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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
儀式:椛温泉の札納

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63/198

 血飛沫を上げて倒れる矢凪の前。太ももの辺りをとんとんと指で叩きながら、一、二、と黒装束が数を数え始める。

 その間に、アオは駆け寄り割って入った。

 両足をしっかと踏みしめ、天を仰いで遠吠えを上げる。小さな身体から瘴気が噴き出して、周囲を半円状に覆った。黒い霧のように上空を漂うそれを見上げて、黒装束が面白そうな声をあげる。


「へェ。やるなァ、ちびコロ。他の怪異が入って来れねェようにしたかァ」

「う! 矢凪、おいちいにおいしゅるでしょ? だからオレ、ちゃんとまもりゅの! 丞幻とシロにいわれたの!」


 ふんす、とふわふわな毛に包まれた胸を張って、アオは尻尾をぱたぱたと振った。

 守り石で生餌の気配自体を抑えてはいるが、血の臭いというのはひどく濃厚だ。守り石程度では誤魔化せない。事実、噴き出した芳香に惹かれて、怪異の気配があちこちから感じられた。

 アオの瘴気はこの山の何より強い。それでここら一帯を覆ったので、他の怪異は入って来られないだろう。

 黒装束を見上げて、尻尾を千切れんばかりに振った。


「オレ、ちゃんとやたでしょ、ほめて!」

「俺じゃなく、後ろの兄サンに褒めてもらいなァ」

「う?」


 ことん、と首をかしげる。


「にゃんで? だってオマエ、矢凪のちかりゃ、じぶんでたちかめたいんでしょ? 怪異がいちゃら、ちゅうちゅ……しゅーちゅーできなっでしょ? だから、ほめて。オレ、ちゃんとやたでしょ!」


 まあその辺は全て、蒼一郎が言っていた事だが。

 覆面の下で、ぱちりと目が瞬くのが見えた。一拍置いて、笑声がくつりと響く。


「ほーォ。ちびコロのくせに、よォく分かってんなァ。偉ェ偉ェ」


 くつくつ、と笑う黒装束の前で、矢凪は飛び起きた。

 黒装束の懐に転がるように飛び込み、顔面目掛けて頭突きを食らわす。加減無しの全力だった為、己の頭もくらりと揺れた。


「うぉ……っとォ……?」


 額を片手で押さえ、黒装束が後ろへよろめく。さすがに少しは効いたか。


「てめぇはなに、敵と暢気にお喋りしてやがんだ!」


 濁った咳と共に血を吐き、矢凪は足下のアオに怒鳴る。アオはぱちくりと真っ青な瞳を瞬かせた。


「う? ほめてもりゃうの!」

「後で褒めてやっから下がってろ!」

「う!」


 耳をぴこっ、と揺らしてアオが大人しく下がる。まとっていた蔦模様の着物を脱ぎ捨てて、矢凪は鼻筋を伝い落ちる血を舐めとった。

 体勢を立て直した黒装束が、顎を指先でつまむ。


「蘇生まで八……いやァ、五秒ってとこかァ。兄サン、寝たフリしてたもんなァ」

「……」


 ばれていた。アオと話している間、隙が無いかと伺っていたのだが。ほのぼのと話しているように見えて、ちっともこの男は隙を見せない。

 もう面倒になって、頭突きをかました矢凪である。


「治癒より蘇生の方が早ェたァな。普通は逆な気もするが、マァいいさね」


 ふむ、と満足そうに黒装束は何度も頷いた。


「マ、これくれェできりゃァ、合格、合格。ウチに入った後もしばらく()()そうだなァ」

「はぁ!? なんの話だ、てめぇ!」


 矢凪は声を荒げる。さっきから、こいつがなにを言っているのかさっぱりだ。戦い自体は楽しいのだが、こいつがうだうだと、訳の分からない事を言うのが気に食わない。もういいとっととぶちのめそう。

