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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:カギュー様

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42/193

「あらぁ……これまた立派な玄関だこと」


 人一人、ようやく歩けるくらいの道の奥に建っているから、白壁に阻まれて見えるのは屋敷の玄関のみだ。

 戸は格子状の木組みの間に、硝子を入れて光を取り入れるようにした鹿野山国(かのやまのくに)様式。黒金のような色合いの黒檜を屋敷に使うのも、あちらの武家や祓家でよく見られる特徴だ。この屋敷はどちらだろうか。

 視線を滑らせて、丞幻は戸の真上に扇の紋様が彫り込まれているのを見つけた。


「異界に祓家の屋敷があるって、どーいう事よ。あえて天敵の家を配置するのが、最近の怪異の流行りなの? 保守的な怪異への反抗かなんか? 怪異的なわびさび? そこんとこどーなの、シロちゃんアオちゃん」

「おにゃかすいた!」

「生まれて日の浅い、自我のある怪異にはよくあるらしいぞ。いきがってわざと、ふつけの紋を入れてみたり、はらいやの恰好をしてみたりとか」

「それ絶対、成長してから黒歴史化して悶え苦しむ奴だわねん」


 人間にはよくある事だが、まさか怪異にもあるとは。ちなみに丞幻にもあったので、身につまされる話である。


「ちなみに矢凪ー、お前にはあったりする?」


 玄関をしげしげと眺めていた矢凪は、感心した口調で呟いた。


「てめぇ、よくこれが祓家の屋敷って分かったな」

「あ、人の話ぜんっぜん聞いてなかったわねお前」


 あるいは聞いてないふりかもしれないが。だって本当に色々やっていそうだし。


「……いいわよ後で聞くから。絶対。あー、で、なんだっけ。そうそう、祓家ね。簡単よー、扇の紋様があそこにあるでしょ。あれ、祓家にしか許されてない紋なの」


 へえ、と納得したように頷く矢凪。その手に絡んだ紐から繋がる青水晶の鳥は、戸に向かって真っすぐ飛んでいた。どうやら出口はこちらにあるらしい。

 戸を開けて中に入る。土間などは無く、そのまま畳敷きの空間が続いていた。縦長の部屋はおよそ三十畳。ぷん、と真新しい畳の匂いが鼻腔をくすぐった。

 草履を脱ごうか一瞬迷ったが、脱いだ所で荷物になるだけだし、異界を素足で歩くのも気が引けた。土足のままで畳に上がり込む。

 きゃあっ、とアオが歓声を上げた。先ほどまで狭苦しい道を歩いていたので、鬱屈していたのだろう。尻尾をぶんぶん振りながら、室内を転げまわる。


「ひろーい! ひろいの、しゅごいねえ、ここひろいねえ!!」

「アオ、たたみで爪とぎなんてするんじゃないぞ。みっともないからな」

「う!」


 ばりばりと傷一つない畳を猫のように引っかきながら、アオは素直に頷いた。シロの目が、きっと吊り上がる。


「なんで、うなずきながら爪をとぐんだ。お前それ、家では絶対やるなよ。だめだからな! けばけばのたたみで、おれは昼寝したくないからな!」

「う!」


 またまた素直に頷くアオだが、よっぽど爪の研ぎ心地が良いのか動きを止めない。たちまち畳が毛羽立っていく。シロが夜明けの瞳を更に吊り上げた。

 そんなちび達のやり取りを横目に見ながら、丞幻は広い室内をくるりと見渡した。

 調度品や、欄間などは見当たらない。玄関以外の三方に壁は無く、右に二十、左に二十、正面に十、片引きの襖がずらりと並んでいる。何も書かれていない襖は、とろりとした卵色をしていた。

 どこにも明かりは無いが、不思議と室内は昼のように明るい。まあ、異界に現世の理は通じないので、そこらへんは気にしない事にした丞幻であった。一々気にしていたら身が持たない。


