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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:赤女郎

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31/193

 ひょぅ……ひょうぅ……。

 どこからか物悲しい鳴き声が聞こえて、私は目を開けた。

 ひょぅ……ひょうぅ……。

 声は途切れる事無く、聞こえ続けている。聞いているだけで胸を締め付けられるような、悲しい声だ。私は音を立てないようにそろりと身を起こした。

 他の禿の子達は、それぞれ布団にくるまってすぅすぅと寝息を立てている。彼女達を起こさないようにして、外へ出た。

 夜風が冷たい。単衣の(えり)をかき合わせるようにして、私は外廊下から庭へ下りる。一刻ほど前までは眩しいくらいに輝いていた月は、厚い雲に覆われてすっかり顔を隠していた。


 ひょぅ……ひょうぅ……。

 鳴き声に導かれるように、私はあまり手入れのされていない庭を、音を立てずに抜ける。

 ほどなくして、この福亀屋をぐるりと囲む竹林に行き当たった。竹林は広く、そこを通る細道はくねくねと曲がりくねって、まるで迷路のようだ。だけど、お客様達には「秘密のお宿のようでそこが良い」と評判なのだ。

 ひょぅ……ひょうぅ……。

 竹の間を、鳴き声が通り抜ける。道の通っていない所は、太い竹が密集するように生えていて、おまけに藪も多い。とても人が入れるような所ではない。……だから、誰も好んで通ろうとする者はいない。


「……」


 少し考えて、私は竹に飛びついた。なるべく竹を揺らさないようにして、上へとのぼる。木と違ってつるつるした表面はのぼり辛いけれど、十分に気を付けていれば落ちることは無い。藪をかき分けていくよりマシだ。

 ある程度の高さまでのぼったら、手を伸ばして隣の竹へ移る。そしてまた隣の竹へ。笹を鳴らさないように気を付けながら、私は竹林の奥へ奥へと進んで行った。

 すんっ、と誰かが鼻を鳴らすような音がした。

 私は隣の竹へ移ろうと伸ばしていた手を止める。密やかな声が、先ほどまで聞こえていた鳴き声の代わりに響いた。


「――影を友とする、汝は誰ぞ」


 私は右手で鼻の頭を軽くこする。そして答えた。


「――名も無き小さなつむじ風」


 呵々(かか)、と笑い声が下から響く。

 私は足元を見下ろす。藪の無いむき出しの地面。太い竹のそばに、人影があった。黒い頭巾、黒の口布、身体に添うような黒装束。影が凝ったような、真っ黒な人影。

 ひょぅ、と先ほどの鳴き声が、口布の下から響いた。


「藪漕ぎで来るだろうと待ってたが、まさか竹ェ伝ってくるたァね。マァいいさ。下りてこい」

「はい」


 私は手を放して、影の前に着地する。膝を曲げて衝撃を殺し、そのまま片膝を付いて頭を下げた。


「ご無沙汰しています、嵐様」


 オゥ、と嵐様は口布を引き下ろして快活に笑った。



 今はあかねという名の禿だけど、私は忍だ。

 頭領である嵐様を筆頭に、総勢三十余名。全員が無月一味のお頭、十六夜様にお仕えしている。福亀屋に禿として入り込んだのも、十六夜様に命を受けた嵐様の指示によるものだ。


「そィで? 赤女郎は集まったかィ」

「はい」


 私は頷いて、立ち上がった。単衣の衿に手をやって、そこに隠していたものを取り出す。革製の、小さな煙草入れだ。蓋に、『封』と朱墨で書かれた呪符を貼り付けている。


「あちこちの遊郭からかき集めた、赤女郎三十体です。この煙草入れに封じています」

「よし」


 煙草入れを受け取って、嵐様がそれを懐に入れる。そうして、私の頭をぽんぽんと撫でた。心から労わるような声が降ってくる。


「悪いなァ。急な事だったから、大変だったろう」

「いいえ。元の潜入場所より楽でしたから、むしろ助かりました」


 元々私は、次に無月一味が狙う呉服屋に子守りとして雇われていた。だけど、そこで働く女中の一人に、どうしてか目の仇にされて四六時中付きまとわれる羽目になった。流される陰口も悪評も別にかまわないのだけど、私の失敗をいち早く見つけてあげつらおうと、常に監視されるのは困ってしまった。

 私の役目は、家族と奉公人の動きと間取りの把握。だけどそれも、監視されていては上手くできない。

 だから、嵐様が持ってきた「禿になって遊郭に潜入し、怪異・赤女郎を三十体収穫しろ」という指示は渡りに船だったのだ。


「そう言ってくれりゃア、こっちも有難いやね。しかし、半月で三十体たァよくやった。一月はかかる計算だったからなァ。お頭もお喜びになるだろうさ」


 腕を組んで背後の竹にもたれた嵐様が、疲れたように笑った。


「いきなり『嵐さん。しばらく私、赤女郎の肉を食べていないんですよね。あの乳臭い女の肉が、時々無性に食べたくなるんですよ。収穫してきてくださいますか? 三十体ほど』だからなァ。こっちはあれこれ仕事ォ言いつけられて忙しいってェのに」