 顔面目掛けて拳を飛ばす。それを掌で受け止めた黒装束の腹に、同時に放った拳をめり込ませる。まともに入った。たたらを踏んだ黒装束の右脇腹に膝を蹴り込むが、寸前で躱された為に装束を掠めるだけに留まった。


「っと……流石に戦いが好きなだけあるなァ。時に兄サン、ちったァ俺の話を聞いちゃァくれねェか?」


 体勢を立て直し、頭をかく黒装束。矢凪は吐き捨てた。


「てめえの話ぃ聞く義理はねぇなぁ!」


 眼前で跳躍。回転しながら踵落としを繰り出すが、回避される。地に踵がめり込み、落ち葉と土が舞い上がり視界を覆う。閃光。土煙を斬り裂いて風切り音が首に迫る。左腕を咄嗟に掲げ防御。手の甲の下が真一文字に切り裂かれた。浅い。問題無い。気配目掛けてその左腕を横薙ぎに振るうと、黒い影が背後に飛びすさる。

 ゆるりと立ち上がった黒装束が片手に持った苦無が、くるりと指で回される。側面を流れる矢凪の血が、飛沫となって散った。

 お座り状態で戦闘を観戦していたアオが、ぴょこんと立ち上がった。わうっ、と一声吼える。


「矢凪! 矢凪! あいちゅのもってるあれね、へんなにおいしゅる!」


 変な臭い。毒か。動けなくなるのはまずい。

 即断即決。矢凪はくわりと口を開け、傷口に噛みついた。力任せに己の肉を噛みちぎり、足元に捨てる。血が噴き出すのも構わず、切り裂かれた辺りを重点的に肉ごとえぐる。

 額に手を当てて、黒装束は頭を左右に振った。


「あーあーあーあー、毒の効きも知りたかったが、しょうがねェなァ。……しかし、ほんっとにテメェの身体を大事にしねェ兄サンだなァ」


 その身体ァ自分一人のモンじゃァねェんだぜィ、と続ける黒装束。矢凪は肉片を吐き出すと拳で口を拭い、それに冷笑を返した。


「話聞く義理はねぇって言ったぜ」

「……しょうがねェなァ。んじゃあ、作家の兄サンによォーく言って聞かせてもらいねェ」

「あ?」


 片眉を跳ね上げ、矢凪は男をねめつけた。


「なんでてめぇ、あいつを知ってんだ」


 いやそもそも、今の今まで頭からすっぽ抜けていたが。一体全体こいつは何者なのだ。

 苦無、撒菱、黒装束とくれば忍なのだろうが、なぜ忍が椛御前を箱から出して襲い掛からせようとしたり、矢凪の力を試すような真似をする。

 黒装束が苦無を収め、ひょいと肩をすくめた。


「マ、兄サン達にゃァ前々から興味があってナァ。ウチで働いてもらおうと思って、ちぃっとばかり調べさせてもらったのさァ」

「はちゃらく? どこでー?」

「断る」


 能天気に首をかしげるアオと、何も聞かずに一言で切り捨てる矢凪。対照的な反応の二人にくつりと笑って、黒装束が肩をすくめてみせる。


「そう言いなさんな、兄サン。お前が()()()()()よりは、ウチは気楽だぜィ」


 矢凪は瞠目(どうもく)した。我知らず息が詰まり、黒装束を凝視する。……こいつ、どこまで知っている。

 アオがこてんと首をかたむけた。


「まえ?」

「なんだちびコロ、知らねえのかァ。この兄サンはナァ」

「うるせえ!」


 言葉を続けようとする黒装束に、矢凪は怒号諸共足元の石を蹴りつけた。矢のような速度で飛んだそれを、首を軽く曲げて回避し黒装束は両手をひらひらと振る。


「はいはい、悪ィ悪ィ。もう言わねえから、許してくんなァ」

「……てめぇ、どこの手のモンだ」


 黒装束の言った「前にいた所」というのが、悪縁あってしばらく居た盗人一味の事を指しているのだと、矢凪は直感した。それを知っているのなら、この男も貴墨の闇に属する盗人一味の手の者だろう。