「うげ」


 手近な襖を開けてみた矢凪が、潰れた蛙のような呻き声を上げた。


「どしたの、矢凪」


 ひょい、と矢凪の肩越しに覗き込む。


「あらー、なっがい廊下だわねえ。どこまで続いてんのかしらー」

「またこんなかよ……」


 開けられた襖の向こうには、ただただ長い廊下が伸びていた。大人二人が並んで通れそうなほど、広い廊下。果てまで続くと思うほど、ずっとずっと長く伸びているのが見える。

 両側の壁には、等間隔に両開きの襖が並んでいた。確かめようとは思わないが、多分その襖の向こうにも、似たような空間が続いているのだろう。

 屋敷の中に入ったとはいえ、ここも留まり小路の一部である事は間違いないらしい。


「まあ、鳥はこっちに飛んでないから、ここは通らなくて良さそうよ」


 矢凪の手元に視線を落として、丞幻は慰めるように肩を叩いた。青水晶の鳥は左側の壁、数えて六番目の襖に向かって飛んでいる。

 襖を閉めて、げんなりと矢凪が息を吐いた。


「さすがに帰りたくなってきたぜ、俺ぁよぉ」


 あの白い道のせいで、頭がおかしくなりそうだ、と続ける。


「さっきも、あの道にずっといりゃあ安心だって、わけ分かんねえこと思ってたし……んなわけねえのによぉ」

「安心……?」


 丞幻は、片眉をぴくりと上げた。先ほど、泡のように弾けて消えていたものが、戻ってくる。

 安心。そうだ、安心だ。戸の外では、細い道がくねくねと曲がりくねって枝分かれして、果ての果てまで伸びている。そこを歩きながら、確かに丞幻は安堵を覚えていた。

 いつ怪異が出てくるともしれない、異界の只中だというのに。

 わしわしと萌黄色の頭をかいて、丞幻は顔をしかめた。


「あー……まっずいかしらねー、これ」


 嫌になるくらい見てきた、白い壁を脳裏に描くだけで、心が凪いだように落ち着いてくるのが分かった。

 なぜならあそこには、何も無い。過去も無い。現在も無い。未来も無い。あそこにいれば、せわしない日常に戻らなくてもいい。あそこにいれば、カギュー様が迎えに来てくれる。ただただ、いきどまりで揺蕩うだけの存在になれる――


「ふんっ!」


 ぱん、と両頬を叩いた。力を入れ過ぎたので、少し痛い。危ない、異界によって思考を誘導されていた。まずい兆候だ。

 なんだカギュー様が迎えに来てくれるって。なんだいきどまりで揺蕩う存在って。新興宗教の勧誘か。誰がそんなよく分からないものになるか。阿呆か。


「丞幻、だっじょぶ?」


 アオの問いかけに答えず、丞幻は大きく息を吸い込むと、胸の前で強く手を打った。広い空間に、乾いた音が響き渡る。


「温泉! お酒! 美味しいもの!!」

「あ?」

「う? どちたのじょーげん。おにゃかすいたの? オレもおにゃかすいた!」

「どうした丞幻、温泉行きたくなったのか? でもおれ、年増に変わるのやだぞ」

「酒蒸し! 揚げ豆腐! 蒸かし饅頭! 月見蕎麦! 猪鍋!!」


 ぱんぱん、ぱんぱん、と手を叩いて食べたいものを大声で連呼する。矢凪達の、「こいつ、ついに狂ったか……」みたいな視線は綺麗に無視。

 しばらく料理名を叫び続け、丞幻は良い笑顔で額の汗を拭った。よし、これくらい叫べば大丈夫だろう。心もち、気持ちもすっきりしている。


「矢凪、お前も今食べたいの言っときなさい。大声で」

「なんで」

「異界ってねえ、長くいるとそこに影響されちゃうことが多いの。例えば、気づけば無性に死にたくなって死に場所を探してたり、そこにあるぼろぼろの姉様(あねさま)人形をまるで自分の姉さんだと思い込んだりとかね」

「それで、大声で食いてえもん叫ぶのと、なんの関係があんだよ」

「んーっとねえ……まあこんな所、早く帰ってやるーっていう気概を見せて、異界をびびらせてやる感じ? ほら、喧嘩って威勢のいい方が有利じゃない?」


 現世への執着を口に出す事で現世との結びつきを強め、異界との縁を薄くする、というのが一応の理由なのだが。喧嘩馬鹿にはこっちの方が分かりやすいだろうと、ざっくり説明する丞幻である。

 ちなみに自分が一番好きなものであればあるほど効果は高いので、好いた相手がいるなら、そちらの名を叫んでも効果はある。手を叩くのは気分だ。


「ほらほら、なんでもいいから今食べたいもの言っちゃいなさいよ、ほらほらー」

「おににり! とんじう! おににり! とんじう! おまんじゅ!」

「水まんじゅう、おちゃづけ、おにぎり、豚汁、干菓子、しょうゆせんべい」


 丞幻とアオシロで矢凪を囲み、手を叩いて囃したてる。半眼になった矢凪が、ちっと舌打ちをした。しぶしぶと言った様子で手を掲げ、胸の前で手を打つ。


「……油揚げ、串焼き肉、焼き葱、川魚の塩焼き、里芋の煮っころがし、焼き豆腐」


 完全に酒のつまみである。酒だけ飲んでいて口が寂しくなったな、絶対。


「これでいいのか?」

「いいわよー。あとこれ食べてね」


 背負っていた革袋から、持ってきた干し肉を一切れ取り出して投げ渡す。現世の食べ物を口にすることで、更に異界との縁を薄くする作戦だ。異界は何度か来た事があるが、大体これでなんとかなっている。

