後
ひねもす亭近くの畦道は、日も落ちれば人気がさっぱりと無くなる。しかし今日はここいらの農家のみならず、町内の方からも星を採る為にやって来た人達で、ちょっとした祭りの様相を呈していた。
夜更かしできるとあって、子どもらは手を取り合って歌い、走り回るのを母親が咎める。父親衆が星網を畦道やそこを下った所にある川原に広げ、ああでもないこうでもないと言いながら、杭を打って固定する。
人が集まるのを見込んで、畦道の端には水茶屋や物売りがずらりと並んでいた。香ばしい匂いや甘い匂い、酒の香りが空気を漂い、人を集めている。玻璃竹提灯があちこちに掲げられて、昼間のようとはいかないまでも周囲はそれなりに明るい。
人込みの間を器用に抜けながら、丞幻はきょろりと周囲を見渡した。
「さーて、ワシらはどこにしましょうねえ」
「去年と同じところでいいんじゃないか? ほらあそこ、川原のところ」
ほらほら、と矢凪に抱かれたシロが、川原を指さす。ところがそこは既に人が多く集まり、網が何十と並んでいた。
「あそこは駄目みたいねん。しゃーない、別のとこにしましょ」
「じょーげん、田んぼのにゃかは? あっちー!」
「農家のおじさん達にしこたま怒られるからだーめよん。……しっかし、今年はどこもぎゅうぎゅうだわねえ……っと」
駆け行く子を避けた際に、隣の男と肩がぶつかる。頭を下げた拍子に見れば、近所の農家の男だった。
男の丸い顔に、朗らかな笑みが浮かんだ。
「お、先生。先生も星採りですかい」
「そうよん。でも、場所が中々無くってねー。良さそうな所は取られちゃってるし。お宅は?」
「うちは、ちいせえながらも庭があるんで、そこに網を広げましたよ。去年、この辺りが一番星を採れたってぇ話なんでねえ。人が多いのも頷けらぁ」
「成程ねえ」
道理ですし詰めなわけだ。
子どもらに饅頭を買いに来たんで、と話す男が雑踏の向こうに去って行く。
「庭持ちはいいわねー。ウチもあるっちゃあるけど、竹が邪魔するからあそこ広げてもあんまり落ちてこないしー」
「おい」
「なに矢凪」
シロを片手で抱き、矢凪はぐいと親指で道の向こうを指した。
「あっちだ。俺の別荘近くにゃあ、流石に人ぁ来ねえだろ。なんでも、あそこら辺は祟り神が出るらしいし」
ぶふっ、と丞幻とシロは同時に噴き出した。
「それ、それお前の事でしょ……っふふふふ」
「そうだそうだ。それお前のことだぞ、矢凪」
「う? 矢凪、たたりがみにゃの?」
「ちげえわ、誰が祟り神か」
唇をひん曲げて、矢凪はふんと息を吐く。あの周辺に流れる噂の元が己だとちっとも理解していない姿が、またおかしさを誘う。
丞幻はくつくつと笑って、肩を揺らした。それを不機嫌そうに見た矢凪が、拳を振り上げた。ごん、と鈍い音が周囲に響き渡り、なんだなんだと衆目が集まる。
「いつまで笑ってんだてめぇ。殴るぞ」
強か殴られた頭をさすりながら、丞幻は唇を尖らせた。
「殴った後に言わんでちょーだい。あー、いったぁ……」
最近、矢凪が口より先に手を出す事が増えてきた気がする。うっかり手が出るほど信頼されているのか、こいつは殴っても良い存在だと認識されたのか……。前者であってほしい丞幻だ。
ともあれ距離が近くなったのは良い事だと前向きに考えつつ、先の提案を思い返す。
確かに、あちら方面は人家が無く寂しい所だった。祟り神の噂も流れていたことだし、人気はここより少なそうだ。よし。
「ま、確かにそうね。じゃ、そっち行きましょーか」
「おう」
「その前に、丞幻」
矢凪に抱っこされたまま、シロが手を伸ばして丞幻の袂をぐいと掴んだ。
「あら、どしたのシロちゃん」
「あれ買ってくれ。おれは腹がへったぞ。あの出店の、みそ田楽食べたい」
「オレもおにゃかすいたのー。いかやき食べちゃいの」
ぐうーぐうーと、シロとアオの腹が鳴る。つられて自分の腹もぐうと鳴った。確かに、良い匂いをずっと嗅いでいたせいか、小腹が空いている。
よし、と丞幻は頷いた。
「よしよし。じゃあ適当になんか買ってから、矢凪のお家だったとこに行きましょーね」
「別荘な、別荘」
律儀に訂正する矢凪であった。
〇 ● 〇
