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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:カギュー様

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「いやぁ、しかし久しぶりだなあ。お前がいないから、気兼ねなく飲める相手がいなくて退屈だったんだ」


 先ほどまでの戦いなど無かったかのように、屈託無く銀髪の男が矢凪に話しかける。それに対して、矢凪は唸り声で答えた。

 箪笥の影に身を隠し、鼻面に皺まで寄せて唸る姿は完全に敵に威嚇する猛獣である。

 男を睨むシロをさりげなく自分の身体で隠しつつ、丞幻は「それで?」と声をかけた。


「こんな異界くんだりまで、えーっと、異怪のー、同心? 与力?」

「ああ。俺は異怪奉行所の同心、笹山為成だ。あんたの事は知っているぞ、鉦白丞幻だろう? 異怪じゃ有名だ」


 口髭を引っ張って、丞幻は目を半眼にした。


「ふーん。まあ、どーせロクな噂じゃないでしょ」


 妹に跡継ぎの座を奪われて放逐されただの。怪異を抱え込んで邪法の類に身を染めているだの。あの屋敷で日々家族を呪っているだの。

 普通に接してくる与力同心もいるが、悪意ある噂というのは耳に入りやすいものだ。そのせいで、異怪奉行所は丞幻にとってあまり行きたくない場所の一つであった。

 為成と名乗った男は苦笑する。


「まあな。……人となりを知らず、勝手な憶測で物を言う奴がいるのは確かだ。そのせいで、鉦白殿に不快な思いをさせてしまっているのは、本当に申し訳ない」


 煙で拘束されたまま頭を下げられ、丞幻は困惑した。

 箪笥の影にしゃがみ込み、唸り続ける矢凪の傍にすすすと近寄る。そうして、口元に手を当てひそひそと囁いた。


「……ねえ矢凪。あいつ、ほんとーにお前を拷問して殺したの? 今ワシ、わりとまともな事言われたんだけど?」

「騙されんな。あいつ、外面ぁ良いんだ」


 しかもその外面が本心だから手に負えねえ、と矢凪は吐き捨てた。


「本気でてめぇに悪ぃと思ってんだよ、あんにゃろう。昔っからそうだ。女に手ぇ上げた阿呆の腕、笑いながら五寸でぶっ刺して『そんな手はいらないよな?』って言った後で女に『もう大丈夫だ。立てそうか? 手はいるか?』って笑顔で声かけて逃げられた事もあったな」

「ああ、あったなあ。そんな事。人の顔見て逃げるのは、失礼だと思わないか?」

「いや流石に逃げるわよ、それ」


 さっきまで笑顔で五寸釘を突き刺していた男が、こっちに笑顔で話しかけてきたら誰でも逃げる。手はいるか? なんて言われたら次は自分の番だと思うだろう。

 とりあえずネタ帳に今の話を書き留めておこうと周囲を見渡し、畳に転がった矢立を拾い上げる。


「あらー。結構気に入ってたんだけどねえ、これ。新しいの買わんと駄目かしらん」


 五寸釘とかちあった矢立は、真ん中辺りが凹んでいた。使えないわけではないが、新調した方が良さそうだ。


「すまん、壊しちまったか。弁償する」

「いいわよ別に、古道具屋で買ったものだから、大して値の張るものじゃないし」


 為成は、首をゆるりと横に振った。真剣な瞳が丞幻に向けられる。


「いや、弁償させてくれ。元々、俺の勘違いで攻撃しちまったようなもんだしな。そっちの連れにも怪我をさせちまったし、なにかしら償わせてもらわないと、俺の気が治まらん」

「……」


 丞幻は複雑な顔で沈黙した。

 いい奴だ。言っている事が非常にまともだ。

 だがしかし、そのまともな事を言っている奴が矢凪を拷問して殺した張本人というのが、なんとも言えない。


「弁償させとけ。めたくそに高ぇの奢らせろ」

「お前はいい加減、そっから出て来なさいよー」


 箪笥の影から助言してくる矢凪に、呆れ顔を向ける。

 普段の「近寄る者はみんな敵。とりあえず殴って蹴とばしゃ万事解決」みたいな態度はどうした。

 丞幻の言わんとしている事を察したのか、矢凪は決まり悪そうに目線をそらした。


「……苦手なんだよ、あいつ」

「友人に向かって苦手とは、ひどいじゃないか、矢凪」

「あぁ!?」


 矢凪がどすのきいた声を上げた。立ち上がって大股で為成に近づき、ぎろりと睨みつける。


「だぁれが友人だ、友人! てめぇなんざ知人で十分だわ!!」

「えー、なんでそんな寂しいこと言うんだ。一緒に賭場で身ぐるみ剝がされた仲じゃないか。お前の別荘で野草のつまみと水で薄めた酒一杯やりながら、俺達は親友だよなって誓っただろう?」

