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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
呪術:廽子呪胎

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十四

〇 ● 〇


 羽二重楼は、色町の中ほどにある。

 冴木の中心地である本町通りを横にそれ、少し歩いた先に広がる色町は、どこを向いても赤い格子の張見世が並ぶ。

 店の名が入った提灯がずらりと下がる通りは、昼であっても圧巻だ。慣れていない奴なら、馴染みの店ができてもどの辺りにあったか分からず、迷ってしまうだろう。

 羽二重楼に何度も通っている自分が、ずぶの素人のように迷うはずがない。のだが。


「あ……?」


 がしがしと、矢凪は薄茶色の髪をかき回した。周囲をきょろり、きょろりと見渡して舌を打つ。


「行き過ぎたか」

「またか? 三回目だぞ、矢凪」


 おぶったシロが、肩口に顎を乗せて首をかしげた。さらさらした髪が耳と首に当たってこしょばゆい。


「あっ、もしかして、あの菊人形が矢凪の思い人なのか? 秋にしか会えないのか、おうせが大変だなあ」


 境内に並ぶ菊人形の一体――花魁を形どった美しい菊人形だ――を形良い指でさすシロ。

 色町を奥まで歩けば古野雀(このがら)神社に辿り着く。境内に並ぶ菊人形を見に来た人々の中、背後のシロの言葉に答えず矢凪はもう一度舌打ちをした。


「っかしいな。迷うはざぁねえんだが」


 場所は分かっているはずなのに、羽二重楼に辿り着けない。

 一度目は走っていたのでうっかり見落としたのかと思い、二度目は下がっている提灯を一つ一つ見ながら通りを逆戻りしたのだが、見つからず。

 三回目も同じように提灯を見つつ、この辺だったと思う場所を重点的に探したのだが、「羽二重楼」の文字が入った提灯は見当たらず、結局また神社に辿り着いてしまった。

 羽二重楼は、この色町の中では大見世(おおみせ)――つまり、位の高い遊郭だ。それに応じて店も広く、門構えも見事。長屋のように小さな小見世(こみせ)ならともかく、そんなでかい店を見落とす筈が無いのだが。

 煙に巻かれた気分だ、とまた出そうになった舌打ちを矢凪はこらえた。


「どうなってんだ、ったく」


 苛立ち紛れに首の後ろをかこうとして、背中にシロがいる事を思い出し手を下ろす。片腕一本で支えていた小さな身体を支え直すと、きゃっきゃと楽しそうな笑声が聞こえた。

 暢気なものだ。

 どうするか、と思案を巡らせていると、肩がぱしぱしと叩かれた。


「あのなあのな矢凪、年増がな、『どうも、人払いの術がかけられているみたいだな』って言ってるぞ」

「あぁ?」


『年増』とは確か、シロの真の姿の怪異だったか。矢凪は二度ほどしか見ていないが、シロが大人になったらこんな感じか、と言うような妖艶な見た目をしていた。


「人払いの術だあ?」


 シロはこっくり頷いた。相変わらずさらさらの髪がくすぐったい。


「『誰かが、羽二重楼に外部の人間を近づけさせたくなくて、人払いの術を使っている。だから辿り着けないんだろう』そう言ってる」

「へぇ」


 矢凪の瞳に物騒な光がちらついた。

 つまり今、羽二重楼では外部から人に入ってもらっては困る――不穏な状況が起きている可能性が高いという事だ。


「おい、シロ」


 主語を言わない矢凪の言葉を、シロは正しく汲み取ってくれたらしい。「自分より年増に頼るとは何事だ」と頬を膨らませつつ、中からの声に耳をかたむけるように首を揺らす。


「『なに、矢凪。そう難しい事じゃあない。お前の愛しい()()()を思い浮かべて、それに会いたいと強く願えばいい。お前の力なら探し当てる事もできるだろうさ。丞幻なら人探しの術の一つも知っているだろうが、生憎俺は知らないから教えてやれん。俺の力で飛ばしてやることもできるが、それは()()()()に取っておいた方がいいだろう』……だそうだぞ、矢凪」

「ふうん」


 礼代わりに、背後に手を回して頭をわしわしかき回す。途端に機嫌が直ったようで、背後で鈴を転がすような笑い声が上がった。


「泡雪を思い浮かべろ、な」


 矢凪は足を踏み出した。昼見世もまだ始まっていない時刻、通りに人はほとんどいない。ゆっくりと歩きながら、眉間に皺を刻む。

 何度も、何度も見ている弾けるような笑顔より、怒って頬を膨らませる顏より、脳裏に浮かぶのは昨日の青白い顔だった。

 普段の泡雪は、「生」の気に溢れている。

 雪の名を冠しているのに、小柄な身体から発せられる溌剌(はつらつ)とした明るい気は太陽のようで、ひどく眩しい。だというのに昨日会った泡雪は、笑顔を見せてはいたものの生気はごっそり抜け、頬は紙のように白茶けていた。

