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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
儀式:椛温泉の札納

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55/193

 十六夜の泊まっていた部屋は、偶然にも真白が泊まれと強く勧めていた『桐壺の間』であった。凄い偶然である。


「ねえ、本当にワシらがこっちの方に泊まっていいのかしらん?」


 足を投げ出して座布団に座り、五人は泊まれそうな部屋を見渡す。丞幻は部屋を区切る襖の前で、影のように佇む十六夜を振り返った。

 桐壺の間は、一つの大部屋を襖で二部屋に区切ったものだった。恐らく片方が景色や料理を楽しむ部屋で、もう片方が寝る為だけに使われる部屋なのだろう。

 十六夜が丞幻達に泊まるよう示したのは、障子の向こうに雄大な景色が広がる方であった。

 旅館の裏側に面した障子を開ければ、ゆるやかに流れる谷丹和川。そして両側にそびえ立つ断崖が、白い半月と玻璃竹行灯に照らされていた。崖の上からは紅葉の枝が張り出し、水面に影を作っている。

 行灯の光の中を、ひらりっ、と紅葉が横切った。


「無理を通して泊めてもらうのはこっちなんだし、ワシらが向こうの狭い部屋の方でいいのよ」


 寝る為だけの部屋だからか、こちらに比べて隣室は狭い。

 元々泊まっていた方が狭い方を使い、押しかけた形になった丞幻達が広く豪華な方でいいのだろうか。


「お気になさらず」


 唇に微笑をたたえ、十六夜は切れ長の瞳を横に滑らせた。


「すごい、すごいな! これどうなってるんだ!? すごいな!」

「しゅごいねー! おいちそーね!」

「ばかアオ、これは食べられないぞ、偽物の雀だ」


 ぺたりと床の間に両手を付いて身を乗り出し、シロとアオが目をまん丸に見開いている。

 一段高くなったそこには、藤蔓で編まれた雀が三匹、平盆の上に作られた砂地で遊んでいる置物があった。絡繰りが仕込んであるのか、雀が時折上下に動いて地面をつつくような動作をしている。

 小さな頭が動く度に、興奮して叫ぶ二体。それに向けられている瞳が、三日月状に細まる。

 丞幻は、ふいと瞬きを一つした。


「私、明かりが多いと眠れないんです。こちらは障子が大きくて、少々明るすぎるもので。あちらの部屋は外に面した障子が無いので、暗くて良いんですよ」


 つ……と血のような舌先が唇を割り、下唇をなぞる。そうして続けた。


「向こうは布団だけで面白いものは無いので、あの子達も退屈するでしょうし」


 微笑んで、十六夜は「では」と頭を下げる。そこに、壁際で胡坐をかいていた矢凪が声をかけた。


「見ず知らずの男をてめぇの部屋に泊めてやろうたぁ、剛毅な姐御だな」


 褒めている、というより呆れたような口調だ。まあ確かに、と丞幻も頷く。

 知り合いならともかく、相手は見知らぬ男達。しかも、どちらも長身で逞しい身体つきをしている。部屋は分かれているとはいえ、その境界線は紅葉と雀が舞い遊ぶ襖一つ。もしもこちらが不埒な考えを抱けば、それは簡単に突破されてしまう脆いものだ。

 だというのに、躊躇無くこちらを迎え入れるとは。


「おや。そちらは幼子の見ている前で、女を襲う趣味がおありで?」


 袂で口元を隠し、十六夜はおかしそうに笑声を上げた。

 冗談めかしたような言葉に、丞幻も口髭を指先で引っ張りながらおどけて返す。


「いやあー。そんな事したら、あの子らに三行半突きつけられちゃうわよー。ただでさえ、自分は古女房だって拗ねちゃうのに」

「おやおやそれは。随分と嫉妬深い奥方をお持ちで」


 ひとしきり笑い、十六夜は丞幻、矢凪、シロ、アオ、と順繰りに視線を向けた。

 ゆるりと唇を吊り上げる。男を虜にするように艶めいていながら、どこか蛇のような生臭さが漂う笑みだった。


「ご心配なく。これでも少々心得はありますし、旅先の縁は必縁と申します。私は縁を大事にしたい質なのですよ」


 もう一度頭を下げて、十六夜は障子の向こうに消えていった。


〇 ● 〇


 出された夕餉は、非常に美味かった。流石に、紅葉(こうよう)の季節でなくとも料理目当てで客が来るだけの事はある。膳に並べられた皿も、料理の盛り付けも全て、蛙田沢(あたざわ)の高級料亭のものと比べて遜色なかった。

 特に丞幻が気に入ったのは、花麩の浮いた味噌汁だ。沢蟹を潰して出汁を取り、赤味噌を溶いただけのものだが、一口飲む度に鼻から蟹の旨味が抜けて非常に味わい深い。

 矢凪は兎卵(うたまご)の醤油漬けを何度もお代わりしていた。鶉兎(うずらうさぎ)の生んだ親指程の卵を茹で、醤油に漬けたものだ。とろりとした半熟の黄身が特に気に入ったらしく、酒をちびちびやりながら、「黄身だけ漬けたのねえのか、黄身だけ」と呟いていた。