久しぶりに見た荒れ寺は、以前よりも荒廃が進んだように感じられた。予想通り、この周辺まで網を張りに来る人はいないようで、どこか空気も寒々しい。
澄んだ月夜に照らされる壁の穴は、人一人通れるくらい大きくなっている。本堂に続く階段は腐り、足をかければ崩れそうだ。屋根に至っては完全に落ちており、本堂内に板切れと砕けた瓦が散らばっていた。
しげしげとその様を眺めてから、丞幻は隣の矢凪に顔を向けた。
「お前の別荘、あばら家って名前に改名しなさいよ。そっちの方が似合ってるわ」
「あー、そうする。人が住まねえと家ぁ朽ちるって言うが、寺もそうたぁな」
雑草が伸び放題の庭をちょこちょこ駆け回っていたシロとアオが、しみじみとしている二人の裾を引っ張った。
「丞幻、矢凪、早く網! 網かけろ!」
「おほちさまふるでしょ、はやくー!」
「はいはい、分かったわよー。矢凪、そっち持って」
「おう」
魚を獲るのと違って、星を採るには網を地面に広げる。
七寸ほどの杭を四つ打ち、網の四隅に付けられた金属製の小さな輪を引っ掛け、杭の先端に固定する。そうして中央部分を少したるませる事で、星粒を柔らかく受け止める事ができるというわけだ。
雑草のあまり生えていない所を選んで、丞幻達は網を設置した。慣れていない矢凪がやや杭打ちに手間取ったが、それでもきちんと網は設置できた。
後は星が降るのを待つだけなので、持ってきた敷物を敷いて地面に腰を下ろす。胡坐をかいた丞幻に、すかさずアオが諸手を挙げて飛びついた。
「じょーげん、いかやきちょーらい! オレのいかやきー!」
「はいはい。ちゃんとおててで持って食べるのよー。はいシロちゃんも、田楽豆腐ね」
田楽豆腐を受け取って、シロは丞幻の手元をじっ……と見つめる。
「丞幻、そっちのいか焼きも食べたいぞ。おれに寄こせ」
「だーめ。こっちはワーシーの」
寄こせ寄こせ、と伸ばされるシロの手からいか焼きを遠ざけつつ、一口かじる。長方形に切って串に刺し、甘辛い味付けをして焼かれたそれは、まだ熱かった。
舌に伝わる熱に、あちち、と丞幻は呻きながら清酒をあおる。うん、美味い。濃い味付けのいかを辛口の清酒で押し流すのがまた、たまらない。
「ん。美味しいわねー、このいか焼き」
他にも茄子田楽に焼き団子、炒り豆に塩をまぶしたもの、薄焼き煎餅に水飴を挟んだものなど、美味しそうなのものは色々と買い込んできている。星待ちの準備は万全だ。
あっという間にいか焼きを食べ終わったアオが、矢凪のかじる鹿の串焼きに目を付けた。
「矢凪! にゃに食べてうの、おいちそうね。えぇっ、それオレにくれうの? ありがとごじゃますー」
「変な小芝居すんな、やらねぇよ。大人しくいか食ってろ」
「あふ、あふ……っ」
「シロちゃん、お口ちいちゃいんだからちょっとずつ食べなさいよ。ほら麦湯」
口いっぱいに田楽豆腐を頬張り、四苦八苦しているシロに麦湯の椀を渡す。匂いに釣られてか寄ってくる虫を払いつつ、そんな風にのんびりと待っていると。
しゃりん、と錫杖が鳴るような音が天から響いた。
「お、来たかしらねん」
串に残ったいかをかじり取って、丞幻は顔を上向ける。夜空を彩る星粒。それが一つ、尾を引いてすーっと落ちてきた。
しゃりん。また一つ、すーっと涼し気な音色と共に星が落ちる。しゃりん。また一つ。しゃりん。一つ。
しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。
瞬く間に、空一杯に鈴を鳴らすような美しい音が響き渡った。細い尾を引きながら、数多の星が降ってくる。
硬い地面や荒れ寺の屋根に落ちた星は、微かな音を立てて砕けた。小さな花火のように、星粒が地面にぶつかっては銀の火花を散らして消えていく。
「……くすぐってえ」
空を見上げた矢凪が、額に当たった星粒に目を細めた。
星粒が身体のあちこちにぶつかるが、痛みはほとんど無い。むしろくすぐったい程度だ。
田楽豆腐の串を放り出して、シロが歓声を上げた。
「降って来たー! アオ、アオ、狼になれ! そしたらお前の毛皮に、いっぱい星粒がくっつくぞ!」
「う! 分かったー!」
