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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:カギュー様

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39/193

 草稿を見せる時、丞幻はいつも三尺高い所に乗るかのような苦痛と緊張を味わっている。


「……」


 す、と夕吉が畳に草稿を置いた。顔を強張らせている兄貴分を夕焼け色の瞳で見据える。


「――げん兄」


 小羽場小町(こはばこまち)(うた)われた秀麗な顔が、笑みを形作った。薄い唇から言葉が吐き出されるのに、丞幻はごくりと唾を飲み込んだ。


〇 ● 〇


「取材旅行に行くわよ!!」


 わき目もふらずひねもす亭に駆け戻った丞幻は、上がった息を整えぬままそう宣言した。室内で毬遊び……と言う名の毬の全力投げ合いをしていた矢凪達が振り返る。


「あ?」

「矢凪、早くまり! まり投げろ!」

「おまりー! じょーげんもおまりしよー!」

「取材旅行に行くわよ!!」


 反応の薄い家族達にめげず、もう一度高らかに告げる。


「……おう」


 瓢箪柄の毬をシロに投げ渡して、勝手に行け、とでも言いたげに矢凪が頷いた。


「いってらっしゃい。おみやげは新しいまりでいいぞ」

「オレね、おいちいやつ! おうどんどん!」


 ばいばいと小さな手を振るシロと、後ろ足で立って長い尻尾をぶんぶん振るアオ。

 丞幻は、懐からおもむろに手拭を取り出した。


「くぅ……っ! なによなによお前ら、家長に対して最近冷たくなーい!? 家長よ、ワシ家長よ!」


 横座りになって手拭を噛みしめ、叫んだ。

 矢凪達は剛速球で鞠を投げ合っている。

 じと、と丞幻は薄情な面々をねめつけた。


「お前らのおまんま代稼いでるワシに対してその態度! じゃあ今日から毎食煮干し一匹でいーのね! ワシその権限あるからね、家長だからね。はいもう今日の昼餉から煮干しね!」


 そそくさと矢凪達が近寄ってきた。


「しょうがねえ、どこ行くんだ。助手だかんな、手伝ってやらぁ」

「丞幻、どこに取材旅行に行くんだ? 馬走の競馬(せりうま)か? 泡咲(あわさき)の泡咲湾か? おれも行くぞ、お手伝いするぞ」

「オレもー! オレもおちゅちゅだいする!」

「ふーん、じゃあ手伝ってもらおーかしらん」


 肩をもまれ、背伸びして頭を撫でられ、頬を肉球でむにむにされる。ちょろい連中である。それで機嫌の直る自分もちょろいが、それは横に置いておく。

 横座りから姿勢を直して胡坐をかき、矢凪達にも座るよう促す。矢凪が真向いにあぐらをかくと、すかさずそこにアオがすっぽり収まった。お座り体勢で、ぶんぶん尻尾を振る。丞幻の胡坐の中には、シロがちょこりと座った。

 これが最近の丞幻達の基本姿勢である。ちなみに時々シロとアオが逆に座る。

 落ち着いた所で、「で」と矢凪が切りだした。


「なんで急に取材旅行とか言い出したんだよ、てめぇ。草稿書けたから持ってったじゃねぇか」

「……草稿を読んだ後に、にっこり笑顔で『そう言えばさあ、げん兄。こないだの目々屋敷の修理代、八両かかったんだよねぇ。いやね、これはただの世間話なんだけどさあ。壊れた欄間、かの名木工師(めいもっこうし)曽根松清五郎(そねまつせいごろう)の作品だったらしくてね。その分も入れると百三十八両もするらしいよ。いやあー、とんでもない額じゃないかい。ねえ、げん兄』って言われたのよ!!」

「ほう。つまりボツと」

「それと取材旅行と、なんの関係があるんだ? 夕吉に、おいしいおみやげを買って、きげんを直してもらうのか?」


 首をかしげるシロの頭に顎を乗せて、丞幻は首を横に振った。


「違うわよー。目々屋敷の話に、別の怪異を混ぜてもう一捻りしようと思ってね。話に面白味を出す為にさ」

「えっ。オレとシロ、おもちろくないの?」


 そんな! と言いたげに青い目を見開くアオの顎を、矢凪がこしょこしょと撫でる。


「それでねえ、貴墨以外の怪異を出そうと思ったのよー。ほら、結構貴墨の怪異ってみんな知ってるじゃない? 『藻之子』とか『要らず椀』とか『招き猿』とか『柘植櫛女形(つげくしおやま)』とか」

「へえ」

「だったらたまには、別の場所に伝わる怪異を取材して、出してみようかなーって思ったのよん。目の肥えた読者の皆々様方を唸らせようと思ってね。お分かり?」

「それで、なんの怪異を出すんだ?」


 くりっ、とシロが顎を上げて丞幻を見上げた。夜明けの瞳に、己の顔が映り込む。それが綺麗に磨かれた玉のようだなあと思いつつ、口を開いた。


「カギュー様」

「かぎゅー」

「様?」

「ってにゃーに!?」

「んっふ」


 矢凪、シロ、アオの見事な割り台詞に、丞幻は噴き出した。


「んっふふふふふ……!」

「笑ってねぇで答えろや」


 しかめ面の矢凪が手を伸ばし、頭をごんと殴りつける。そこそこ痛い。


「いっだ!? ……んもー、はいはい分かったわよ」


 この暴力助手、とぼやきながら、懐からネタ帳を取り出した。ぺらぺらめくって、該当の場所を示す。全員がそれを覗き込んだ。


「ん……?」

「なんて書いてあるんだ、丞幻」

「う、あっちにちょーちょ!」

「……カギュー様。(とど)まり小路(こみち)と呼ばれる異界に出現。留まり小路とは、袋小路に辿り着いた後、戻ろうとすると迷い込みやすい異界。カギュー様の姿形は不明。見つかると『いきどまり』に連れていかれるとされる」


