三
玄関から響く勢いの良い声に、丞幻は瞬きを一つした。
「あらま、蓮丞の声だわ。もう来たのね、あの子」
「れんじょ! れんじょー!」
「蓮丞が来たのか。蓮丞、おれだぞ。シロだぞー、陽之戸一かわいいシロだぞー」
嬉しそうに顔を輝かせたアオとシロが、軽い足音を立てて玄関へ走っていく。矢凪が不思議そうに首をかたむけた。
「誰だ?」
「ワシの妹。前に話さんかったっけ? 今は千方国の本家で、鉦白家の当主やってんの」
「へえ」
「意外と早かったわねえ。早くて夕方か、明日くらいに来るんだと思ったけど」
鉦白家の牛車が通っていったと、町中で聞いたのが朝五つ(午前九時)。今はまだ昼前である。
神司方と異怪奉行との打ち合わせを、どれだけ手っ取り早く終わらせたのだろう。まあ、ある程度は綴巻物でやり取りしていて、あとは最終確認だけまで詰めていたのだろうが。
会話を交わしながら、連れ立って玄関へ向かう。
「こらっ、引っ付くな! わたしはお前達怪異と仲良くする気はないんです! それ以上くっつくなら祓いますよ!!」
「なんだ、蓮丞。そんなことはどうでもいいから、みやげをよこせ。みやげ食べたいぞ。陽之戸一かわいいおれが、みやげを欲しいって言ってるんだぞ。みやげくれ」
「れんじょ、れんじょ、おみゃーげ! おみゃーげちょーらい!!」
「ええい、人の話を聞きなさいお前達! 兄様に教わっているでしょう、人の話を聞きなさいと! 本当に祓ってしまいますよ!」
ぎゃおぎゃおと、賑やかな声が鼓膜を貫く。
アオとシロにまとわりつかれた一人の娘が、玄関先で眉を吊り上げて怒っていた。
丞幻と同じ萌黄色の髪をくるぶしまで伸ばし、それを一本の三つ編みにしている。長いまつ毛に縁どられた茶色の瞳は、やや目尻が垂れ下がり柔和な印象を受けた。
色白の肌に赤い唇が目立つ、凛とした花のような娘だ。
小鞠模様の小袖に、風呂敷包みを持った姿は一見してどこにでもいそうな町娘であるが、どことなく顔立ちや物腰には気品が漂っている。
楚々とした様子で通りを歩けば、さぞや人目を惹くだろう。アオとシロに詰め寄られ、垂れ目を吊り上げて怒鳴っている今の姿は、別の意味で目立つだろうが。
丞幻の実妹、鉦白蓮丞である。
年は十八、ちょうど丞幻とは十歳違いだ。
丞幻は、ぱんぱんと手を叩いてシロとアオの注意を引いた。蓮丞の帯と着物を引っ張っていた二体が、くるりと振り返る。
「ほらほら、シロちゃんアオちゃん。ちゃんと蓮丞に、お久しぶりです、ってご挨拶した?」
ぱっ、とシロとアオが蓮丞の着物から手を離した。
一歩下がると、二人並んでぺこりと勢いよく頭を下げる。
「お久しぶりです、おれは元気してました」
「おちしゃしぶいです、オレもげんき! おみゃーげくだしゃい!!」
「……」
頭を下げたまま、ばっと両手を差し出すシロとアオ。諦めたように息を吐いて、蓮丞は風呂敷包みの中から油紙の包みを二つ取り出した。
「ほら、お前達の好きな立花屋の紅花林糖です。こちらでは中々手に入らないから、大事に食べるんですよ」
「あじゃじゃます!!」
「ありがとう。やっぱり蓮丞は、丞幻と違ってやさしいなあ。さすが鉦白家の当主だ」
弾けるような笑顔を浮かべ、包みを抱きしめて礼を言った二体はぱたぱたと廊下を駆け去って行く。
それを見送って、丞幻は改めて蓮丞に声をかけた。
「久しぶりね、蓮丞。元気してた?」
「……」
笑顔で手をひらりと振る。
それに答えず蓮丞は、ひどく真剣な顔で丞幻の身体を上から下まで眺め回した。
「兄様。……それ、どうしたんですか?」
それ、と蓮丞が目線で指したのは、頬の火傷痕だ。
「これ? 昨日、外で焚火してたんだけど、風がワシの方に吹き付けてきて火傷しちゃったのよー」
火傷痕に触れて、あっはっは、と笑う。あの女の目がどこで光っているか分からない以上、この場で蓮丞に馬鹿正直に理由を話すことはできない。
適当に誤魔化すと、じとっとした眼光が突き刺さった。
「……本当ですか?」
「本当よー。ねえ矢凪」
話を合わせろ、と蓮丞に見えない位置で矢凪の脇腹を小突く。
「あ? おう」
「……」
なおも疑うような視線を向けていた蓮丞は、やがて唇を尖らせて「分かりました」と呟いた。
