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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
星降る夜に

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36/198

 ひねもす亭近くの畦道は、日も落ちれば人気がさっぱりと無くなる。しかし今日はここいらの農家のみならず、町内の方からも星を採る為にやって来た人達で、ちょっとした祭りの様相を呈していた。

 夜更かしできるとあって、子どもらは手を取り合って歌い、走り回るのを母親が咎める。父親衆が星網を畦道やそこを下った所にある川原に広げ、ああでもないこうでもないと言いながら、杭を打って固定する。

 人が集まるのを見込んで、畦道の端には水茶屋や物売りがずらりと並んでいた。香ばしい匂いや甘い匂い、酒の香りが空気を漂い、人を集めている。玻璃竹提灯があちこちに掲げられて、昼間のようとはいかないまでも周囲はそれなりに明るい。

 人込みの間を器用に抜けながら、丞幻はきょろりと周囲を見渡した。


「さーて、ワシらはどこにしましょうねえ」

「去年と同じところでいいんじゃないか? ほらあそこ、川原のところ」


 ほらほら、と矢凪に抱かれたシロが、川原を指さす。ところがそこは既に人が多く集まり、網が何十と並んでいた。


「あそこは駄目みたいねん。しゃーない、別のとこにしましょ」

「じょーげん、田んぼのにゃかは? あっちー!」

「農家のおじさん達にしこたま怒られるからだーめよん。……しっかし、今年はどこもぎゅうぎゅうだわねえ……っと」


 駆け行く子を避けた際に、隣の男と肩がぶつかる。頭を下げた拍子に見れば、近所の農家の男だった。

 男の丸い顔に、朗らかな笑みが浮かんだ。


「お、先生。先生も星採りですかい」

「そうよん。でも、場所が中々無くってねー。良さそうな所は取られちゃってるし。お宅は?」

「うちは、ちいせえながらも庭があるんで、そこに網を広げましたよ。去年、この辺りが一番星を採れたってぇ話なんでねえ。人が多いのも頷けらぁ」

「成程ねえ」


 道理ですし詰めなわけだ。

 子どもらに饅頭を買いに来たんで、と話す男が雑踏の向こうに去って行く。


「庭持ちはいいわねー。ウチもあるっちゃあるけど、竹が邪魔するからあそこ広げてもあんまり落ちてこないしー」

「おい」

「なに矢凪」


 シロを片手で抱き、矢凪はぐいと親指で道の向こうを指した。


「あっちだ。俺の別荘近くにゃあ、流石に人ぁ来ねえだろ。なんでも、あそこら辺は祟り神が出るらしいし」


 ぶふっ、と丞幻とシロは同時に噴き出した。


「それ、それお前の事でしょ……っふふふふ」

「そうだそうだ。それお前のことだぞ、矢凪」

「う? 矢凪、たたりがみにゃの?」

「ちげえわ、誰が祟り神か」


 唇をひん曲げて、矢凪はふんと息を吐く。あの周辺に流れる噂の元が己だとちっとも理解していない姿が、またおかしさを誘う。

 丞幻はくつくつと笑って、肩を揺らした。それを不機嫌そうに見た矢凪が、拳を振り上げた。ごん、と鈍い音が周囲に響き渡り、なんだなんだと衆目が集まる。


「いつまで笑ってんだてめぇ。殴るぞ」


 強か殴られた頭をさすりながら、丞幻は唇を尖らせた。


「殴った後に言わんでちょーだい。あー、いったぁ……」


 最近、矢凪が口より先に手を出す事が増えてきた気がする。うっかり手が出るほど信頼されているのか、こいつは殴っても良い存在だと認識されたのか……。前者であってほしい丞幻だ。

 ともあれ距離が近くなったのは良い事だと前向きに考えつつ、先の提案を思い返す。

 確かに、あちら方面は人家が無く寂しい所だった。祟り神の噂も流れていたことだし、人気はここより少なそうだ。よし。


「ま、確かにそうね。じゃ、そっち行きましょーか」

「おう」

「その前に、丞幻」


 矢凪に抱っこされたまま、シロが手を伸ばして丞幻の袂をぐいと掴んだ。


「あら、どしたのシロちゃん」

「あれ買ってくれ。おれは腹がへったぞ。あの出店の、みそ田楽食べたい」

「オレもおにゃかすいたのー。いかやき食べちゃいの」


 ぐうーぐうーと、シロとアオの腹が鳴る。つられて自分の腹もぐうと鳴った。確かに、良い匂いをずっと嗅いでいたせいか、小腹が空いている。

 よし、と丞幻は頷いた。


「よしよし。じゃあ適当になんか買ってから、矢凪のお家だったとこに行きましょーね」

「別荘な、別荘」


 律儀に訂正する矢凪であった。


〇 ● 〇


 久しぶりに見た荒れ寺は、以前よりも荒廃が進んだように感じられた。予想通り、この周辺まで網を張りに来る人はいないようで、どこか空気も寒々しい。

 澄んだ月夜に照らされる壁の穴は、人一人通れるくらい大きくなっている。本堂に続く階段は腐り、足をかければ崩れそうだ。屋根に至っては完全に落ちており、本堂内に板切れと砕けた瓦が散らばっていた。