 書いているのを読み上げると、三者三様に声が上がった。


「ああ、そう書いてあんのか」

「丞幻、字がへたくそだぞ。ちゃんと手習行ったほうがいいぞ」

「カギューさまって、おいちいやつ?」

「しょーがないでしょ、ざざっと書いたんだから。とーにーかーく、このカギュー様を取材に行くわよ」

「丞幻、このカギュー様って、どこに伝わる怪異なんだ?」

「んー? こっから近い、東丸村(とうまるむら)ってとこよ」


 さ、旅支度して旅支度、と丞幻はぱんぱん手を叩いた。


〇 ● 〇


 旅支度と言っても、長旅をするわけではない。東丸村は貴墨より徒歩で一日しかかからないので、また近い方だ。

 猪の皮をなめして作った愛用の革袋に、多少の着替えと手拭、替えの草履に怪異避けの守り石を放り込んで口を閉じ、懐に路銀と矢立てを入れて支度は終了である。


「別に別国に行くわけじゃないから、往来手形は要らんし。あんま大荷物じゃなくて……こらこらシロちゃん」


 玄関先で股引きをはいて着物の裾を端折りながら、丞幻は呆れ顔を作った。


「なんだ、丞幻。ちゃんと用意したぞ」


 ふんすー、と胸を張るシロ。己と同程度の大きさの風呂敷包みを横に置いて、なんともご満悦だ。どこの火事場泥棒だという言葉をギリギリで飲み込み、首を横に振る。


「お着物一着と、足袋と手拭とお小遣いくらいでいいのよー。そんなにいらないの。なに入れたの、それ」

「んーっとな、着物に、まりに、本に、ぎっちょうに、こまに、かるたに、つぼ」

「なんで壺!?」

「お前が路銀を失くした時に、『これで一つ……』って売って路銀を作る用に」


 どうだ、ちゃんと考えてるだろう。

 腰に手を当てるシロの前にしゃがみ、頭をよしよしと撫でる。嬉しそうな顔をしたシロに、丞幻は胸の前で×印を作った。


「駄目でーす。お荷物作り直してきなさい」

「むむっ!?」

「おい、俺ぁ準備終わったぞ」

「あら矢凪、早かったわねー。じゃあちょっと、シロちゃんのお荷物作ってくれる?」


 いつもの動きやすい鉄砲袖と野袴に、脚絆を付けている。袖の下には手甲が見えた。肩口に触れるか触れないかと言った長さの薄茶の髪を縛り、振分荷物を肩にかけている。腰にくくった瓢箪の中身は酒だろうか。完璧だ。

 矢凪はシロと隣の巨大荷物を見て、眉間の皺をぎちっと深くした。


「あ? なんだこの火事場泥棒。シロ、てめぇ盗みでも働いてきたのか」

「ちがう。つぼだ、つぼ」

「やり直しだ、阿呆」


 矢凪がシロを小脇に抱え、廊下を歩き去って行く。シロの叫びが尾を引いた。


「あー! おれの四半時の苦労がー!!」

「じょーげん、オレもできたよ! おにもちゅ!」


 ぴょいぴょいっと入れ替わりに、跳ね飛ぶようにアオがやってきた。狼姿で、首元に風呂敷包みを背負っている。


「あらアオちゃん、準備できたのー? 偉いわねー。それなに入ってるのかしらー。びょこびょこ動いてるわねー。ワシに教えてくれるー?」


 唐草模様の風呂敷包みを内側から突き破ろうとしているかのように、びょんびょこびょんびょこ、何かが激しく動いている。しかも複数。

 アオは長い尻尾を振りながら、弾んだ声音を上げた。


「かえる!」

「なんで蛙さん風呂敷に包んじゃったのー?」

「たべうの! ひじょちょく!」

「非常食なのー。そうなのー。非常食に干飯(ほしいい)と干し杏と干し魚ちゃんと持って行くから、蛙さんは放してあげようねー」

「う!」


 アオは素直に頷いた。うん、いい子だ。


「あっちょっ待っ」


 そして雨粒を飛ばすように身体を振って、風呂敷包みを振るい落とす。

 途端に自由を得た蛙達が、うっぷんを晴らすかのように身体を伸ばして、のびのびとあちこちを飛び回り始めた。

 丞幻は悲鳴を上げた。


「ああー! ちょっ、アオちゃんそこ閉めて! 部屋ん中入っちゃう待って待って、戸開けて、外出さなきゃ、あー!」


 結局、準備が整ったのは半時経った後であった。

鞠杖ぎっちょう:長い杖の先に槌を付けた玩具。それで鞠を打って遊ぶ。

干飯ほしいい:乾燥させた米。水などでふやかして食べる。

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