 仕える者を失い、盗人に身を落とす忍崩れがいるとは聞いた事がある。


「ま、作家の兄サンが承諾したら、兄サンもウチで働く事になるんだから。ちっとは仲良くしようぜィ」


 軽い調子の言葉に、は、と思わず嘲笑が漏れた。


「あの阿呆が、てめぇみてえに怪しい奴とホイホイ手ぇ組むタマかよ」


 あいつは、丞幻は自分が好きなものしかやらない質だ。嫌いな事は死んでもやらない。どんな交渉をしているのか知らないが、そう簡単に丞幻が頷くとは思えなかった。

 そしてそんな事は、矢凪にとってはどうでもいい。

 肉が盛り上がり、すっかり傷の癒えた左手を握り込んだ。


「てめぇは殺す。どこまで知ってんのか吐いてもらうからな」

「……んっとにしょうがねェ兄サンだなァ」


 目元に険を宿らせ、腰を軽く落として半身になる。黒装束はあくまで自然体のまま、指先でくるくると苦無を回した。

 互いの間でぎしぎしと空気が軋み、目に見えない火花が散った。矢凪の背後で座るアオが、二人に視線を向けて尻尾を振る。

 緊張感が限界まで高まったその時。ぴぃ――――…………と、二人の間を鳥の声が駆け抜けた。


「おっとォ。悪いなァ、兄サン。もう終わりだぜィ」

「はぁ!?」


 胡乱な声を上げると同時。一瞬で矢凪とアオの視界から音も無く、黒装束が消えた。周囲を見渡すが、紅葉の赤が広がるばかりで、あの目立つ黒い影はどこにも見当たらない。

 ちっ、と矢凪は舌打ちをした。

 くそ、逃げられた。流石に忍だけあって、動きが速い。

 ちょこちょこと近寄ってきたアオが、不思議そうに鼻をひくつかせている。


「おいアオ、あいつの臭いは?」

「う、う? ……あいちゅのにおい、にゃいよ?」

「てめぇの鼻、騙くらかせんのか。大したもんだな」


 狼、しかも怪異の嗅覚を誤魔化せるとは。思わず感心してしまった後、ふと首を捻った。


「……つうか、なんで急に退いたんだ、あの野郎」

「うーっとねぇ、えっとねえ。おっきいオレがね、『多分、丞幻の方でなにか動きがあったんじゃねえかなあ』っていってう!」

「丞幻の?」


 アオはこくこくと頷き、尻尾を振った。


「う! 『作家の兄サンの交渉が終わるまでは付き合ってやるかァ、ってさっきぼそっと言ってたぞー』って! おっきいオレがいってうー!」


 ぴく、と矢凪は片眉を動かした。そういえば、丞幻と交渉をしていると言っていたか。

 澄んだ青空が、橙色の衣をまとおうとしている。それを睨んで、矢凪は低く呟いた。


「……帰るぞ」


〇 ● 〇


 血のような夕焼けが、障子から差し込んで室内を照らす。それが先ほどまで四方を覆い尽くしていた忌々しい炎にも似て、丞幻はそこから視線を反らした。

 流れる川音が聞こえるほどに、室内は静寂があふれている。多量にあった膳は全て片付けられ、先ほどまでのあれこれが夢のようだ。

 障子べりに肘をついて広げた手のひらの上に頬を乗せ、ぼんやりと視線を彷徨わせていると。


「じょーげん……」

「なぁに、シロちゃん」


 蚊の鳴くような声で名を呼ばれた。

 頬杖をついたままそちらを向けば、シロが大きな瞳一杯に涙をためて正座している。膝の上で握りしめられた手が小刻みに震えていて、丞幻は慌ててそちらに膝立ちで近寄った。


「どしたの、どしたのシロちゃん。よしよし泣かないの、ね? 大丈夫よー、もうあいついないからね、怖い思いさせてごめんねえ。よしよし、ちょっと待っててね。美味しい羊羹買って来てあげるからねー」