 ちび二人は幸せそうにほっぺたを緩め、おいしいおいしいと、夕餉をがっついていた。小さな餅の中に生姜味噌を詰め、紅葉で包んで蒸したものが美味しかったようでアオは勢いよく、シロはちびちびと食べていた。個性が出ている。


 丞幻と矢凪は勿論酒を頼んだのだが、真白がなぜ桐壺の間を強く勧めたのかが明らかになった。

 この温泉では、部屋ごとに出される酒の銘柄が違うのだそうだ。桐壺の間で出された酒は、別の部屋では何と言われても絶対に出さないし、逆もしかり。

 どの酒も普通では買えない高級なものばかりであり、他の部屋の酒が気になるならまた来て、泊まる必要がある。

 上手い手だ。

 桐壺の間の酒は月露(げつろ)。さざなみ酒と並ぶ幻の酒であり、喉を焼くほど強い酒精だが後味がすっきりとしていて脂の強い獣肉と非常に合い、物凄く美味かった。

 販売もしていると聞いて即座に値段を聞いたが、諦めた。……矢凪は最後までごねていたが。流石に酒瓶一つに三十両は高い。


 くちくなった腹が落ち着いた後は、いよいよ温泉である。

 椛温泉から少し登った所に源泉があり、そこから湯を引いているのだという。紅葉と谷丹和川を拝める露天風呂が人気との事で、内風呂には人がいなかった。

 おかげで、それなりに広い浴槽が貸し切りである。

 手を動かせば、多少とろみのあるお湯が浴槽から跳ねた。


「なぁーんか、癖のある姐さんよねえ」

「んー」


 湯船に浮かべた盆の徳利に口を付け、矢凪が喉を動かす。中身は言うまでもなく月露だ。

 生返事を気にせず、丞幻は額に落ちてきた萌黄色の髪をかき上げながら続けた。


「あの十六夜っていう姐さん、見たあ? シロちゃんアオちゃんに秋波(しゅうは)送っちゃってさあ、稚児趣味かしらん」

「秋波ってえ可愛いもんか、あれよお」


 蛇みてえな目ぇしてたぞ、と矢凪は徳利を指で弾いた。


「がきと色事しようとしてる企んでる目じゃねえよ、ありゃあ」

「そうねー。……なら、人攫いかしらねえ」

「枕探しも兼業してそうだな」

「確かに」


 ありそうだ。

 お湯をすくって、顔にかける。少し熱めのお湯が気持ちいい。


「ほらほら、次はアオの番だぞ」

「う! ちゅぶすー!」


 シロとアオは手拭を膨らませてお湯に浮かべ、それを潰すという事を繰り返して遊んでいる。楽しそうな笑い声が、風呂場に反響していた。

 安易に部屋に着いて行ってしまったが、早まっただろうか。今からでも部屋を移って、物置部屋に泊めてもらった方がいいかもしれない、と丞幻は思った。

 怪しげな美女が襖一枚隔てた所にいるよりは、まだ埃臭い部屋で寝る方がましな気がする。

 その思考を読んだように、矢凪が渋面を作った。


「止めとけ、止めとけ。物置は出入口が一つしかねえだろ。そこ塞がれたら終わりだぞ」

「あー……」

「それによお、急に部屋変えてみろ。いかにも怪しんでます、って言うようなもんだろうがよ」

「そう言われればそうね。……まあ、子ども嫌いの姐さん、っていう可能性もあるから、警戒しすぎるのもあれかしらん」


 なにはともあれ、憶測で人を決めつけるのは良くない。

 本当に親切心から申し出てくれたのなら、悪党だなんだと邪推するのは失礼だろう。……ちょっと、あの嫌な色を宿した目が気になるだけで。


「なんだなんだ、なんの話だ?」


 ぱしゃぱしゃと、湯面を波立たせながらシロが近づいてくる。色の白い肌が、ほんのり赤く染まっていた。

 丞幻はシロの頭を一撫でした。


「シロちゃんとアオちゃんは可愛いなーって話よ」


 ふふん、とシロは自慢げに胸を張った。


「そうだろう、そうだろう。おれは陽之戸一かわいいからな」

「ほんとほんと、可愛いわー」

「なら、風呂上がりに紅葉ようかんをみついでくれるな?」


 いつの間にかシロの隣に来ていたアオが、指を二本立てる。


「しゃんぼんよ、しゃんぼん!」

「羊羹は明日ねー」


 二人の頭をぐりぐりと撫でながら、丞幻は笑顔で無慈悲に告げる。

 くわっ、と二体のあどけない顔が驚愕に見開かれた。

 そんなやり取りを見るともなしに眺めていた矢凪は、ふと柘榴口に視線を滑らせた。小さな行灯に照らされ、薄暗い風呂場に浮かび上がるそこから、細く瘴気が漂ってくる。

 熱を帯びた空気をかき混ぜるように、冷たい瘴気が床を這う。

 矢凪の金色の目が、険を帯びた。


「あら、どしたの矢凪」


 まとう雰囲気を豹変させた助手に、丞幻は声をかけた。矢凪はそれに答えず、柘榴口の方へ顎をしゃくる。


「お教えします。お教えします」


