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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:ぶらぶら小舟

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74/193

〇 ● 〇


「頭ァ」

「どうしました、嵐さん」


 いがと殻も一緒に煮た栗の甘露煮を口にしながら、十六夜は背後に現れた嵐に目線を向けた。


「今しがた、夏風と日方(ひかた)から連絡がありましてねェ。作家の兄サン達が、藤南の西雪船着き場に転落したそうですぜィ」

「そうですか」


 ごり、ごり、といがを齧りながら、話の続きを待つ。

 それだけの報告で、嵐は十六夜の食事を遮らない。予想通り、背後に片膝を立ててうずくまった嵐は続けて口を開いた。


「そのまンま、だぁれも浮かんで来ねェってんで周囲が大騒ぎでさァ。ちぃっと様子を見に行ってきたが、どうも異界に引き込まれたようで」

「おや、異界にですか」

「エ。しかも、ちょうど頭が食いたがってた奴の所に、遊びに行っちまったようでねェ」

「ほう」


 それは面白い偶然だ。

 二十年に一度、限られた時しか現れない怪異、ぶらぶら小舟。当時はその存在を知らずに逃してしまったので、随分と悔しい思いをしたものである。

 なのでぜひとも、丞幻達にはぶらぶら小舟を獲ってきてほしいものだが。(ねぎ)をたっぷりと入れた汁物を口に運んで、十六夜は細い眉を歪めた。


「困りましたね。彼らにはまだ、あれを持ってくるよう命を下していません。……気を利かせて、獲ってきてくれればいいのですけれど」

「マ、あの兄サン方に女心が分かる甲斐性があるなら、獲ってくるでしょうよ。駄目だったらまあ、もっかい放り込んで獲って来させますぜィ」

「頼もしいですね、嵐さん。では、よろしくお願いしますよ」


 無言で頷いた嵐が、姿を消す。それに視線を向けず、十六夜は食事を再開させた。

 彼らが怪異に対して、どこまでやれるか。椛御前(もみじごぜん)では失敗したから、試金石にはちょうどいい。

 そこで彼らが狂う、ないしは死ねばそれだけの器ということだ。


「まあ、本当に狂い死んでしまえば、いささか惜しいですがね」


〇 ● 〇


 ぎぃ、ぎぃ、と櫓を漕ぐ音が闇の中に木霊する。

 目を凝らしてみても、闇の奥を見通す事ができない。舳先と船尾に置かれた小さな玻璃竹行灯のおかげで真の暗闇は避けられたが、質量を持った闇の塊が四方八方から小舟を押し潰そうとしているかのような気がして、どうにも息が詰まる。


「……さあて、どうしたもんかしら」


 自分達の周囲に漂う煙の結界の中、丞幻は引っ張られてぼさぼさになった三つ編みを編み直して腕を組む。

 三人まとめて水路に落ちたはずなのに背中に硬い感触を覚え、気づけば小舟に揺られていた。闇と瘴気に包まれた周囲は先ほどまでの船着き場とは、明らかに違う。

 異界に迷い込んだのだとすぐに分かった。

 丞幻と矢凪、怪異慣れしている二人だけならともかく、お葉がいる。異界に来た衝撃で気を失っているので、狭い船上で暴れて転覆する事は避けられたが、ここに漂う濃密な瘴気は、彼女の身体が耐え切れない。

 持っていた煙管で白煙を吐き、自分達の周囲に結界を張っているが、いつまでもこうしているわけにもいかない。この結界は、あくまで煙管内に溜められた霊力を元に構成されている。それが切れてしまえば結界も霧散してしまう。