「俺ぇ捕まえて拷問しくさった挙句に埋めた奴が何言ってやがる、えぇ!? こちとら淡雪(あわゆき)の奴に凍らされかけて散々だったってのによお!?」


 拘束された為成の胸倉を掴み、怒鳴りつける矢凪。怒気どころか殺気さえ飛ばしている彼に、嬉しそうな笑顔を崩さず為成は小首をかしげてみせた。


「あー、泡雪花魁。お前を凍らせようとした奴かあ。ずるいよなあ、俺はずっとお前を拷問したくてたまらなかったのに、横取りされた気分だ。お前が悪いんだぞ? うかうか隙を見せるから」

「人のせいにすんじゃねえよ、ひ、と、の、せ、い、に!!」

「えー、でもなあ」


 と、為成はぱちくりと三白眼を瞬かせた。


「そういえばお前、何で生きてるんだ? ちゃんと心の臓が止まってる事は確認したし、なんなら五寸突き立てたんだが」

「あー……」


 胸倉から手を放し、目を泳がせる矢凪。どうやら生餌体質であることは、為成には言っていなかったらしい。

 なんと言い訳するのだろうと、聞き耳を立てていると。


「――……土が良かったんだろ、土が」


 畳に伏せているアオの様子を見ながら、丞幻はぶふっと噴き出した。

 なんだ、土が良かったって。


「そうか、土が」


 しかも納得しているし。


「そう、土が」

「土……土って……んふふふふふ、土が良いから生きてるってなによ、んふふふふ……!」

「なあ丞幻」


 くい、と袂を引っ張られて顔を向ける。


「なーにシロちゃん」


 先より怒りの薄れた様子のシロは、それでも頬を膨らませたまま為成を指さした。


「あいつ、殴っていいか」

「だーめ。シロちゃんのおててが逆に痛くなっちゃうわよ」

「だって、アオを苛めたんだぞ。殴る。年増に殴ってもらう」


 矢凪とああこう言い合っていた為成が、ふとこちらに視線を投げてきた。


「そう言えば鉦白殿、あのちび狼は大丈夫か? まともに退魔の力を食らっちまってたろ」

「あら、異怪が怪異の心配するなんて珍しいわねー。大丈夫よ、薬塗ったから」


 実際、先ほどよりアオの呼吸は落ち着いている。耳の辺りをくすぐると、ぱたんぱたんと尻尾が畳を叩いた。青い目がこちらを見上げて、瞬きを一つ。大丈夫そうだ。


「人に害を為す怪異なり、邪法を使う阿呆術師を討伐するのが異怪(ウチ)の仕事だけどな。無害な怪異にまで手は出さないさ。鉦白殿の連れてる怪異二体は、人に害を為さない無害な奴って聞いてるし。……そうだ」

「ん?」

「いい加減、これを解いてくれないか?」


 これ、と自分を戒める白煙を顎で指す。矢凪がぶんぶんと首を横に振った。

 ううむ、と丞幻は顎に手を当てる。


「解いてもいいんだけど、その瞬間に『かかったな馬鹿め!』って攻撃してこないー? 花魁に凍らされかけた友達を拷問して殺すような奴、怖くってうかうか自由にできないわー」

「ああ、俺は悪人しか拷問しないから心配しないでくれ。無差別に人に手をかける阿呆じゃないさ」


 丞幻、シロ、アオは同時に矢凪を見た。矢凪が目をさっと反らす。


「矢凪?」

「…………昔、ちっとの間だけ、盗人一味のとこに厄介になってた」

「その話詳しく。どこの盗人一味? 何年前の話? お盗めはどういう所に入ってたの? お前の性格からして、そこって盗み先の奴を傷つけないまっとうな一味よね? 本拠地はどこ? 何人くらいでやってへぶっ!?」