「まあ、兄様が言うならそうなんでしょうね」
長い萌黄の三つ編みを揺らし、蓮丞は改めて頭を下げた。顔を上げ、ふにゃりと嬉しそうに笑う。
「では改めて。お久しぶりです、兄様」
「はい、お茶よー」
話の場所を客間に移して三人輪になって座り、丞幻は茶を出した。
本来であれば客である蓮丞が上座に座らなければいけないのだが、「なんで可愛い妹を、そこいらの客と同じ扱いするんですか。嫌です嫌です兄様の隣に座るんです」と駄々をこねたので車座である。
ちなみに茶は番茶だ。蓮丞が土産として持ってきた、皮も果実も紅色の紅花梨を砂糖漬けにした紅花林糖には、これが合うのだ。
矢凪が目線で酒を出すよう訴えてきたが、無視して茶を置く。
「……おい」
「ほらお茶美味しいわよー。おかわりもあるわよー。これはお茶と一緒に食べる方が美味しいからねー。なんなら瓢箪にお茶入れてお酒気分味わわせてあげましょうねー」
「やめろや。俺の瓢箪が茶ぁ臭くなる」
「いーじゃない、お茶とお酒混ぜて飲むのも美味しいのよ?」
瓢箪を取り合って大の大人二人がもちゃもちゃしていると、矢凪に目を向けた蓮丞がことんと首をかしげた。
「兄様、そちらの方が助手ですか」
「そうよー、ってこら蓮丞。お前また胡坐かいて」
「正座より楽なんですもん」
小袖の裾を大きく割り開き、胡坐をかいた蓮丞は唇を尖らせた。白い膝小僧から下が、惜しげもなく露わになっている。
丞幻は手を伸ばし、蓮丞の膝を軽く叩いた。
「おやめ。せめて下になんか履きなさい」
「足になにかがまとわりついてるの、気持ち悪くて嫌なんです」
できれば裾を短くばっつり切った着物を着たいです、とぼやく蓮丞。
「はいはい。まあ、お前の生足に魅せられる奴はここにいないし、別にいいけど。他の人の前ではしないのよ」
ふふん、と蓮丞は自信満々に胸を張った。
「ご安心ください、兄様。この蓮丞抜かりはありません。外でのわたしは、『可憐で清楚で万人への慈愛溢れ、下への気配りを忘れず謙虚で慎み深い若き鉦白家当主』として通っておりますから」
それはもはや別人である。
「……やっぱてめえの妹だな。言ってる事がそっくりだ」
ひそひそと、囁いてくる矢凪に苦笑を返す。こほんと咳ばらいをして、矢凪に掌を向けた。
「じゃあ、紹介するわねー。蓮丞、こっちがワシの助手で矢凪。万年仏頂面だけど、悪い奴ではないのよ」
「ん」
「初めまして」
軽く会釈する矢凪に、蓮丞も会釈を返した。次いで蓮丞に掌を向ける。
「矢凪、こっちはワシの妹で蓮丞。鉦白家の当主をやってるの。自信家で謙虚とは程遠いけど、良い子よ」
「兄様に陽之戸一愛されている蓮丞です、よろしくお願いします」
「おう」
互いに挨拶を終え、蓮丞が「それで」と話を切り出した瞬間。
「れんじょー! れんじょ、あしょぼー! かくれおに、かくれおにちよー! しょんでね、きのぼりとね、ちゃけうまとね」
「すごろくもだぞ、あとなあとな、絵合わせしよう、絵合わせ! こないだは負けたが、今日はおれがかつからな」
襖を物凄い勢いで引き開けて、アオとシロが飛び込んできた。手に手に、人形や双六など、玩具を大量に抱えている。
あらまあ、と丞幻は頬に手を当てた。矢凪が花林糖をかじりながら、ぱちくりと瞬きをする。
「なんですか! わたしは今から、兄様とお話があるんです。お前達はあっちに行ってなさい!」
「やだ! だってどうせ、いつもみたいに明日には帰るんだろ。だったら今、おれ達と遊べ。丞幻との話なんか後にしろ」
「しょーだ、あしょべ!」
シロとアオは山と抱えた玩具を蓮丞の膝に置いて、左右から肩を掴んで楽しそうに揺さぶった。
蓮丞がきっ、と眉を吊り上げて怒鳴ってもお構いなしだ。むしろ、蓮丞が怒れば怒るほど、きゃっきゃと楽しそうに笑っている。
「やめなさい、今日は時間があるんです! 後で遊んであげますから、今はあっちに行ってなさい!」
矢凪が息を一つ吐いて、立ち上がった。
「おい、ちび共。こいつぁ兄貴と話があんだから、こっち来い。遊んでやる」
蓮丞の背中に、糊のように貼りつくシロとアオを引き剥がして抱え上げ、矢凪が部屋を出て行く。「たけうまー!」「すごろくー!」という声が遠ざかっていった。