 十六夜様の声色を出して、嵐様は肩をすくめる。細い女性の声を苦も無く出すなんて、流石は私達の頭領だ。感心しながら私は頷いた。


「それで、私にお鉢が回ってきたのですね」

「アァ。俺ァ手が離せねェし、右近と左近も怪異は狩れるが、あいつらは厨から離れられねェ。お前しかいなかったんだよ」


 なにせ、無月一味(ウチ)で怪異収穫ができるのは俺達四人くれェだからなァ。

 そう言って、嵐様はもう一度私の頭を撫でた。

 嵐様は私を急な任務に駆り出した事をすまなく思っているみたいだけど、私は全然そんな事はない。

 このままでは、十六夜様の期待する結果が出せないと焦っていた所だったので、怪異狩りの任を言い渡された時は本当に助かった。赤女郎はほとんど無害だから狩るのも簡単だし、禿には何度か変装した事がある。

 だから、本当に苦ではなかった。


「私は大丈夫です、嵐様。……それより、お耳に入れたい事があります」

「ン?」

「この店に作家と助手が来ました」

「――ほぅ」


 嵐様の黒曜石のような目が、鋭さを帯びた。腕をまた組んで、竹にもたれかかる。


「詳しく」

「はい。作家の方は僅かに千方国(ちかたのくに)方面の訛りが聞かれましたので、出身はその辺りかと。体幹にぶれが無く、足運びに武道の色が見られました。助手の方は貴墨訛りが強く出ていました。客にも関わらず喜助(きすけ)のような動きをしていた為、遊郭で奉公していた経験があると思います。こちらも戦いの心得はありそうでした」


 私は、先ほど会った二人の客について詳しく嵐様に伝える。

 お座敷での怪談会、それが終わった後の行動、物置に潜んでいた時の会話、赤女郎を消滅させた時の事。


「――その後は、それぞれ指名した遊女の元に戻りました。以上です」


 微に入り細を穿つように報告し、一つ息を吐く。沢山喋って、少し疲れた。


「成程。わざわざ歌を歌って、満足させてやるたァね。有象無象の怪異相手に随分とまァ、情の深い連中だ」

「……あの、嵐様」


 呟いたきり、何事かを考え込む様子の嵐様に、私はそろりと声をかける。視線だけを向けてきたので、私はかねてよりの疑問をぶつけた。


「あの二人は、何者なのでしょうか。なぜ十六夜様は、二人の調査を?」

「気になるかィ」

「はい」


 気にならないと言えば嘘になるので、私は素直に頷いた。忍の任務に疑問を持つべきではない。粛々と命じられた事をこなせばいい。頭ではそう分かっているのだけど。

 なぜ十六夜様がただの作家と助手の身辺を細かく調査するよう命じたのか、それがどうしても気になる。

 何の特徴も無い嵐様の顔に、微苦笑が刻まれた。


「しょうがねェなぁ。……マ、好奇心があるのと疑問に思うおつむがあるのは悪い事じゃねェ。唯々諾々と牛みてェに従うよりかは上等さァ」


 特に隠し立てする事でもねェしな、と腕を組んだまま、くっくと嵐様は笑った。


「見鬼持ちで、怪異を祓える作家と助手。そいで、それに懐いてくっついてる怪異二体。どうにか使()()()()()と、お頭は思案中なのさ。だから付け入る隙を探す為に、身辺調査を俺達が請け負ったってェ寸法だ」

「そう言う事だったのですね」


 納得して頷き、私は萌黄髪と薄茶髪の二人を思い浮かべる。

 怪談会での様子や、物置での会話を思い返すと、素直に十六夜様に従う姿が見えなかった。本当にあの二人は十六夜様の為になるのだろうか。あんな怪異相手に情をかけるくらいだ。むしろ、正体を知れば奉行所にでも駆け込みそうだ。……そうだ、いっそ十六夜様の害にならないうちに、今福亀屋に泊まっているうちに、どうにか策を講じた方がいいのでは。


春風(はるかぜ)

