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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
焼飯鮫対うどん鮫

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82/198

 太鼓が打ち鳴らされ、芝居の幕が上がる。

 口上に合わせて、舞台の左右から鮫が二匹ゆっくりと現れた。

 小さな茶色い鮫が山のように積み上がった焼飯鮫は、巨大なそれの中に人が入って動かしているようで、下の方から黒い足が四本見えている。

 白く細く長い身体のうどん鮫は、身体やひれの下に棒が付けられており、何人かの黒子がそれを操っていた。

 仕掛け自体は見えているが、動かし方が巧みでまるで二匹とも、本当に生きているかのようだ。

 書割の海の前で、二匹が距離を置いて相まみえる。

 いよいよ激しくなる太鼓が、二匹の激突を予感させてシロの胸を高鳴らせた。



 猿若一座の芝居は基本、一日かけて行われる。幕間を挟みながらも、朝から夕まで行われるのが常だ。

 しかし鮫物に限っては、二刻|(四時間)ほどで終了する。

 結論を言ってしまえば鮫物は、空を飛んだり地面を潜ったり怪異を操ったりと、訳の分からない鮫達が人を襲いまくり、時折客席にまで襲い掛かるだけの芝居だ。それを一日かけて演じるとなると、どうしても中だるみになる。客も退屈するだろう。ゆえに、早めに芝居には幕が下りる。

 焼飯鮫対うどん鮫も例に漏れず、朝五つ半|(九時)から始まって昼九つ半|(十三時)に終了した。

 芝居終了の太鼓音と共に、木戸口から興奮した顔の人々が外へ吐き出されていく。

 それに混じって、シロ達も劇場を後にする。劇場の舞台は明るいが客席は薄暗い為、陽光が目に眩しい。


「……おもしろかった」


 通りを歩きながら、はふぅ、とシロは頬を真っ赤に染めて呟いた。その隣で、アオがきゃあっと歓声を上げる。


「おもちろかった、おもちろかたね! しゅごいね、しゃめ、しゅごかったね!!」

「な、な! おもしろかったな! おれは最後、感動したぞ!」

「おいちそーだったね! うどんしゃめ、ちゅりゅりゅっておいちそーだった!」

「あー、お前はまたそうやって。食べることばかりだなあ、全く」


 長年、縄張りを巡って争い合っていた二匹。そこに現れる屈強な漁師集団。素手で鮫と取っ組み合う漁師達に対抗する為、一時的に手を組む二匹。そこで育まれる信頼と友情。しかし漁師集団の計略によりひびが入る友情。かくして争う事になった二匹。しかし互いにとどめを刺せず――

 と、今回の芝居は鮫物にしては珍しく話の筋がしっかりとしていたのだ。

 最後、傷だらけの身体で改めて友情を誓い合った二匹の姿に、シロは手のひらが痛くなるまで拍手した。賛否両論ありそうだが、あれはあれで面白かった。


「鮫物も見てみるもんだなあ」


 何やら感じ入った様子で、為成が腕を組んで頷いている。それを見上げ、シロはふふんと鼻を鳴らした。


「言っておくけどな、鮫素人。今回は特別なんだぞ。普段は、ただ鮫が出てきて、人をおそうだけなんだからな」

「へえ、そうなのか。それの何が面白いんだ?」


 素朴な疑問に、アオが答えた。


「ひとがおしょわれるとこ!」

「ふうん、成程なあ」


 ますます感じ入った様子で頷いていた為成が、なにかに気づいた様子でシロ達に視線を向けた。


「そういえばお前達、弁当を食べてないだろ。腹は大丈夫か?」

「う」


 言われた途端、くきゅうと可愛らしい音を立ててシロの腹が、ぎゅごごごごと物凄い音を立ててアオの腹が鳴り響く。

 弁当は買っていたのだが、芝居に夢中になり過ぎて箸を付けるのを忘れていた。


「アオ、アオ、あっちで弁当食べるぞ」

「う!」


 周囲を見渡す。話している間に猿若町を出ていて、自分達より背の高いすすきが一面広がっている。色鮮やかな幟も今や遠い。

 道の脇にちょうどいい切り株が二つあったので、アオの手を引いてそちらに向かった。なぜか為成も共に着いてくる。ちょこんと切り株に腰かけたシロは、わざとらしく「よっこいしょ」と声を上げて地べたに座った男を睨んだ。


「おい、帰らないのか」

「お前達だけで家に帰して何かあったら、俺が矢凪に殺されるからなあ。さっきも引ったくりにあっただろ? 心配だから送っていくさ」

「……」


 余計なお世話だ。


「う! よろちくおねがちましゅ!」


 シロはぷいっと為成から視線を外した。

 勝手にしろ、と胸の内で呟いて、膝上の弁当に視線を落とす。視界の端で眉を下げて肩を落とす姿が見えたが、それは無視する。

 それでも力づくで追い払おうとしたり、無視してその場を離れない辺り、為成に対する態度は軟化していた。財布を取り戻してくれたことで、敵愾心が薄れたらしい。

 弁当に巻かれた、愛嬌のある猿の顔が描かれた紙を剥がして蓋を開ける。


「わああ……っ!」


 途端に漂ってきた香りと豪華な中身に、シロは子どもらしい歓声を上げた。

 猿若一座で売っている弁当は、中が(ます)状に仕切られている。その升一つに、おかずが一つ入っているのだ。ちなみに弁当内の升は九個なので、九升(くます)弁当とも呼ばれている。


