11.密会現場に遭遇
本日二話目の投稿です。
いつもより早めに授業が終わったその日、キーラは寮のベッドに大の字で突っ伏していた。口からは言葉にならない苛立った声が漏れ出ている。こんなにもやさぐれているのにも、一応理由がある。
レフィーの話を聞いて第三王子の行動に注目しているのに、一切何も分からないからだ。唯一分かったことと言えば、やっぱり純粋に馬鹿なんだなということくらい……。
側近に取り囲まれているからよく見えないけど、あまり自分から喋るタイプでもなく控え目で目立たない。物静か過ぎて、レフィーを脅したり襲ったり中傷したりする黒幕には見えない。
とはいっても、ポレットの例がある。
人は見かけによらないし、心の中で何を考えてどう実行するつもりかなんて他人には分からない。
(そうなのよ、分からないんだよぉぉぉぉ! もう少しな気がするのに、もう少しで解けそうな気がするのに、あと一歩で何なのか分からない!)
思う通りにいかずストレスのたまったキーラは、つなぎに着替えて裏山へ向かうのだ。
その日は晴れていたけど、青空の中に真っ白な羊雲が広がっていた。
その雲がオレンジとピンクの優しい色合いから、徐々に色濃くなり藍色に飲み込まれていくのが美しくて、キーラはつい時間も忘れて見とれてしまった。
少し肌寒さを感じて下山したのは、いつもより大分夜に近づきつつある時間で。身体もスッキリして心も晴れやかに歩くキーラの耳に、人の言い合いうような声が聞こえる。
(えっ? 獰猛な獣がいると言われる裏山に、私以外の人間が来る?)
生徒ならばさっさと寮に帰さなくてはと思い声の方に近づくと、まさかの第三王子とクロエが言い合っている場面に遭遇!
当然キーラは木の影に隠れつつ、こっそりと二人の側に近寄っていく。
「第三王子殿下より、側妃様へ口添えをお願いします! このままでは、我が領地も、サザイユ家も、わたくしも奈落の底に落ちます」
「僕から見れば、既に奈落の底だよ。今更元に戻れる訳ないよ」
たまに喋れば眠たそうだったはずの第三王子の声が冷たく鋭い。気の強そうな顔をしたクロエが泣き出しているのに、全く意に介した様子もない。
「そんな! 我が領地が人身売買のせいで荒れ果てたのは、側妃様達のせいではありませんか! わたくしは領地を元の姿に戻したいのです。王太子妃の領地が、こんな闇に染まっているなんて世に知られる訳には参りません!」
第三王子が急に大声で笑い出し、近くの木に止まっていた鳥が驚いて飛び立った。夕闇の中で響くその声は、どうにも白々しい。
キーラが早鐘を打つ心臓と呼吸を鎮めながら二人を見ると、第三王子は右口角だけを上げて冷笑し、クロエは顔色を失って立ち尽くしている。
大人しく目立たない残念な第三王子と、完璧な淑女として周りから一目を置かれた王太子の婚約者。そんな普段の二人の立場が逆転している。
「自分達の失態で金に困って、側妃の話なんかに乗ったのはサザイユ家でしょ? それ以前にさぁ、人身売買なんかに身を落とした家の者が、王太子妃になれると本気で思っているの?」
「そんな! 投資に失敗して立ちいかなくなった我が家に、『少しだけ仕事を手伝ってくれれば損失の穴埋めもできるし、王太子殿下が王になる協力も惜しまない』と言ったのは側妃様ではないですか!」
「自分の母親を悪くいうのも何だけど、普通の人は側妃を信じないよね? そこまで堕ちてしまった自分の親と自分が悪いんだって反省するしかないんじゃない?」
「……そんな! 我がサザイユ家を利用するだけ利用して、卑怯です!」
第三王子に掴みかかろうとしたクロエが、隠れるように控えていた護衛に取り押さえられた。
クロエの水色の制服も白い肌も赤い髪も、土埃を浴びて茶色く汚れしまった。いつもの凛とした様子は、見る影もない。
土まみれで上から押さえつけられたまま、第三王子に恨みのこもった視線を向けるクロエ。それに対して第三王子は、嘲笑いながら決定打を浴びせる。
「王太子妃に執着するあまり大罪に手を染めるような女が、高潔な兄上に相応しいわけがないだろう? 汚らわしい!」
そう吐き捨てた第三王子は、クロエを振り返ることなく夕闇の中に消えて行った。
その後ろ姿を見送ったクロエは、のろのろと立ち上がる。
手に掴んでいた石を第三王子が消えた方向に投げつけたかと思うと、全身に付いた土を払うことも忘れて逆方向に消えて行った。
(なに、これ……?)
キーラの心臓はバクバクとのたうち回り、身体も頭も全然冷静になれない。そんな興奮状態なのに、なぜかふと『ゼロカネ』のある記憶が頭に浮かんだ。
獣の声が聞こえる恐ろしい場所と化した裏山だけど、『ゼロカネ』では第三王子とヒロインが愛を語らう密会場所だった。
(あぁ、だから、第三王子が来たの、か……? なんて、分かっても何の意味もない! とんでもない奴だったし、とんでもないことになってる!)
