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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:カギュー様

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44/193

〇 ● 〇


 最初の襖を抜けた先は、普通の部屋だった。そこから、更に別の襖を開けて先へ進む。更に次へ、次へ、次へ。その度に、屋敷の内装は異常を(てい)してきた。

 一歩ごとに障子を開けないと先に進めない、長い廊下。着物の帯が天井から数多吊るされた風呂場。何も乗っていない違い棚が壁中に取り付けられた部屋。壁に取り付けられているのに灰の落ちない囲炉裏、剣山に生けられた大量の筆、水瓶の縁いっぱいまで詰められた蝸牛の殻。などなど。

 部屋の上座に、湯気の立つ椀の乗った膳があった時などは、丞幻は思わず顔をしかめた。

 膳の中には細切り人参と牛蒡(ごぼう)、賽の目の豆腐が入ったすまし汁が入っていて、食おうとする矢凪とアオを全力でなだめすかし、引っ張りながらその部屋を出た。いくら美味しそうでも、異界にある料理なんて何が入っているか分からないのだ。怪異(アオ)はともかく人間(やなぎ)が食べようとしないでほしい。

 内装自体は気味が悪いが、ばあっ、と怪異が飛び出て襲ってくるわけではない。一行はそんな騒動を挟みつつも、鳥の導くまま順調に進んでいた。


「いーちわ、はーねたうーさぎのこ。にーわ、さんわと、たーまごをうんだ。いーくつうんだ」


 シロのわらべ歌に、アオがぱっと輝かせた。長い尻尾をひょんひょん振る。


「たまご! たまごたびたい!」

「……ひとーつ、ふたーつ、まだまだ生んだ。みーっつ、よーっつ、ひとーっつ生まれて残りはいーくつ」

「たまご! シロ、たまごありゅの? オレたまごたびたい! おにゃかすいた!」

「アオ! おれは歌ってるんだ、じゃまするな。怒るぞ」

「たまごー……」

「卵は持ってない。じゃまするな、ばか」


 ぷう、と頬を膨らませたシロが、矢凪の傍に駆け寄っていく。そのまま抱っこしろ、と両腕を広げて訴えるのを片手で抱き上げて、矢凪はじろりと丞幻を横目で睨んだ。


「おい」

「んー?」


 すげなくあしらわれ、ふてくされたアオを抱き上げ背中を撫でながら、丞幻は星飴を袂から取り出した。


「なーに、矢凪。また白い道思い出して安心するようになっちゃった? 飴食べとく?」

「違ぇわ。いい加減にこっから出てえんだよ、俺ぁ」


 いい加減飽き飽きだ、と矢凪は舌打ちと共に訴えた。なお、飴はちゃっかり奪って口に放り込んでいる。


「……あんまり気は進まねぇが、こいつの瓢箪で外に出れねぇのか? 異界の取材はこれくれぇで十分だろぅお」


 こいつ、とシロを顎で指す。ちなみに最後の「ぅお」は、自分ではなく真白のことを言っていると知ったシロが、眉を吊り上げて毬で矢凪の頬をぐりぐりと押し上げた為のものである。

 丞幻は、ぽりぽりと人差し指で頬をかいた。


「瓢箪ねー……使ってもいいんだけど。あれ、同じ人が一日に二回以上使うと、ずれちゃうこともあるんだって」

「ずれる……なにが」

「出口」


 仏頂面に向かって、笑いながら肩をすくめる。


「だからやめた方がいいわよー。使ったら目的地じゃなくて、また別の異界に行っちゃうことが多いらしいからね。ワシも昔、真白ちゃんに言われたもんだわー。『別に使ってもいいんだがなあ、丞幻。次は両目を自らくりぬかないと、出られない異界に飛ぶかもしれないぞ』って」

「ふん……結局、大人しく出口ぃ見つけるしかねぇってか」

「そゆことよ」


 頷き、丞幻は周囲を見渡した。

 真四角の部屋に調度品などは無く、壁の色が見えないほどに紙が貼られていた。壁どころか、天井、畳に至るまでべたべたべたべた、狂ったように貼られている。


「いきどまり」


 たった一言だけ、紙にはそう書かれていた。

 畳に貼られた紙を軽く蹴飛ばして、矢凪が嫌そうに顔をしかめる。その腕の中のシロは、先ほどまでの不機嫌さはどこへやら。夜明け色の瞳を半分閉じ、うつらうつらと頭を揺らしていた。