 しげしげとその様を眺めてから、丞幻は隣の矢凪に顔を向けた。


「お前の別荘、あばら家って名前に改名しなさいよ。そっちの方が似合ってるわ」

「あー、そうする。人が住まねえと家ぁ朽ちるって言うが、寺もそうたぁな」


 雑草が伸び放題の庭をちょこちょこ駆け回っていたシロとアオが、しみじみとしている二人の裾を引っ張った。


「丞幻、矢凪、早く網! 網かけろ!」

「おほちさまふるでしょ、はやくー!」

「はいはい、分かったわよー。矢凪、そっち持って」

「おう」


 魚を獲るのと違って、星を採るには網を地面に広げる。

 七寸ほどの杭を四つ打ち、網の四隅に付けられた金属製の小さな輪を引っ掛け、杭の先端に固定する。そうして中央部分を少したるませる事で、星粒を柔らかく受け止める事ができるというわけだ。

 雑草のあまり生えていない所を選んで、丞幻達は網を設置した。慣れていない矢凪がやや杭打ちに手間取ったが、それでもきちんと網は設置できた。

 後は星が降るのを待つだけなので、持ってきた敷物を敷いて地面に腰を下ろす。胡坐をかいた丞幻に、すかさずアオが諸手を挙げて飛びついた。


「じょーげん、いかやきちょーらい! オレのいかやきー!」

「はいはい。ちゃんとおててで持って食べるのよー。はいシロちゃんも、田楽豆腐ね」


 田楽豆腐を受け取って、シロは丞幻の手元をじっ……と見つめる。


「丞幻、そっちのいか焼きも食べたいぞ。おれに寄こせ」

「だーめ。こっちはワーシーの」


 寄こせ寄こせ、と伸ばされるシロの手からいか焼きを遠ざけつつ、一口かじる。長方形に切って串に刺し、甘辛い味付けをして焼かれたそれは、まだ熱かった。

 舌に伝わる熱に、あちち、と丞幻は呻きながら清酒をあおる。うん、美味い。濃い味付けのいかを辛口の清酒で押し流すのがまた、たまらない。


「ん。美味しいわねー、このいか焼き」


 他にも茄子田楽に焼き団子、炒り豆に塩をまぶしたもの、薄焼き煎餅に水飴を挟んだものなど、美味しそうなのものは色々と買い込んできている。星待ちの準備は万全だ。

 あっという間にいか焼きを食べ終わったアオが、矢凪のかじる鹿の串焼きに目を付けた。


「矢凪! にゃに食べてうの、おいちそうね。えぇっ、それオレにくれうの? ありがとごじゃますー」

「変な小芝居すんな、やらねぇよ。大人しくいか食ってろ」

「あふ、あふ……っ」

「シロちゃん、お口ちいちゃいんだからちょっとずつ食べなさいよ。ほら麦湯」


 口いっぱいに田楽豆腐を頬張り、四苦八苦しているシロに麦湯の椀を渡す。匂いに釣られてか寄ってくる虫を払いつつ、そんな風にのんびりと待っていると。

 しゃりん、と錫杖が鳴るような音が天から響いた。


「お、来たかしらねん」


 串に残ったいかをかじり取って、丞幻は顔を上向ける。夜空を彩る星粒。それが一つ、尾を引いてすーっと落ちてきた。

 しゃりん。また一つ、すーっと涼し気な音色と共に星が落ちる。しゃりん。また一つ。しゃりん。一つ。

 しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。しゃりん。

 瞬く間に、空一杯に鈴を鳴らすような美しい音が響き渡った。細い尾を引きながら、数多の星が降ってくる。

 硬い地面や荒れ寺の屋根に落ちた星は、微かな音を立てて砕けた。小さな花火のように、星粒が地面にぶつかっては銀の火花を散らして消えていく。


「……くすぐってえ」


 空を見上げた矢凪が、額に当たった星粒に目を細めた。

 星粒が身体のあちこちにぶつかるが、痛みはほとんど無い。むしろくすぐったい程度だ。

 田楽豆腐の串を放り出して、シロが歓声を上げた。


「降って来たー! アオ、アオ、狼になれ! そしたらお前の毛皮に、いっぱい星粒がくっつくぞ!」

「う! 分かったー!」


 大きく頷いたアオが、子狼の姿に戻った。星降る中をぴょいぴょい駆け回って、青い毛並みに銀色の粒をくっつけていく。

 遠くの方からも歓声が聞こえてきた。高い子ども達の声が、星降る音を縫って響き渡る。


