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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
昔語

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37/193

紡ぐ話は拙けれども

「おーゆーうー。あっそびーましょー」


 妹分のお夕が住む長屋の戸を、玄はとんとんと叩く。

 足元の水たまりが、日を反射してきらきらと輝いていた。


「お夕ったらー。みんなさそって、鬼ごっことかしよう……しましょうよー」


 梅雨の貴重な晴れ間である。連日の雨で外遊びができずに、くさくさしていた玄は、燦燦と晴れ渡る太陽を見た瞬間に外で遊ぶ事を決めた。

 朝餉を食べ終わるが早いか、母に「遊んでくるわー!」と一声かけて外に飛び出す。

 まず向かったのは、妹分のお夕が住む小羽場(こはば)長屋だ。異怪奉行所に父が勤めている為、玄の住まいは貴墨は本町の組屋敷。お夕が住む長屋はそこから少し離れた所にあるが、子どもの足でも四半時もかからない。


「お夕? お夕、ねてるのー? ねえー」


 とんとん、とんとん、と反応の無い戸をめげずに叩いていると。


「……」

「あ、お夕のお父上。おはようございまーす」


 戸が開いてお夕の父、長吾(ちょうご)が顔を出した。今から仕事に行く所なのか、大工道具を肩に担いでいる。

 ぺこりと頭を下げて挨拶するが、長吾はむっつりと押し黙ったまま、軽く頷くのみだった。機嫌が悪いのではなく、これが素なのである。


「お夕、起きてまーすか。ワシね、遊ぼうと思って、おさそいに来たの」


 それを知っている玄は、気にした風もなく首をかたむけた。

 長吾が黙って、大きな身体をわずかにずらした。それで開いた隙間から、玄は長屋内を覗き込む。もっこりと盛り上がった布団が見えた。


「あらー」


 玄は口を押さえて声を上げた。なるほど、またか。


「……面倒をかける」

「面倒なんて思ったこと無いですー」


 首を横に振ると、萌黄色の髪をくしゃりとかき混ぜられた。そのまま仕事に向かう長吾に手を振って見送り、玄は草履を脱いで室内に上がり込んだ。

 狭い部屋の中心で、布団の山がぷるぷる小刻みに震えている。


「お夕、おはよー」

「うぅ……げんにいぃ……」


 ぽふぽふと平手で山を叩いて声をかけると、山が崩れた。中から、小さな頭が顔を出す。

 お夕だ。夕焼け色の髪はすっかり乱れ、同色の瞳は泣き腫らして真っ赤に腫れていた。玄は安心させるように笑って、布団の山をぽふぽふ叩いた。


「今日はどうしたのー? また怖いお話聞いたの? それとも、怖い夢見たの? あ、もしかして、どっかで怖いもの見ちゃった?」

「あのね……あのっ、ひぅ……っ」

「あーあー、泣かないの。ほら、いーこいーこ」


 たちまち新しい涙を浮かべたお夕の頭を、玄はよしよしと撫でる。ぐず、と鼻がすすられた。


「いっ、……つも、あそ、でるとこ、っね?」

「うんうん。いつも遊んでるとこね。あー、あそこの空き地?」


 こくこくとお夕は頷く。

 昨日たまたま、お夕は井戸端で話をしている女衆の話を聞いてしまったのだ。

 曰く。子ども達がよく遊んでいる空き地に怪異が出るらしい。皺くちゃの小さな老爺で、時折こちらを手招くような動作をするとか。

 ああ恐ろしい恐ろしい。異怪に知らせた方がいいだろうか。子ども達に何かあったら大変だ。行方不明になるかも。いや怪我をするかも、食べられてしまうかも――。


「……で、ねっ、おじ、ちゃん、こわ……って……」

「あー……あのおじいちゃんね」


 たどたどしい言葉で説明し終えて、お夕は声も無く泣き出した。次から次へと溢れる涙を手拭で拭ってやりながら、玄は空き地の老爺を脳裏に思い浮かべる。

 確かに、自分達の遊ぶ空き地には怪異が出る。

 女衆の噂通り、幼児くらいの背丈の老爺だ。それが古びた座布団にちょこりと正座して、時折おいでおいでと手招くような動作をしているのである。しかしそれだけだ。

 あれはただ、人間の動作をなんとなく真似しているだけの怪異だ。自分一人では判断が付けられない為、父にも視てもらって無害だと太鼓判を押してもらったので間違い無い。


「もっ、あそこ、行かな……っ」


 ぱんぱんに腫れた目から涙をとめどなく零し、しゃくりあげるお夕。

 この妹分は、怖がりだ。それはもう、とても怖がりだ。なのにそういった怖い話をつい耳にしてしまう事が多い。嫌いなものほど、良く聞こえるという事なのかもしれない。そしてこうして、泣きながら布団の中で籠城する。