「最近、結構煙管使ってたからねえ……」


 指に挟んだ煙管をくるりと回す。羅宇に刻まれた細かな文字が、少しずつ消えていくのが見えた。

 きゅ、と丞幻は眉を寄せる。

 羅宇に刻まれている文字は、父親が霊力を込めて刻んだものだ。当然、煙管を使えば霊力と共にその文字も消えていく。

 ここ最近、煙管をよく使っているので文字は半分くらい消えてしまっていた。このままでは、四刻|(八時間)ほどで霊力は全て無くなるだろう。

 それまでに、異界を脱出する術を探らなければ。

 お葉を肩にもたせかけていた矢凪が、船尾を顎でしゃくった。


「あいつをどうにかするか」


 その先には我関せずと背を向け、淡々と櫓を漕ぎ続けている船頭がいる。


「木偶人形を倒したところで、操り手をどーにかしないと意味無いわよ」

「木偶?」

「そ。ほらよく視て。なんかあいつ、空っぽな感じするでしょ?」


 金色の瞳を細めて船頭を注視した矢凪は、ややおいてこくりと頷いた。


「おう」


 あれは、ただの人形だ。この異界の主に操られているだけの人形。例えあれをどうにかした所で、ここから脱出はできないだろう。


「脱出方法が明確に分かってる異界(ところ)だったら、それをすればいいだけなんだけどねえ。参ったわー」

「ここがなんなのか知らねえのか?」

「船と水路が絡んでて、貴墨に現れる異界でワシが知ってるのは、白夜航路(びゃくやこうろ)芥船(あくたぶね)の二つよ。ただ、白夜航路は明るい空の異界だし、芥船は塵の山が乗ってる大船だから、どっちもこことは違うのよね。さっぱり分からんわよ」

「ふーん」


 ちら、と矢凪が船尾に視線を飛ばす。


「あれが人形じゃなかったら、脅してでも聞き出せんのによぉ。……なあ、おい」

「なに?」

「てめぇ、ここの異界の主とやらがどこにいるのか探せねえのか?」

「そういう術を知ってはいるけど、ワシはそれを使えないからねえ。主の気配が強ければ術使わなくても分かるけど、ここのはうまーく隠れてるっぽくて分からんのよ」


 と、丞幻はふと思いついた。


「あ、そうだ。ワシが教えるから、術使ってみる? お前は霊力あるし、頑張ればできると思うけど」

「術なんざ、生まれてこの方使った事なんざねぇよ。そんなんでもできるってのか?」

「やるだけやってみない? こないだカギュー様の所で使ったしるべ鳥も無いから、出口探す事もできないし。いつまでもここで小舟に揺られてるわけにもいかないでしょ。主の場所を特定できれば、そこに直行してぶっ飛ばせるわよ」

「よし教えろ」


 即答であった。なんならちょっと目が輝いている。

 こいつの扱いも慣れたもんだわと思いつつ、術のやり方を手早く教える。そこまで難しくない術だし、失敗したとしても反動が来るわけではない。何度か試せば、一度くらいは成功するだろう。

 意外と真面目な顔でそれを聞いていた矢凪は、丞幻が説明を終えると早速胸の前で指を組み合わせた。

 口を開こうとして、ふと胡乱気にこちらを見る。


呪言(じゅごん)に霊力を込めるって、どうやんだよ」

「お前が手足に霊力まとわせてぶっ飛ばす時と同じ感じよ。多分」

「多分かよ」

「しょーがないでしょ、ワシやった事無いもの。後で笹山殿にでも聞いてみる?」

「あいつに借り作って朝顔百鉢世話すんのは嫌だ」

「前よりだいぶ増えてない?」


 軽口を叩きあった後、矢凪はすうと息を吸い込んだ。目を閉じて、柏手を二つ。鳴り響いた音が暗夜に消える。


「聞こし召せ天翔(あまか)ける神、聞こし召せ地奔(ちはし)る神、聞こし召さば禍物蠱物災物まがものまじものわざもの(すべか)らく示し給え」


 矢凪の周囲を霊力が取り巻く。集まった霊力は風となり、薄茶色の癖っ毛が下から煽られて揺れた。丞幻が様子を見守っていると、眉間に皺を寄せたまま瞑目していた矢凪がついと顔を上げた。


「なんか、よく分かんねえ」

「そうなの? 術自体はきちんと発動してたわよ。一回で成功させるなんて大したもんだわ」

「んん……」


 頭をがりがりかきながら、矢凪はしきりと首をひねる。自分の中の曖昧な感覚を言葉にしようとしているのか、「あー」「うーん」と煮え切らない声を上げた。


「なんつーか、こう……あちこちにいる? 違ぇな……気配がこう、全体的に広がってる? そこにいるけどいねえ? 冷たくてじっとりしてて、どこまでも深く沈んでく感じで……なんだろうな、分かるんだよ、どこにいるかは。俺らの近くにいるんだよ。だけどな、遠くにもその気配があってそれが常に流れるように動いてて……あー、分かんねえ!」