 瘴気と共に、鈴を転がすような高い声が響いてくる。抑揚の無い響きで、淡々と同じ一言が繰り返される。

 行灯の光に照らされた柘榴口。熱気を逃さないよう狭く取られた入口から、こちらを向いて立つ足が見えた。


「お教えします。お教えします。お教えします。お教えします。お教えします! お教えします!」


 抑揚の無い声が、段々と大きくなってくる。


御籤小僧(みくじこぞう)だ」


 丞幻の肩に手を置いて、ひそりとシロが囁いた。顎を引くようにして丞幻は頷く。


「お教えします!! お教えします!! お教えします!!」

「んっだくそっ、うるせえなあ!」


 もはや絶叫に近い声に、矢凪が眉を吊り上げる。浴槽のへりに拳を叩きつけ、立ち上がろうとするのを上から肩を掴んで押さえた。アオが耳を塞いで、絶叫に顔をしかめる。

 矢凪を全力で押し留めながら、丞幻は柘榴口に向かって叫んだ。


「教えてくれるかしらー!」


 ぴたりっ、と声が止む。


「おい……?」

「だいじょぶ、無害な怪異よ」


 訝し気な顔の矢凪に答えると同時。白い湯気の立ちのぼる湯面から、ぬう……と青白い指が四本、突き出してきた。


「一つ……待つが肝要」


 指が一本、湯に沈む。


「一つ……頼み事は断らぬが良し」


 淡々と響く抑揚の無い声と共に、指がまた一本沈む。


「一つ……五つの声は振り返らぬが吉。一つ……炎と女に難あり」


 最後の一本が沈んだ後、丞幻は盆に乗っていた徳利を取り上げた。矢凪が文句を言う前に、それを指が突き出していた辺りに落とす。


「ありがとうねー、お礼にこの銘酒を受け取ってちょーだい」

「おいこら! 丞幻てめえ、人の酒になにしやがる!」

「いだだだっ! 肩に爪立てないで、痛いわ!」


 眉を吊り上げ、憤怒の形相となった矢凪が肉を引き千切らんばかりに握りしめてくる。ひいひい言いながらどうにか引き剥がし、丞幻は慌てて距離を取った。

 薄暗い中でも分かるほど、肩にはくっきりと指の痕が付いていた。海の怪談話でよくある奴が再現されてしまった。相手は助手だが。


「くそが……どこ行った……」


 童顔を怒りに染めたまま、矢凪は徳利が落ちた場所をかき回している。

 こっそりと、丞幻はアオとシロの後ろに回り込んだ。


「シロちゃん、アオちゃん、説明したげて。ワシが今あいつに話しかけたら、湯の藻屑にされちゃいそうだわ」


 シロとアオは、しれっとした顔で片手を突き出した。


「紅葉ようかん」

「しゃんぼんね」

「うぬ……分かったわよ。三本ね」


 命には代えられない。渋々頷くと、交渉成立とばかりに二体は頷いた。


「矢凪、矢凪、あのな。さっきのは御籤小僧っていう怪異だぞ」

「……それで?」


 それがどうした、人の酒を奪いやがったあの屑は許さない殺す、と言わんばかりの視線が丞幻を射抜く。

 ぺちぺちとシロはその肩を叩いた。


「あいつはな、色々と占いで教えてくれる良い奴だぞ。教えてくれるのは一つから五つまでで、対価が必要なんだ」

「おしゃけはねー、おだちんにゃの。しょれがないとね、めーなの」

「占いを聞いて対価を払わないと、奴に食われるんだ。だから、お前の酒を対価として差し出したんだ。この場で対価に差し出せるものなんて、それしか無いからな」


 それでも俺の酒を奪ったのは許さねえ、つーか応じなきゃ良かったじゃねえか殺す、と訴えてくる視線から目を反らす。


「応じなかったら、応じるまで叫び続けんのよ。対価さえ払えば無害だし、占は信憑性が高いからね……だからそんな目で見ないでちょーだい」


 湯に鼻まで浸かり、ぶくぶくと息を吐きながら丞幻は訴える。しかし風呂から上がり、月露をまた注文するまで矢凪の刺すような視線が途切れる事は無かった。

秋波=色目


〇 ● 〇


怪異名:御籤小僧みくじこぞう

危険度:丙

概要:

陽之戸各所で見られる怪異。

戸口前に立ち、「お教えします」と中の人間に声をかけてくる。答えなければ声は段々と大きくなる。こちらが答えるまで、声は響き続ける。

何らかの返答(拒否も含まれる)を行えば声は止み、近くに指が生えてくる。生える指の数は不規則で、一本だけの時もあれば五本の時もある。

指の数だけ、吉凶の占を示される。その後、礼として対価を指が生えていた辺りに捧げる必要がある。

対価はなんでもよいが、酒や食べ物が良いとされる。

占を聞いた後、対価を払わなければ御籤小僧に食われる。

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