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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
呪術:廽子呪胎

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86/194

〇 ● 〇


 豆腐のすり流しが美味い。

 すり鉢で滑らかになるまで豆腐をすって葛を加え、味噌汁に流し入れたものだ。葛のおかげでとろりとした汁は熱が中々冷めない。そこに生姜を少々入れているので、飲む度に身体がぽかぽかと温まる。今日のように肌寒い日にはもってこいだ。

 これに無料で二杯までお代わりできる青菜飯と椎茸の佃煮、漬物がついて四十文。程よい値段である。

 後で矢凪達も連れてきましょ、と思いながら、丞幻は舌を火傷するほど熱い味噌汁を啜る。


「今日は少々寒いですね」

「そうねー」

「私、ここの豆腐のすり流しが好きでしてね。寒くなるとよくここに通うんですよ」


 対面に座る女が、墨色の瞳をうっそりと細めて微笑んだ。


「お前の習性なんて知らんわよ。さっさと要件言いなさいな」


 墨を買い足しに行った帰り道、道の正面に見覚えたくない宵色髪の女――十六夜を見つけた丞幻は即座に踵を返した。しかし人波の中から伸びてきた手に両腕を掴まれ、そのまま近くの飯屋に連れ込まれたのだ。

 昼過ぎではあるが、店内は賑わっている。丞幻が押し込まれたのは、小上がりの座敷であった。奥に座らされ、正面には十六夜。己と十六夜の隣には、何の変哲もない風貌(ふうぼう)の男女が座った。夫婦が二組座っている、と見えなくもない。死ぬほど不本意である。


「ワシ、今からお家に帰る所だったんだけど。急に両腕掴まれて飯屋に連れて来られて、とぉーってもお冠だわあ」


 不愛想に言い放ち、丞幻は行儀悪く胡坐の上に頬杖をついた。


「顔も見たくない薄ら笑い阿婆擦(あばず)れと顔突き合わせてご飯食べたって、ぜぇんぜん美味しくないのよねえ」


 途端、脇腹にちりっとした痛みが走る。

 目だけ動かして隣を睨めば、男もこちらを睨んできていた。周囲に見えないように、脇腹に苦無が押し当てられている。


「やめなさい。ただの軽口です」


 十六夜が静かに茶を飲んで、男を制した。

 丞幻を一睨みして苦無を引っ込める男を鼻で笑って、顎を(たなごころ)に乗せたまま、とん、とん、と指で頬を叩いた。


「で、なあに。ここの飯屋奢ってくれる為にワシを連れてきたのかしら。そりゃご馳走様。じゃあ帰るからお代はよろしくね」

「ここ最近、色町の方で騒ぎが起こっているのを知っていますか?」

「知らんわよ」


 愛想の無い丞幻の態度にも構わず、十六夜は続けた。


「幼い禿の腹がまるで孕んだように膨れ、一夜にして(しぼ)むという事が相次いでいるらしいですよ」

「へえ」


 それは知らない話だ。

 興味を覚えないわけではないが、それを表に出さず丞幻は、それで、と目線で先を促す。


「禿達は一様に『神の子を身籠った』と話していたとか。まあ、腹が萎んだ時には覚えていないようですが」

「神の子ぉ?」

「ええ。そういう訳で、その神の子とやらを狩ってきてくださいね」


 やっぱりその話か、と丞幻は眉を寄せたまま無言を貫いた。

 まあこいつが自分の進行方向を塞いでいた時点で、予想していた事だが。


「それでー? それが本当に神の子なのか神の子を騙る怪異なのか、そこら辺は教えちゃくれんのかしら?」

「そこの調査は貴方がたにお任せします。捕獲方法もそちらにお任せしますが、必ず生きたまま捕らえてきてくださいね。鮮度が落ちれば旨味も落ちますから」

「ろくすっぽ調査してない癖に『じゃあこれ持ってきて、おーねがい。ちゅっ』ってぶん投げてくるの、どうなのよ。ある程度の詳細くらいは教えてくれたっていいと思わなーい? なにお前、それくらいもできない無能なのぉー?」

「貴様!」


 押し殺した怒声が隣から上がった。またも押し付けられた苦無が帯を貫き、皮一枚の所で止まる。丞幻は隣をぎろりと睨んだ。


「なに。殺す? 今からお前の主人の頼み事をこなさなきゃいけないワシを殺す? いいわよやってみなさいよ。なんなら刺さりやすいように、お前に思いっきり寄りかかってあげましょーか?」