 そういえば、いつもなら今時分は昼寝の時間だ。急に腕の中が重くなった気がして見下ろせば、アオも瞼を閉じてくうくう寝息を立てていた。暢気なものである。


「糞が、同じモンばっかで頭ぁおかしくなりそうだぜ。そもそも、おい、丞幻」

「なーに」

「なんなんだよ、カギュー様とやらが連れてく、いきどまりって奴ぁ」


 シロ達を起こさないよう、密やかな声で毒づく矢凪。うーん、と丞幻は紙だらけの天井を見上げた。


「…………単純に道の無い行き止まり、息の止まる息止まり、生きる事が止まる生き止まり、死ぬ事のできない逝き止まり。……まあ、ざっと考えてこれくらいかしらねん」


 少し考えた後ですらすらと述べると、お礼代わりの舌打ちが返ってきた。


「どれも最悪じゃねえか。やっぱりカギューの野郎ぶっ殺そうぜ」

「お前が言うと、怪異もそこいらの破落戸(ごろつき)と同じように聞こえるわねー」

「破落戸の方が上等だがな。あいつら怪異と違って、とりあえず殴りゃあ言う事聞くし」

「おやめ蛮族」


 発想が物騒な助手に苦言を呈した時だった。


「……し…………あり…………ん」


 紙を踏みしめる、かさこそとした音に紛れて自分達以外の声が聞こえた。

 咄嗟に口を閉じ、矢凪を横目で伺う。彼にも聞こえていたようで、薄茶の髪を揺らして声の方向を探ろうと耳をそばだてていた。


「……じん……ますから…………お……しくだ……い」


 がき、と矢凪の唇が動く。丞幻は頷いた。くぐもった声は、子どもの声だった。上手く聞き取れないが、声音にどことなく必死さを感じる。

 熟睡しているアオを抱え直しながら、丞幻はその声が襖の向こうから聞こえる事に気が付いた。同じく襖に視線を向けた矢凪の指元を見る。青い鳥はその襖に向かって飛んでいた。

 自分達の行くべき方向から聞こえる、子どもの声。東丸村の子どもだろうか。それとも。

 畳に散らばる紙で足音を立てないよう、細心の注意を払って襖へ近づく。両開きの襖だ。例に漏れず、ここにも紙はべたべた貼られている。

 襖の右側に丞幻、左側に矢凪が陣取って、耳を襖に近づける。


「なぜ貴様はそうなのだ!! これしきの事がなぜできん!!」


 途端、壮年と思しき男の怒鳴り声が鼓膜をつんざいた。丞幻は思わず声を出しそうになって、慌てて口を塞いだ。驚いた、鼓膜が破れるかと思った。

 声は続く。


「なぜそうすぐに許しを求める! 泣いて頭を下げる! もしこれが父である儂でなく、怪異であればどうするのだ! その時も貴様は頭を下げ、泣き叫んで許しを請うのか!!」

「そんな、そんなことはありません! 怪異になど、決して許しをこいません!」


 苛立ちを多分に含んだ怒声に、涙声の子どもの声が必死に訴える。


「当たり前だ! いいか、我ら浅沼家、代々祓家として力無き者を守る為に存在しているのだ! 祓うべき怪異に頭を下げ、許しを請うなど以ての外! 万一そのような無様な姿を見せてみよ、儂自ら貴様を切り捨ててくれるわ!」


