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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
小話

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真夜中虫退治

NOホラー回、YES虫回

「たぁだいまー」


 玻璃竹行灯にかかっていた布を取り払えば、玄関内が白く照らされる。どっかと上がり(かまち)に腰かけ、膝にアオを乗せた丞幻が後ろに手をついて天井を見上げた。


「あー、色々ほんとにつっかれたぁ……」


 確かに、と矢凪も内心頷く。

 朝から笠村(かさむら)座の芝居見物に行き、馬走(うまばしり)競馬(せりうま)を観戦し、折角だからと泡咲(あわさき)海岸まで足を伸ばして綺麗な貝殻を拾って水遊びをし、新鮮な魚介を出してくれる店で夕餉を食い、銭湯で汗を流して帰ってきたのだ。

 流石の矢凪も丞幻も、体力がほとんど残っていない。気を抜けば瞼が閉じそうになり、何度も欠伸が出てくる。布団に入れば二秒で眠れそうだ。


「……うみゅ」

「むー……」


 大人二人がこうなのだから、全力で遊んだちび達は既に燃料切れである。

 夕餉の時から舟を漕ぎ始め、銭湯で何度も沈みそうになり、帰途に着くころにはすっかり寝入ってしまっていた。部屋に布団を敷いて、熟睡している二体を寝かせる。

 簡単に就寝の挨拶をして、矢凪は自室に戻った。

 布団を敷くのも面倒臭い。このまま寝てしまおう。ちょうど出しっぱなしの座布団もあるし、あれを枕にすれば良い。

 と、横になろうとした矢凪の視界の隅を、なにかが横ぎった。


「……っ!?」


 眠気が一瞬で吹き飛ぶ。心臓がばくんと跳ね上がった。

 今、なにか、いた。一瞬だったが、見えた。部屋の壁伝いに動くものが、見えた。自分の動体視力が恨めしい。

 待て、待て、待て。なんでだ、なんで奴がいるんだ。しかもなんで俺の部屋に。ふざけるなくそ、丞幻の部屋にいればいいのに。いや待て見間違い。糸くずかなにかを見間違えた可能性がある。

 自分を精一杯誤魔化して、矢凪は大きく深呼吸した。

 見たくない、見たくないのだが、正体を確かめないと寝るに寝られない。奴と屋根を同じくして寝るなら、百足に口付けた方がマシだ。


「……」


 強張る身体をぎしぎし動かし、部屋の隅に目を向ける。

 そこに、死んでも見たくないうぞうぞとしたものを見つけてしまい――矢凪は魂の底から絶叫した。



「えっ、なに、なになにどしたの!?」


 ひねもす亭全てに響き渡る絶叫に、布団に潜り込んでいた丞幻は飛び起きた。

 聞こえた絶叫は矢凪のものだ。ついでにどたどたと、隣室から暴れるような物音が聞こえてくる。

 なんだ、どうした。なにがあった。


「どしたの、矢凪! 怪異でもい……た……?」


 慌てて丞幻は、単衣(ひとえ)のまま矢凪の部屋の襖を開けた。行灯が横倒しになり、座布団が投げ出されているだけで誰もいない。

 あら? と首をかしげて丞幻は何の気無しに天井を見上げる。

 天井の隅に、矢凪が忍のように張り付いていた。


「うっわ!? えー……びっくりしたぁ。お前なにしてんの」


 隅の暗がりで金の瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、猫のようにふーふー唸っている姿は、はっきり言って怖い。それに手を差し伸べて、ちっちっち、と丞幻は舌を鳴らした。


「ねえー、どしたの。そこにいないで下りてきなさいよ」

「……」


 ぶんぶん、と激しく首が横に振られる。


「そこ、そこ」


 強張った顔で、そこ、と丞幻の背後に視線を向ける矢凪。いつになく必死だ。


「そこ?」


 背後を振り返る。

 部屋の隅に、丸い玉を十個ほど連ねたような姿の白い芋虫が一匹、うにうにと動いていた。その長さ、およそ三寸|(9センチ)。


「ちょっ、うそぉ!?」


 反射的に近くにあった座布団を掴み、それに向かってぶん投げる。

 その途端。芋虫の身体がくの字に曲がったかと思えば、丞幻目掛けてぴょーんと跳んできた。


「ぎゃああ跳ねたああ!」

「なにしてんだてめええ!!」


 悲鳴を上げ、慌てて身を(かわ)す。天井から降ってくる怒声に肩をすくめ、丞幻は懐から懐紙(かいし)を取り出した。畳を這う芋虫にそぉっと近寄り、一気に懐紙を被せて掴み上げる。


