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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:友引娘
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 おそねは夕べ、家に帰らなかったのだという。

 いつまで経っても帰ってこない妻を心配した亭主が病身を押して、にぎりまるにやって来た事でおそねが行方知れずになった事が判明した。そこから人を使って近くを探したが、姿は見当たらず。

 何かに追われるように、怯えた顔で通りを駆けるおそねを見かけた、という話を聞きこんできたのが夜半過ぎ。いよいよこれはただの行方知れずではなさそうだ、よもや怪異では、と異怪奉行所いかいぶぎょうしょに届け出たのが今朝の事。店にいた客が、崩れた簪が道端に落ちていたのを見つけたと来店したのがついさっきだった。


「ただねー、奉行所の方も忙しいみたいで、あんまり返事はかんばしくなかったらしいのよねー。まああそこ万年人手不足だしね、しょーがないわよねー」


 盗人や放火、殺人を取り締まるのは町奉行所。怪異関係の事件を取り締まるのは異怪奉行所だ。

 捕縛の対象が人間か怪異かの違いしか無いのだが、なにぶん怪異事件は数が多い。やれ商家の子どもが狗に憑かれただの。やれ小川で怪異が出て何人も引きずり込まれただの。そういった話が昼夜ひっきりなしに舞い込む為、いつ行っても忙しない印象を受ける。

 そのせいか、はたまた対応者が悪かったのか。なおざりな態度で調査はする、と言われただけだった。あれではロクに動いてくれやしないと、店主は嘆いていた。


「娘さん昔亡くしたらしいのよ、あの親父さん。それもあって、おそねちゃん娘みたいに可愛がってたから、心配もひとしおなんでしょーねー」

「へえ」

「とりあえず、ワシとお前で別れて情報収集ね。まあ半時くらいしたら……そうねえ、あそこの暖簾見える? あの夏梅屋っていう梅茶屋に集合しよっか」

「おう」

「あそこって夏しか出ないお店だけど美味しいのよねー。特に梅練り切りがさあ、梅練り込まれてて、ってあーあー」


 話を聞かず、矢凪はさっさと人波の中に姿を消してしまった。ぽつんと一人残されて、丞幻は頭を人差し指でこりこりとかく。


「もー、もうちょっとお喋りに付き合ってくれてもいいのにねえ」


 助手として居候する事になったのだから、もう少し愛想よくしてくれてもいいだろうに。具体的には、助手と雇い主の立場ではない普通の会話を楽しみたい丞幻である。

 まあ、ネタを全部聞き出すまでは助手としていてもらう予定だ。それ以降はどうするかまだ決めていないが、気長に付き合っていこう。


「ま、まだ知り合ってすぐだしねー。シロちゃんだって最初はお地蔵さんみたいにだんまりだったのに、今じゃあんなにお喋りだしー……まー、ともかく情報収集しましょーか」


 店主から預かった懐紙を懐から出して、掌に乗せた。簪に絡みつく黒い霧が、懐紙越しに丞幻の掌を刺す。針で刺されるような微かな痛みに、小さく眉を寄せた。

 瘴気だけでも、怪異は人に影響を及ぼす。健常な人でも心身に不調を訴える事もあるし、身体の弱い人ならぽっくり逝ってしまう事だってある。


「しっかし、こんなんよく持ってられたわね、あの親父さん。鈍感なんかしら、羨ましいわー。っていうか、これ奉行所に持ってけばいいのにねえ」


 持って行けば、流石にまずいと判断して調査に乗り出してくれただろうに。まあ恐らく、最初の対応のせいで不信感が強くなり行けなかったのだろう。初対面の印象は大事だ。

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、簪を包んだ懐紙を手の中に握り込む。力を入れると、ぱきぱき、ぱきぱきと小枝を折るような感触がした。


「よしっと。こんなもんかのー」


 ぐっぐ、と何度か握りしめた後で懐紙を開いてみれば、そこには黒い砂のようになった簪の成れの果てがあった。煙管きせるを懐から取り出し、それをさらさらと流し入れる。

 途端に、火もつけていないのに火皿からふわりと煙が立ちのぼった。夏の暑さに溶けそうな程に薄い墨色の煙が、紐のように細く伸びて真横へ流れる。

 丞幻は、ふむ、と頷いた。


「あー、そっちね。成程」


 煙は火皿から少し真上へ上がった辺りで不自然に折れ曲がり、右へ向かってたなびき続けていた。指に煙管を挟んで、ゆったりとそちらの方向へ歩みを進める。

 歩き続けるうちに上がってきた太陽が、じりじりと頭頂部を焦がした。ぽつぽつと、玉のような汗が丞幻の額に浮く。


「あーあ、今日もあっつくなりそうねー。やだやだ、風でも吹いてくれれば少しは涼しいんじゃけどねえ」


 水売りか白玉水売りでもいないかと見渡してみたが、この辺りは高い塀に囲まれた倉庫が並んでいるだけで、民家や店はほとんど無い。通りを歩く者も少ない。そんな人気が無い所を、わざわざ物売りは歩かない。諦めるしかなかった。

 首の後ろを手拭で拭いながら、ため息を一つ吐いて暑さを誤魔化す。


「っと……こっち…………あーいや、そっち? んもー、もうちょっと分かりやすい色で出てほしいわー。赤とか黄色とか、ドドメ色とか……んっふふ、ドドメ色の煙て……んっふふふふ、めっちゃ健康に悪そう」


 肩を揺らして一人笑いながらも、足は止めずに動かす。煙は前方に向かって長く伸びていた。

 数多の怪異がはびこる貴墨で、手がかりの無いまま目当ての怪異を探せと言われれば流石に無理だ。しかし手元には、恐らくおそねが失踪当時に身に着けていた簪がある。それに色濃く残った瘴気と似たものを探すなら、まだ難易度は下がる。