 ひ、と子どもが怯えたような声を漏らした。矢凪の眉間にぎちぎちと不快気な皺が刻まれていく。


「明日からは修練を更に増やす! できなければその次は更に増やす! 今日のような失態、二度と見せるでないぞ! よいな!!」


 雷のような大喝(だいかつ)が降ると同時に、我慢の限界が来たらしい矢凪が襖を勢いよく引き開けた。

 声が止む。室内には誰もいなかった。

 今までと違い、日陰にあるように薄暗い部屋だった。

 大きな箪笥(たんす)が十五(さお)ほど、まるでぐるぐると渦を描くように置かれている。そのせいで視界が狭いが、人の気配は感じなかった。


「あ?」


 一歩室内に入り、不審そうに箪笥の影を覗き込んでいる矢凪。それに続いて入りながら、丞幻はその背中に声をかけた。


「あのね矢凪。今の、怪現象。別に、本当の人間が怒鳴ってたわけじゃな……」


 言い切る前に、胸倉を掴まれた。息がかかるほど近く、殺気を帯びた金色の目が迫る。


「分かってんならさっさと言えや。殺すぞ」

「いやお前が小っちゃい子叱るおっさんの声にどんどん怒ってくのが面白くてつうぎゃー!」


 口髭をぶちぶちと引っこ抜かれ、悲鳴を上げた。

 なにをするのだ、人がきっちり伸ばして整えていたお洒落髭を適当に引っこ抜くなんて。あと痛い。普通に痛い。

 汚物でも見るような目で抜いた髭をぺいっと捨て、「じゃあ」と矢凪は不機嫌そうに爪先をとんとん畳に打ち付けた。


「さっきのもカギューの仕業か。やっぱり出口よりあいつ見つけて殺そうぜ」

「いや多分だけど、あれカギュー様の仕業じゃないと思うわよ。勘だけど」

「あぁ? じゃあ誰だよ。他に異界で共同生活送ってる怪異でもいんのか?」

「うーん……」


 むずかるアオを抱き直しながら、丞幻は髭を撫でつけた。

 怪異の仕業というよりこれは、記憶の残留だろう。目々屋敷で、丞幻は狂い死にした武士の夢を見た。それと同じものだ。

 ある旅人が廃村に立ち寄った際、人の話し声を家の中から聞いた。宿を請うべく戸を開けると、そこは朽ちかけたあばら家であり中には誰もいなかった――よく聞かれるこういった怪談話も、村や家に染みついた人の記憶が再生されているだけだ。不気味だが害は無い。

 しかしそれは人の住む屋敷だったり、廃村だったりでよく現れる現象だ。ここは、異界だ。怪異カギュー様の住まう留まり小路の中だ。


「浅沼……浅沼ねえ」


 先ほど、男の声が叫んでいた苗字を反芻(はんすう)する。玄関様式からして鹿野山国の祓家だろうか。ずっと流していたが、そもそもなぜ留まり小路の中にこんな屋敷があるのだろう。文献では、留まり小路の中は白い道と壁に囲まれた場所の筈だ。屋敷があるなんて話は聞いた事がない。万一、何らかの理由があって変容したとして、それはなぜか。


「浅沼家の祓い屋がカギュー様を祓おうとして失敗した? それで逆に取り込まれてその祓い屋の記憶からこの屋敷が作られた?」

「おい」

「さっきの声はその祓い屋の記憶? 留まり小路へ迷い込む条件はそれで変わった? ああそしたら待って、なんで東丸村から人がいなくなってんの、この十手の主は? カギュー様が取り込んだ人間の記憶からものを作り出すなら留まり小路はもっと屋敷や人の記憶で溢れてないとおかし」

「おい」

「ふぉっ!?」


 げしっ、と(すね)を蹴り飛ばされ、我に返った。

 返ると同時に痛みが襲って来て、丞幻は思わずしゃがみこんだ。脛がめちゃくちゃ痛い。まるで天秤棒でぶっ叩かれたみたいに、脳天まで痛みが付きあがってくる。


「いっ……だああぁぁぁ……! なにすんの矢凪! 考え事してる人の邪魔しちゃ駄目って、お父さんいつも言ってるでしょ!!」

「てめぇのがきになった覚えはねえよ」


 すぴすぴ寝息を立てるシロを抱え直しつつ、矢凪は顎をしゃくった。


「おら行くぞ。何度も言ってるが、俺ぁとっととここから出てぇんだよ」

「はいはい……分かったわよもう……」


 痛みで痺れる足を庇い、アオを落とさないようにしながら立ち上がる。

 その時、視界の端にちらりと小さな影が見えた。咄嗟に横を見る。

 部屋の隅。暗がりに、人影があった。浅黒い肌の、暗い目つきをした子どもだ。


「わたしは、はらいやになんか、なりたくなかった。なんでおまえは、ふつけなのに、はらいやじゃないんだ。かねしろじょうげん」


 おまえがにくい。ねたましい。

 上目遣いに丞幻を睨み、子どもの唇が恨みを吐く。

 瞬きを一つ。目を閉じた刹那の合間に、子どもは消えていた。


「おい。……どうした、なんかいたか?」

「いたけど、消えたわねえ」


 萌黄の頭をかいて、丞幻は目を(すが)める。あの子ども、こちらの名を知っていたが。丞幻はあんな暗そうな子どもに、とんと覚えが無い。

 はて、と首をかしげて、子どもが立っていた所に本が落ちている事に気が付いた。

 なんだろう。近寄ってそれを拾い上げ、


「うわ……」


 思わず声を漏らした。眉が寄ったのが自分でも分かる。


「ぅぶー……?」

「あー、アオちゃん、なんでもないのよー。ねんねしてていいわよ、ねんねー」


 もそもそと顔を上げるアオを、片手でゆらゆらあやす。ほどなくして、ことんと首が落ちた。また寝息が聞こえてくる。


「あー……さっきのカギュー様っぽい像より嫌だわー、こういう陰湿なの」


 表紙から中まで、ずたずたに裂かれ無惨な有様となった自分の本を見下ろして、丞幻は重たい息を吐いた。

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