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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
呪術:廽子呪胎

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99/193

十七

注意!

今回、後半に性的に気持ち悪い表現があります。ご注意ください。

〇 ● 〇


 瞳から自我を消した人の群れ。天井に浮かぶ光球。轟々と激しい冷気を立ち昇らせ仁王立ちする泡雪。その傍らに座り込んでいるシロ。最奥にある肌色の巨大な塊。その傍らで腰を浮かせている血だらけの矢凪。

 襖を開けてすぐ飛び込んできた光景に、丞幻の頭に浮かんだのは戸惑い、恐怖、心配、安心、そのどれでもなかった。


 ――よぉし、好機!!


 全員が全員、一つの間に集まっている。これを好機と言わずなんと言おう。


「真白ちゃん、一つ壊したわよ!」


 シロではない。シロの中にいる真白に向かって叫びながら、懐に手を突っ込む。入れていた白糸の束を掴み、大きく振りかぶってそれを頭上へ放り投げた。


「矢凪、霊力流して!!」


 放物線を描いて飛んだ糸束を、血だらけの手が掴み取った。言われるがまま、矢凪が紐に霊力を流す。

 霊力に呼応して、白糸が動いた。矢凪の手の中から、細い糸が飛び出し四方八方に伸びる。


 ――こ、これは……!


 男の驚愕するような声が、脳裏で響いた。

 凄まじい速さで足元に広がった糸は、たちまちのうちに数十畳の広さがある部屋を覆い尽くした。網目状に広がったそれは、上から見れば巨大な蜘蛛の網に見えることだろう。

 事実、部屋にいた者は糸に手足、あるいは胴体を絡め取られ、身動きが取れなくなっている。


「呪具、くものい。霊力を流す事で蜘蛛の巣状に広がり、その場にいる相手の足を絡め取り動きを封じる。……怪異相手っていうより、怪異に操られた人間だったり、野党相手に使う呪具よん」


 萌黄色の三つ編みを揺らし、丞幻はにっこりと微笑んだ。おしるこの話から、羽二重楼の人々も心中する可能性が高いと、捕縛用の呪具を持ってきたのだ。予想とは少し違ったが、結果的には良しだ。

 糸束を握りしめたまま、きょとんとしている矢凪に声をかける。


「やーなぎ。もう大丈夫よー、それから手ぇ離しても」


 そうして一歩、足を広間に踏み出した。糸に触れればたちまち絡みつかれるが、糸の無い場所を選んで歩けば問題は無い。

 腹の膨れたありまを回り込むようにして避けて、助手の隣に立つ。糸束を放り投げた矢凪が、頬に散る血を拳で拭って、視線を前に向ける。丞幻もその先を追った。

 仁王立ちし、冷気をまといつかせていた泡雪の姿は、綺麗に消えていた。隣にいたシロの姿も無い。天井と畳に広がる白い霜だけが、彼女がそこにいた証だった。

 はあっ、と様々な感情がない交ぜになったようなため息を、矢凪が吐き出した。


「……泡雪は」

「四方祓の術の要をひとっつ壊したから、動けるようになった真白ちゃんが連れてったの見たでしょ。ひねもす亭まで飛んだから、安心なさいって。あ、そうそう。アオちゃんは異怪にお使いさせたから、その内に同心達が来ると思うわよー」


 矢凪は、とびきり渋い渋柿を齧ったような顔をした。


「為成の野郎が来るんじゃねえだろうな」

「ああ、怪異(アオちゃん)の話をちゃんと聞いてくれるし、ワシらの知り合いだから笹山殿に連絡しなさいねって言ったわよ」

「おい。おい、こら、この五流へぼ作家」

「だぁれが五流よ、誰が! せめて二流と言いなさいよ!」

「二流でいいのかよ」


 と、矢凪とふざけたやり取りをしていると。


 ――おのれ……おのれ、貴様らどこまで神の子たる私を愚弄すれば気が済むのだ……!


 憤激に震える声が、頭に響いた。

 己の感情を表すかのように、激しい明滅を繰り返す光球を見上げて、丞幻は目を細めた。

 人の頭ほどある白い光球の周囲に、光の刃が数十、ずらりと並んでいる。霊力で形作った刃だ。怪異以外に効果は無いはずだが、矢凪の怪我を見る限り術に手を加えて人間にも刺さるようにしているのだろう。


