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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:カギュー様

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43/193

「さて、どうやってあの馬鹿痛めつけてやろうか」


 人気の無い村を見渡して、為成(ためしげ)は空恐ろしい言葉を呟いた。

 東丸村の近くまで為成は早駕籠を使った。普通の駕籠と違い、担ぎ手が八人から十人の早駕籠は速度重視だ。徒歩一日かかる東丸村も、四刻もかからず到着できた。

 お頭より旅費を貰ったおかげである、ありがたい。前のお頭はそんな事してくれなかったので。


「人はどこにもいないか……うわ、酷い臭いだな」


 近場の家を覗き込んで、為成は顔をしかめた。

 朝餉の準備をしていたのだろうか。まな板に置かれた青菜には虫が集り、鍋にかけられた味噌汁は腐って、淀んだ臭気を漂わせている。臭いの元はこれか。


「この様からして、いなくなったのはつい昨日とかじゃなさそうだなあ」


 十軒ほどの家を全て見て回ったが、どの家も似たようなものだった。

 普通の日常を送っていただろう村の中から、人間だけが綺麗に消えている。食べ物の腐り具合から見てこの村から人がいなくなったのは、それこそあの阿呆が行方知れずになった十日くらい前か。

 一番奥にある、村守のお堂に足を踏み入れる。

 四畳ほどの、真四角の空間だ。戸の正面には村守の石像が安置されている。鳥を象った石像の前には花や饅頭など、素朴な供え物が置かれていた。当然、供え物も腐り落ち、花も枯れて茶色くなっている。

 そして青みを帯びた石で作られた村守の鳥は、木っ端微塵に砕けていた。


「失礼、村守様。少し触りますよ……と」


 一声かけて、砕けた石に手を当てる。そして為成は太い眉をしかめた。


「……消えてるなあ」


 各村に安置されている村守の石像には、神使(しんし)が宿っている。彼らは村を災厄から守り、人々を見守っている。

 その神使が、消滅していた。依り代を砕かれれば神使の力は弱まるが、消滅することはない。であれば、神使より強い存在によって消されたか。あるいは。


「あの阿呆、やらかしたな」


 石像には、絶賛行方不明中である浅沼忠の霊力がこびりついていた。

 神使を封じたり、滅したりする術は存在する。そういう悪辣な術を使う手合いを捕まえる事もある以上、異怪奉行所の与力同心もそういった術に対しての知識を学ぶ必要があった。

