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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
儀式:椛温泉の札納

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 生き物のように踊る炎が、厚い壁となって立ちはだかる。思わず立ち止まり、すぐ違和感に気づいた。

 熱くない。至近距離で燃えているのに、顔にちっとも熱を感じない。激しい音を立てて燃えているのだ、とっくに障子紙や木枠に燃え移ってもいいはずなのだが、それも無い。

 (しん)――刺激を与えると幻を吐く貝――でも仕込んであるのかと、畳に視線を落とすが何も無かった。

 思い切って指先を炎に触れさせるが、熱くない。ただ、酷く柔らかい布で撫でられたような感触だけがあった。

 指先を擦り合わせていると、シロが地を這うような声を上げた。


「……丞幻、離れろ。それ、おれに効く奴だ」

「……そーみたいね」


 丞幻にとっては熱くもない幻のような炎だが、シロは顔をくしゃりとしかめていた。

 それに熱を感じているかのように、身体を丞幻に必死に押し付けて距離を取ろうとしている。ぽつぽつと、白い額には汗が浮いていた。

 ちっ、と丞幻は舌打ちする。人間ではなく、怪異に効果のある炎とは。これでは、自分はともかくシロが逃げられない。

 真白に戻り、瓢箪を使えば逃げられるかもしれないが、得体のしれないこの女の前で、それを見せるのは少々まずい気がする。


「まさか、一緒に来るとはねえ……抱き合わせ販売にも限度があるわよ」


 ――炎と女に難あり。

 御籤小僧の占が、脳内で回っている。

 別々で来ると思っていたが、まさか同時に来るとは。

 もう一度、丞幻は鋭く舌を打った。


「お話……ねえ。なあに、食道楽同士、貴墨の名物百選でも決めるお話かしらん」


 元の場所にどっかと腰を下ろして行儀悪く胡坐をかき、丞幻は眼前の女を睨み据えた。膝の上に乗ったシロが毬を胸の前で抱きかかえ、獣のように鼻面に皺を寄せる。

 警戒心と不信感を剝き出しにした二人を嗤って、十六夜は胸の前に手を差し出した。


「それも楽しそうですが、そちらはあとでにいたしましょう」


 天井に向けられた(たなごころ)に、揺らめく炎が現れる。蛇のように伸びあがったそれは、たちまち室内を取り囲んだ。

 轟、と耳に痛い音。十六夜から顔を動かさず視線だけを向ければ、炎の壁がぐるりと包囲している。これで逃げ場は完全に閉ざされたわけだ。

 つまらなそうに鼻を鳴らして、丞幻はおざなりに手を叩いた。


「面白い手妻(てづま)ねえ、姐さん」


 おひねりあげたいくらいだわ、と続けると、十六夜が面白そうに目を細めた。


「ありがとうございます。では、もう一つお見せいたしましょうか」


 言葉と同時に、木の焼ける臭いが鼻を突く。臭いの方向に視線をやったシロが、あっ、と叫んだ。

 床の間に飾られていた藤の雀が、ぱちぱちとはぜる音を立てて燃えていた。


「おれのすずめが!」

「いやあれシロちゃんのじゃないでしょ」


 燃える雀に手を伸ばすシロにつっこみを入れてから、丞幻は萌黄色の瞳を半眼にした。

 成程、怪異以外を燃やすも燃やすまいも、十六夜の意思一つというわけだ。

 シロを置いて一人逃げようと炎を突破しようとすれば、たちまち炎に身体を舐められることだろう。する気など毛頭無いが。


「ふうん。いや全く、凄い手妻だこと。怪異だけじゃなく、他のものにも効くなんてねえ」


 背後で、シロお気に入りの雀が燃え尽きる。炎に巻き上げられて天井へ舞う灰を横目で睨みつつ、丞幻はさてどうしたものか、と思案した。

 状況は最悪に等しい。

 山に登った矢凪とアオが帰ってこない事も気にかかる。あそこはそこまで高いわけではないから、行って帰るのに一刻もすれば事足りる。そしてすでに、一刻は経っている。

 もし椛御前とかち合い、うきうきわくわくで戦っているなら、それはそれでいいのだが。その割には炎の向こうに僅かに見える赤い山はひどく静かだ。

 単純に帰途に着いているだけなのか――のっぴきならない事態でも起こったか。


「本当に(つたな)いものですが……かの鉦白家の方にお褒め頂けるなんて、光栄ですね」

「あら、なんだったら一筆書いて差し上げてもいいわよん。これなるは鉦白家の長子が認めた手妻ってね」