「ねえ、矢凪。あれはどちら様?」

「あ?」


 急に何を言い出すんだ、と矢凪が片眉を跳ね上げた。それに丞幻は肩をすくめてみせる。


「だって、ワシ今来たばっかなのよ。教えてちょーだいな、あれどちら様?」

「蛍声だよ、蛍声。てめぇが言ってた、怪しい祓い屋。本体はまだ、こいつん中にいるっぽいけどな」

「多分、泳魂(えいこん)の術ね。肉体から魂を切り離して行動する術なんだけど、中々難易度高いらしいわよー、あれ」

「あー、成程な」


 納得した様子の矢凪と共に、ありまを見下ろす。

 相変わらず、女童(めのわらわ)は口元に穏やかな笑みを浮かべていた。首に手がかかっているというのに、それが無いものであるかのように微笑む姿は中々に異様だ。

 しかも昨日見た時より、顔色が格段に悪い。


「んで、どうすりゃいい」


 すっかりこちらに成り行きを任せている様子の矢凪に、信頼されたもんだわと胸が温かくなった。

 うっかり緩みそうになる口元を根性で引き締め、髭を撫でつける。


「そうねえ。じゃあ、今からワシがなに言っても口出ししないでね。手も出しちゃ駄目よ。そこで待っててねー」

「おう」


 顎を引く矢凪に頷いてみせ、苛立たし気に頭の中で喚く声に眉を寄せつつ、光球を見上げた。

 大きく息を吸う。そして、勢いよく畳に膝を着き、叫んだ。


「これはこれは、大変に失礼をいたしました! よもや、かの高名な神子様だとは露知らず、無礼に無礼を重ねてしまい申し訳ありません! 神子様生誕の儀をあろうことか血で汚し、滋養まで逃がしてしまったワシへのお怒り、ようく分かっております。神子様の裁きも喜んでお受けいたしましょう。しかしその前に、この矮小な人間に、神子様の教えを頂きたいのです!!」


 教え、と聞いた光球が、僅かに明滅した。


 ――神の子たる私の誕生を阻んだ輩に、なにを語ることがあろうか

「それに関しては、大変に申し訳なく思っております。ワシが無知であったが為に、よもや神子様を怪異如きと見誤るとは!! この罪、死を(たまわ)るほどの重さである事、ようく理解しております!」

――ほう。ならば猶更、貴様のような輩に語る言の葉が無い事は分かって……


 最後まで言わせず、丞幻は大声で畳みかけた。


「ええ、ええ、神子様が生まれいずる邪魔をしたワシらへのお怒りの大きさは、ようく分かります。しかし神子様、ワシはずっとずっと、神子様に教えを請いたかったのでございます。いずれ神の子に御成りあそばされるという神子様を、ずっとずっと探していたのです! ああ、どうか神子様、この哀れなる無知で愚かな男に、他に比類する者なき偉大なる神子様の教えを頂けないでしょうか。さすれば望外(ぼうがい)の喜びです。喜んであの滋養の女を差し出し、神罰の光をお受けいたす所存でございます!!」


 大きな身振りと、唾まで飛ばして丞幻は熱弁する。最後に涙すら浮かべて胸の前で両手を組み、光球を見上げれば、ちか、ちか、と大きく光が明滅した。

 耳を通さず、頭の中に尊大な声が響き渡る。


 ――……どうやら、貴様はそこの愚か者と違い、少しばかり道理が分かる者のようだ。良かろう


「嘘だろこいつちょろ過ぎだろ馬鹿か馬鹿なんだな」とでも言いたげな目で、矢凪が光球と丞幻を何度も見比べる。それを目顔(めがお)で止め、丞幻は組んだ両手を額に押し当てるようにした。


「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます神子様! ワシのような愚か者にも与えられるその慈悲、まさに神の子にふさわしいものです! 時に神子様は、何度も生を(めぐ)っておられるとの事ですが……」

 ――うむ、此度(こたび)で八度目となる

浅学(せんがく)の身で大変お恥ずかしいのですが、いかなる奇跡により八度もの生を得たのです?」

 ――所詮、人の子では考えが及ぶまいか。良かろう、知恵を授けてやろう。私は己の手で、母たる娘を選び、生まれているのだ

「と、申されますと」


 丞幻が促すと、光球――蛍声は傲慢な声音を上げた。


 ――その生の終わりに、私は己の精を混ぜた菓子を、我が母となるだろう禿達に渡す。菓子と共に食らった我が精は禿達の(はら)に留まる。私は死して魂のみとなった後にそれを辿り、己が母にふさわしい者を見つけ出すのだ。母にふさわしい者でなければ、胎に溜まる精を回収し次へ。母にふさわしい者であれば、そのまま胎に留まる。そうして母が私を生むに足る滋養を食らった後、私は生まれ出るのだ


 話を聞いていた矢凪が、露骨に顔を歪めた。

 気持ち悪い、そう言いたげな助手に視線を投げ、首を素早く横に振ってみせる。

 丞幻自身、自信満々な声音とそれが語った内容の気色悪さに吐き気を覚えたが、ぐっと腹の底にそれを押し込めて唇に笑みを刷き、頭上を見上げた。


「――……成程、それは素晴らしい事です。流石は、偉大なる神子様。ならば聖母様も、その周囲の人々も、さぞや神子様の誕生を心待ちにし、生まれた際は喜び舞い踊る事でしょうね」