 故に、奉行所に所属する者が神使に害を加える事は可能なのだ。だからこそ常に、為成達は正しくあるべしと己の心を律さねばならない。


「村守様に手を出すとは、よっぽどあいつも死にたいらしいなあ」


 己の羽織を砕けた石像に被せて、為成はお堂の外に出た。

 さて、村守の神使を消滅させて、あの阿呆はどこへと消えた。それと、村にいたであろう村人達も。

 道の真ん中に落ちていた、阿呆の羽織を拾い上げる。片手で刀印を組むと、為成は目を閉じた。


()けまくも(かしこ)き事告げ神、良事禍事萬事よきことまがことよろずごと教え給え。聞こし召せ聞こし召せ、聞こし召さば禍事示し給え」


 呪文を唱え、刀印で羽織を撫でる。瞼の裏に、一つの光景が浮かんだ。


〇 ● 〇


 あれは、長屋だ。独り身の異怪同心が住む長屋。


 ――怖い、怖い。


 その部屋の隅、男が頭を抱えてうずくまっている。浅沼だ。閉じられた戸の外から慌ただしい音が聞こえる。


 ――怪異が死に際に放った呪いが身体を蝕んで……。

 ――臓腑がほとんど腐り果てているとか……。

 ――それでも生きているらしい。なんと哀れな……。


 声が聞こえる度に、浅沼の肩が大きく震えた。がちがちと歯が噛み鳴らされる。はあはあ、と荒い息がこぼれる。


 ――怖い。死ぬのが怖い。呪われるのが怖い。怪異と相対するのが怖い。同心などになりたくなかった。怪異と関わる仕事に就くのなぞ、まっぴらごめんだったのに。


 声が近づいてくる。浅沼はびくりと身体を震わせると、慌てたように立ち上がった。文机の前に座り、さも本を読んでいましたというように書物を広げる。

 やがて、戸が遠慮がちに叩かれた。


 ――なんだ、誰だ。

 ――自分です、巾木(はばき)です。浅沼さん、来ていただけますか。宝田(たからだ)同心が怪異に呪われ、ひどい状態に……解呪をしていただきたくて。浅沼さんは、解呪がお得意と聞きまして、それで。

 ――ふざけるな。己の過失で呪われた阿呆に、なぜ私がわざわざ手を貸す必要がある。

 ――……っ。


 あくまで居丈高に、浅沼が言い放つ。だが書物を握る指は、小さく震えていた。


 ――そんな事を言わないでください……宝田さんは、市民を庇ったんです。それで呪いを受けてしまって……お願いします。このままでは、宝田さんが死んでしまいます。

 ――ならば猶更(なおさら)、私が手を貸す道理など無い。市民を庇い、己の身も守れてこそ異怪の同心ではないか。自分の身すら守れぬ愚図など異怪奉行所に必要ない。そのまま死なせておけ。

 ――……!


 声の主の怒りを示すように、一際強く戸が叩かれた。それきり足音が遠ざかっていく。

 浅沼が大きく息を吐きだした。文机に両肘をついて、頭を抱える。


 ――呪われた姿など見たくない。死体など見たくない。なぜ、自らの身命を賭して他人を守らないといけない。もう嫌だ。なぜ毎日、呪われただの、死んだだの、そんな話が飛び交う所にいなければいけないのだ。


 しかし、辞職の二文字が頭をよぎる度に、父の、祖父の言葉が胸を抉った。


 ――忠よ。代々祓家たる我が家に生まれたからには、お前も異怪奉行所の同心として、立派に勤めてみせよ。力無き民の盾となるのが、お前の使命と心得るのだ。


 毎日毎日聞かされ続けた言葉は鎖となって、浅沼の心を絡め取る。その言葉を覚えている限り、逃げる事などできなかった。

 なぜだ。なぜだ。なぜ生まれた所が祓家というだけで、人を守らねばならないのだ。守らなくてもいいではないか。祓家に生まれたとて、別の道に進んでもいいではないか。


 ――いっそ、戦えぬほどの傷を負ってしまえば……。


 そう思い詰めた事は何度もあった。しかしいざ怪異の前に出れば、その爪が肉を抉る事を恐れて、身体は勝手に反撃する。その度に己の評判は上がり、危険な役目が増えていく。

 自縄自縛だ。


 ――どうしたらいい……どうすれば……。


 ふと、読んでいた書物に目が落ちる。積んでいたものを適当に開いたものだ。

 曰く。東丸村に伝わる怪異に、カギュー様というものがいる。異界「留まり小路」に出現し、異界にて絶望した者を「いきどまり」へ導くという。「いきどまり」には何も無く、未来も現在も過去も無い。ただ無窮(むきゅう)のみが横たわっている。


 ――いき、どまり……?


 書物を見つめる浅沼の唇から、呟きが零れ落ちる。その目はどこか、熱を孕んでいた――


〇 ● 〇


「……阿呆じゃないか、こいつ」


 瞼の裏に浮かぶ光景が、ふつりと消える。それからたっぷり二呼吸ほど置いて、為成はぼそりと呟いた。

 成程。あの他者に対しての居丈高な態度は、内心の臆病さと恐怖を隠す為のものか。それはともかく、あの時は怒り狂う巾木を宥めるのが大変だったし、人手が足りない中で宝田の呪いを解くのは滅茶苦茶大変だった。