「ふふ、それは嬉しい。ぜひお願いできますか」


 宵色の髪が炎を受けて鈍く光る。

 丞幻はため息を吐いて、肩をすくめた。


「冗談はここまでにしましょ。さっさと本題に入ってくれる? ワシも暇じゃないの」

「そうですね。あまりお時間を取らせるのもあれですし、そうしましょう。……先ほども言いましたが、私は食べる事が好きでしてね」

「御託も結構。さっさと本題に入ってちょうだい」

「本題に入るのに必要なのですよ、そちらの料理でもつまみながら聞いてください」


 十六夜の答えはにべもない。思わず渋い顔になるのが自分でも分かった。

 会話の流れを握られている。

 膝の上のシロが、こちらを見上げて首を横に振った。青と橙が入り混じった瞳に、嫌悪が滲んでいる。


「食うのはやめとけ、丞幻。また人肉を食わせられそうになるかもしれないぞ、こういう手合いはな、どんなものでも、こっそり混ぜるのが得意なんだ。てんぷらの中に、たわしが入ってるかもしれないぞ」

「そしたらシロちゃん、また助けてちょうだいねー。アオちゃんがいないから、シロちゃんだけがワシの頼りなのよっ!」


 背後から柔らかい頬を両手で包み、もちもちと揉む。「しょうがないな」とシロが胸を張った。


「しょうがないな、お前はひげの三流作家だからな」

「それ関係あるのシロちゃん」


 いつものやり取りを面白そうに眺めつつも、十六夜は話を淡々と続ける。シロの頬を揉みながら、丞幻は心の中で十数回目の舌打ちをした。

 これで不快感を滲ませたり、話を聞けと激昂すればまだ付け入りようがあるのだが。


「昔から、気になるものは何でも食べてみましたよ。毒茸や、木の幹、玻璃竹……それに布に、石なんかもね。おかげですっかり、このような食道楽に育ちました」


 壁際で散らばる陶器の中に、力無く折り重なった赤黒い肉に視線を向ける。途端に喉元に込み上げてきた酸っぱいものを気力で押さえ込んで、丞幻は低い声を出した。


「……人間も?」

「勿論」


 箸を片手に微笑する十六夜が怪異以上の化物に見えて、背骨を悪寒が駆け上がった。膝の上のシロが、自分の前に回った丞幻の腕を縋るように握り締める。

 小さな手を軽く叩いて宥めていると、「では」と十六夜は唇を開いた。


「本題に入りましょうか。貴方がた……丞幻さんと矢凪さんには、食材調達をしていただきたいのですよ」

「へえ」


 丞幻はせせら笑った。


「なあに、まさかワシらに人間でも狩れってのかしら?」

「それは他の方でもできるでしょう。貴方がたにお願いしたいのは、私が食べる怪異の調達ですよ」


 虚を突かれて、丞幻は思わず言葉に詰まった。代わりのように、シロが不愉快そうに呟く。


怪異(おれたち)を食う……だと?」

「ええ。怪異というのは、非常に味わい深くて良いものです。年季が入ったものは味に深みがあり、人を多く食ったものは複雑な味や香りが楽しめて、飽きるということがありません。苦味、甘味、酸味、辛味、渋味……怪異は全ての味を楽しむ事ができます。他の食材とも見事に調和して、様々な料理が楽しめて良いのですよ」


 ねえ、怪異のおちびさん。

 ねっとりと絡むような視線が、シロに注がれる。丞幻は思わず、シロを膝から下ろして背後に庇った。

 あの嫌な視線は、シロとアオを「食材」と見ていたがゆえのものか。


「怪異を食べる、ねえ……よくそれで、人間のままでいれるわねえ、お宅」


 怪異を食らえば、人はただでは済まない。肉体もそうだが、まず魂が耐え切れない。食った怪異に逆に取り込まれる事もあるし、魂が変質し己自身が怪異と成る場合もある。個人差はあれど、怪異を食った人間が無事のままでいられるという確率は無に等しい。

 だというのに丞幻の目に映る十六夜の魂は、穢れも変質も無く綺麗なままだった。


「どうやら私は、人一倍丈夫なようで」


 天婦羅をさくさくと食べながら、十六夜は艶然と微笑む。丈夫とかそういう問題ではない。


「それで、なんだったかしら? ワシと矢凪に、お宅の専属祓い屋になれって?」

「祓ってしまえば、私が食べられないでしょう? 怪異を封じて、私の所に持ってきてくださればいいですよ」

「冗談。ワシ、怪異は視えるけど、祓う事も封じる事もできない役立たずよー。お宅さんのお役に立てるとは思えないわね」

「面白い冗談を仰いますねえ。霊力が無くとも怪異を封じる道具の一つや二つ、貴方なら使えるでしょうに。それに、貴方の助手の矢凪さんは、怪異を素手で吹き飛ばす事ができるとか」