「いやー、豊星(ほうせい)、豊星。売ってもいいけど、こら値崩れしそうねえ。全部お酒に突っ込んじゃおっかしら」


 地面に張った絹網には、次々と銀色の粒が落ちては砕けず溜まっていく。見る間に小山のようになっていく星粒に、んふふと丞幻は笑った。

 今年は豊漁ならぬ豊星だ。

 夜空一杯の星は、四半時もしないうちに全て地上へ振り落ちた。空には白い半月がかかるばかりだ。


「あーあ、終わっちゃった。星降りって、ほんっとあっという間よねー」


 炒り豆をぽりりと齧って、先ほどより暗くなった空を見上げる。一月ほど経てば新しい星が生まれてくるだろうが、それまでは月以外に夜空を飾るものは無い。


「おい。これ酒にどれくれぇ入れんだ」

「あらま、家帰る前に飲む気?」

「おう」


 網に溜まった星粒は、きらきらと銀色に光っている。腰を上げた矢凪がそれを数粒手に取って振り返ったので、丞幻は指を三本立てた。


「三粒?」

「ワシはね。まー大体、二、三粒でちょーどいい感じかしらん」

「ふうん」

「それお酒に入れてー、軽く揺すってから飲んでみて。すっごい驚くから」

「へえ」


 瓢箪の口に、矢凪がころころと星粒を落とした。

 折角だからと丞幻も立ち上がって、絹網から星粒を三粒取って瓢箪に落とす。くるりと軽く回してから、瓢箪に口を付けてぐっとあおった。

 喉奥を刺激が駆け抜ける。


「んー、美味しい! やっぱり星粒入れた時のぱちぱち感、たまらんわー」

「っ!?」


 同じように瓢箪に口を付けた矢凪が、金色の目を大きく見開いた。激しく瞬いて、自分の瓢箪と丞幻とを何度も見比べる。

 丞幻はにんまりと笑った。


「どーお、星酒の味は。星粒入れると、ぱちぱち弾けて美味しいのよねー。これはこれでいいもんでしょ」


 丞幻の問いには答えず。


「……」


 ごっごっご、と矢凪は瓢箪を無言であおった。気に入ったようだ。

 星粒を酒に入れると、舌の上でぱちぱちと気泡が弾ける不思議な感覚がする。これと濃い味付けがされたつまみを合わせ、塩辛くなった口に一気に流し込むと、えもいわれぬ清涼感があるのだ。それがまた美味いのである。


「おい」

「なーに」


 ぷは、と瓢箪から口を離し、矢凪は道の向こうに視線を向けた。


「まだあっちで出店出てんだろ、つまみ買って帰ろうぜ」


 家で飲み直しだ。樽にそこの星粒入れて、一樽まるっと星酒にするぞ。


「あらいいわね、そうしましょ。出店って、牛筋の煮込みとかあったかしらねえ。あれと合わせると、ほんっと美味しいのよ」


 丞幻は親指を立てて答えた。最高の提案だ。

 そうしているうちにシロとアオが戻ってきた。どちらも、息をはふはふと弾ませている。どうやら荒れ寺を飛び出て、あちこち駆け回っていたらしい


「丞幻、矢凪、見ろ! ほらほら、アオがきらきらぴかぴかだぞ!」

「にやう? ねえねえ丞幻、矢凪、にやう?」


 長い尻尾をぶんぶん振り、後ろ足でぴょこっと立ち上がったアオの全身が、きらきらと輝いている。

 予想通り、青い毛並みは星粒を砕くことなく受け止める事ができたらしい。


「あらー、アオちゃんてばきらっきらね。じゃあ、今度から網張るんじゃなくてアオちゃんに頼もうかしらん」

「いーよ! にっとーはね、こばんね、きらきらね! 三まいね!」

「阿呆、高ぇわ」

「なあ丞幻、あとは家に帰るのか?」

「そうよー。でもその前に、出店で色々買って、ひねもす亭でお夜食食べましょうねー」


 小さい身体を抱き上げてそう言えば、じゃあおれは葛餅がいい、と毬を抱えたシロにねだられる。

 星粒まみれの子狼を抱き上げ、星網の杭を引き抜きながら矢凪が「じゃあ」と声を上げた。


「俺ぁこんにゃく田楽」

「いやお前には奢らんわよ。日当弾んでるんだから自分ので払ってちょーだい」


 ち、と鳴った舌打ちに被さるように。遅れて流れた最後の星粒が、しゃりんと小さな音を立てた。

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