 両肩を掴み、仰け反る矢凪にぐいぐいと迫る。矢継ぎ早に問いかけていた途中で、頬を思い切り拳で殴られた。


「るっせぇ! だから嫌だったんだよ、言うのがよお!!」

「だからって殴ることないじゃないの! 結構いい力だったわよ今の!」


 畳に倒れ込み、殴られた頬を押さえてきっと睨み上げる。


「口で言っても聞かねえ奴ぁ、拳で殴るって相場が決まってんだよ!」

「どこの相場よ!」

「ここだわ阿呆!!」

「おーい、俺を忘れないでくれー」


 のんびりと為成が声をかけてくるまで、舌戦は続いた。



「……ところで矢凪、お前、左腕」

「あ?」


 ひとまず為成の拘束を解くと、彼は「阿呆が入ってこないように結界張るからな」と部屋の四隅に何やら埋め込み始めた。

 そうしている間に、丞幻は矢凪の左腕に視線を向ける。

 先の戦い中、盾にされていた腕には五寸釘が何本も突き刺さり、鮮血が流れていた。殴った際の衝撃か、人差し指と中指が妙な方向に曲がって赤紫に腫れている。


「問題ねぇよ。その内治る」


 無惨な有様となった己の腕から釘を引き抜きつつ、矢凪は平然と頷いた。言う通り、釘が刺さっていた箇所は周囲の肉が盛り上がり、抉れた箇所を修復しようと蠢いていた。

 独立した生き物のように動く赤い肉を見て、丞幻はため息を一つ吐いた。


「お前ねえ、もう少し自分の身体を大事にしなさいよ」

「別に治るし、死なねえからいいだろうが」

「死なないのと、痛い辛いは違うわよ」

「はぁ?」


 矢凪が首をかしげる。

 本当に分かっていない様子の彼に、丞幻はもう一度ため息を吐き出した。

 いくら傷つこうが死のうが、身体の一部さえあれば復活するのが生餌の(おぞ)ましい習性だ。しかし、痛覚やそれに対する辛さ恐怖が無くなるわけではない。むしろ傷つく度、死ぬ度に恐怖は増加していくだろう。またあんな痛みを味わったら、あれよりひどい目に合ったら。そう思えば思うほど、危険へ向かう足は鈍る。

 だというのに自分を軽く考えすぎだ、この阿呆。目の前で助手が傷つく姿を見て、こちらがどう思うか考えていないのか、いないんだなこの阿呆。

 さて、不思議そうな顔をしている阿呆に、どう言って分かってもらおうか。

 苦虫を噛み潰したような顔になっている丞幻の元に、為成が戻ってきた。


「とりあえず、結界は張った。これで阿呆が入ってくることはないだろうさ」

「……」


 途端に、シロがぱっとアオの前に立ち塞がった。小さな身体で、畳に伏せたアオを庇って睨むシロに、頭をかきながら為成が苦笑いした。


「嫌われちまったなあ。……本当に悪かった、お前の友達を傷つけて」

「……」


 頭を下げられても、無言を貫いて睨み続けるシロである。いつもの人見知りが発動しない辺り、まだ怒っているようだ。

 瞬き一つせず為成を睨むシロの頭を撫でて、ふと丞幻は思い出した。


「あ、鳥」

「あ?」

「ほら、お前に預けてたでしょ。鳥の呪具。あれどこやったの」

「……」


 矢凪が無言で目をそらした。そらした先を目で追って、無惨に砕けた青水晶の鳥を発見。先の戦いの時に壊れたようだ。

 がくり、と肩を落とす。


「……あれ、高いんだけど」

「五寸の盾にしたからあいつのせいだ。あいつに弁償させろ」

「お前の日当から引くわ」

「はぁ!?」


 ぎょっと目を剝く矢凪に、当たり前でしょと返す。

 二人のやり取りを楽しそうに見ていた為成が、鳥? と首をかしげた。そう、と頷いて畳の上に散らばる水晶の欠片を指す。


「ほら、あれ。しるべ鳥を使ってここまで来たのよ」

「しるべ鳥かぁ。あれ、強力だけど値段がなあ……流石に鉦白殿は、良い呪具持ってるなあ」


 丞幻は眉をしかめ、ぶるりと肩を震わせた。


「鉦白殿って呼ぶのやめて、むず痒いわ。丞幻でいいわよ、丞幻で。……ていうかお宅、よくここまで来れたわね。かなり複雑だったでしょ」

「ああ、俺は阿呆を追跡する術を使ったんだ」

「阿呆?」


 箪笥の残骸に腰かけて、為成は丞幻の帯に挟まれた十手を指さした。


「その十手。東丸村の村人をこの異界に引き込んだ張本人のものなんだ。その阿呆の霊力を術で辿ってきた」

「……へえ」


 畳に胡坐をかいて、丞幻は目を細めた。

 異怪奉行所の同心か与力が村人を異界へ引き込み、留まり小路を変容させたと。そういうことか。


「人を守るのが異怪でしょうに。なにしてんの」

「耳が痛いな。……そいつの名は、浅沼忠。褐色肌で目つき鋭く、人を常に見下すような言動を取る嫌な奴だ」


 その言葉に、丞幻は目を見開く。


「ああ、あいつ……!」


 水面に空気の泡が立つように、少し前の記憶がぽこりと浮かび上がった。

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