 すんっ、とシロは鼻をすする。夕日を映して橙に染まったおかっぱ頭が、左右に振られた。


「おれが、あそこで人肉って言わなかったら、ちゃんと逃げれたのに……」


 そしたら、丞幻があいつの言いなりになることもなかったのに。

 とつ、とつ、と涙混じりの声が畳に落ちる。

 丞幻はシロを抱え上げて、膝の上に座らせた。途端に背中に手が回って、胸元に顔が押し付けられる。


「シロちゃんのせいじゃないからね、大丈夫よー」


 背を叩き、ゆらゆらと身体を揺らして慰める。

 ――いずれ、ゆっくりお話を。

 あの女はそう言った。ならあそこでよしんば逃げられたとしても、近い将来似たような状況に追い込まれていただろう。だから本当に、シロのせいではないのだ。


「でも、もっと早くに、御籤小僧の占を思い出してればよかったんだ。そしたら……」

「それを言うなら、ワシもシロちゃんに言われるまで思い出さなかったもの。シロちゃんだけが悪いんじゃないのよー」

「でも、でも、お前は鉦白家の人間なのに」

「……」


 無言で、丞幻はシロの頭を撫でた。

 怪異やそれを利用する輩、呪詛を操り他者を害する輩には死んでも屈するな、(くみ)するな。それが幼い頃から叩き込まれた教えだ。それを破る事になってしまった事には、流石の丞幻も鉛を飲んだような気分だった。

 十六夜が、もしも「従わなければこの場で殺す」などと言って命を盾に脅してきたのなら、毅然としてそれを払いのけただろう。この場から、どんな手を使ってでも逃げただろう。

 だが。


「でもねえ、孝右衛門殿を盾にされちゃあねえ……」


 あえて妹分の夕吉ではなく、彼女が好いている夫の命を盾にする、というのがなんともいやらしい。

 万一、本当に万が一孝右衛門が呪詛で死んだとしたら。丞幻は妹分が夫を目の前で失い、我を失うほどに嘆き悲しむ様を見せつけられる事になる。

 こうなったのはお前のせいだと。妹が泣いているのはお前が逆らったからだと。嗤う声が聞こえるようだ。

 シロの頭を撫でる手に力を込めて、丞幻は眉をひそめた。

 ああ本当にあの女、性格が悪い。


「じょーげん! シロー! だっじょぶー!?」


 ずだだだだっ、と廊下を走る騒がしい足音と共に、襖が物凄い勢いで開け放たれた。大きな音を立てて、襖が外れ室内に倒れ込む。

 飛び込んできたのは童姿のアオだった。シロを抱きしめている丞幻を見つけると、矢のように一直線にすっ飛んでくる。


「だっじょぶ!? あんね、椛御前がはこでね、じゅばーってなってね、矢凪がちのびとちゃちゃかっちぇおにくがぶーってなってこうちょうがでちたからいにゃくにゃって」

「アオちゃん、落ち着いて。後半もう何言ってるか分かんなくなってるから」


 興奮しているのか、いつも以上に舌が回っていない。丞幻の帯を肉ごと掴んで訴えるアオの頭を撫でていると、ふと影が差した。

 見上げれば、矢凪がこちらを見下ろして仁王立ちしている。


「おかえりー、矢凪。どしたのよ」


 金色の瞳に表情が無い。丞幻はぱちりと瞬きをした。


「……頷いたのか」


 低い声が落ちてくる。その意味を正確に理解して、丞幻は無言で顎を引いて肯定してみせた。


「……」


 ぎち、と眉間に皺が刻まれる。

 拳が握り込まれたのが見えた瞬間、頬に鈍い衝撃が走った。

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