「アオ、アオ、見ろ! ほらうどん鮫だぞ、ほら!」


 大根のなますを箸でつまんで、シロは興奮気味にアオに見せた。

 普通は千切りで提供されるなますだが、芝居に合わせたのだろう。薄く長くかつら剝きにされた大根のなますは、うどん鮫が芝居の中から出てきたかのようだ。大根の先端には切れ込みが入っていて、口を開けているようにも見える。


「おいちいね!!」


 ところがアオは、そんな事はどうでもいいらしい。箸をしっかと握って、がつがつと弁当を食べている。


「お前……ほんっとうに風情がないなあ。いいか、こういうのは、目でも楽しむものなんだぞ」

「めー? シロ、おばかねえ。めはごはんたべなーしょ?」

「もういい。お前に風情を期待した、おれがばかだった」


 大きな目をぱちぱちとさせるアオに首を振って、シロも弁当に取り掛かる。

 本日の弁当は、芝居の内容に添った見た目になっていた。

 二つ入った焼きおにぎりは醤油を塗って焼飯鮫のようだし、焼き豆腐には網目が付いていて漁師達が使っていた投網のようだ。

 シロの弁当をひょいと覗き込んだ為成が、感嘆した。


「お、凄いなあ。その蒲鉾(かまぼこ)、船の形をしてるのか。芸が細かいなあ」

「む」

「そっちの葛餅も綺麗だな、中に餡子と星粒が入ってるのか。最後に、鮫二匹が友情を誓い合った夜空を模してるんだな」


 勝手に見るな、と弁当を抱え込む前に為成が放った一言に、シロの動きが止まった。

 すかさず太い指が、茄子の煮びたしを指す。


「へえ、この茄子は凄いな。切れ込みが漁師達の着物模様になってるのか」

「そうだぞ、しかもちゃんと見ろ。煮びたしになって、ちょっと色が抜けてくたびれた所が、本当に着物みたいだぞ」

「へええ。凄い工夫だなあ」


 こいつ、少なくともアオよりは風情を分かっているらしい。

 弁当の味もだが、見た目の感想を語り合いたかったシロは、白いおかっぱを揺らしてうんうんと頷いた。


「ほら、ほら。この卵焼き。この形、あれなんだぞ。漁師達のせいで、二匹が戦う事になった時の、戦いの場になった一つ岩の形に切られてるんだぞ」

「この(いわし)の酢漬けは、芝居の中で漁師達が食ってた奴だな。あれは美味そうだったから、弁当に入ってるのは嬉しいなあ。俺も買えば良かったか」

「なんだお前、買わなかったのか。ばかな奴だなあ。弁当を買わないと、芝居を見た気にならないだろ」

「いやあ、今日は荒田橋で蕎麦でも食おうと思っていたからなあ」


 もっきゅもきゅと頬ばったおにぎりを飲み下してから、シロは小首をかしげた。


「荒田橋の所に蕎麦屋なんてあったか?」

「ここ最近、屋台が出ているんだ。美味いらしいぞ。あられと山芋の天婦羅、それから(ねぎ)と蒲鉾が乗って、二十文」


 シロは夜明けの瞳を大きく見開いた。

 それで二十文は安い。ちなみに、具無しのかけ蕎麦は大体どこも十六文だ。


「安いな。普通だったら、それで三十か四十文はするぞ」

「そうだろ? だからちょっと行ってみようと思ってな」


 丞幻に教えて、後で連れてってもらおう。

 そう心に決めたシロの脇腹が、不意にど突かれた。


「ふぐっ!?」

「なでふたりでおはなししてうの! なっでアオまじぇないの! まじぇて!!」


 どつどつと、アオが脇腹に勢いよく頭突きしてくる。その頬が不満を表すように大きくぷっくり膨れていた。

 弁当を落としてしまわないようしっかり抱えながら、シロはべえっと舌を出す。


「うるさいうるさい! お前はそっちで大人しく、弁当を食ってろ! おれはこいつと、弁当談義をしてるんだ!」

「やーや! まじぇて!!」

「どうせお前は、おいしかった、しか言わないだろ! 一人で弁当食ってろ、ばか!」

「もうちゃべた! まじぇて!! シロのいじわう!」


 互いの声に煽られて、熱が上がっていく。

 睨み合う二体に、為成は腰を浮かせた。


「あー、こらこら。喧嘩するな。話がしたいなら混ぜてやるから、な?」


 仲裁を華麗に無視し、アオと吼え合っていたシロの身体が急に浮いた。

 なんだなんだと周囲を見渡せば、眉間に皺を刻んだ仏頂面がすぐ傍にあった。


「矢凪! 聞け! おれはな、あいつと弁当とそばについて話してたんだぞ! そしたらアオがな、急に俺の腹に頭突きしてきたんだ!」


 矢凪の(えり)を掴んで引っ張り、シロは訴える。