「っ!」


 頭の中で色々と考えていると、ふと真の名を呼ばれた。はっとして、顔を上げる。温度の無い瞳と目が合った。


「春風」

「……はい」

「使うか、使えねェか。消すか、消さねェか。決めるのはお頭だ。お前じゃねェ」


 静かな声が耳に痛い。私は深く頭を下げた。


「申し訳ありません、出過ぎた事をいたしました」

「いいさ、間違いは誰にでもあらァな。次に活かせりゃそれでいい」


 気持ちを切り替えるようにからりと笑って、嵐様は竹から身を離した。


「マ、とにかくお前の任務はこれにて終了だ。もう福亀屋にいる理由もねェ」

「はい。では、次の任務ですか?」

「いや、ひとまず帰ってこい。ここ最近のお前の働きぶりを評価して、お頭が労ってくれるらしいぜィ。良かったなァ、春風」

「十六夜様が、私を……?」


 夢みたいだ。呆然として問い返すと、嵐様は笑顔で頷いた。


「俺ァ、これを届けなきゃいけねェから先に帰る。お前は()()()()()()()()()来い。いいな?」

「はい!」


 勢い込んで頷くと、「声がでけェよ」と嵐様は笑った。その一瞬後に、葉擦れの音すら無くその場からかき消える。


「十六夜様が……私を、褒めてくれる……!」


 残された私は、嵐様に言われた言葉を噛みしめるように繰り返した。じわじわと、頬に熱が溜まっていく。手のひらを頬に当てると、ひどく熱い。

 私は地を蹴った。竹を蹴りつけ、しなる勢いを利用して離れた竹へ飛ぶ。笹揺れの音が夜闇を切り裂いたが、どうでも良かった。とにかく、早く遊郭へ戻りたかった。

 唇が緩んでいくのが止められない。引き締めようと口の両端を引き結ぶけど、力を入れないと勝手に笑顔を形作っていく。

 十六夜様が。十六夜様が、他でもないこの私を褒めてくれる。これほど嬉しい事があるだろうか。

 忍衆の中で一番幼い私は末席。十六夜様に直接お会いして、お言葉をかけて頂く機会なんてほとんど無い。他のみんなもそうだ。

 嵐様だけは十六夜様の懐刀だから、いつも傍近くにお仕えしているけど。私だって、十六夜様のお傍にいてお仕えしたい。直接お言葉を頂きたい。ずっとそう願っていた。

 それが今日叶う。嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい!


 急いで帰って、あかねという名の禿を亡き者にしないと。それで私は晴れて自由だ。身代わり用の傀儡は既に用意してある。

 獣の皮を貼った傀儡は、一見して偽物とは見分けがつかないくらいにそっくりだし、質感も人間の肌のそれだ。井戸に落として、夜中に水を飲もうとして誤って落ちた事にしよう。遊郭で出た死体は、ロクに調べられもせず花弔寺(はなとむらいでら)に投げ込まれる。中身を調べられる事もない。

 ああ……どんなお言葉を頂けるんだろう。褒賞は頂けるのだろうか。それとも、お菓子を振舞ってくれるのだろうか。楽しみだ。

 私は浮き立つ気分のまま、竹を強く蹴りつけた。


〇 ● 〇


「あーあー、しょうがねェな」


 ぶおんぶおん、と豪快に竹が揺れている。

 月の無い竹林の下、鳥のように竹の先端に佇んでいた嵐は、次々と左右に揺れていく竹の群れにただ苦笑した。

 優秀であるが、あの子はまだ十でしかない。幼い部下に今回は色々と苦労をかけたので喜ばせてやろうと言った一言だったが、隠密行動を頭からすっ飛ばすほどに嬉しかったようだ。


「しょうがねェ。猿でも来た事にすっかねェ」


 笹が揺れる音は案外大きい。遊郭まで届いているだろうし、誰かが様子を見に来たらことだ。調査対象もいるのだから、なるべく事を荒立てたくはない。

 嵐は軽く息を吸って、喉の奥から猿の鳴き声を迸らせた。

 夜気を切り裂いて、声が飛ぶ。これで誤魔化されてくれるだろう。この時期、餌を探して猿がこの辺まで下りてくるのはよくある事だ。

 ひょーぅ……。

 遊郭の近くから、申し訳なさそうな鳥の声が届いた。春風のものだ。


「……お?」


 嵐は片目を軽く見開き、一拍置いて穏やかに笑った。

花弔寺はなとむらいでら=遊郭で働く遊女が死んだ時に投げ込まれる寺。現実でいう浄閑寺、投げ込み寺。

喜助きすけ=遊郭で働く男性スタッフ。布団の上げ下げや行灯の油さし、客のいざこざなど幅広い仕事をこなした。



怪異名:赤女郎あかじょろう

危険度:丁

概要:

遊郭に現れる怪異。

赤子の頭と艶めかしい女の身体を持つ怪異で、夜に泣きながら廊下を彷徨うくらいで害は無い。力の弱い怪異の為に徒人に視える事は無いが、障子越しに影が視える事はある。

間引きされた赤子の魂と、売られた娘の嘆く思いが融合して生まれた怪異。理不尽な運命に泣く赤子と娘がいなくならない限り、赤女郎は消えない為に不滅の怪異と呼ばれる事もある。


『貴墨怪異覚書』より抜粋。

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