの婚約が発表される予定だった」
「えっ? ローゼントさんは、第一王子殿下の婚約者だったの……?」
「驚かれますよね? 敬遠の仲である王家と軍部が関わっていますから、極秘に事を進めていたんです」
確かに王家と軍部が手を取り合えば、第三王子派はどうしたって巻き返すことは難しくなる。邪魔をされたくない第一王子側としては、極秘事項になるのは納得だ。
「実は十歳の頃より、わたくしと第一王子殿下の婚約は内々に決まっておりました。軍部を味方に引き入れたい王家との政略結婚ですけど、わたくしにとって婚約者と言えば第一王子殿下、アリスト様だけです」
変人と思っていたフレイヤが、とても儚く見える。泣き出しそうなほど悲しそうな笑顔は、鏡の中に引きずり込まれていきそうだ。
まだ幼かったフレイヤが婚約者を変えられ、王位継承問題の渦中に立たされている。貴族としては当然なのかもしれないけど、キーラには納得ができない。
「第一王子殿下の婚約者だったのに、第三王子殿下の婚約者になるなんて。いくら軍の重鎮の家に生まれたからって、そんな危険に身を投じるような真似をどうしてローゼントさんが……」
「やっぱり先生は優しいですね。アリスト様は、先生の授業を受けるのを楽しみしておられました」
(全然、優しくなんてないよ……)
フレイヤを見ていられず目を逸らすと、窓から夜の闇がのぞいていた。窓の外の暗闇が部屋の中にまで浸食してくるようで、キーラの気持ちが黒く塗りつぶされる。
それだけじゃ足りないとばかりに王太子の言葉が、更に少しの隙間もなくキーラを黒く塗りつぶす。
「兄上は病死と発表されているが、事実は俺を庇って毒の塗られた刃物で刺殺されたんだ……」
『ゼロカネ』では「側妃に殺された」の一言で流されてしまった死だけど、現実世界ではこんなにも重い。
目の前の二人のように、彼の死にこんなにも苦しみ続けている人がいる。
「犯人である侍女が自害したせいで、真実は闇に葬り去られた。側妃が裏で糸を引いていたことは、誰だって知っているのにな!」
「国を脅して無理矢理王族に収まっただけでは足りずに、正妃様の子を殺してまで第三王子を王にしようとする卑劣な女を許せるはずがありません!」
これだけの怒りを抱えているからこそ、フレイヤは第三王子と側妃を見張り続けられた。フレイヤにとっては人身売買よりも、第一王子の弔いの方が色濃いのだろう。だからこそ自らスパイに身を投じて、側妃達を罰するチャンスをうかがっていた。
そして、それが、今なんだ。
「わたくしが男装に向かないばかりに、先生に危険なお願いしていると分かっています。それでも、側妃の好みに合致する先生にお願いするしかないのです! どうかアリスト様の無念を晴らすのに、協力してください!」
フレイヤだけでなく、王太子まで「頼む!」と言って頭を下げる。
見殺しにしたとまでは言わないけど、アリストの死についてはキーラにだって後悔がある。あの時は何もできなかっただけに、今できることがあるなら見て見ぬ振りはできない。
「……二人の期待に添えるかは、分かりませんが……」
キーラの決断に、フレイヤは泣いて頭を下げ、王太子は「必ず守る」と言ってくれた。
王太子の言葉が信じられない訳ではないけど、キーラがその言葉を言って欲しいのは別の人だ。その人が言ってくれたのなら、もっと頑張れる気がする。
壁が本棚で埋め尽くされた学院長室にいたって、目の前に学院長がいたって、キーラはストレスを感じたりはしないはずだった。
なのに今、全身に受けた殺気を逃がすことができず、困り果てている。
「それで? キーラは何が言いたい?」
パキンと全てが凍り付いた音が聞こえる。それくらい冷え切った声だ。
笑っているのに、全く笑ってない。怒っているように見えないのに、怒りしか感じない。学院長をこんな状態にしてしまったのは、間違いなくキーラだ……。
王太子とフレイヤからの話を引き受けたキーラだけど、学院長に報告しないで勝手に危険な真似なんかできない。それくらいの分別はキーラにもあり、学院長室を訪れた訳だけど……。
(何が悪かった? きっと色々全部悪かった。どこから歯車が狂ったのだろう? きっと、最初からかな?)