 それを見て、矢凪は密かに決意していた。


 ――神の子だろうが、何だろうが、絶対(ぜってえ)ぶっ殺す。


 と。

 ふつふつと湧き出てきた怒りを抑えながら歩いていた足が、ふと止まった。


「ん」

「どうした、矢凪?」


 自然、視線が横を向く。珍しい波型格子が特徴の銀波楼、その隣。今の今まで見つからなかった羽二重楼の朱塗り格子がそこにあった。

「羽二重楼」と黒々とした墨で書かれた提灯が、軒先で揺れている。両開きの戸はぴっちりと閉められていた。

 矢凪は片眉を上げた。

 まだ朝五つ半|(九時)頃なので、遊郭では遊女達がぼちぼち起き出す時間だ。実際、両隣からは煮炊きの薄い煙が空へたなびき、さざめくような声が通りへ漏れ出している。

 なのに羽二重楼の桜と毬が彫られた戸の向こうは、無人であるかのように静まり返っていた。人の気配も感じない。

 背負ったシロが、きょとりとした声を上げた。


「静かだな。ぬすっと一味にでも押し込まれて、ゆうかくの連中全員、ちょいと()()()()()()んじゃないか? あ、もちろん眠らされてるっていうのは、二度と目が覚めない方の眠らされるって意味だぞ」

「てめえはどこでそれを覚えてくんだよ」


 背後の物騒な言葉に微かに笑って、矢凪は戸を開けようと手を伸ばした。

 ――水音。

 派手な音に、矢凪は弾かれたように駆けだす。羽二重楼と銀波楼の間、人一人通れる細い道を矢のように走り、慌てて肩にしがみ付くシロをそのままに突き当たりの(まがき)を飛び越えた。

 奥は広い中庭だ。丁寧に世話された白苔(しらごけ)が敷き詰められた中心には、瓢箪のような形の池がある。中央のくびれた部分に短い橋が架かった、子どもの腰ほどまである深さの池。