「調子に乗るな。殺さずとも、生きたまま苦しみを味わわせる方法などいくらでもあるぞ……!」


 苦無を持つ手が(ひね)られ、切っ先がぷつりと皮を裂く。

 たん、と音高く椀が膳に置かれた。

 視線を向ければ微笑を唇から絶やさぬままに、十六夜が男の方を見つめている。男がびくりと身体を揺らした。


「――先も言ったでしょう、日方(ひかた)さん。ただの軽口です、一々目くじらを立てるのはおやめなさい」

「……御意」


 男が冷や汗を一筋垂らし、苦無を引く。

 見事に裂けた帯をなぞって、丞幻はわざとらしくため息を吐いた。


「ねえ、帯破けちゃったんだけど。部下の躾がなってなくてよ」

「失礼、後でよく言い聞かせておきますね。……話を戻しますが、私から詳しい詳細を伝えられたとしても、貴方それが事実か信じられずに自分でも情報を集めるでしょう?」

「むぐ」


 図星だ。


「ならば最初から、貴方自身で調査をした方が効率的だと思いますが」

「うぬぬ」


 十六夜は口元に指先を当て、ころころと楽しそうに笑った。


「そうそう。こちら、好きに役立ててくださいね。ぶらぶら小舟を獲ってきてくださった謝礼と、今回の費用です」


 その言葉を受けて十六夜の隣に座る女が、座敷の上に巾着を置いた。膳をどけてそれを受け取り、中を見れば小判が六枚入っていた。

 ついでに帯代も、と十六夜が懐から財布を出し、銀板を三枚寄こしてくる。


「あら太っ腹」

「それから、こちらもどうぞ」


 また、女が巾着を取り出す。ごと、と重たい物が置かれる音がした。丞幻は片眉を上げる。

 巾着は細長い。五寸|(15センチ)くらいか。持ち上げれば、ずしりとした重みが伝わった。口を開いて中を見ると、懐剣(かいけん)が入っていた。鍔は無く、鞘は黒。それに怪異を祓う呪言が彫られ、朱墨(しゅぼく)を流して線を際立たせている。


