十一
「――ぅげっ」
丞幻は思わず、呻き声を漏らす。胸の前で印を組んだ為成が、霊力を解放して結界を強化した。
四つの襖の向こうは、広い座敷になっていた。三十畳ほどはありそうなそこに、子どもがずらぁり、と並んでいる。
褐色肌の、暗い目の子ども――浅沼忠。
ざっと数えて数十、いや数百はいるだろうか。畳の色が見えない程に、おびただしい数の子どもがひしめき合っていた。
どいつもこいつも恨めし気な目つきで、丞幻達をねめつけている。
シロが顔をしかめた。アオを抱き上げ、ととと、と丞幻の傍に寄ってくる。
「むー……気持ち悪いな」
ぐるりと周囲を見渡して、矢凪が盛大な舌打ちをした。
「んっだこいつら、気色悪ぃ! おい、このがき共はなんだ、怪異か!? 全部ぶっ飛ばしていいのか!?」
「駄目よ。笹山殿の結界が張ってあるから、こいつらはここに入ってこれないの」
丞幻は襖の向こうを指さす。
「ほら、見て。ああして足踏みしてるだけでしょ?」
数多の子ども達は丞幻の言葉を示すかのように、その場で揃った動きで片足を振り上げた。だん。と畳を踏み込む音が響く。また片足が振り上げられる。だん。とまた音が響いた。
だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。だん。
駄々をこねる子どものように、瞬き一つせずに、だん、だん、と浅沼達は足踏みを繰り返す。
同じ顔をした子ども達が、一糸乱れず同じ動きを繰り返すのは、酷く不気味な光景だった。
「……ね? お前が下手に出てったら、逆に結界が壊れるかもしれないから止めてちょーだぐぇっ!?」
血相を変えた矢凪に、胸倉を掴み上げられた。まろみを帯びた頬が強張っている。
「じゃあ、ずっとこのままでいろってか!? ざっけんな、てめぇを殺すぞ!」
「なんでそーなるの!」
「ああ、そういえばお前、同じ形のが狭い所でひしめいてるの苦手だったな。葉の裏にびっしり集った毛虫とか、見た時凄い顔してたし」
「あぁ!?」
結界を維持しながら軽口を叩いた為成を、矢凪が凄い顔で睨みつけた。
「てめぇから先に殺してやろうか為成ぇ!」
「殺す前に、手伝ってくれるとありがたいけどな。正直、ちょっときついんだ……くそ、あの阿呆、対人技能塵滓の癖して能力だけは高いからな……!」
その言葉を裏付けるように、部屋を囲む結界がみしみしと軋んでいた。ぴしり、ぴしりと罅の入る音がして、その度に為成の太い眉が苦し気に歪む。
丞幻はするりと胸倉を掴む指から抜け出した。畳に置いた革袋の中から、瑪瑙玉が連なった数珠を取り出して、為成に投げ渡す。
「はい、笹山殿。これ使って。霊力増幅の呪具」
「いいのか、助かる! 恩にきるぞ、丞幻殿」
「いいのよ。ワシじゃ使えんからねー、それ」
受け取った数珠を素早く両手に巻いて、為成は呪言を唱えた。清浄な霊力が場を満たし、軋んでいた結界が補強されていく。
怯んだように、一番近くにいる浅沼達が一歩、後じさりした。
「よし。……これで少しは大丈夫だな」
ほっ、としたように為成が肩の力を抜いた。畳を踏み荒らす音は絶えず聞こえているものの、結界が軋む様子は見受けられない。
「しかしあいつら……っていうか、あいつ? 一体なんなのかしらねえ。なーんで分裂してんのかしら」
「カギューの手下にでもなったんじゃねえのか。それか、別の怪異になったか」
「うーん。……ちょっと視てみよっかしら」
萌黄色の目に意識を集中させ、子どもの群れを凝視する。
眉をしかめて襖の外を眺めていたシロが、慌てた様子で顔を上げた。
「あ、ばか、やめろ丞幻!」
瞬間。
白い道。そこを歩く人影。袋小路。絶望。絶望。絶望。かとん、かとん、と背後に音。
――いきどまりいきどまりいきどまりいいいききききどどどどままままりりりりりいいいいいいいいきどまりにはなにもないななななにににももももももななななないいいいいいいきどまりにいきどまりにいきどまりにいけばいけばいけばいけばカカカカカギュギュギュギュギュさささささささままままままままがカギューさまがががががたすけてくれるすくってくれるみちびいてくれる
