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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
儀式:椛温泉の札納

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62/193

〇 ● 〇


 時は遡る。



 アオの瞳に映った人影が、苦無を突き出す。

 咄嗟に矢凪は地を蹴った。前ではなく背後に跳躍。身体ごと人影に全力でぶつかる。突き出された苦無が肩に食い込んだ。


「――ちっ」


 そのまま突き倒してやるつもりだったが、背が空を切った。黒い疾風が目の横を通り過ぎる。直前で(かわ)された。

 一人地面に転がり、獣のように手足を地面について体勢を立て直す。途中で懐からアオが放り出され、隣に着地。右肩に刺さった苦無を引き抜く。艶消しされたそれを地面に叩きつけ、眼前に立つ影を金の瞳で睨み据えた。


「おい、いきなりなにしやがんだ、てめぇ!」

「……」


 全身を黒装束に包んだ影は、無言。身体つきでかろうじて男だという事は分かるが、それ以外は分からない。両手を身体の脇に垂らした自然体。だがそれでいて、蹴り込む隙が無い。

 山を縄張りにする盗賊にしては、身のこなしが洗練され過ぎている。何者だ。


「矢凪、矢凪!」

「あ?」


 塞がり始めた肩の傷に意識を向けていた矢凪は、アオに視線を向ける。上体を低くしていたアオが、長い尻尾をぶんぶんと振って黒装束に向かって鼻をひくつかせた。


「あのねあのね、あいつからね、椛御前のにおいしゅる!」

「はぁ?」


 矢凪は眼前の黒装束を改めて見る。……どこからどう見ても男である。肩幅といい腰回りといい、男の身体に間違いない。丞幻が語った、美しい紅葉色の着物というのも見当たらない。


「おい、椛御前てなぁ女じゃなかったのか? てめえ、男じゃねえか。女形(おやま)か?」

「……」


 小さく、黒装束の肩が揺れる。く、と押し殺したような声が漏れて、笑ったのだと分かった。

 ぴく、と矢凪の眉が動く。


「おい。なに笑ってんだ、てめぇ」

「――いや、悪ィ、悪ィ。面白ェ勘違いだなと思ってナァ」


 流れた低い声は、間違いなく男だ。軽く肩をすくめて、黒装束は状況にそぐわぬ朗らかな声を上げた。


「俺ァ間違いなく男だ。そっちのワンコロの鼻が嗅ぎとったなァ、コイツの方さね」


 黒装束が懐に手を差し込んだ。すかさず、矢凪は大地を蹴る。地面を滑るように疾駆して肉薄し、気合諸共、爪先を顔面目掛けて叩き込んだ。すんでで腕が割り込み、防御される。

 足の甲から伝わる硬い感触に、舌打ちして飛びすさった。なにか着けているようだ、籠手か。


「そう慌てんない。お前の相手はこっちさア」


 黒装束が覆面の下で笑い、もう片方の腕を懐から取り出す。紅葉の蒔絵(まきえ)が美しい小箱が、手のひらに乗せられていた。

 箱の蓋が開けられる。生臭い瘴気が、箱の中から噴き出した。渦を巻いて天高く立ち昇った瘴気が地に落ち、一つの人影が現れる。


「う! 矢凪! あれ、あれ、椛御前!!」


 ぴょいぴょいと、アオが跳ねる。飛び散った瘴気を手で打ち払い、矢凪は片目を(すが)めた。


「へえ。随分とまあ、みすぼらしいな」


 ――おぉ……あぁあ…………


 ぽっかりと開いた口から、呻き声が響き渡った。

 目も、鼻も、口も、木のうろのようにぽっかりと黒く開いている。枯れ枝のような老婆だった。深く腰を曲げ、折れそうなほど薄い身体がその場に佇んでいる。

 まとう紅葉色の打掛(うちかけ)だけは新品のように美しく豪華で、それが逆に老婆のみすぼらしさを強調していた。

 美しい女の姿だと聞いていたが、五十年も前に封じられて餌を食えなかったのなら、これほどまでやつれ衰えるものか。


「ああ……てめぇか、俺を山に誘い出そうとしたや、つぁ……?」


 そりゃあ、腹も減っているだろう。道理で自分が誘われた筈だと思った矢凪は、ふと椛御前の頭に見たくもないものを見つけてしまい、一度目を閉じた。

 脳内の記憶を必死になって消去。白紙に戻してもう一度目を開ける。

 麻糸のようにぱさついた長い白髪が、風に揺れてそよいでいた。その中にうぞめくものが見えて、矢凪はひくっと頬を引きつらせた。頬を冷や汗が伝うのが自分でも分かる。駄目だ、見間違いじゃなかった。いっそ見間違いであれと思ったのに。


