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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:赤女郎

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29/193

「あかね、あかね。ちょいとこちらに来なんし」


 雲藤(くもふじ)姐さんのお部屋を掃除していた私を、当の姐さんが呼びに来た。

 名の通り、雲みたいなふわふわした藤色の髪を揺らして、姐さんはちょいちょいと白い手を動かして私を呼ぶ。私は手にしていた布を置いて、姐さんの元へ駆け寄った。


「あい、姐さん! なにか御用でありんすか?」

「これ、はしたない。走ったらいけんせんよ。それと、大きな声も上げたらいけんせん」


 姐さんが、困ったように柔和な顔を微笑ませた。いけない、姐さんを困らせてしまった。

 禿(かむろ)の行儀が悪いと、それは師匠である姐さん方の教えが悪いということになり、遣り手の婆様に怒られてしまうのだという。私のせいで、雲藤姐さんが怒られるのは駄目だ。

 私は慌てて、頭を下げた。それからできるだけおしとやかに、小首をかしげてみせる。


「ごめんなさい、姐さん。それで、なんのご用事でありんすか? お使いでありんすか?」


 雲藤姐さんはさっき、お客様が来られたので他の姐さん方と一緒にお座敷に行かれていた筈だ。

 この福亀屋(ふくかめや)では、他の遊郭と違って張見世が無い。お客様が来られたら、遣り手の婆様が姐さんを何人か選び、お座敷で宴をする。その後で、お客様は気に入った姐さんを選んで床入りするんだそうだ。禿の私は宴に出るのを許されていないから、聞いただけだけれど。

 姐さんはやんわりと首を振った。結っていない藤色の髪が、ふわふわ揺れる。たおやかな仕草で腰を折って、姐さんは私の耳に形の良い唇を寄せた。


「あかね。ぬし、なにか怖い話を知っているでありんすか?」

「怖い話……?」


 きょとり、と私は目を瞬かせる。

 怖い話、と言われても。どうして姐さんは急にそんなことを言い出したんだろう。不思議に思って首をかしげると、姐さんの色づいた唇が微苦笑を浮かべていた。


「今、お座敷にいる旦那様が、そう言った怖い話を聞きたいと仰っているんでありんす。けど、わっちはそう言う話に、とんと縁がなくって」


 姐さんが、蔦模様の刺繍がされた襟を細い指で撫でつける。困った時の姐さんの癖だ。


「あかねは知っているかもしれないと思って、呼びに来たんでありんすよ」

「でも、姐さん、急にそんなことを言われても……」


 何かあっただろうか。お客様に話しても大丈夫……というか、怖いと思ってもらえる話はあるだろうか。

 私は少しの間考えて、「そういえば」と思い出した。


「半月前に私、じゃなかった、わっちがここに来たばっかの時に、変なものを見んした。そんなのでいいなら、話せるでありんす」


 雲藤姐さんは、ほっとしたように笑った。


「それでようござりんす。そいじゃあ、こっちにおいでなんし。お座敷に一緒に行きんしょう」

「えっ?」


 着物の裾を揺らして立ち上がった姐さんが当たり前のように言うので、私はびっくりしてしまった。

 他のお店はどうか分からないけれど、ここでは水揚げも終わっていない禿がお客様の前に出るのは禁止されている。だというのに、私がお客様の前に出ていいのだろうか。姐さんが私から話を聞いて、それをお客様に話を聞かせると思っていたのに。

 そう聞くと、姐さんはまたまた困ったように笑った。


「最初はわっちもそうしようと思いんしたけど、お客様が『本人から話を聞いてこそ面白いのよー!』と仰って」

「楼主様とか、婆様はなにも文句を付けなかったんですか?」

「たっぷりと花代を弾まれたらしゅうて、目こぼししているでござんすよ。桃風(ももかぜ)緋灯(あけひ)も、自分の禿を連れてきんしたから」


 さ、と促されて、私は頷いた。



 私達のような禿が寝起きする禿部屋や、姐さん達の部屋とお座敷は、建物が違う。縦に長い建物の間には池があり、そこを朱塗りの橋が繋いでいる。宴が終わったお客様は、選んだ姐さんと一緒にその橋を通ってお部屋に向かうのだ。

