前
『蓮丞、元気かしらん? ごめんねえ、急に』
『大丈夫ですよ、兄様。あ、徒歩で帰られますか? それとも駕籠? 駕籠を頼むならわたしが頼んでおきますから、兄様は何もしなくて大丈夫ですよ。あ、路銀のことなら心配なさらず。先払いしておきますので』
『いや帰らんわよ。頼みがあるから連絡しただけよー』
『じゃあいつ帰って来られますか? 来月ですか再来月ですか。お夕ちゃんも一緒に来るんでしょうね。あ、大丈夫ですよ兄様。兄様に阿呆なことを言う親戚連中は軒並み物理で締め上げておきますからね、兄様は気にしなくて大丈夫ですからね』
『そうねー、正月には帰るわよ。助手を一人雇ったから、それを紹介したいしね。あとお夕は無理かしらね、今年は旦那さんの実家に行くらしいのよ、あの子』
『そうですか、じゃあお夕ちゃんのお年玉は用意しておくので、兄様が渡しておいてください。それはそうと正月まで長いですね、明日を正月にしませんか兄様』
『明日は正月じゃないわねえ。まだ長月じゃよー』
『ところで助手って誰ですか、ちゃんと人ですか? また怪異じゃないでしょうね』
『助手は人よん。ただ生餌体質でねえ、怪異にまとわりつかれちゃうの』
『生餌ですか。怪異を二体も抱え込んでいるのに、更に生餌を懐に入れたんですか? 頼みって大方、生餌が怪異に誘われないよう、お守りを作ってほしいっていう話でしょう』
『さすがワシの妹。阿と言えば吽ね。その通りよん。あの馬鹿、怪異とみれば突っ込んでぶっ飛ばそうとすんのよ。こないだも、ご飯食べた後に散歩してたら人を襲おうとしてた怪異見っけてねえ、すかさずぶっ飛ばしてたのよ。ったく、自分が生餌って自覚あんのかしらね』
『へえー。兄様、わたしにはあんまり構ってくれないのに、怪異と生餌とお夕ちゃんには優しいんですかー。ふーん』
『なに拗ねてんのよ、蓮丞。毎日こうしておしゃべりしてるじゃないの』
『足りないです。お守りは作るので報酬として甘やかしてください。当主のお仕事頑張ってる可愛い健気な妹を甘やかしてください。おすすめのお店に連れてってください。お芝居連れてってください。膝枕してください。兄様の本を情感込めて読んでください』
『ちょいちょいちょい、お待ち蓮丞。なに、お前がお守り届けに来る気? 鉦白家の当主がわざわざ来る用件でもないんだし、送ってくれればそれでいいわよ』
『いえ。ちょうど神無月の大祓祭について、そちらの奉行所や神司方と打ち合わせをしなければいけなくて。半月後にそちらに行くので、その際にお守りを届けますね』
『あー、そういやそうだったわねん。分かった分かった、じゃあ蓮丞、お願いできる?』
『任せてください。どんな怪異だろうと神だろうと近づけないほど、強力なお守りを作って御覧に入れますからね』
『いや神が近づけなくなるのは困るのよ』
〇 ● 〇
「星が降るよおー!」
きゃあっ、と楽しそうな叫び声が開けた窓から風と共に入ってきた。
「んー?」
丞幻は妹との連絡を一旦止めて、顔を上げた。窓に視線を向ける。
屋敷に続く坂の上で、数人の子ども達が犬の子のように絡まりながら走っていた。息せき切りながら、各々楽しそうに声を上げている。
「星が降るよおー! 星だよ、今日は星が降るよおー!!」
「お星様が降るよー! たくさん降るってー!」
「星が降るから、今日は早くお仕事終わらせないとだよー!」
きゃあきゃあと、楽しそうな叫び声が遠ざかっていく。筆をくるりと回して墨を散らしながら、丞幻はああと一つ頷いた。
そうか、もうそんな時期か。
「星降りの報せを聞くと、秋が始まったって感じよねー。しみじみするわー」
つい最近までうだるように暑かったのだが、季節が巡るのは早い。最近は寝苦しい夜も無くなってきたし、すっきりとした爽やかな風が吹くことも多い。
きっとそう思っているうちに、銭湯で温まった身体が家に着くまでに冷えるようになり、炬燵が手放せなくなるのだろう。
「あーあ。ほんっと月日が経つのって早いわあ」
文机に広げられた巻物に並ぶ、癖のある丸い文字を眺めて、年寄じみた感想を漏らす。