「随分良い退魔刀ねえ、これ」


 少し抜いてみると、濡れたような刀身が顔を出す。刃文(はもん)乱込(みだれこ)み。()()()にも怪異祓いの印が刻まれていた。清浄な波動が刃から伝わってくる。


「自衛にどうぞ、差し上げますよ。万一壊しても、金を払えとは言いませんのでご心配なく」

「あらありがとう優しいわね嬉しいわあ」


 大根役者も真っ青な棒読みで吐き捨てて、丞幻は肩をすくめた。



 十六夜から貰った小判と懐剣を持ち、ひねもす亭に戻った丞幻を待っていたのは、だぶだぶの羽織をまとったシロとアオだった。


「動くな! 匂い同心だっ!」

「だっ!」


 びしぃっ! と紙を丸めて作った十手が突き出され、丞幻は思わず立ち止まった。

 十手をこちらに向け、羽織の裾を湿った地面に擦りつけながら、ちび二体がじりじり近づいてくる。


「ちょちょちょっ、待ってちょーだいお二方! あっしは別に、悪いことなんか何もしてませんですわよ!!」

「だまれ、極悪人! お前には、おれ達を置いておいしいものを食べた罪のようぎがかかっている! やれ、アオ同心!」

「う!!」


 眉をきりりっ、と吊り上げたアオが狼姿に戻り、丞幻に飛び掛かった。飛びついてきたのを受け止めると、胸元に前足を置かれ口元に濡れた鼻がぺちょりと押し付けられた。

 すんすん、と鼻が動く。


「うー……うー……おとーふのおみちょしる、ごあん、おちゅけもの、ちいたけ! ちらないおみしぇのにおいしゅる!!」

「有罪! 打ち首に処す!」

「あぁー、お奉行様、そんなご無体なー!」


 飛び降りたアオに裾を噛まれ、シロに手を引っ張られて玄関に連れ込まれる。

 どこから持ち出したのか木刀を担ぎ、とん、とん、と峰で肩を叩きながら矢凪が仁王立ちしていた。


「おっと急用を思い出したわん」

「待てや罪人」


 即座に回れ右しようとした丞幻の襟首が引っ掴まれ、土間に正座させられる。

 丞幻の羽織をずりずり引きずりながら、シロがびしっとこちらを十手で指した。


「よしやってくれ、矢凪」

「おう」


 背中で木刀を振りかぶる音がする。慌てて、丞幻は懐から土産を取り出した。額を土間に擦りつけて、両手で包みを頭上に掲げる。


「はいっ、すみませんでした! あの十六夜に飯屋に連れ込まれて御馳走になりました! こちらお詫びの菓子になりますっ!!」


 効果は劇的だった。


「井村屋のくりまんじゅう!!」

「う! おまんじゅ!」

「……酒じゃねえのか」


 約一名以外には。

 不満そうな呟きに、丞幻は額を土間に付けたまま、もう一つの土産を懐から取り出した。


「こちら酒に良く合うと評判の辛子煎餅となっております!」

「よし」


 背後の殺気が薄れる。

 なんとか過料(かりょう)でお許しを頂けたので、丞幻はほっとして立ち上がり、裾の土埃をぱんと払った。



 朝の内に矢凪が作った味噌汁に、これまた朝に炊いておいた米を入れる。くつくつと煮込んで仕上げに葱と溶き卵を入れて雑炊にしたものが、遅めの昼餉となった。

 幸せそうに食べるちび二体の顔を見ながら、丞幻も雑炊を口に運んだ。

 十六夜達と膝突き合わせて飯を食いはしたが、胃袋にはまだ空きがある。雑炊くらいなら余裕だ。


「んで、あの女ぁなんて言ってたんだよ」


 鍋を囲んで車座になりながら、矢凪が咥えた匙をぴこぴこ揺らした。


「それやめて、シロちゃんとアオちゃんが真似するでしょ。……なんかねえ、色町で妙な事が起こってるみたいよ」

「ふうん」

「なんだなんだ、白粉ついた猫が、本物の猫にでもなったか?」

「おかーり!」

「てめえでよそ……あー、やめろやめろ、鍋引っかき回すんじゃねえ。分かった俺がよそうから、てめえは大人しく待ってろ」

「う! いっぱいね! ちろみのとこね!」


 要求通り、固まった白身の多い場所をよそって渡してやりながら、矢凪が「妙な事ってなぁなんだよ」と当然の疑問を口にした。

 それに、十六夜から伝えられた事を簡単に説明する。


「神の子だぁ? しかも禿ったら、まだガキもいいとこだろうがよ。どうやって腹ぁ膨らましたんだ」

「そうねー。まあ直接交わらなくても、孕ませる方法なんて神やら怪異だったら知ってるんじゃなーい?」


 子を孕んだ、と女に暗示をかけ、捕食の為に腹に潜伏する怪異もいる。今回の件も、それかもしれない。

 椀を置いて両手を合わせたシロが、同情心あふれた顔つきで丞幻の肩を叩いた。


「大変だなあ、丞幻。貴墨に色町は四つあるぞ。店はもっといっぱいだ。で、どこの店の女が、その神の子をはらんだんだ? しらみつぶしに探すのか?」


 くふくふと、大きな瞳を細めて楽しそうに笑うシロ。その頬をむにっと掴んで捏ね回し、丞幻はわざとらしくため息を吐いた。


「まー、シロちゃん。なんでそういう意地悪言うのっ。ひどいわ、ワシ泣いちゃうっ!」

「泣けよ」


 ばっさりと斬り捨てた矢凪が、空の鍋に椀を放り込んで立ち上がる。


「ねーね、丞幻。かみのこって、にゃーに? けっけのこ?」

「髪の毛じゃなくてー、神様の子どもよ、神様のこーどーもー」


 ええと、と丞幻は懐を探って紙切れを取り出した。

 飯屋で別れ際、十六夜が渡してきたものだ。


 ――まあ、私の事など信用はできないでしょうが、無数の遊郭の中から目当てを見つけるのも大変でしょう。腹の膨れた禿のいた遊郭だけは、調べておきましたよ。参考にするもしないもご自由に。


 四つ折りにされた紙を開くと、細く丁寧な文字が並んでいた。ひのふの……と数えれば紙に記された遊郭の名は十三。


「想像より多いわねえ……」


 それでも瓦版や人の口に上がらなかったのは、ひとえに遊郭側が口を閉ざしているからだろう。

 遊郭は客商売。

 故に悪い噂はすぐに広まる。

 禿が腹を膨らませたとなれば、質の悪い客が通っているのかもしれない、いや虫の仕業だ病が流行っているのだ、いやいや怪異の仕業だと、あっという間に評判が広まってしまう。そうなれば客足も落ち、場合によっては店を畳む事にもなりかねない。

 連なる十三の店名を眺めながら、丞幻は口髭をつまんで引っ張った。


「萎んだ後は何も起きてない、って考えた方が良さそうねえ。腹が萎んだ後にも異常があったら、流石にどっかから情報は漏れてるでしょ」

「じょーげん。なんて書いてあるんだこれ。読めないぞ、読んでくれ」

「あー、そうねえ。難しい文字が多いものねー」


 背中にべったりくっついてきたシロの為に、一つ一つ店の名を口にしてやる。


「えーっと後は、早雲楼(そううんろう)金治楼(きんじろう)羽二重楼(はぶたえろう)。これで十三店ね」


 その時、廊下で物凄い音がした。

 丸くなっていたアオが、毛並みをぶわっと逆立てて飛び起きる。

 なんだなんだ、と廊下に顔を出せば。


「どしたの、矢凪。こけた?」

「なん、でもねえ」


 軽く頭を振って身を起こす矢凪がそこにいた。派手に転んだようで、遠くの方に鍋や椀が転がっているのが見える。

 こいつがつまずいてこけるなんて珍しい、と丞幻が思わずまじまじ見ている前で、矢凪が廊下に手をついて立ち上がった。転がった鍋を取ろうとして、


「おわ!?」


 零れた雑炊の汁に足を取られ、またこけた。

 重たい音が屋敷に響き、シロとアオが目をまん丸にする。

 本当に、珍しい事もあるものだ。槍でも振るんじゃなかろうか。

はばき=刀身の根本の部分にはめる金具。


〇 ● 〇


豆腐のすり流し、寒い時期によく作って食べるお気に入りの一品です。

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