十一
〇 ● 〇
「かわいいかわいいおれと、まあそれなりにかわいいアオよりも、白粉の猫の方がかわいいんだなあ。なあ、アオ。さびしいなあ」
「う! ちょーね! オレはかあいいね! シロもかあいいね! じょーげんはかあいくないね!」
「そうじゃない、ばか。……ああ、気にするな、丞幻。おれもアオも、ちっとも怒っちゃいない。今日にでも荷物をまとめて出ていくから、さっさとみくだりはんの一つでもつきつけて、後妻の五人や六人、むかえてやればいい」
ちょこなんと正座をし、大きな瞳を半眼にしてちくちく言い募るシロ。子狼姿でお座りしながら、長い尻尾を不満気に畳にべすべす叩きつけるアオ。
丞幻は二人の視線に突き刺され、すっかり小さくなっていた。
「はい、シロちゃんとアオちゃんを起こさないで、矢凪と二人で出かけて申し訳ありませんでした。反省してます。次からはちゃんと起こしますので、どうか許しちゃくれないかしらん」
土間に正座した状態で、がばりと頭を下げる。
どうしよっかなあ、とシロとアオが頭をふらふら揺らす。
参ったわ、と丞幻は内心弱り果てた。まさか起きていたとは。
思った以上に聞き込みに時間を取られ、気が付けば時刻は既に暁七つ半|(五時頃)。
眠いし腹が減ったし、ひとまず家に帰ろうと、欠伸を噛み殺しながらひねもす亭に戻ればそこには、「遅かったなあ」「おちょかったね」と柔らかいほっぺたをまん丸に膨らませた、シロとアオが待ち構えていた。
即座にその場に正座して、許しを請うたのは言うまでもない。
シロがおかっぱを揺らしながら、首をかたむけた。
「本当に、おれ達を置いてったことをはんせいしてるか?」
「ちてう?」
「してるしてる、ちゃんと反省してるわあ。だから許して、ねっ。シロちゃんもアオちゃんも、連れて行けなくて悪かったわあ。お詫びにこの件が片付いたら、どこでも好きな所連れてってあげるし、好きなの買ってあげるから。ねっねっ」
その言葉を待っていた、と言わんばかりにシロが赤い唇を吊り上げた。アオが嬉し気に尻尾を振る。
「そうかそうか。じゃあ、はと笛と、新しい着物と、風車買ってくれ」
「オレね、オレね、おまんじゅと、おにくと、のじょきかあくいがいい! あれかっちぇ!!」
「ええ、覗きからくりは流石に買えないわよー……あとで覗きからくりやってる所に連れてってあげるから、それじゃだめ?」
「いーよ!」
元気よくアオが頷いた。それにほっとした瞬間、背後に気配。シロとアオが、ぱっと丞幻の背後に顔を向ける。
「いっだああぁ!?」
萌黄の頭に思い切り拳を叩き落とされ、目の奥に火花が散った。
金槌でぶん殴られたかのような衝撃と激痛に、思わず悲鳴を上げて頭を押さえてうずくまる。
「がきの言う事ほいほい聞いてんじゃねえよ、阿呆」
帰ってきて早々、丞幻に拳骨を落とした矢凪がけっ、と舌を打った。
それから、上がり框で自分を見上げているちび二体をぎろりと睨みつける。ぴゃっと二体が飛び上がった。
「てめえらもだ。寝てる間に置いてかれたからって、一々臍曲げてんじゃねえ」
低い声で叱りつけられ、シロとアオが揃ってしょんぼりと眉を下げた。――アオは狼姿のままなので正確には、眉を下げた、ように見えた、だが。
「でも、置いてった……おれも行きたかったのに……一声かけてくれたっていいじゃないか、ばか。ずるいぞ、二人で、こそこそして」
「いきちゃかた……じゅるい……」
弱々しい声で、ぷちぷちと文句を垂れるシロとアオ。その頭を、ため息を吐いた矢凪ががしがしとかき回した。
「後で俺とこいつで、遊郭よりおもしれえ所に連れてってやるから。それで手ぇ打て。いいな」
だいぶ間を置いた後で、
「うん」
「う」
と、二体がこっくり頷いた。
「よし」と、矢凪が頷いて、足元に置いていた風呂敷包みを持ち上げた。少し柔らかい色を混ぜた声が、二体の頭を撫ぜる。
「朝飯、持ってきたから食うぞ。俺ぁ腹減った」
包みの隙間から漂う良い匂いに、現金なものでたちまちアオとシロの顔が輝いた。
「オレも! オレもおにゃかしゅいたの!!」
「おわんとはし用意するぞ、あ、あとなあとな、山ぶどう! こないだ、もいできた奴あるんだ、あれ食べよう!」