部屋の隅。頭を抱えて震える人影。荒い呼吸。滲む涙。恐怖。絶望。
――しににににたくなななななないいいいいいししししにににににたたたたくなななないいいいいころされたくないしにたくないのろわれたくないいやだいいいいややややだだだだだだいやだいやだいやだいやだ
頭を擦りつける人影。怒鳴る声。泣き声。恐怖。恐怖。恐怖。
――ごごごごごごごめめめめめめんんんんななななななささささささいいいいいいごごめめめんんなななささささいいいいいゆゆゆるるるしししてててててくくくだだだだささささいいいいいいにどといたしませんゆるしてくださいもうしわけありませんちちうえおじいさまゆるしてください
「……っ!」
ばちん、と目の奥で火花が散った。
「丞幻! ばか、だいじょうぶか!?」
「だっじょぶ? だっじょぶ?」
「おい、しゃきっとしやがれ。こけてんじゃねえよ」
目元を押さえてよろめいた丞幻の腕を、矢凪が掴んで倒れるのを阻止した。足元にシロとアオが駆け寄ってくる。為成は視線だけをこちらに向けてきた。
「だいじょーぶよ。ちょっと、一気に色々視えたんで、驚いただけ……」
頭を軽く振って、丞幻は息を吐いた。まだ、頭の奥が揺れている気がする。
途切れ途切れの映像と、同じ言葉を唱和する数多の声。それが一気に脳内に溢れて、その濁流に飲み込まれそうになった。咄嗟に「視る」ことを止めたから良かったが、そうでなかったら飲まれて帰って来れなくなっていたかもしれない。
シロがふくれっ面で、丞幻の脛をべしりと叩いた。
「だから視るなって言っただろ、ばか! あほ! 三流作家! ばか! ひげ!」
「いやシロちゃん、作家と髭は悪口じゃないわよ。……ていうかシロちゃん、あれが何なのか知ってて、ワシを止めようとしたの?」
シロはこくりと頷いた。「年増が――」と続けようとした瞬間、腹に響くような地鳴りがした。どん、と下から突き上げられるように、屋敷全体が揺れる。
「――なっ!?」
どん、どん、と連続して地鳴りが響き、部屋が揺れる。地震だ。あまりの揺れに、立っていられない。丞幻はよろけて尻餅をついた。転んだのか、シロとアオの悲鳴が聞こえるが周囲を見渡す余裕が無い。
「なんだってんだ、くそ……!」
舌打ち混じりの矢凪の声。
幼い足がどん、と畳を踏み破る勢いで叩きつけられ、その度に突き上げられるように部屋が揺れる。外の浅沼達が力づくで結界を破ろうとしている。為成が怒鳴るように呪言を唱え、歪んだ結界を押し戻す。
近くにある箪笥に縋ろうとした丞幻の視界に、こちらを凝視する浅沼忠の姿が映り込んだ。
矢凪の事も、シロの事も、アオの事も、為成の事も、浅沼忠は見ていない。ただ最初からずっと、丞幻の事だけを見つめていた。
今も、丞幻が揺れに翻弄されて右に左に身体をかたむけるたびに、顔を動かさないまま、ぎょろり、ぎょろり、と眼球だけを動かして動きを追っている。
ぞっ、と背筋が寒くなった。
ぱかり、と浅沼達の口が開いた。丸く開かれた口から声無き叫びが、鼓膜を揺らさず脳に直接届いた。
――なんでおまえは、ふつけにうまれて、はらいやにならない
――なんでおまえは、じぶんのすきなみちにすすんでいる
――わたしは、できなかったというのに。どうして、どうして、どうして
――かねしろじょうげん。おまえがにくい
「うるっ……さいわね……! そんなん、知ったこっちゃない、っての……!」
ぎり、と丞幻は歯を食い縛った。
ああくそ、揺れが苛立たしい。これさえ無ければあの子どもの姿をした阿呆、駆け寄っていってぶん殴ってやるのに。
びきり、と硬いものに罅が入る音がした。
「しまった……!」
色を失った為成の叫びに重なるように、結界が木っ端微塵に砕け散った。どん、と腹に響く音がして、吐き気がするほど強い揺れが丞幻達を襲う。
縦に横に揺さぶられ、たちまち均衡を崩してよろけた足が、がくんと落ちた。
「はっ!?」
背後を見て、丞幻は目を剝いた。