「むかで! う、むかで! 矢凪、矢凪、むかでよ! あいちゅのかみ、むかでいっぱいね!」

「その名を連呼すんじゃねええ!」


 ぞわぞわとしたものが背筋を這い上り、矢凪は尻尾をぶんぶん振るアオを怒鳴りつけた。

 冗談じゃない。仮にも女の怪異だというのなら、百足を髪に這わせるな。身だしなみを整えろ。

 うぞうぞ、ずるずる、音を立てて十数匹の百足が枯れすすきのような髪の間を這い回る。その度に背筋がぞわぞわとして、矢凪は思わず二の腕の辺りをさすった。鳥肌が立つ。

 黒装束が、ついと指を矢凪達に向けた。


「サァ、椛御前。先に言った通りだ。そこの男を首尾よく食ったなら、お前の事は自由にしてやらァ」


 ――あぁあ…………あああぁぁぁあああぁぁ…………!


 細い穴を風が通り抜けるような音を立て、椛御前が歓喜の叫びを上げた。

 百足の這う髪を振り乱し、老いさらばえた怪異が四つ足で駆けてくる。


「おいアオ、てめぇあいつの相手しろ!」

「うっ!?」


 ぶわりと振り乱された髪。そこに数多の細い足が絡まっているのを見て、矢凪の肌が一瞬で粟立った。悲鳴のような声で叫び、跳躍して椛御前を躱す。その勢いのまま、黒装束に向かって蹴りかかった。


「よくも気色悪ぃもん見せてくれやがったなてめええぇえ!」

「おっとォ? あーあー、しょうがねェなァ。こっちに来やがったかァ」


 怒りに任せた蹴りを難なく受け止めた黒装束が、困ったように笑う。それがまるで「想定内」とでも言っているかのようで、矢凪の怒りが膨れ上がった。


「じゅるい! オレもそっちがよかった!」


 文句を言いながらも、アオは方向を矢凪に変えようとする椛御前に飛び掛かった。小さな身体から轟くような咆哮を上げて、その首筋に食らいついて引き倒す。

 ばきごき、と首の骨を噛み砕き、前足で皮と骨しか無い肩を踏みしだいて押さえつける。椛御前はそれから逃れようと、虫のように手足をじたばたさせるが大した力ではない。その身体を取り巻く瘴気も、そこまで強いものではない。この山にかつて君臨していたというわりに弱いのは、復活したばかりだからだろうか。


≪――よーしよし。いいぞー、可愛いオレ。そいつは人間の男と交わる事で精気を根こそぎ吸っちまう奴だ。オマエにゃ効かねえから問題ねえ。そのまま完全に噛み砕いちまえ≫

「う!」


 耳をぴくぴく動かして、脳内に響く大きな自分の声に素直に頷いた。


「おっとォ。噛み砕くなんて、そりゃ止めてくれ。俺が頭に怒られちまわァ」


 地に手を付いて足を振り上げ、回転しながら蹴りつける矢凪。それをのらくら躱しつつ、黒装束が指を一度鳴らした。肉球の下から枯れ枝のような感触が消える。


「う? う? どこいっちゃの?」


 ぽすっと地面にお座り状態で座り込み、アオはきょろきょろと周囲を見渡す。足下にあった鮮やかな紅葉色の打掛が、どこにも見えない。


≪あー、あの黒い奴がまた椛御前を封印しちまったなあ。多分だけどよお、椛御前を矢凪の方にぶつけたかったんだろうなあ、あいつ≫

「ふーん」


 ぱたりと尻尾を一度振って、アオは眼前の戦いを眺めた。矢凪の怒涛のような攻撃を、黒装束は完全に見切っているようだ。最小限の動きでそれを躱し、お返しのように喉元目掛けて貫手(ぬきて)を突き出す。半身になってそれを避け、更に攻撃を繰り出す矢凪。

 頭をゆらゆらと揺らしながら、アオはむぅっと鼻面に皺を寄せた。

 ずるい。楽しそうだ。自分も混ざりたい。

 しかし乱入したら矢凪が怒りそうなので、大人しく見るだけにしたアオである。実際さっき、腰を上げようとしたら矢凪が物凄い目で睨んできたし。


「余所見してんじゃねえぞ!」


 小箱の蓋を閉じる黒装束の胸元に、矢凪は蹴りをぶち込む。手ごたえはあった。勢いのままに吹っ飛ぶ黒装束に追撃しようと追い縋る足裏に、脳天を貫くような鋭い痛み。確認するより追撃が先だ。次々と足裏に走る痛みは無視。