弾かれたように立ち上がって、絡まり合うように厨へ駆け込んでいく。
ようよう頭の痛みが引いた丞幻が立ち上がると、もう一度ごつんと頭をやられた。痛い。
「一々がきの言う事聞いてりゃ、調子乗るだろうがよ。たまにゃあきっちり叱れ」
「はいはい。悪かったわよう、お父さん」
「誰がてめぇの父さんだ。てめぇみてえに図体のでけぇのは、二人で十分なんだよ。三人もいらねえわ」
上がり框に腰かけて履きっぱなしだった草履を脱ぎ、泥が跳ねてすっかり茶色くなった足袋も脱ぐ。土間に置いてある手拭で汚れた足を拭いながら、丞幻は「それで?」と普段通りの調子で尋ねた。
「わざわざ、ワシのネタ帳引っ掴んで飛び出してったんだから。お前の思い人から憂いを払えるような、とびっきりのネタは掴んできたんでしょーね」
「まあな。てめぇがちび共に責められてる間も、こちとら頭ぁ動かしてたんでな」
「なによ、失敬ねー。ワシだって滝のような汗を流しながら、あちこち駆け回ったのよ。お前の倍くらい」
どうやら、互いに良い情報は掴めたようだ。
なにはともあれ朝餉にしましょ、と綺麗になった片足を板張りの床に乗せ、もう一方の足を上げかけた中途半端な状態で、丞幻はぴたりと硬直した。
「……ねえ、矢凪」
ぎ、ぎ、ぎ、と音を立てながら、まだ足を拭いている矢凪に顔を向ける。
「あ?」
「……お前、子どもいたの?」
きょとり、と矢凪は瞬きを一つ。それから首が縦に振られた。
「でけぇのが二人。言ってなかったか?」
聞いてないわよ!? と丞幻は素っ頓狂な叫びを上げた。
矢凪子持ち問題はひとまず棚上げしておくとして、朝餉を食べ終えた丞幻達は早速、情報交換に取り掛かった。
よく分かっていない様子のシロとアオも、よく分かっていないなりに話に混ざってきたので、軽く説明をする。
十六夜の情報と違い、数日前から腹の膨れっぱなしの禿、その禿が話すよく分からない言葉、矢凪ご贔屓の花魁が倒れた事。二体はやはり、禿云々より矢凪が惚れこんだ花魁について詳しく話を聞きたがったので、「それは後でねえ」と丞幻はのんびり宥めた。
ぱん、と手を叩く。
「さぁて、どっちから話す?」
「てめぇからでいい。俺なぁ、ちと長ぇからな」
単純にその酒を味わいたいだけじゃないのか、と丞幻は矢凪の手元をちろりと見た。どこかで買ってきたのか貰ってきたのか、見知らぬ瓢箪が握られている。
「あ? やらねえぞ」
「いらんわよ。ワシ自分の飲むもの。……えーっとじゃあ、結論から言っちゃうと、羽二重楼お抱えの祓い屋、蛍声ってのが怪しいわね」
「蛍声ぇ?」
ぴく、と眉を動かす矢凪に知っているか尋ねると、首が横に振られた。
「あの店が馬走にいた時ゃぁ、そんな名ぁ聞いてねえ。大方、冴木に移ってから贔屓になったんだろうよ」
「なんで、その祓い屋がおかしいって思ったんだ? 怪しげな、まじない札でも売りつけてたのか?」
「違うのよー、シロちゃん。ほら、被害にあった遊郭は全部で十三あったでしょ? そこを回って調べてみたんだけどねえ、どこの店も、蛍声とやらのお世話になってたのよー」
十三の遊郭は、冴木に集中していた。
丞幻はそこを一軒一軒訪ね歩き、口の軽そうな者に小金を握らせ、あるいは張見世で暇そうにしている遊女達に声をかけ、水をかけられたりしそうになり時には怖いお兄さん方に摘まみ出されそうになりながらも、どうにかこうにか内情を聞き出した。
結果分かったのは羽二重楼を除くどの店も、ある朝急に禿の腹が膨れ、一日経てば元に戻ったという事。ありまのように、妙な言葉を話しだす事も無く、元気にしているという事だった。
そこまで聞いて、矢凪が感心したように頷いた。
「よく口の堅ぇ連中から、そこまで引き出せたなてめぇ。盗人の才能あるんじゃねえか?」
「違うわよー。そこで、蛍声が出てくんの」
「どゆこちょ?」
自分の膝の上で首をかしげるアオの顎を指先でくすぐりながら、丞幻は指を三本立てた。
「三軒目まではね、普通に聞き込んでたのよ」
しかし、店の評判に傷がつくかもと思えば、誰も彼も口が重くなる。