あまりにも凄惨すぎる現実を前に、立ち上がろうにもキーラの身体は動けない。目にした現実が重量級すぎて、真っ黒に淀んだ泥沼に首まで浸かったかのように身体が重い。
身体だけでなく心の中も脳内も重しを抱えてしまったようで、苦しい。
絡みつく汚泥に抵抗もできず沈んでいく状態で、スッと伸ばされた手を思わず取ってしまうのは生存本能といえる。
(……へ? 手? ここ、裏山。誰もいない場所。どうして……? まさか、第三王子の仲間が!)
咄嗟に手を離そうとしたけれど、掴まれた手を外せないまま身体を引き上げられた。キーラの目の前に立つのは、まさかの王太子……。
第三王子の手の者ではないことにホッとすべきなのかは、無情なまでに冷たい青い目を向けられたキーラには判断がつかない。それに学院長とまではいかなくてもキーラよりは大きく鍛えられた身体を前に戦闘意欲は完全に削がれ、されるがままだ。
いつもと変わることなく無表情な王太子は一言も発することなく、キーラの手を引いて暗闇の中をズンズンと歩いて行く。
キーラがいるのはダンス棟。
舞踏会用のホールがある棟で、連れて来られた場所は部屋というには広すぎる。それは個別にダンスの練習する場所として作られたからで、ダンス用の部屋だけあって壁は一面鏡張りになっている。
その部屋に、既に一人の生徒が待っていた。
一人では、もちろんダンスなんてできない。だから、彼女はダンスの練習をするために、この部屋に来たのではない。
なら、何をしているのか?
「……はぁ、わたくしは、今日も美しい!」
そう! 彼女は部屋一面の鏡で、自分を見ている。
鏡張りのこの部屋なら、どこに行っても自分の姿を確認できる。この部屋で自分の美しさを確認することが、彼女の日課らしい。
(今日は、どうなっているの……? 生徒の裏側を覗き見る日なの?)
鏡に映る自分をうっとりと眺めているのは、フレイヤ・ローゼント侯爵令嬢だ。
第三王子の婚約者である彼女の評判は、謎だ。
誰ともつるまずに一人でいる孤高の存在というのが、ついさっきまでキーラが感じていた印象だった。
鏡に映る姿は胸とお尻が豊かでグラマラスな身体に、絹糸のような金髪、大きな紫色の瞳にふっくらとした唇。とにかく、色気漂う美女だ。
そんな彼女が一人で自分の美を愛でる会を開催中の部屋に、王太子はノックもなく扉を開けた。そしてそのまま、キーラを放り込んだ。
秘密を覗いてしまったと動揺するキーラに、ニッコリと妖艶に微笑んだフレイヤが近づいてくる。
こんな場面を見られてしまったというのに、フレイヤには恥じらう様子も見られず堂々としたものだ。
「先生のことですから、美の秘訣を求めてわたくしに会いに来たわけではないですね。どういったご用件でしょうか?」
「……そう、ね。美は、私には必要ないと思うわ。うっかり迷い込んだみたいだから、帰らせてもらうわね」
そう言って扉に向かうも、そこには王太子が立ちはだかる……。
怯んだキーラの頬にフレイヤのひんやりした両手が置かれると、想像以上の力で顔が振り向かされた。なぜかぺたぺたと顔中を触られ、顔もジロジロと覗きこまれる。フレイヤがあまりにも真剣だから、キーラは驚いたまま動くことができない。
何が何だか分からずに呆然と突っ立っていると、やっとフレイヤの手が離れてくれた。
「先生の肌はお手入れ不足ですけど、きめ細やかな肌ですわ。わたくしと違って派手なお顔ではない分、とても化粧映えすると思います。間違いなく、化けますわ」
「……あ、ありがとう、ございます?」
ニッコリと微笑まれてそう言われたら、他に何と言えばよかったのだろうか?
「エリオットとクロエの密会現場に、アラマス先生が紛れ込んでいた。ちょうどいいかと思って連れて来た」
「違う違う! 私が先にいんです! あそこは私のストレス発散というかトレーニング場所! トレーニングを終えて帰ろうと下山したら、あんな現場に遭遇したんです! 『こんばんは、早く帰りなさい』なんて言って出て行ける雰囲気じゃなかったでしょう? 隠れる以外に、どんな選択肢がありました?」
「あんな至近距離にいるなんて、話を聞こうと近づいた以外に何がある?」
「…………」
それを言われてしまえば、返す言葉がない……。いや、でも、突然あんな怪しい場に出くわしたら、隠れたくもなるし。詳しく話を聞こうとも思ってしまうのが人間だ。
裏山はキーラのホームだし、いても不思議ではないけど……。
「私が居合わせたのは偶然ですけど、王太子殿下がいたのは偶然ではないですよね?」
「当然だ。エリオットとクロエの密会情報があったから探りに行ったに決まっている」
あまりにもあっさりと事情を明かす王太子に、キーラの背中に冷たい冷汗が流れる。
(隠すつもりがないって、どういうこと? このまま、明日がこないってこと?)