丞幻の後ろをちまちま着いて歩いていた妹も、今年で十八。文字のやり取りを交わす時はいつもの寂しがり屋で甘えん坊の顔が強いが、鉦白家当主として立派にやっているらしい。こちらに流れてくる評判は、良いものが圧倒的に多かった。
小さい両手を思い出して感傷に浸っていると、巻物の余白に文字が滲むようにじわりと現れた。
『兄様、お守りは組紐でいいですか? それとも守り袋? 耳飾りや簪もありますが、どうしましょう』
『そうねえ』
ふむ、と少し考える。矢凪のことだから、耳飾りや守り袋なんて渡しても面倒だと放りっぱなしにしそうだ。その姿が目に浮かぶ。
なら組紐にしようか。襟足が長くなって鬱陶しいと、最近紐で縛ることが多くなった。切ればいいのにと言ったら複雑な顔をされたので、多分あれは切りたくないのだろう。
『組紐にしてくれる? 物を多く持ちたがらない奴だから、そんくらいでちょーどいいわ』
と、書いていると小さな足音が二つ、ばたばたと駆けて来るのが聞こえた。
「じょーげん! おほちさま! おほちさまふるって!!」
「丞幻、星網買うぞ、星網。去年の星網、もう古くなって破れてたんだ。あれじゃあ、星がすり抜けて地面に落ちるぞ」
ぱぁん、と襖を勢いよく開けて、興奮した様子のアオとシロが顔を出した。
ごしゃごしゃの室内を遠慮なく踏み荒らしてきた子狼姿のアオは、膝に飛び乗って頬に頭突きを繰り返し、シロはぐいぐいと肩の辺りを引っ張る。
「早く行くぞ、丞幻。矢凪も連れて早く買いに行くぞ、今年こそ、きぬの星網だからな。あとな、ひるげはにぎりまるがいい。にぎりまるにしろ」
「にぎりまうー! とんじうー! おほちさまー! じょーげん、はーく、はーやーくー!」
「あーもう、分かった分かったわよー! ちょっとしたら行くから、矢凪連れて玄関で待っててちょーだい!」
「はやくねー!」
「分かった、矢凪のかいぞえは任せろ」
「んー、シロちゃんちょーっとその意味は違うわねー」
来た時同様にばたばた出ていく二体を見送って、丞幻は手早く妹へ別れの挨拶を書いた。返事が返ってくるのもそこそこに、くるりと巻物を丸めて紐で締める。
綴巻物と呼ばれるこの巻物は、遠く離れた相手と直接文字のやり取りができる便利なものだ。手紙のように、返事が来るのが何日も先ということがないので楽だが、その分庶民の手に届かない程に高価である。
文机の上に巻物を放り、丞幻は財布を取って立ち上がった。
〇 ● 〇
「星網ぃー、星網。いっとう上等絹織り網、次に上等兎の毛ぇー、みそっかすなのは麻の網ぃー」
にぎりまるで昼餉を終えて、腹ごなしに蛙田沢の通りをぶらつく。
今日は星降りの夜だからだろう、何人もの星網屋が声を張り上げながら歩いていた。通りを歩く幼子が、母の手を引いて絹織りの星網をねだっている。大量の網を買っているあの奉公人は、星菓子屋か星細工屋の者だろうか。
澄んだ青空に響く星網屋の売り声に、こちらの気分もわけもなく浮き立ってくる。
「星が降るだなんだとうっせえなぁ……何がそんなに楽しいんだか」
隣の仏頂面は、全くそんなことはないようだが。
首の後ろをがしがしかきながら、喧噪に眉をしかめて露骨に舌打ちする矢凪。すかさず、抱きかかえられているシロが、毬をぐいぐい矢凪の頬に押し付けた。ちなみに最近のシロは、矢凪にだっこされることを殊更好んでいる。曰く「抱かれ心地が最高」なのだそうだ。
「矢凪、矢凪。舌打ちすると幸せが逃げるんだぞ。知ってるか。だから舌打ちしたらだめなんだぞ、分かったか? 返事は?」
「あーあー、分ぁった分ぁった」
「返事は一回だ」
「分かった」
「よし」
丞幻は、自分の背中にべったり張り付いているアオに視線を向けた。
「まー、ちょっとあれ見なさいよアオちゃん。二人していちゃいちゃしちゃって。ずるいわねえー」
「ねー。じゃあオレ、じょーげんといちゃちゃしちゃげるね!」
「やだ、アオちゃん良い子ねー。よしよし、あとでシロちゃん達に内緒でお菓子食べましょうねー」
「う!」
くすくすと笑いあって密談していると、矢凪に抱かれたシロがぱたぱたと足を動かした。