 そして、それを助けてくれるのがこの煙管というわけだ。その為に簪を壊してしまったが、あれはもう使えないだろうし、瘴気に侵されたものを持っていたくはないだろう。


「まー、後で簪代は弁償するとしてー。ていうか、アオちゃんいれば臭いで探せるから楽なんだけど、しょーがないのー。ワシが犬になるしかないかー」


 最も探し出してみたら、原因とは別の怪異が簪をいじり回したので、そいつの瘴気が残ってましたー。だったら骨折り損も良い所なのだが。

 そんな事を考えつつ汗を拭い拭い歩いていると、不意に刺すような鋭い気配を感じた。煙管から伸びた煙を見れば、少し前の方でくるくると円を描くようにしながら揺れている。


「お、ここっぽいわねー」


 周囲を見渡す。大通りからは大分離れた所だ。通りに面した表店には、小間物屋や半襟屋はんえりやなどが並んでいる。


「船に乗ろうとして、捕まった……って所かね。あれだけじゃ詳しくわっかんないけど」


 煙管を懐に仕舞って通りの前方に目をやれば、船着き場が見えた。船頭の親父が、穏やかな水面を見ながら退屈そうに煙草をふかしている。

 見つけた瘴気は通りの真ん中に、黒々とわだかまっていた。丞幻の目には、乾いた地面に墨汁を零したようにも視える。

 普通の人にそれは視えていないが、なんとなく嫌な気配は感じるのだろう。子どもも侍も通りの中心を避けるように歩いている為、そこだけ不自然な空白が空いていた。

 簪に残っている瘴気と合わせて、恐らくここがおそね失踪の現場で間違い無いだろう。だが。


「うーん、この辺に人を攫うような凶悪な怪異っていたっけかねえ」


 首を捻るが、家から遠い事もあってこの辺りの怪異事情はあまり分からない。誰かに話を聞こうか、と丞幻は人を探して首を巡らせる。その時だった。


「ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘。ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘」

「娘が行くよ、娘が来るよ、くるりと紐かけ娘が行くよ、童の紐引き娘が来るよ」

「ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘。ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘」

「……友引娘?」


 鈴を鳴らすような声の奏でる不気味な歌に、ぞわりと首筋が粟立った。

 声の方を振り向く。どこかに遊びに行くのだろうか。可愛らしい着物をまとった娘が三人、裏長屋へ続く路地木戸を通って通りへ出てくる所だった。


「こんにちはー、そこの可愛いお嬢さん達ー」


 丞幻はひらひらと手を振って、娘達に近づいた。

 振り返った娘三人はきょとんとしたが、やがて弾けるような笑顔を浮かべると口々に挨拶を返してきた。懐っこい子達だ。


「ねえねえ、そのお歌どこで教えてもらったの? なんだか素敵なお歌だからねえ、ワシの子にも教えてあげよーと思って。どっかで習ったのん?」

「えーっとねえ、教え処で美代ちゃんが教えてくれたの!」

「違うよ、加代ちゃんだよ」

「ええ、咲子ちゃんじゃなかった?」

「へぇ、そうなのー。ワシは冴木の辺りに住んでるけど、その歌ってさっぱり聞かないわねー。この辺りで流行ってるの?」

「うん。みんな歌ってるよ。お隣の笹葉長屋でも歌ってるの」

「友引娘から身を護る、おまじないの歌なんだって」

「歌ってたら、友引娘が来ないんだって。だからみんな歌ってるよ」

「友引娘? それなーに、怖い怪異かしらん?」


 口々に教えてくれる娘達にお礼の飴玉を渡しながら、丞幻は首をかしげた。揃いの簪をさした頭が一糸乱れず頷く。


「最近出るの、紐を持ってる人は連れてかれちゃうの! 本当だよ、向こうの梅猫長屋のね、かねお婆ちゃんが連れてかれちゃったんだよ、いっつも手首に紐巻いてたから!」

「女の子の姿した怪異なんだって! 紐を持ってる人は友達だって言って、連れてかれちゃうの! だから友引娘っていうんだって!」

「連れてかれたら、頭からばりばり食べられて殺されちゃうんだよ!」

「あらそうなのー。捕まって食べられちゃうなんて、そりゃ怖い怪異だわねえ。じゃあ、ちゃんとおまじないの歌、歌わないといかんねー。教えてくれてありがとうね」


 手を振ると、娘達も手を振って通りの向こうへ駆け去って行く。口々にまた、あの不気味な童歌を歌いながら。


「友引娘……友引娘ねえ……」


 その名を口の中で転がす度に、背筋に虫でも這っているような嫌な感覚が走る。なんとも不快だ。

 丞幻は苦虫を噛み潰したような顔をして、頭をかりかりとかいた。もう影も形も見えない娘達の背を視線で追う。


「どー考えたって、おまじないの歌じゃないわよねー。誰が流行らせたか知らんけど、よくあの子ら、こんな気持ち悪い歌歌えるわー」


 しかし、良い情報は貰えた。この辺りでその友引娘とやらが出るのなら、出るまで張ってみるのも悪くない。


「友引娘の気配が簪と同じだったら、友引娘が犯人……犯怪異? で間違いないだろうしー。違かったらまあ……そん時に考えましょ」


 そうひとりごちながらも、おそねが行き逢ったのは友引娘だろうという直感が丞幻の中にはあった。祓いの力は無くとも、直感は馬鹿にできない。彼はこういう時の己の直感を信用していた。

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