「ジョーゼス様の言い方だと、先生が勘違いするんじゃないかしら?」
「…………」
「だってそうでしょう? 今の言い方では、第三王子とクロエさんの密会に嫉妬して様子を見に行ったと思われるわ」
(いや、そんなこと考えている余裕ないし……。そもそも何で様子を見に行ったとか、どうでもいいかな? 私に明日が来るのかが重要だよ)
「ジョーセス様は嫉妬心で行ったのではなく、ギネール国の人身売買に側妃とサザイユ家が関与し……」
「わぁぁぁぁぁぁ、聞きたくないです! 私が死んだら、アラマス家でお金を稼げる人はいなくなる! 家族も領民も路頭に迷います! 下手なことを聞かされて殺されるなんて、まっぴらです! 巻き込まないで!」
耳を抑えて叫ぶキーラに、フレイヤは目を丸くして首を傾げた。
「先生は人身売買について探っている諜報員、ですよね?」
「…………はぁ? 諜報員? 私はただの教員ですけど?」
首をかしげる角度が深まったフレイヤが、キーラの背後に立つ王太子に目をやる。
学院では挨拶以外は接点のないように見えていた二人は、王太子と第三王子の婚約者だ。なのに名前呼びだし、何かと距離が近すぎないだろうか?
「確かに叔父上は先生に頼みごとをよくするが、諜報の類ではなく雑用だ」
「アラマス先生はレイモンド様の部下だけど、それはあくまでも表の顔だけということですか? あれだけそばに置いているのに? 裏の仕事については何も知らされていないのですか? 本当に?」
「…………」
(イラっとするのは、何でだろう?)
「叔父上は先生には、学院長としての顔しか見せていない」
「でも、ここ最近先生は、学院内を色々と嗅ぎまわっていますよね? ポレットが性格破綻者なことも突き止めた。ただの教師が、なぜそんなことをするのですか? あり得ないことでしょう」
フレイヤが高圧的な言い方でキーラに詰め寄る。
いつもなら高位貴族のそんな態度だって気にせず流せるのに、沸々と怒りが沸いてくるキーラはついむきになってしまう。
「学院内で生徒を貶めるような噂が立ったのです。それを突きとめようとするのは、教師として当たり前のこと。いちいちローゼントさんにお伺いを立てるようなことではないと思いますけど?」
「あら、わたくしは先生の気分を害してしまいましたか? アラマス先生以外に、授業とは別に生徒のために働く方なんていらっしゃらないでしょう? だから、どうしてだろうと疑問に思っただけなのです」
申し訳なさそうに弁解するフレイヤの言う通りで、普通の教師ならば見て見ぬ振りをするのが当たり前だ。
キーラだって教師としてというよりは、学院長のために動いたのだから。偉そうに言い返してしまったけど、今はひたすら恥ずかしい。
「わたくしはこれでも第三王子の婚約者です。王子殿下から下らない知恵を授けられたポレットが、ストイルさんを貶める噂を流しているのは知っていました。わたくしが咎めた方がいいのかと思いましたが、ポレットの性格を考えると声をかけるのもおぞましくて。先生が対処して下さって感謝していたのです」
「別に貴方のためじゃない!」という言葉を、キーラは辛うじて呑み込んだ。
学院長には裏の顔があり、それをキーラに教える気はないのにフレイヤは知っている。自分よりフレイヤの方が信頼されている証拠だ。しかも、名前で呼ぶことが許された仲。
使える部下として学院長の役に立ちたいと思って努力してきたし、眼鏡仲間として秘密を共有して心を許した関係だと思っていた。でも、そう思っていたのはキーラだけだった。
キーラの今の気持ちは、落胆なんて言葉では言い表せない。
(私は本当の学院長のことなんて、何一つ知らなかった。目の前のフレイヤの方が、よっぽど心を通わせた大切な存在だった。何で自分が一番近くにいるなんて、自惚れていたんだろう……)
さっきから苛立ちと共にやたらと胸が痛いというか重いキーラにとって、この場で話していることは苦痛でしかない。脳内は帰ることへの渇望を大合唱している。
「あら、やだ。わたくしったら、先生に質問ばかりで、自分達の事は全く説明していませんでした。わたくしとジョーゼス様が一緒にいるのも気になりますわね?」
「もう帰りたいので、本当にどうでもいいです!」
「まぁ! わたくし達は、仲間になったのですよ? 今後の行動計画を相談せずに、先生を帰すはずがないじゃないですか」
そう言ってニッコリと微笑んだフレイヤの顔は、優雅とは程遠く黒さが滲み出ていた。
読んでいただき、ありがとうございました。