気まずそうにする学院長と顔を合わせたキーラは、言い合いの原因となったネイトのことにはあえて触れなかった。
まずはいつも通りに戻ろうと会話を探すけど、緊張しすぎて何も思いつかない。
ならば学院内の揉め事の早期解決のため、レフィーを貶める噂を流したのはポレットだと報告をした。それは褒めてもらえて、そこまでは順調に事が進んでいたと思う。
でも、自分の功績ではないのに褒めてもらうのが心苦しくて、ネイトに手伝ってもらったことを告白したのが間違いの始まりだったと今なら分かる。
学院長の笑顔が一気に不穏になったことに気付いたけど、どうやったらリカバリーできるのかキーラには分からず、とにかく焦ってしまった……。
その後は必死になり過ぎて、言うこと全てが裏目に出るという大惨事だ。
裏山での第三王子とクロエのやり取りを盗み聞ぎした話だけでも、完全にアウトだったのに……。そこで王太子に見つかって、ダンス室に連れ込まれた話をした途端に完全に雲行きが怪しくなった。
キーラが学院長に一番話したいことは、オークションへ潜入する話。王太子とフレイヤとの話をしないことには、前には進まない。
「あの、学院長が王太子殿下とローゼントさんと三人で協力し合っている話を聞きました」
「まぁ、協力というか、利害関係が一致しただけだがな」
「派閥を超えて、協力し合うなんてなかなかできないことだと思います。側妃やサザイユ家を排して、ギネールの人身売買から国を守ろうという王太子殿下の気迫には圧倒されました」
これが決定打だった。
人身売買のオークションに潜り込む話にもっていこうと必死だったキーラは、自分の失言に気付けない。学院長の目がスッと細められ、部屋の空気が圧縮されたことにも気付けなかった。
「それで、キーラは何が言いたい?」
と凍り付かされて、やっと自分の窮地に気付けたのだから……。気付いたところで、もう全てが遅かったけど。
何が言いたいかといえば、「人身売買のオークションに潜り込んで、学院長の望む未来につながるように一役買えるよう頑張ります!」と言いたい。全然言える雰囲気ではないけど……。
「ジョーゼスのことだ。俺が人身売買を後回しにしているから急かして来いとでも言われたか?」
今まで経験したことのないほどの冷たい声に、怒りに満ちて獰猛さが増した緑の目。こんな学園長を前にしたら、キーラだって首を横に振るのがやっとだ。声なんて出ない。
王太子には学院長が言う通りの思惑があって、無理矢理自分を巻き込んだのだとキーラも気づいていた。
側妃やギネール国を叩き潰すのには、学院長の力が不可欠だということなんだとキーラも思う。
王太子も若いのによくやっていると思うけど、幼い頃から苦労させられ軍で揉まれた学院長のような迫力や力はまだ備わっていない。キーラにまで意図が透けていること自体、まだ未熟ということだ。
(そんな王太子の力になろうと思って、学院長を引っ張り出しに来たのではないけどね。学院長にとって学院内の問題が優先なのであれば従うし、それ相応の理由があるに決まっている。ただ……、本当に私の暴走が気になるだけなら、それは違うのではないかと思う……)
「俺が勝手に学院の問題解決を優先したのだから仕方がないが、キーラが事件の大きさに優劣をつけて乗り換えるとはな」
「へっ……?」
聞こえてきた言葉が信じられなくて、キーラは何度も頭の中で繰り返した。何度繰り返しても、キーラを見限ったという発言に違いない。
だったら言ったのは学園長のはずがないと思い、周りを見回しても自分達二人しかいない……。
(やっぱり……、学院長が言ったの? 今までずっと優劣をつけられて差別ばかりされてきた私が、同じことをしてると思ってる? 自分にとって益があることなら、周りの不利益なんて気にせず乗り換えると?)
「……学院の問題は小さなことで、自分の利益にならないから後回しでよくて。人身売買こそが解決すべき問題で、私にとって特典があるから乗り換えるべきだと。私が、そう思っていると?」
「違うと言えるか? それとも王太子という地位や名誉のある奴に媚びる方が得策だと気づいたか? その方が金が稼げるもんな」
「確かにアラマス家はド貧乏だし、私は学院長に借金をしています。そんな私がプライドを傷つけられたなんて言える立場じゃないのは分かっています。でも、私が王太子殿下の依頼を引き受けたのは、報酬がもらえるからじゃない!」
「ジョーゼスの頼みなら、報酬がなくても引き受けるということか。俺の時とは大違いだな。まぁ、俺は借金でキーラを縛り付けているだけだしな……」
怒ったり拗ねたり悲しんだり、学園長の情緒が不安定だ。そんな学院長に気付ける余裕なんてキーラにはないどころか、「勝手なことを言いやがって」と怒りしか沸いてこない。
(今回王太子の頼みを聞く理由に、第一王子の死に対する罪悪感は少なからずある。でも、一番の理由は、三人で協力していると聞いて、学院長の中に私の居場所がないみたいで悔しかったから。私だって役に立てると知ってもらいたかった! まぁ、ローゼントさんという美しい婚約者がいるも同然の学院長にとっては、どうでもいいことなんだろうけど!)
「縛り付けるなんて、とんでもない。私みたいな貴族のなりそこないが、図々しく学院長の優しさに甘えていただけです。学院長には……、美しく令嬢の見本のようなローゼントさんがいるのに」
こんなことを言いたかったんじゃない。それなのに勝手にこぼれ出てきてしまったのは、ずっとキーラの心に二人の結婚が引っかかっていたからだ。
キーラが絶対に手にできない場所を「いらない」と言うフレイヤが羨ましくて、美しい二人がお似合いなのが悲しかった。
どうしようもなく醜い心が、自分でも抑えきれないほど溢れてくる。
これ以上みっともない姿をさらしたくないし、みっともない言葉を言いたくないキーラは、挨拶もそこそこに部屋から逃げ出した。
読んでいただき、ありがとうございました。