穴だ。人を飲み込めるほど大きな穴が空いていて、そこに丞幻は投げ出されていた。
「丞幻!」
駆け寄ってきたシロが、腕の中のアオを投げ落としてきた。温かな毛並みを腕の中に抱え込むが早いか、胃の腑がふわりと浮き上がるような、嫌な感覚に襲われる。
落下の衝撃に、丞幻はぐっと歯を食い縛った。
〇 ● 〇
丞幻とアオを飲み込んだ穴が、蜃気楼のように掻き消える。同時に、揺れが収まった。
「くそ……なんだったんだ、今なぁ。丞幻の野郎もいねぇし、あの気色悪ぃ奴等もいねぇし」
薄茶色の髪をがりがりとかきながら舌打ちし、立ち上がる。
「……またここかよ」
真っ白な壁が、すぐそこにあった。見渡せば、壁に囲まれた細い道がくねくねと、どこともしれない所へ続いている。屋敷に入る前に、散々見た景色だ。
どういう訳か、屋敷からこの白い迷路に飛ばされてしまったらしい。
「矢凪」
「ん」
シロが近寄りながら両手を広げてきたので抱き上げる。毬を抱え込んで、シロはぽんと矢凪の腕を叩いた。
「丞幻には、アオをぶん投げたから大丈夫だ。一人じゃないから、怖くないし、安心だぞ」
「そこは心配してねぇよ」
付き合いはそこまで長くないが、あの作家はそう簡単にくたばるまい。あっさり怪異にやられるような可愛げなぞ、持っていないだろう。
さてどうしたもんか、と周囲を見渡す矢凪の肩を、為成がぽんと叩いた。
「矢凪、お前は無事だったか」
「……おう」
振り返れば、心底ほっとしたような為成の顔がある。さりげなく距離を取りながら、矢凪は頷いた。
なんでこいつ、人を拷問しておいてこんな普通に話してくるんだ。状況が状況じゃなければ、胸倉掴んで問い詰めたい所である。
「丞幻殿と、あの小さい蒼狼は……いないか。分断されちまったようだな」
「……そーだな」
「俺の『目』では何も分からなかったが、丞幻殿の目には、あの浅沼達の中になにかが視えたんだろうな」
「……そーだな」
「もしかしたら、視えたらまずいものだったのかもしれんな。あの異変が起こったのは、丞幻殿が視るのを止めてすぐの事だったし」
「……そーだな」
「矢凪、俺の話を聞いてるか?」
「おう」
「一応聞いてくれてはいるんだなあ」
しみじみと頷いた為成を無視して、矢凪は腕の中のシロにひそひそと話しかけた。
「おい、シロ。てめぇ、怪異の力かなんかで、あの馬鹿作家の居場所、掴めねえか?」
シロは頬を膨らませた。
「あのなあのな、矢凪。丞幻の奴、隠されてるんだ。だから、よく分からない」
「隠されてる? なにに」
「カギュー様に。久しぶりに信奉者が来たからって、張り切ってるらしい。それで全力で、その願いを叶えてやってるんだ。そのせいで、丞幻の場所が分かりづらい」
いつもならすぐ分かるのに、と更に頬を膨らませるシロ。
信奉者? 願いを叶える? と矢凪は首をかしげた。その言い方だとまるで、
「――待ってくれ。それじゃあまるで、カギュー様が神だと言ってるようじゃないか?」
口に出そうと思っていた事を、為成が先に口にする。
そうだ。信奉者だの、願いを叶えてやっているだの。まるで、シロはカギュー様を怪異ではなく、神として見ているようだ。
シロの愛らしい顔が、たちまち不機嫌な色に染まった。口を出した為成をきっと睨みつけ、矢凪の胸元に顔を埋める。
「てめぇ……本気で嫌われてんな」
「ああ。地味に傷ついている」
言葉通り、がっくりと肩を落とす為成である。
「おい、シロ。カギューってなぁ、怪異じゃなくて神なのか?」
落ち込んだ姿を見て少し溜飲が下がったので、矢凪は代わりにシロに尋ねた。
ぱっと顔を上げたシロは、途端に機嫌を直した様子でにこにこと笑う。年相応の、可愛らしい笑みだ。
「そうだぞ。あれはな、今でこそ怪異に身を落としているが、元々はこの辺りで信奉されていた流行り神だ。……まあ、そこの異怪の同僚にみてぐらをきょうされて、今は神だった頃の力が多少なりとも戻っているようだけどな」
言っている事は、ちっとも可愛くなかったが。