散々引っ張られて乱れた着物を直し、膝の上に山盛りになった玩具を丁寧に畳にどかして、蓮丞がむくれた顔をこちらに向ける。
「もう、兄様。ちゃんとあの二体を躾けてください」
「ごめんねえ。シロちゃんもアオちゃんも、お前の事がだーい好きなのよ」
「鉦白家の当主が好きな怪異なんて、聞いた事無いです」
そう言ってそっぽを向き、むくれたままの蓮丞だが。
散々文句を言いつつも結局遊んであげて、お土産なんかも忘れずに渡す所が、二体に懐かれる要因だという事には気づいていないらしい。
「……兄様の助手、怖そうに見えましたが良い方ですね」
助かりました、と呟く蓮丞に、頷く。
「でしょ。ちび達ってばすっかり懐いちゃってねー。嫉妬するわ、もう」
「あ、それで思い出しました。兄様、これが頼まれていた守り紐です」
掌に乗るくらいの、朱色の布包みを蓮丞が取り出す。受け取って包みを広げると、青と白、二色の紐で編まれた髪紐が乗せられていた。
「……これ、どんだけ力込めたの? すっごい痺れるんだけど」
掌に乗った守り紐からは、清浄な霊力の波動が脈打つように伝わってくる。その強さに、びりびりと指先が痺れた。
羽のように軽い紐なのに、とてつもない重さの石を持っているかのような感覚がする。丞幻は思わず顔をしかめた。
「家の文献を当たったのですが、生餌の中には神をも惹きつけた結果、神隠しにあった者もいるそうです。ので、怪異避けというより生餌の匂いや気配を抑えるお守りにしました」
「そうなの。ありがとねー、蓮丞」
「あ、怪異避けの術もしっかり編み込みました。生餌の気配を抑える術の方を強くかけたので、そっちはあまり強力なものにはできませんでしたけど。でもまあ、丁程度の弱い怪異なら触っただけでぱぁんしますよ」
「ぱぁん」
思わず反復した丞幻に、蓮丞は頷いた。
「ぱぁんです」
あ、もちろんあのちび二体には効かないように調整していますから、大丈夫ですよ。
涼しい顔で事も無げに言う妹に、丞幻は頬を引きつらせた。
「簡単に言うわねえ、お前」
「それほど難しくはないですよ、ちび二体の瘴気の気配はよく知っていますから、それを術に組み込みつつ霊力を込めて……」
にこにこと笑いながら、解説する妹。
怪異の瘴気を術に組み込み、お守りの効果から排除する。言うだけなら簡単だが、実際にやれと言われればほとんどの術者ができないだろう。
お守りに込める霊力と、怪異の瘴気とを反発させずに上手く融和させるのは難しいのだ。酒と泥を混ぜて、美味しい料理を作れと言われているようなものである。
それを「難しくはない」と言うとは相変わらず、非凡な妹だ。
「れーんじょう」
一瞬だけよぎった羨望を振り払って名を呼ぶと、弾ける笑顔がこちらを向いた。
「はい、兄様!」
「お前、これからの予定は? 特に無いなら、昼餉でも一緒に食べに行かない?」
「今日一日は、特に何もありませんよ! なぜならわたしが持てる権力全てを使って、今日あった予定を全てねじ伏せましたから!」
「ねじ伏せちゃったの」
「はい。ただ……そのせいで明日から帰る日まで、ぎっちぎちに予定が入ってしまいましたけど……」
しょんぼりと、眉を八の字にして肩を落とす。
今日の予定を全部明日以降に回したからだろう、とは思ったが口には出さない。
数多ある予定でぎちぎちの中、合間を縫ってちょこちょこ会うよりも、まとまった休みを取ってたっぷり遊んだ方がいいと思うのは、丞幻も同じだ。
とん、と丞幻は拳で己の胸を軽く叩いた。
「よしよし。じゃあ可愛い妹が頑張ったから、昼餉はワシ奮発しちゃうわよー。どこがいいかしらねえ、春駒屋の天婦羅でも食べる? お前、あそこの天婦羅好きだもんねえ」
「わあ、ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべた蓮丞だったが、ふと表情が曇った。
「そうだ、兄様。お気づきでしたか?」
「ん、なにが?」
「貴墨の水路がおかしいです。なにか、嫌なものが溶けているような、そんな気配がしました」
真剣な瞳で告げたその顔は、鉦白家当主としての顔だった。