 ――うむ。我が母もシト共も我が誕生を寿ぎ、己が命を捧げジュンキョウする。そしてその命は全て私に吸収され、私は更に力を増し、真なる神の子へと近づくのだ


 胸の前で組み合わせた手に、自然と力がこもった。ぎり、と手の甲に爪が食い込む。

 駄目だ。今はまだ、動いてはいけない。


「成程、羽二重楼の方々は皆、神子様のシトなのですね。お伺いしたいのですが、いかにして、神子様はシトをお選びに?」


 頭の内側を引っかくような、哄笑。


 ――やはり矮小な人間は考えが足りぬか

「仰る通りで。神子様には到底敵いません」


 大袈裟な動作でうなだれて見せる。自信と傲慢に満ちた声が響いた。


 ――我が母を選ぶ時と同じよ。我が母の()()より溢れし蜜を、清めた水に溶かした聖なる水……聖水を飲む事で、シトは私の慈悲を、偉大さを、魂の底から深く感じ取る事ができ、神の子たる私を崇めるようになる。……あの滋養は、聖水を口にしなかったが為に、私の慈悲を感じ取れずに無礼な振る舞いをしていたようだがな


 吐き気をこらえるように、矢凪が口元を手のひらで覆った。許されるなら、丞幻もそうしたい。

 だが、あともう少し。大体の()()()()は分かった。これで最後だ。


「素晴らしい教えをありがとうございます、神子様。これでもう、思い残す事も無く心置きなくあの滋養を差し出し、神罰を受け、神子様への無礼を詫びる事ができます。……最後に、もう一つよろしいでしょうか」

 ――なんだ


 丞幻は、一度呼吸を整えた。ひたりっ、と天井に浮かぶ光の玉を見据える。


「神子様――いえ、蛍声様。貴方様はなぜ、()()()()()()()()()()()()()()?」

 ――なに……?


 先ほどまで、己の言葉に絶対的な自信を持っていた蛍声の声が揺れた。

 丞幻は立ち上がり、そこに畳みかける。


「だって、なにかしらあるはずだわよね? 神の子に成ろうと思ったわけが。神の子に成らなければと思ったわけが。これほどまでに手間暇を、犠牲をかけているのだから、絶対になにかしらの理由があるはずだわ。ねえ、そうでしょ、蛍声殿?」

 ――わ、たし……私が、私が神の子と成るのは……成ろうと……私、私は神の子に成るべくして……

「八度も人生を繰り返し! 罪も無い幼い女童の胎を渡り歩く事を繰り返し! 周囲の人々を操り殺し生気を取り込む事を繰り返し! 数多の命を食らったその先で! 真に己の目指す神の子と成った時! そこで成し遂げたい事があるのだから、絶対に成らねばならぬと思ったのだから! 神の子に成るべく術を重ねてきたんじゃあないの!? その! 理由を! ワシは聞いているの!」


 一言一句を強調するように区切り、叩きつけるように丞幻は怒鳴る。


 ――わた、私わ、たし私私は、神、神の子、子子、神の、子に成る、成る為、成るべく、成る為に……


 光球が、内心の動揺を表し激しい明滅を見せた。同時にその綺麗な丸い輪郭が、ぐにゃりぐにゃりと歪む。


「その理由は! 神の子に成る、その確固たる理由は!!」

 ――お、おお……おぉぉぉぉおおおお……!


 遠吠えのような、長い絶叫が頭を貫く。


「おい、おい、丞幻!」


 矢凪が叫んだ。仁王立ちの姿勢を崩さぬまま、視線だけを向ける。

 先まで慈愛の微笑を浮かべていたありまが、目をひん剥いていた。乾いた唇が切れて血が滲むのも構わず、剝き出しになった歯を食い縛っている。


「ぎ、ぃいいぃぃぃぃぃいいいいいいいいぃぃぃ!」


 獣のような咆哮が、歯の隙間から漏れた。

 巨大な腹が、蠢いていた。ありまの腹の中で、何かがのたうっている。その度に、ぼこっ、ぼこっとありまの腹に(こぶ)状のものが浮かび上がり、またすぐに沈む。

 ぐううぅ……っと、(へそ)の辺りの皮膚が伸びた。――顔だ。皮一枚下にいる何かが、顔を押し付けて皮膚を押し上げている。目や口の(くぼ)みが、皮膚越しにはっきりと見えた。


「矢凪、石子唄(いしこうた)! 呪言唱える時みたいに、声に霊力乗せて石子唄歌って!」


 矢凪はすぐに応じてくれた。

 ほんの少しだけ、嫌そうな表情を浮かべたものの、すぐにありまの耳に口を寄せ、石子唄――子流しのまじない唄を吹き込む。


 ――石よ小石よ、血の道通って生まれた石よ。お前の場所はここには在らじ。お前の母さんどこにいる、川底、海底、二度と出られぬ沼の底。泥の(しとね)にくるまって、陽の戸をくぐらず永久(とこしえ)に眠れ。

「あ……っ」


 びくっ、と目を見開いたありまの身体が硬直した。

 刹那。羽二重楼中に響き渡るような絶叫と共に、開かれた股からずるぅりと、(うなぎ)のように滑り出た()()があった。

くものい=蜘蛛の巣

ほと=女陰

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