 木々の向こうへ吹っ飛んでいく黒装束。周囲が赤なので見つけやすい。苦無の傷は既に癒えた。拳を握る。

 躱す隙を与えず腹、腹、胸、肩、腹、連続で拳を叩き込む。しかしどこに当てても、決定打にならない。当たる瞬間、僅かに急所をずらされている。

 視界の隅に煌くものが迫り、矢凪は上体を反らした。鼻先を黒装束の手に握られた苦無が、掠めていく。身体を反らした勢いのまま地面に手を付いて後転し、距離を取って拳を構え直した。

 矢凪は、べろりと舌なめずりをした。我知らず口元に、凶悪な笑みが浮かぶ。

 面白い。こいつは強い。楽しい。拳を握りしめて地面を蹴り、更に鋭く、早く繰り出していく。


「おいおい、撒菱(まきびし)程度は痛くねェってかァ? 正気じゃねェなァ」


 殴打の雨を掻い潜った黒装束の腕が、矢凪の手首に絡んだ。蛇のように背後に回り込まれ、あっという間に肩が外される。

 反撃する間も無く、そのまま近くの木に身体を押し付けられた。


「――っ!」

「拳、蹴りの威力は上々、素早さも良し。傷の治りはまあ想定内。あとは霊力の程度ォ確認したかったが、弱り切った椛御前じゃァ駄目だったかァ。あのちびワンコロに押さえ込まれるようじゃァ、かつての名が無くってもんさね」

「はぁ!?」


 淡々と続ける黒装束に、矢凪は拘束から逃れようともがきつつ怒声を上げた。


「てめぇ、なに訳の分からねえこと言ってやがる!」


 まるで、こちらを品定めするような言い方が気に入らない。外れた肩の筋が嫌な音を立てるも構わず、無理やりに振り返って黒装束の腹を蹴り飛ばす。

 背後にとん、とん、と飛んだ黒装束が、手を軽く振って呆れたように呟いた。


「っと、おいおい。すぐ治るからってよォ、無茶しすぎじゃねェかい?」

「うるせえ、てめえに心配されるいわれはねえ」


 足に刺さったものを抜く。ぬらりと血に濡れて光るのは、鉄製の撒菱だ。いくつも刺さったそれを抜き捨て、矢凪は左肩を一瞥した。外された肩を無理に動かした為、だらりと下がった腕はぴくりとも動かない。

 外れた肩に軽く触れ、矢凪は唇の笑みを深くした。


 ――面白い。面白い面白い面白い面白い。


 わくわくとした高揚感が、胸から湧き上がってきて止まらない。こいつは強い。自分より強いかもしれない。

 戦うのは好きだ。親しい友は年を重ねるうちに消える。美味いと思った店も無くなる。だが、酒の味と戦う事の楽しさはいつでも変わらない。

 だから矢凪は戦いが好きだ。


「てめぇがどこのモンかは知らねえが……強いなぁ、おい」


 右腕を差し伸べ、ついついと人差し指で黒装束を招く。


「ほら、来いよ。まだまだこんなんじゃぁねえだろ、なあ!」


 頭巾の上から、黒装束が頭をかいた。


「やァれやれ。聞きしに勝る戦闘狂だなァ、兄サン」


 どこか呆れたような呟きに、矢凪は片眉を跳ね上げた。


「あぁ!? うるせえなあ、ぐだぐだ言わずに続きだ、続き!」

「あ、矢凪ー! だっじょぶ?」


 ぴょこぴょこ跳ねるように駆けてきたアオが、長い尻尾をぶんぶんと動かした。それを睨み下ろし、矢凪は手をひらひらと振ってみせる。


「問題ねえ、あっち行ってろ。あれは俺の獲物だ」

「う! オレね、矢凪のちゃちゃかい、みにちたの!」

「そーかよ。じゃあ離れて見てろ」

「う!」


 素直に頷いて、アオは木立の影にちょこりとお座りをした。よし、と頷いて矢凪は黒装束に向き直る。黒装束は、自然体のままこちらの動きを見つめていた。

 腰を軽く落とし、右手で拳を作り構える。左肩はまだだが、足裏は治っている。問題無く動ける。機動力は問題無い。


「おら、行くぜ。黒子野郎」

「本当にしょうがねェなァ、(アニ)サンは」


 黒装束が、軽く右手を振る。颶風(ぐふう)が喉を撫でた。


「……っあ?」


 こふ、と口から血が零れる。痛覚よりも熱があった。咄嗟に喉に手をやれば、ぬるりと指先が滑る。

 薄く研がれた三日月状の手裏剣が、アオのすぐ傍に突き立つのがかすかに見えた。


「回復は十、二十秒ってとこかァ。次ァは蘇生にかかる時間調べてみるかねェ」

「あ、矢凪!」


 アオの叫びが木々を縫う。喉を大きく切り裂かれ、矢凪はその場にくずおれた。

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