「ああああ気持ち悪いいいい!」


 懐紙の中でぐにぐに蠢く感触に鳥肌を立て、窓を開けて紙ごと外へ放り投げる。


「ううううう」


 腰の辺りに手を擦りつけ、掌にまだ残っている感触を追い払う。

 その時点で、ようやく矢凪が天井から下りてきた。畳に着地するやいなや血相を変え、丞幻の胸倉を掴み上げる。


「なんっで、ミツユビトビグモの幼虫がいんだよ! ふざけんな、俺ぁあれが一等(きれ)えなんだよ、殺すぞ!」

「そんなんワシだって一緒よ! どっかから入って来たんでしょ!」

「どっかってどこだよ! 探せよ殺すぞ!」

「どっかからよ!!」


 悲鳴のような声で叫ぶ矢凪に、丞幻も叫び返す。

 ミツユビトビグモ。陽之戸不快害虫番付で殿堂入りに位置付けられている、陽之戸一の嫌われ虫である。

 成虫は蟻に似ているが、その身体は大人の掌ほどの大きさもある。雌は腹部分が饅頭のように膨れているのが特徴だ。十分それだけで気持ち悪いのだが、雌の習性がまた、気持ち悪さに拍車をかけている。


「とにかく、とっとと雌見つけて潰しちゃわないと。でないとあっちこっちの隙間に幼虫産み付けられるわ」


 矢凪の拳が頬を(えぐ)った。


「いったああ!? なにすんの急に!」

「気持ち(わり)ぃこと言うんじゃねえよ、殺すぞ!」

「んっふふふ……お前さっきから語尾に『殺すぞ』って付いてるわよ」


 思わず笑いながら、殴られた頬をさする。

 ミツユビトビグモの雌は、腹の中で卵を(かえ)す。そうして孵った幼虫を、木の割れ目に産み付けるのだ。

 その為、家に侵入してきたミツユビトビグモは、壁の割れ目や押入れのちょっとした隙間に尻を差し込み、幼虫を産み付ける事が多々あるのである。成虫は肉食だが幼虫は木を食うので、家にいてもらっては非常に困るのだ。なお、腹に幼虫がいる状態で雌をひっくり返すと、腹の中でもぞもぞする幼虫がうっすら透けて見える為、気持ち悪い事この上ない。

 ちなみに、幼虫は跳ぶ。飛蝗(ばった)のようによく跳ぶ。ので、迂闊(うかつ)に近づいたり叩こうとしたら、自分の方に跳ね飛んできたりして、阿鼻叫喚の騒ぎが巻き起こる。さっきのように。


「ミツユビトビグモが一回に産むのって、何匹だったかしらん。五、六匹くらい?」


 さっき一匹外に出したので、あと四匹近くは我が家に奴の幼虫がうにうにしているかもしれないわけか。最悪だ。


「とりあえず矢凪、二手に分かれて幼虫探し」


 言いかけた丞幻の頬が良い音を立てて鳴った。


「ざっけんなよてめえ! 俺を一人にする気か!」

「……そーいうのは、もっと色っぽい年増に言われたいもんだわ」


 したたか打たれた頬に手を当てて、丞幻はため息を吐いた。



 さて、そうして疲れた身体に鞭打って、夜半のミツユビトビグモ退治と相成ったわけなのだが。


「そこ!! そこにいるじゃねえか!」

「えー、どこよ。見間違いじゃない?」

「いるだろうが殺すぞ! そこの戸の隙間に頭ぁ突っ込んでんのが見えねえか!!」


 よく見れば鏡台の後ろに置いた長持ちの更に奥、押し入れの戸が少し開いている。そこから中に潜り込もうというのか、玉が連なったような白い身体が左右にもぞもぞと振られていた。


「よくまあ、こんな見っけにくいの見つけたわねえ、お前」


 長い箸をかちかちとさせて、幼虫をつまむ。途端に激しく暴れるそれを逃がさないようにしっかり力を入れ、窓の外に放り捨てた。


「うう……あの暴れた時のぐねぐねした感触が嫌なのよねえ……」

「そうだ。おい丞幻、アオゲラ屋ぁ呼べ、アオゲラ屋!」


 断固として部屋に入ろうとせず、廊下で足を踏み鳴らし、必死の形相で叫ぶ矢凪に丞幻は肩をすくめた。


「夜四つ|(午後十時)じゃあ、けらつつきは雛と一緒に巣の中よ。鳥目に虫が見えるわけでもなし、諦めてちょーだい」


 主にミツユビトビグモを専門に退治するアオゲラ屋は、「けらつつき~、けらつつき~」と歌いながら町を歩く。頼もしい連中であるが、流石に夜半は勤務外だ。


「ほらほら、次の探すわよ。別に、嫌ならワシだけで退治するから、お前寝てても」


 矢凪の拳が唸りを上げた。


「それで俺が寝てる所に奴が出たらどうすんだ! てめえが駆けつけて退治してくれるってのか、えぇ!?」

「ねえ頼むから落ち着いて矢凪! 一々ワシを殴んないで!」


 早く幼虫を駆除してしまおう。さもないと顔が、南瓜(かぼちゃ)のようにぼこぼこになってしまう。



 廊下から(くりや)に向かって、矢凪が声を張り上げる。


「そこ!! そこにいるっつってんだろうが捕まえろ丞幻てめえ早くしろ!」

「えぇ? どこよ、どこ」

「あああぁ動いたああぁぁぁ!!」

「ぶふっ!」


 裏返った悲鳴を上げる矢凪に、丞幻は思わず噴き出した。


「んっふふふ……お前、いつもと性格違うわねえ。……あ、いた」


 厨に置かれた水甕(みずがめ)の影で動いていた幼虫を捕まえて、勝手口から外に放り出す。

 しかし、よくこんな薄暗い中でじっとしていた幼虫を見つけられたものだ。嫌いなものほどよく見えるという奴だろうか。

 正直、丞幻もミツユビトビグモは嫌いだし触りたくもない。昔々のその昔。まだ初々しく愛らしかった幼少時分に葛籠(つづら)を開けようとした瞬間、蓋にかけた指に走った「むにゅる」という気色の悪い感触はいまだに忘れらない。