「……」


 口髭を指先で弄り、沈黙を返す。

 丞幻の名字を知っていることから薄々気づいていたが、こちらの事はそれなりに調べられているようだ。

 背後に庇ったシロが、ごそりと動いた。身体全体で、べったりと丞幻の背中に貼りつく。指先が、とんと背中に当てられた。

 と・し・ま・に・な・る・か。――小さな指が、丞幻の背中に文字を書く。手を後ろに回してシロの頭を撫で、まだ大丈夫だと言外に告げた。

 そうして、思考を巡らせる。いつから自分達に目を付けていたのかは知らないが、よもや尾けられていたのか。ここで出会った事すら、偶然ではないとでもいうつもりか。

 それを察したのか、十六夜が微笑を苦笑に変えた。


「私は元々、別件でこちらに(おもむ)いていたのですよ。いずれ貴方がたとは、ゆっくりお話をしてみたいと思っていましたが……言ったでしょう? 旅の縁は必縁だと」

「お話じゃなくて脅迫でしょ」

「必縁じゃなくて、悪縁の間違いだろ」


 背後からシロが言い添える。


「別件、ねえ。……札納を邪魔して、椛御前を復活させて美味しくいただこう、っていう腹かしらん」


 手習処(てならいどころ)の子どもが正解を導き出した時のような顔をして、十六夜が手を叩いた。


「ええ、当たりです。流石ですね」

「怪異が好物だって言って、札納が今年で、椛御前が復活したかのような瘴気が垂れ流されれば、誰だって分かるわよ」


 小馬鹿にしたような賛辞を受け流し、表情を削り落としたような無表情を十六夜に向けた。


「一つ聞きたいのだけど」

「なんでしょう」

「あの札納のお嬢さんを崖から落としたのは、お宅?」

「ええ」


 悪びれもせず、十六夜は頷いた。笑顔であった。


「正確には、私の使う者達ですね。封印をかけ直されるのは困るので。……まあ、あのお嬢さんには少々協力してもらって、貴方の助手を山に誘い出してもらいましたが」


 山から矢凪とアオが帰ってこないわけだ。最悪とまではいかないが、最悪に近い状況が起こっている。

 こちらを利用したいなら殺されはしないだろうが、捕らわれた可能性はあるだろう。


「彼らも優秀ですが……霊力を持つ者は数える程しかいません。なので、負担が大きいんですよ。貴方がたが手伝ってくれれば助かります」


 いかがでしょうか?

 その言葉と共に、どっ、と室内に熱がこもった。熱い。たちまち肌に汗が浮き、玉のような雫が顎を滴り落ちる。熱気が喉を焼き、呼吸を阻害する。

 室内に視線を向ければ、踊り狂う炎が鎌首をもたげた蛇のように、こちらに向けてゆらゆらと揺れている。それでも相変わらず、室内のものに燃え広がる気配は無い。

 明確な脅迫だった。断ればこの場で骨も残らず焼き尽くすという、はっきりとした脅し。

 汗も拭わず十六夜を真っ向から睨み据え、丞幻は鼻を鳴らした。


「お断りよ」


 炎が激しさを増した。着物の裾に触れるか触れないかといった距離で、畳を這い寄ってきた橙色の穂先が揺らめく。ますます強くしがみ付いてくるシロの背を叩いて落ち着かせ、肌を焦がす熱気と十六夜への嫌悪感に眉をひそめた。

 怪異をただ捕らえるだけなら、まだ良い。ネタにもなるだろうし、協力もした。だが怪異を手に入れるその過程で、他者を害するのであれば話は別だ。しかも全く悪びれていない所をみれば、恐らく同じような事を何度もしてきたのだろう。

 あるいはもっと、言葉にできない酷い事をしてきたかもしれない。

 とにかく、と手を振った。


「殺されたってワシは御免よ。お宅に協力する気なんて無いわあ」

「そうですか」


 行儀よく箸を置き、十六夜は横に視線を滑らせた。


「そろそろ、夕焼けですね」

「はぁ?」


 唐突な呟きに、丞幻は胡乱気に問い返す。いえね、と十六夜は笑った。


「食べる事も好きですが、私は風景を愛でることも好きなんですよ」

「それがどうしたの」


 赤い唇が、きゅうっと半月状に吊り上がる。細まった瞳の奥に、嘲笑が宿ったのを確かに丞幻は見た。


「好きなんですよ。――じわりと広がる、血のように赤い夕焼け」



 脳裏にふと、夕焼けを溶かし込んだような色の髪が浮かんで消えた。

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