 片腕一本で抱かれているが、矢凪の抱っこは安定感がある。手を振り回して訴えても、均衡を崩す事は無かった。


「そうかそうか。じゃあ、アオだけが悪ぃのか?」

「う……っ」


 シロの訴えを聞いていた矢凪は、言葉が途切れた瞬間に静かな調子でそう言った。思わず言葉に詰まって、目線を反らす。

 じっと見下ろしてくる矢凪の視線から逃れるように、うろちょろとあちこちに目をやり。


「……少しは、おれも言いすぎた、かもしれない」

「ん」


 ぼそぼそと、それだけようやく吐き出すと。矢凪の手が伸びて頭を撫でられた。


「だって! オレもおはにゃちしちゃかっちゃにょ! シロおこたの! オレわりゅくにゃいのにおこたの!」

「うんうんそうなのー、怒ったのー。でもアオちゃん、シロちゃんがご飯食べてる時にお腹にどーんってしたんでしょー? だからシロちゃんびっくりして怒っちゃったのよー。どーんしてごめんなさいしましょうねー」


 抱き上げられたアオが、萌黄色の三つ編みを引っ張って頬を膨らませていた。その背中を叩き、丞幻が身体を揺らしてあやしている。


「シロ」

「ほらアオちゃん、シロちゃんにごめんなさいしましょうねー」

「……アオ、悪かった」

「うぶー……ごめちゃい」


 大人二人に促されて互いに謝って、気まずげに視線を反らす。

 胸元に顔を埋めたアオの頭を撫でながら、丞幻が立ち上がった為成に視線を向けた。


「笹山殿が、この子らの面倒見ててくれたの? ごめんなさいねー、大変だったでしょ。ありがとう」

「いや構わんさ。それに、どっちも良い子だったしな」

「つうか、なんでてめえがここにいんだよ。猿若みてえな仰々しい芝居は嫌いだとか言ってなかったか?」

「そうなんだがな。鮫物とやらは面白いって聞いてちょっくら見に来たんだ。いやあ、本当に面白かったぞ、鮫物」


 朗らかに笑う為成の言葉に、丞幻と矢凪が同時にため息を吐いた。心なしか顔が疲れている。


「あーあ、ワシらも見たかったわねえ。まーさか、こんなに時間かかるとは思わなかったもの」

「納戸に入った瞬間、異界に飛ばされるたぁな……」

「それよ。しかもうなじ太郎に追っかけ回されるし。ネタにはなったけど、ねえ」

「うなじ太郎」


 変な言葉が聞こえた。


「うなじ太郎はまだいいだろうが。俺ぁ骨子と脹脛乃介(ふくらはぎのすけ)の方が嫌だったわ」

「骨子と脹脛乃介」


 また変な言葉が聞こえた。

 一体どんな異界に飛ばされていたんだ、こいつら。


「あー、笹山殿。ちょっと後で異怪の方で視てもらってくれる? 野田村の農家で、家の前に白黒ぶちの犬がいるとこなんだけど、そこの納戸が異界に繋がって怪異が出てきてたのよ。一応、納戸の戸には封印の札貼ったけど」


「ああ、分かった。今からちょっと行ってみよう。ただ丞幻殿」

「なあに?」


 首をかたむける丞幻に、為成が困った顔を見せた。


「いくら小説のネタになるとはいえ、危ない所に突っ込むのは止めてくれ。なんの為に異怪がいると思っているんだ。様子を見て、まずそうだと思ったらこちらに一報入れてほしかったぞ」

「悪かったわねえ。次からそうするわあ」


 絶対だぞと念押しして、為成は道を駆けていった。


「……うなじ太郎と骨子と脹脛乃介ってなんだ?」


 あっという間に小さくなっていく背を見送って、シロは矢凪を見上げた。矢凪は遠い目をして空を見ている。


「おいちいやちゅ?」

「美味しくはないわねー。聞いてくれる、シロちゃんアオちゃん」

「しょうがないなあ、聞いてやろう」


 えへんと胸を張りながら、シロは為成の顔を思い浮かべた。

 アオを怪我させた奴ではあるが、引ったくりから財布を取り返してくれたし、言葉を噛んだ自分を笑わなかった。鮫物の良さも分かるようだし、風情も分かる。

 次にあったら、挨拶くらいはしてやるか。


〇 ● 〇


「お、丞幻殿の所のちび達。元気か?」

「げんきー!」

「……」

「俺のことはまだ嫌いか……?」

「んーん、シロねえ、ひとみちりにゃの! ちらにゃいひとと、おはにゃししゅるの、にがちぇなの!」

「……」

「前進なのか後退なのか……」


 シロと為成が打ち解けるには、まだまだ時間がかかりそうであった。

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