 だというのにこいつ、なにを暢気に読書と決め込んでいたんだ。絶対許さん。見つけたらただではおかない。


「五寸の錆にしてやる」


 胸元に仕込んでいる五寸釘に手を当てて為成は、それはそれは綺麗な笑顔で宣言した。

 さて、宣言通り五寸の錆にしてやるには奴の元に行かねばならない。


「留まり小路か……袋小路にでも入れば、そこに辿り着けるか?」


 いや、それよりも奴を追跡する術を使った方が早いか。村人達の安否も気がかりだ。

 奴がカギュー様に「いきどまり」なるものに連れて行ってもらうべく、ここに訪れたとして。前もって村人を避難させているとは考えにくい。避難させているのなら、ああして作りかけの朝餉が残っているわけがない。急を要すると言って山辺りに逃がしたとしても、十日も経っているのだ。既に戻ってきているだろう。

 舌打ちが漏れた。寒々しい空気の流れる無人の村を見渡す視線が、一点に止まった。

 軒先に人形が落ちている。持ち主はきっと女の子だろう。布を縫い合わせて作った素朴なそれには、赤い花柄の手拭いが着物替わりに巻かれていた。


「あの阿呆。行きたいなら自分だけが行けばいいものを、村人達も道連れにしたのか」


 人形についた砂埃を軽く叩いて落とし、屋内にそっと置いておく。黒糸でできた髪を軽く撫でてやり、鋭く舌打ちをした。

 怪異に連れ去られたいなら、好きにすればいい。自分の人生だ、勝手にしろ。だが他人を、しかも守るべき人々を巻き込むとは、どういう了見だ。それでも異怪の端くれか。


「俺だって人を拷問するのは大好きだけど、それでも民に手出ししないってのに……あの阿呆」


 為成は銀髪を苛立たし気に引っかき回した。

 きっかけは、家の無惨絵だった。幼い頃、家にあった無惨絵。それをうっかり見て以降、人の苦しむ表情に悦楽を覚えるようになった。

 背中を鞭で打たれ苦しむ女。手足を釘で縫い留められ泣き叫ぶ男。膝に重石を乗せられ、歯を食い縛る老人。絵の中で責め付けられる人々の顔は悲惨であるが美しく、己の手でそんな表情を作ってみたいと思うのに、そう時間はかからなかった。

 しかし為成の心には、他者を思う良心が住んでいた。

 無辜の民を傷つけてはいけない。幼い頃から、両親からずっと言われていた言葉だった。それはしっかりと、彼の中に根付いていたのである。


 故に、何の罪も無い市民を攫って己の欲を満たす事はできなかった。しかし、他人を苦しめたい、拷問したいと思う気持ちは年々強まってくる。

 なので為成は、町奉行所に入る事にした。実家は少々、奉行所の方に顔が利く。それで武家でなくても入る事ができた。罪人を捕える町奉行所、その中でも盗賊や殺人などの危険な罪人を取り締まる、羅刹隊(らせつたい)に。

 羅刹隊は捕らえた下手人への、苛烈な拷問が許される。民ではない、根っからの悪党を痛めつけるのであれば良心も咎めない。――他人に迷惑をかけずに己の欲が、満たされる。

 数年ほど前、異怪奉行所に勧誘されるまでは『獄鎖(ごくさ)』の為成と呼ばれ、盗人達から怪異の如く恐れられたものだ。


「……っと。さてさて、どうやってあれをひっ捕らえてやろうかな」


 頭を軽く振って過去を追い返し、為成は顎をつまんだ。

 異怪奉行所でも、捕らえた下手人―呪詛をまき散らした術師や、怪異を悪用した者など―に対しての拷問は許されている。

 羅刹隊ほど強烈なものは許されていないが、嫌いな相手を拷問するのはそれなりに楽しいだろう。


「とりあえず、術で足取りを追ってみるか」


 この場から異界に飛んだのであれば、その痕跡が残る。それを見つければ、異界への入口をこじ開ける事も可能だ。

 両指を絡めて印を作り、為成は口を開いて真言を唱えた。

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