大きく頷いたアオが、子狼の姿に戻った。星降る中をぴょいぴょい駆け回って、青い毛並みに銀色の粒をくっつけていく。
遠くの方からも歓声が聞こえてきた。高い子ども達の声が、星降る音を縫って響き渡る。
「いやー、豊星、豊星。売ってもいいけど、こら値崩れしそうねえ。全部お酒に突っ込んじゃおっかしら」
地面に張った絹網には、次々と銀色の粒が落ちては砕けず溜まっていく。見る間に小山のようになっていく星粒に、んふふと丞幻は笑った。
今年は豊漁ならぬ豊星だ。
夜空一杯の星は、四半時もしないうちに全て地上へ振り落ちた。空には白い半月がかかるばかりだ。
「あーあ、終わっちゃった。星降りって、ほんっとあっという間よねー」
炒り豆をぽりりと齧って、先ほどより暗くなった空を見上げる。一月ほど経てば新しい星が生まれてくるだろうが、それまでは月以外に夜空を飾るものは無い。
「おい。これ酒にどれくれぇ入れんだ」
「あらま、家帰る前に飲む気?」
「おう」
網に溜まった星粒は、きらきらと銀色に光っている。腰を上げた矢凪がそれを数粒手に取って振り返ったので、丞幻は指を三本立てた。
「三粒?」
「ワシはね。まー大体、二、三粒でちょーどいい感じかしらん」
「ふうん」
「それお酒に入れてー、軽く揺すってから飲んでみて。すっごい驚くから」
「へえ」
瓢箪の口に、矢凪がころころと星粒を落とした。
折角だからと丞幻も立ち上がって、絹網から星粒を三粒取って瓢箪に落とす。くるりと軽く回してから、瓢箪に口を付けてぐっとあおった。
喉奥を刺激が駆け抜ける。
「んー、美味しい! やっぱり星粒入れた時のぱちぱち感、たまらんわー」
「っ!?」
同じように瓢箪に口を付けた矢凪が、金色の目を大きく見開いた。激しく瞬いて、自分の瓢箪と丞幻とを何度も見比べる。
丞幻はにんまりと笑った。
「どーお、星酒の味は。星粒入れると、ぱちぱち弾けて美味しいのよねー。これはこれでいいもんでしょ」
丞幻の問いには答えず。
「……」
ごっごっご、と矢凪は瓢箪を無言であおった。気に入ったようだ。
星粒を酒に入れると、舌の上でぱちぱちと気泡が弾ける不思議な感覚がする。これと濃い味付けがされたつまみを合わせ、塩辛くなった口に一気に流し込むと、えもいわれぬ清涼感があるのだ。それがまた美味いのである。
「おい」
「なーに」
ぷは、と瓢箪から口を離し、矢凪は道の向こうに視線を向けた。
「まだあっちで出店出てんだろ、つまみ買って帰ろうぜ」
家で飲み直しだ。樽にそこの星粒入れて、一樽まるっと星酒にするぞ。
「あらいいわね、そうしましょ。出店って、牛筋の煮込みとかあったかしらねえ。あれと合わせると、ほんっと美味しいのよ」
丞幻は親指を立てて答えた。最高の提案だ。
そうしているうちにシロとアオが戻ってきた。どちらも、息をはふはふと弾ませている。どうやら荒れ寺を飛び出て、あちこち駆け回っていたらしい
「丞幻、矢凪、見ろ! ほらほら、アオがきらきらぴかぴかだぞ!」
「にやう? ねえねえ丞幻、矢凪、にやう?」
長い尻尾をぶんぶん振り、後ろ足でぴょこっと立ち上がったアオの全身が、きらきらと輝いている。
予想通り、青い毛並みは星粒を砕くことなく受け止める事ができたらしい。
「あらー、アオちゃんてばきらっきらね。じゃあ、今度から網張るんじゃなくてアオちゃんに頼もうかしらん」
「いーよ! にっとーはね、こばんね、きらきらね! 三まいね!」
「阿呆、高ぇわ」
「なあ丞幻、あとは家に帰るのか?」
「そうよー。でもその前に、出店で色々買って、ひねもす亭でお夜食食べましょうねー」
小さい身体を抱き上げてそう言えば、じゃあおれは葛餅がいい、と毬を抱えたシロにねだられる。
星粒まみれの子狼を抱き上げ、星網の杭を引き抜きながら矢凪が「じゃあ」と声を上げた。
「俺ぁこんにゃく田楽」
「いやお前には奢らんわよ。日当弾んでるんだから自分ので払ってちょーだい」
ち、と鳴った舌打ちに被さるように。遅れて流れた最後の星粒が、しゃりんと小さな音を立てた。
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