三軒目の遊郭で殺気立った男衆に睨まれ、丞幻は慌てて退散した。……と見せかけ、気配を忍ばせてそろりと物陰に身を隠し、道端に塩を撒いている男連中の会話を盗み聞いたのだ。
――ったく、変な奴が来やがって。なんだったんだ、あのうらなり男は。
――ねえ兄ぃ、蛍声様がいれば、こんな事にはならなかったでしょうにねえ。
――それを言うんじゃねえ。おいらだって、そう思ってんだ。なんだってこんな時期に、姿を消しちまうんだか……。
蛍声。羽二重楼でも聞いた名だ。突如いなくなった祓い屋は、この遊郭の面倒も見ていたのか。
そこで思いついた丞幻は、四軒目の遊郭でずけずけと上がり込むなり人を捕まえこう言った。
――もし。蛍声様の使いで参りました。こちらで困りごとがあったようなので、これを渡して欲しいと頼まれまして。
途端、奥に通されこちらが口を挟む暇も無く矢継ぎ早に、自分の店で何が起こったかを楼主に訴えられたのである。その内容は、十六夜から聞いたものと全く一緒だった。
禿の腹が膨れた日付を確認して持っていたお札――ちゃんとした怪異避けの札である。こんな事もあろうかと、いつも何枚か持ち歩いているのだ――を渡し、それは瘴気が悪さをしたものだが、もう店には問題無いと太鼓判を押してやって店を出る。
以降の店でも同じように「蛍声様の使いだ」と名乗れば、あっという間に奥まで通されたのであった。どうやら蛍声とやらは、随分と信を置かれていたらしい。
「突然いなくなった矢先に妙な事が起こったんで、どっこも気を揉んでたぽくてねー、色々聞いてないことまで教えてくれたわ」
「ふうん。それだけならよお、ただの偶然ってこともあるじゃねえか。その蛍声とやらがいなくなっちまったから、押さえ込まれてた奴等が悪さしたってぇ可能性もあんだろ」
瓢箪に時折口を付けながら言う矢凪は、すっかりいつもの調子に戻っている。泡雪の様子を確認して、とりあえず一安心はしたらしい。
そんな事を考えつつ、丞幻はちちちと人差し指を振った。
「蛍声が住んでた裏長屋を引き払った次の日から、遊郭じゃ騒動が起こってんのよ。最初が、この紙の上に書いてる太右衛門楼。そっから一日一軒ずつ異常が起こって、最後が羽二重楼」
「なにかが、がきの腹ぁ渡り歩いてるってか?」
「多分ね。条件の合う子を探し当てるまで、移動してたって感じかしらん。……あとねえ、もっと面白い話があるの」
とびきりの悪戯を告白するように手を口元に当て、声を潜めて続けた。
「その蛍声って奴は特に禿に優しくて、どの遊郭でも飴や饅頭なんかを食わせてやってたんですって」
幼い頃から親元を離れ、苦労しているのだから、これでも食べて気を晴らしなさい。
貰い物だが私は甘いものが苦手でな、お食べなさい。
そんなことを言って、菓子を渡して回っていたのだそうだ。
しかもその飴や饅頭を、他の遊女や男衆にくれてやる事は一切無かったのだという。
禿以外が手を伸ばそうとすれば、やんわりとそれを窘め、絶対に食べさせなかった。
「他より安い値段で札を作ってくれるし、怪異も祓ってくれる。何事も無くても、『何か困った事はありませぬか』と様子を見に来てくれる。禿達にも優しく情け深い祓い屋だ……って、どっこもこんな評判よー」
「うーん……?」
一端の同心よろしく、腕を組んでうんうん唸っていたシロが、ぱっと顔を輝かせて叫んだ。
「分かった! その蛍声ってやつが、何か術を使って、かむろの腹をふくらませたんだな!」
「と、ワシは睨んでるけどねえ。偶然とするにしちゃ、あまりに関わり過ぎてるもの」
祓い屋の蛍声が長屋を引き払ってすぐ、懇意であった遊郭ばかりに異変が起きる。異変が起きたのは揃って禿ばかり。そして蛍声は、持ってきた飴や饅頭を禿ばかりにやっていた。
怪しい事この上ない。
ひょい、と肩をすくめる。
「仮眠を取ったら、蛍声の住んでた長屋に行ってみるつもりよ。まあ、仮にも祓い屋、そうそう痕跡を残してるかは怪しいけど。なにかしらあるかもしれないし。それで、お前の方はどうだったの、なにが分かったの?」
「ああ」
ぺろりと唇に付いた酒を舐めて、矢凪は胡坐の上に頬杖をついた。
「ありまってぇ禿が話してた言葉、ありゃあ西極大陸のもんだ」