 池の(ふち)、瓢箪ならちょうど底の部分に当たる場所に、氷色が見えた。


「――泡雪っ!!」


 引っくり返ったような声が、矢凪の口から飛び出した。

 日光を弾いて光る苔はぬるりと滑る。足を取られる事なく矢凪は駆け寄ると、片膝をついて手を伸ばし、小柄な肢体を池から引き上げた。

 地面に両手を付き、激しく咳込みながら泡雪が藻の混じった水を吐く。


「矢凪、上、上!」


 背から下りたシロが、悲鳴に近い叫び声をあげた。

 咳込む泡雪の背を擦ってやりながら、矢凪はシロの指さす方を振り仰ぐ。

 二階、泡雪の部屋だろう窓に、肌色の塊が取りついているのが見えた。瞬き一つの間を置いて、それが無数の人間だという事が分かった。

 見覚えのある人々が、窓から続く屋根瓦に我先に出んと、手、足、顔を外へ突き出しうじゃりうじゃりと蠢いている。


「……なんだ、ありゃあ」


 喉からまろび出た声は、ひどく間の抜けたものだった。

 どうして泡雪が池の中にいて、どうして庄十郎やみどり達が、窓から出ようとうぞめいているのか。

 矢凪の疑問に答えたのは、鼓膜を揺らさず脳に直接響いた低い男声だった。


 ――あれらは、我が()()。神の子たる私の為に、そこなる滋養を引き渡せ

「あ?」


 青筋をぴきりと立てて、矢凪は視線を尖らせた。

 今、誰の事を、なんと呼んだ。


「あそこだ、あそこ! あそこに、なんか浮いてる!」


 矢凪の背を叩きながら、シロが声を張り上げた。

 小さな指が窓から動いて、空の一点を指す。目線をそちらに動かして、矢凪は眩しさに目を細めた。

 太陽のような、丸い光の塊が羽二重楼の上空に浮いていた。大きさとしては、人の頭くらいだろうか。白色の光が、一定の間隔でちか……ちか……と明滅している。


「……怪異か」

 ――私は神より地上に遣わされ、聖母に宿りし神の子なり。下賤(げせん)な怪異呼ばわりとは、無礼である


 傲慢、陶酔、苛立ち、侮蔑。それらが混じり合った声が、頭の中にわんわんと響き渡る。矢凪はすぅと瞳を細めて、腰を落とした。


「神の子だろうと数の子だろうと構わねえが、こいつを滋養呼ばわりたぁ、良い度胸だなぁ、てめぇ」

 ――渡せ。渡さねば、貴様を神の敵とみなし、神罰を与えん


 光球がより強く、白い光を放った。鈴を鳴らすような清涼な音が響き渡り、屋根に出ようとしていた人々が一斉に、恍惚とした表情を浮かべて音に聞き惚れた。

 丸い光を二重三重に囲むように、光を押し固めたような輝く刃が現れる。数十本の切っ先が、こちらに向けられた。

「うきゃっ」とシロが短い悲鳴を上げて、矢凪の腿辺りにしがみ付く。野袴の裾どころか肉まで掴まれ、眉を寄せて視線だけを後ろに投げた。


「おい、どうした」

「……あいつの、あの光の刃、あれ、祓いの光だ。怪異を祓う光だ。嫌だ、嫌いだ。お前と、この女は人間だからだいじょぶだろうが、おれは無事じゃすまないぞ」


 大きな夜明け色の瞳が、必死にこちらを見上げてくる。

 仕方ない。

 ようやく呼吸が整った泡雪を片腕一本で抱き上げ、首に手を回させる。シロを小脇に抱えると同時に光の刃が一本、矢のように射出された。

 矢凪目がけて飛んできたそれを、背後に跳んで回避。地面に突き刺さった刃が、轟音と共に苔を巻き上げ粉塵を散らした。


「……おい」


 矢凪はじっとりと視線をシロに向けた。


「人間が当たっても、随分と大変なことになりそうな威力じゃねえか、あれ」

「ちょっとほら、術者によっては、自己流に術をあみだすやつもいるから。あいつもきっと、そのたぐいだ。まあほら、でも当たらなければいい話だから。お前ならできるだろ」


 抱えたシロが目線をそらし、もそもそと言い訳をする。


 ――我が神罰を受けよ、神の敵よ


 ほのぼのとしたやり取りを遮るように、居丈高(いたけだか)な響きの言葉が響く。刃が物騒な光を放った。

 二人を抱えた両腕に力を込め、矢凪は地を蹴った。目的地は先ほどの細道。あそこから表に出る。

 庭をじぐざぐに駆ける。その後を追うように、一拍遅れて刃が地面に突き刺さり轟音を響かせた。庭の所々に置かれた低木や岩を遮蔽物にしながら、矢凪は大きく舌を打った。

 苔に足を取られて走りにくい。

 だがあと一息だ。あと一歩二歩で、細道に飛び込める。地を蹴る足に力を込めた。

 刹那。

 氷の手でうなじを撫で上げられたような、寒気。


「――ちっ」


 己の直感に従い、方向転換。細道ではなく、濡れ縁へ向かう。急な方向転換に、踵が苔に取られて滑った。身体が横に流れる。体勢を立て直せない。耳元と脇で悲鳴が上がった。このままではシロが潰れてしまう。身体を捻り、仰向けに地面に転がる。衝撃に息が詰まった。

 轟音。たった今まで向かおうとしていた細道を構成する左右の壁が、音を立てて崩れ落ちていた。狭い道がすっかり埋まってしまったが、安堵が胸を伝う。あのまま行けば自分はともかく、泡雪とシロは無事ではすまなかった。


 ――おのれ……


 罠が不発だったのが悔しいのだろう、歯ぎしりせんばかりの歪んだ声が響く。

 それに嘲笑を返す余裕も無く、視界の隅に(きらめ)くものを捉えた。動けない今を好機ととらえたか、地面を滑るように残りの光の刃――その数およそ十数本――が疾駆してくる。

 狙いはシロだ。怪異だからか、あるいは童姿が(くみ)しやすそうと踏んだか。


「旦那様!」


 自分の上に乗る泡雪が悲鳴を上げた。地べたに手をついて起き上がったシロは、背後に気づいていない。

 見くびんじゃねえ。

 仰向けの状態から飛び起き、矢凪は胸いっぱいに息を吸い込む。――そして、()()()


 ――|豪雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄ゴオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 猛獣のような咆哮が、水に生じた波紋のように羽二重楼中に響き渡る。シロの後頭部すれすれにまで迫っていた刃が、硬質な音を立てて砕け散った。

 なんてことはない、ただの威嚇だ。声に霊力を乗せて、思い切り吼える。強大な怪異相手には露ほどの効果も無いが、弱い怪異や術などには効果がある。今の状況のように。

 蛍のように飛び散る光の粒の向こうに、狼狽えたように揺れる光球が見えた。


 ――なんだと……!?


 その隙を逃さず、矢凪は泡雪とシロを抱え直し、濡れ縁から羽二重楼の中へ飛び込んだ。

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