 しばらく頭を撫でていた玄は、お夕の呼吸が落ち着いてきた所で口を開いた。


「……あのねえ、お夕。だいじょーぶよ」

「……う?」

「あそこの空き地ね、確かにおじいちゃんの怪異がいたの。そんでね、おいでおいでしてたんだよ……じゃなくて、してたのよ」


 ひ、と幼いお夕の顔が強張った。


「でも、だいじょーぶ!」


 玄は朗々と声を張り上げて、胸の前で手を叩いた。


「さっきね、異怪奉行所の同心さんがその空き地の前に立ってたの! 悪い怪異をやっつける、正義の同心さんがね!」

「……どーしんさん? どんな?」

「え? えーっとねえ、その同心さんは黒いはかまで、猫のもようのはおりをはおって、それで……」


 さて何にしよう。きょろ、と玄は室内を見渡す。

 整頓された部屋の中、座卓に置かれた犬の張り子と目が合った。よし、君だ。


「そうそう、かわいい犬を連れてたの! あんな感じの白と黒のぶちぶちちゃん。それでね、『おさなごをいじめる悪い怪異め、みどもが退治てくれよう!』と怪異を()()()()!」


 お夕はぱちりと目を瞬かせて、こてんと首をかしげた。


「だいかつ?」

「あ、えっとね、えーっと……えーっと……とにかく、怪異をこらーってしたの」


 そうなんだ、と幼い妹分は素直に頷いた。


「どうしんさん、おこったの、かっこいい」

「あ、白と黒のぶちぶち犬ちゃんが言ったの」

「犬ちゃんが言ったの?」

「そそそ、がおーってほえて、『お前達のような怪異など、みどもが許さんぞ!』って、怪異をずばーっ! って、斬っちゃったのよー」


 立ち上がって、刀を持つように握った両手を勢いよく振り下ろす。いつの間にか布団から出て来たお夕が、ぱちぱちと手を叩いた。


「犬ちゃん、かっこいい! あれ、でも、どーしんさんは?」

「同心さんはねえ、終わった後に『ご苦労様でした! ささ、こちらをどうぞ!』って、犬ちゃんにおいしいお団子をあげてたわん。ほら、小松のおばあちゃんの所のお団子」

「それだけ……?」

「それだけ、それだけ。その後は、『ゆくぞ、下僕。このような人をまどわす怪異が、他にいるかもしれん、今日はあっちの方まで見回りだ』『分かりました! できれば向こうの方角にも見回りに……』『ばかもの! そう言ってお前は、どうせあそこのうなぎが食べたいだけだろう! お前など、今日は魚の骨だけにしてやる!』『ああ~、そんなぁ~』って言って、見回りに戻ってっちゃったわ」


 講談師も真っ青な弁舌を振るって、ふうっと汗を拭う。だから、と続けた。


「あそこの空き地、今なーんにもいないの。だいじょーぶ。だから遊びに行こ?」

「うん! あのねあのね、おゆう、おにごっこがいい!」


 さっきまでの涙はどこへやら。

 怖いものが無くなったのだと理解したお夕は、布団をはねのけて笑顔で立ち上がった。足音高く土間へ向かい、いそいそと草履を履きだす。


「げんにい、はやく! はやく!」

「んもー、すっかり元気になっちゃってえ」


 土間で足踏みして呼ぶ妹分に、玄は子どもらしからぬ苦笑を浮かべた。

 勿論、さっきの話は全部嘘だ。空き地に怪異はまだいるし、人語を解す犬とそれを連れた同心なんてものもいない。全部、お夕を安心させるために、即興で作ったでたらめに他ならない。

 怖い話を見聞きして怖い怖いと泣くお夕に、その怖いものを面白おかしく倒す話を聞かせるのが、いつの頃からか玄の役目になっていた。

 お夕は聞いた怖い話を更に自分の中で膨らませて、もっと怖くしてしまう。そうして自分で怖くなってしまうのだ。その恐怖の塊を完膚なきまでに叩きのめす話を話して聞かせると、「もういなくなった」と元気になる。その繰り返しだ。


「次はなににしよっかしらん。お夕、忍とか好きかしらねえ、怪異をたおす忍とか……?」


 お夕は三日に一度はこうなるので、玄の頭もそろそろネタ切れだ。

 今日の話す犬みたいな話はいっぱい作ったし、同心五人衆なんていう正義の味方も作った。大砲を持ったひよこが怪異をぶっ飛ばしたという話を作った時は、しばらくひよこを尊敬の目で見ていた。

 萌黄色の髪を揺らして、うーんと唸る。首をかしげると、少し伸びた毛先が首筋に当たってくすぐったかった。


「げんにい、げんにい! はやくー!」

「はーあーいー」


 まあ、いいか。その時に考えよう。頑張ってくれ、未来の自分。

 叫ぶお夕に、返事をして立ち上がる。

 自分の考えた話で笑って、喜んで、怖い気持ちを吹き飛ばした後のお夕の笑顔が、玄はなにより好きだった。

 話作りに苦労はしても、面倒をかけられていると思った事は一度も無い。


「えーっと、そうねー、まずは半田を誘いに行くわよ、お夕!」

「おうともさー!」

「んっふ、どこで覚えたのその言葉……!」


 適当に脱いだ草履を履いてお夕の手を取り、玄はころころ笑いながら水たまりを踏みつけた。


〇 ● 〇


 自分の話で怖い思いが消えるのなら、可愛い妹分の為にいくらでも面白おかしい話を作ってあげよう。

 いずれ丞幻と名を貰う少年は、そう思って今日もでたらめな話を舌に乗せた。

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