「じょーげん、星網! 忘れてないだろうな、うちの網はもう使えないぞ」
「忘れてないわよー。でも絹織りの網は高いから、買うなら兎の毛かしらね」
「なんでだ! きぬにしろ、きぬに!」
長月の初め、陽之戸国には星が降る。
地面に落ちれば砕けてしまうほど、脆い銀色の星粒。それを地面に落ちる前に柔らかい網で受け止めることで、砕ける前に手に入れることができる。
手に入れた星粒は帯や櫛などの飾りにもなるし、黒漆の箱に塗りこめれば満点の星空のような美しさを生み出す。飾るだけでもなく食べる事もできるので、茶に混ぜて飲むと味に深みが出るし、飴や葛餅に混ぜれば、きらきらとして綺麗な菓子の一丁あがりだ。
「んで、手に入れた星ぃどうすんだ。売るのか」
「そうねー。たくさん取れたら半分くらいは売ってもいいかしらん」
「ふうん」
星網屋を呼び止めて、道の端で網を見せてもらう。手に広げられた網は絹、兎の毛、麻の三種類。矢凪が何の気なしに聞いてきたので、丞幻は網に視線を落としながら答えた。
星細工屋や星菓子屋に採った星粒を持って行けば、銭と交換してくれる。実入りの少ない者にとっては、ちょっとした小遣い稼ぎになるのである。
「こちら、毛の柔らかい白兎の毛で作られた網ですよう。絹には及ばずとも、十分に星粒を受け止めれます」
「うーん。まあそれならいいかしらねえ」
麻の網は安いが、星粒を受け止めるにはちょっとばかり硬い。やはり兎の毛だろうか。シロの欲しがる絹織りの網は、一枚で銀三枚もする。
年に一回しか使わないのだから、わざわざ高級品を買わなくてもいいと思う丞幻だ。
「きぬがいい、きぬにしろ、丞幻」
「オレもー。オレもね、きにゅがいいの。うちゃぎはね、おいちいにおいしゅるの。たべたいの」
「ちなみに丞幻。うちの星網が破れたのは、アオがかじったからだからな」
「シロ! 言わにゃいでって言ったしょー!」
ぴっ、とシロが小さな白い指を立てた。
「黙ってろ、アオ。いいか。ここで兎の毛じゃなくてきぬの星網を買ってもらうためには、お前が兎の毛をかじるというのを、丞幻に印象付けておかないとだめなんだ。そうすれば『しょーがないわねー』ってきぬの星網を買ってくれるからな」
「しょーがないわねー、麻の網にしようかしらん」
「なんでだ!?」
話が違う、とでも言いたげに目をまん丸にするシロの鼻を、丞幻は軽くつまんだ。そういう内緒話を、本人の目の前で言われても。
「ま、冗談は置いとくとして。やっぱ兎かしらねん。アオちゃんが開けれないとこに仕舞っとけばいいだろうしー。矢凪、お前はどう思う?」
「あ?」
あらぬ方向を眺めていた矢凪が、面倒そうに顔を向けた。
「何でもいいだろうが、別に」
「え、お前興味無いの? へー、意外だわー」
「はぁ?」
喧嘩売ってんのか、とでも言いたげに片眉を跳ね上げる矢凪に、丞幻はことりと首をかしげた。
意外だ。こいつなら絶対、夢中で星を取ると思ったのに。
「ちび共はともかく、そんなで俺が喜ぶわきゃねぇだろうが」
「お前、もしかして知らんの? うっそ、ほんと? お前、飲兵衛なのにねえ。へぇー、知らないの、そう。ふーん。飲兵衛なら常識なのにねえ」
「勿体ぶらんではよ言え。殴るぞ」
握り拳が飛んできた。ぐりぐりと、頬骨の辺りを抉られる。拳に段々と力がこもってきた。
「あー、止めて止めて地味に痛い! 言う言う、言うから!」
「おう」
「もう、この暴力助手。……星粒ってさあ、清酒に入れるとめっちゃ美味しいのよ」
「おい親爺、上等の絹網寄こせ」
打って変わって目をきらきら輝かせ、星網売りに迫る矢凪。丞幻はそれにしみじみ呟く。
「んー……ほんっと、ちょろいわ」
いやしかし待てよ。ここで絹網派が一人増えるのはまずいのでは。
ばっとシロに視線を向ける。
味方が増えた事を察したのか、シロは顔いっぱいに怪異と呼ぶにふさわしい邪悪な笑みを浮かべていた。
結局、銀三枚出して絹網を買う事になった。
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