 自分も干し肉をがじりと噛んだ。少々塩辛い。我慢して咀嚼(そしゃく)し、飲み込む。これで恐らく、先ほどより干渉は弱くなっただろう。

 留まり小路の風景を脳裏に描いてみるが、先のような安堵感はおぼえなかった。カギュー様がどうの、いきどまりがどうのと、わけのわからない考えも浮かんでこない。


「お前はどーお? もう変な感じしない?」

「あ? ……あー、おう」


 ほっとして矢凪にも聞くと、少し考え込んだ後で頷いた。よしよし、こちらも大丈夫そうだ。

 アオが欲しそうな目をしていたので、残り半分になった干し肉を投げてやる。空中でそれをくわえ、くるりと一回転してアオは畳に着地した。


「ありがとごじゃます!」

「シロちゃんは食べるー?」

「まんじゅうなら食べる」

「お饅頭は持ってきてないわねー」

「じゃあいらない」


 ぷいぷいっ、とシロは首を横に何度も降った。動きに合わせて、おかっぱがさらさら音を立てる。

 その微かな音をかき消すように、


「かとん」


 と、不意に背後で音がした。

 丞幻は咄嗟に、音の方向を振り返る。開け放たれた玄関の戸の所に、何かが置かれていた。


「あら、なにかしらん」

「木彫りの人形みてぇだな。でんでんむしか?」

「なんだ、矢凪はでんでんむし派か、よしよし。これで二対二だな」


 でんでんむし派が増えた事に、シロが嬉しそうに頷いている。ちなみに丞幻とアオは、かたつむり派だ。


「うー? ……へんなにおい、ちないよ! だいじょっぶ!」


 ちょちょちょっと、それに駆け寄っていったアオが匂いを嗅いだ。そうして、尻尾を振ってこちらを見上げて自信満々に告げる。

 アオは危険に敏い。それが大丈夫だと言うなら、大丈夫だろう。注意深く視てみるが、確かにおかしな気配は感じない。近寄って行って、丞幻は木彫りのそれを拾い上げた。


「うわぁ……なーにこれ」

「こいつがカギュー様って奴か? ずいぶんとまあ、平凡な顔してんなぁ」


 横から覗き込んだ矢凪が、顔をしかめる。

 大きさとしては、猫が丸くなったくらいだろうか。蝸牛(かたつむり)の木彫りの像だった。

 素人が作ったものらしく、荒っぽい削り方で輪郭は歪んでいる。伸びた頭の部分に二本の触覚は無く、人の頭が付いていた。

 突き出た頬骨や、角ばった顎の辺りからして、どうやら男の頭のようだ。適当にノミで目と口を作ってみました、と言うように細い線が二つと一つ、顔の中に彫られている。

 異形の外見ではあるが、ただの木彫りの像だ。


「おい。こいつ壊しゃあ、こっから出られんのか?」

「これ、ただの木彫りの像だから。壊しても焚きつけにしか使えないわよ」

「じゃあ、なんでそれが急に現れんだよ。怪異じゃねえなら、急に出てくんなぁおかしいだろうが」


 今にも木彫りの像を砕かんと言わんばかりに、拳をべきべき鳴らしながら矢凪。本当に、ぶっ壊すしかないのか、この助手の頭は。


「めーんたまめーんめん、かーたつーむりー。おーまえのめーだまになーにのーせるー」

「るー!」


 飽きたらしいシロが、アオと広間を駆け回りながら戯れ歌を歌っている。それを聞き流しながら、丞幻は像を元の所に置いた。

 顔の下辺りに彫られた口と思しき長い線は、どこか笑っているようにも見える。草履の先でそれをつついて、丞幻は答えた。


「それこそ、カギュー様が置いたんじゃないのかしらん。これが自分の姿ですよー、ってワシらに教える為に」

「んだそれ、自己主張激し過ぎんだろ」

「怪異って結構そういうもんよ。……ま、これ自体に害は無さそうだし、壊さんでもいいでしょ。とりあえず先に進みましょ、ここでぐだぐだしてても帰れないしね」


 ひらひらと手を振って、青水晶の鳥が示す襖へと進む。

 軽やかな声が、広間から遠ざかっていく。段々と声は小さくなっていき、やがてそこには元の通りの静寂が支配した。


「かとん」


 硬いものと硬いものを軽く打ち合わせたような、音がした。

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