 (よわい)三歳、丞幻は絶望という感情を知ったのである。

 であるから、本当であれば人任せにしたいのだ。しかし矢凪は今回、騒ぐだけで使い物にならない。ちび二体は騒ぎなどものともせずにぐっすり寝ついていた。

 ちなみに、「真白ちゃん、蒼一郎ちゃん、ミツユビトビグモ退治手伝ってくんなーい?」と真白達の方に頼んでみたが、「俺は寝る。ミツユビトビグモは嫌いだ」「オレ、あんまあいつ好きじゃねえんだよなあ。食っても美味くねえし」と一蹴された。

 ので、丞幻がやるしかないのである。


「あーあー、もう。こういう時ばっかり家長を頼るんだからねえ」

「いいから、早く捕まえろ! でねえと眠れねえだろうが!!」


 俺は寝てえんだ! と怒鳴る矢凪に、ワシもよ! と丞幻は怒鳴り返した。


「だからお前も手伝いなさいよ!」

「嫌だ! 触りたくねえ見たくねえ!」

女子(おなご)じゃないんだから、今だけ我慢しなさいよ!」

「今だけ俺ぁ女子でいい!!」

「おっまえ……」


 本当に嫌なのねえ、としみじみ丞幻は呟く。

 その後も広い屋敷を探し回るが、他に幼虫は見当たらなかった。それこそ押し入れの天袋から、普段入らない部屋の隅々まで見て回ったのだが、白い幼虫も成虫も見当たらない。

 自室の前に戻って来て、丞幻は背中にしがみ付いている矢凪を振り向いた。


「ほら、もういないんじゃない? 多分あの三匹だけだったのよー。成虫も産むだけ産んでどっか行っちゃったのね」

「うるるるるる」

「お願い矢凪、人間の言葉を思い出して」

「ぐるるるるる」


 ミツユビトビグモを警戒するあまり、野生に返ってしまった矢凪は獣の唸り声を上げている。


「ねー、もう眠いし寝ましょ。ほらほら矢凪、部屋戻って寝ちゃいなさいって」

「……」


 唸りながらも、矢凪は丞幻の背中からそろりと離れて、自室へ戻った。

 ぱたん、と襖が閉じる音に、よしと頷いた。ひとまず落ち着いてくれたようで何よりだ。明日、念のためにアオゲラ屋に来てもらって残りがいないか見てもらおう。

 夏の終わりから秋にかけてが奴の繁殖期だから、虫よけの薬も撒いてもらえば大丈夫だろう。


「うみー……どちたの?」

「あらアオちゃん、どしたの」


 よろよろてちてちと、青い子狼が廊下の向こうから歩いてくる。

 (かわや)だろうか、と見下ろした丞幻は、アオの口がもごもごと動いていたのを見た。……口の端から飛び出た虫の足のようなものが、動きに合わせて揺れている。

 ひくり、と丞幻は口元を引きつらせた。


「……アオちゃん、ワシそんなお夜食用意した覚えないんだけど……?」

「おっきいむちいたの、たべちゃの!」

「あ、そう……お腹大きい虫さんだった?」

「う! おにゃかぽんぽんしゃんだった!」

「あ、そう……」


 成虫のミツユビトビグモは、哀れアオの腹に入ってしまったらしい。まあ食物連鎖ということで、勘弁してくれ。

 廊下に片膝をついて、丞幻は人差し指を唇に当てた。


「……アオちゃん、そのこと、矢凪には内緒よ」

「う? にゃんで?」

「矢凪ねえ、その虫さん嫌いなの。アオちゃんがそれ食べたって知ったら、嫌われちゃ……」


 頭上から痛いくらいの視線を感じて、丞幻とアオは視線を上げた。

 襖の隙間から、じっ……と矢凪がこちらを見下ろしている。瞳が氷のように冷たい。


「……」


 思わず黙して見上げる中、たん、と鋭い音を立てて襖が閉まった。


〇 ● 〇


 その後。


「矢凪、矢凪! だっこ、だっこー! にゃんでだっこちてくれにゃいの!!」

「おい、おい矢凪! なんでアオを抱っこしないんだ、かわいそうだろ」

「うるせえ」

「あー……」


 数日ほど、断固としてアオに近づこうとしない矢凪の姿が見られた。

※ミツユビトビグモは私の夢に出てきた虫です。モロに描写した通りの外見をした虫でした。

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