「あー、分かった、分かったわよ。落ち着いて矢凪」


 途中で面倒になったようで、船べりを叩いて怒声を上げる矢凪を落ち着かせる丞幻。

 あちこちにいる。気配が全体的に広がっている。冷たくてじっとりしていて、どこまでも深く沈んでいく。自分達の近くにいるが遠くにもいる。気配が常に流れるように動いている。

 ――兄様、貴墨の水路が……

 矢凪の並べた言葉。昼間、蓮丞が話していた言葉。丞幻は口髭を撫でながら一つ頷いた。成程。


「そゆことね」


 がるがると唸って船頭を睨んでいた矢凪が、じろりとこちらを睨んだ。


「あ? なんだよ、分かったんなら言えや。勿体ぶってんじゃねえ」

「はいはい言うわよ、言うからその拳を引っ込めてちょーだい。多分だけど、この異界の主っていうか、核はこの水路を流れる水だと思うのよね」

「水」

「そう、水。昼間にね、蓮丞が言ってたのよ。水路が生臭いって」


 その言葉と、矢凪が感じた感覚。それを合わせてみれば、この異界を支配する存在は水中に潜んでいるか、あるいは水そのもの。

 気配が全体的に広がっていて、近くにいるが遠くにいる、冷たくてじっとりとしていて、どこまでも深く沈んでいく、というなら水中に潜んでいるのではなく。水全体が異界の核ではないか、という結論が丞幻の中で結ばれた。

 じ、とさざなみ一つ立たない水面を結界越しに睨んで、矢凪が悔しそうに呟く。


「水か。……水はさすがに殴れねえな」

「そうねー。殴れないわねー。諦めましょうねー。大人しくここの脱出方法探り」


 ――り……り……り……り……


 その言葉を遮るように、金属同士が擦れる音が響いた。

 音の方向に、咄嗟に目を向ける。船尾だ。置かれた小さな行灯に下から照らされ、その身をぼんやりと闇夜に浮かび上がらせている船頭。


 ――り……り……り……り……


 微かな金属音は、その船頭から聞こえてきていた。

 矢凪が訝し気な顔をする。


「鈴の音か?」

「そうみたいね。……あ」


 その船頭の奥に鬼灯色の光を見つけて、丞幻は目を凝らした。なんだあれは、行灯か提灯か、それとも目玉か。

 黒い水面を、小舟は一定の速度で進む。あっという間に、鬼灯色の正体が見えた。目を細めた矢凪が、ぼそりと呟く。


「船着き場か?」


 ぎい、と音を立てて小舟が止まった。

 鬼灯色に光る提灯が、粗末な板を組み合わせてできた船着き場の先に下がっている。提灯は明るく、周囲の様子がわずかではあるが確認できた。船着き場の先は、踏み固められた地面になっていた。人が二人並んで歩けるほどの道の左右には、暗緑色の草が生い茂っている。緩やかな上り坂になった道の先は闇に飲まれ、伺い知ることはできない。

 異界である為か、道からは生き物の気配を一つも感じなかった。まるで芝居の書割(かきわり)のように、風景に生気が無い。


「そーみたいね。赤色の提灯が下がってる船着き場なんて、見たこと無いけど。それに……」


 文字が読めない、と丞幻はひとりごちた。

 通常の船着き場であれば提灯に、ここはどこそこの船着き場、と町名が書かれている。貴墨の水路を模しているのか、その提灯にも黒々とした墨で文字が書かれていた。

 しかし、それが読めない。

 文字だということは分かる。しかし、それがどうしても読めない。既存の文字に対して線や払いが多いとか足りないとか、適当に文字らしきものが書かれている、ということではなく。読もうとすればするほど、焦点が滑ってそれが認識できなくなる。


「矢凪、お前あれ読める?」

「目ぇ痛ぇ。なんだありゃあ……」


 顔をしかめ、矢凪が何度も瞬きをして頭を振る。丞幻もぐりぐりと目頭を拳で揉んだ。矢凪の反対側に目をやれば、お葉はまだ気絶している。この分ではしばらく、目を覚ますことは無いだろう。

 降りるか、それとも留まるか。


 ――り……り……り……り……


 こちらに背を向けて棒立ちになっている船頭からは、相変わらず鈴の音が鳴り続けていた。

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