 幾分か涼しくなった風が、ふわふわした姐さんの髪と、癖の無い私のおかっぱの髪を撫でて行く。からころ下駄を鳴らして橋を渡りながら、私は隣の姐さんを見上げた。


「姐さん、その奇特なお客様って、どんな方でありんすか?」

「作家様と、その助手というお話でありんすよ。怪異物を書いていて、だから怖いお話を聞きたいそうでござんす」


 私はぺたんこの胸に手を当てた。……心臓が、どきどきしている。

 思わず立ち止まった私を、雲藤姉さんが不思議そうに振り返った。


「あかね?」

「そんな立派な御方に、私のお話が、喜んでもらえるか不安でありんす……姐さん、あの、今からでも無かったことに……えと、無かったことにできんでありんしょうか?」


 廓言葉に舌を噛みそうになりながら、私はそう言った。段々と上がってきた月に、姐さんの白い顔が照らされる。柔和な顔が優しく綻んでいて、まるで一幅の絵のようだった。

 思わず見惚れる私の頭に手を伸ばして、姐さんは優しく撫でた。姐さんの手は柔らかくて温かい。


「そう硬うならなくて大丈夫でありんす。向こうさんだってなにも、講談師みたいな完璧なお話を求めているわけじゃありんせん。気を楽にしていいんでありんすよ」


 それに、と姐さんは悪戯っぽく歯を見せて笑った。


「お小遣いをもらえる良い機会でありんすよ。先にお話しした桃風と緋灯に、花代を渡していたでありんすから」

「……分かりんした。頑張るでありんす」


 胸の前で、私は両の拳をぐっと握った。

 橋を渡り終えれば、左右に座敷の並ぶ廊下に辿り着く。今日も、どの座敷からも楽しそうな声や歌が聞こえてきていた。

 福亀屋は冴木の花街の中でも、一等の店だ。雲藤姐さんを始めとした花魁を何人も抱えていて、おもてなしも上質。なんでも、偉い武家の人もお忍びで通ってくるとか。まだ客も取れない、禿である私には関係のないことだけど。


「あの、姐さん。本当にこの座敷でござんすか?」

「ええ。この座敷でござんすよ」

「でも……」


 明かりが、と私はこぼした。

 他のお座敷には玻璃竹がこれでもかと灯されて、明るい光と音が廊下にこぼれている。

 だけど、姐さんが僅かな衣擦れの音と共に立ち止まった腰板障子の奥からは、なんの光も、音も無い。障子の向こうは真っ暗で、有り体に言えば、中に誰もいないようにしんとしていた。

 部屋を間違えたのでは、と私が思っているうちに、姐さんが障子の前に正座をした。目で促されて、私も慌てて姐さんに(なら)う。私が座ると同時に、透かし模様の入った障子紙を姐さんがほとほと叩いた。


「雲藤でござんす。今、戻りましたえ」


 障子一枚隔てた向こうで、人の気配がした。同時に音も無く障子が開いて、知らない男の人が畳に正座しているのが姐さんの影から見えた。雲藤姐さんの顔はここから見えないが、困惑したような雰囲気が私に伝わる。

 男の人は薄茶色の跳ね髪を首の後ろでくくった、金色の目をした人だ。頬が少し柔らかそうで幼く見えるけれど、障子にかかる指は案外がっしりしている。長身の体躯も細いけど、筋肉がしっかりと付いているのが分かった。相当鍛えているような身体つきだ。

 この遊郭で見かけない顔だから、多分お客様だ。

 だけど、お客様自らがどうして障子を開けているんだろう。そういう事は、私達の仕事なのに。


「ん」


 言葉少なに、男の人が顎をしゃくった。入れ、ということだろうか。


「ちょっと矢凪ー! 姐さん達のお仕事取るんじゃありません! ワシらお客さんなんだから、障子開けなくていいのよー!」


 不意に暗闇の向こうから大きな声がして、ぱっと周囲が眩しくなった。暗闇に慣れていた目が、白い光にくらんで痛い。

 何度か瞬きをして、私はお座敷の中を伺った。

 中心に、玻璃竹行灯がある。それを囲むようにして、桃風姐さん、緋灯姐さん、姐さん達の禿が二人端座している。桃風姐さんは腰を浮かせていた。多分、障子を開ける為に立ち上がろうとしたんだろう。行灯の隣には黒い布。あれで光を遮っていたから、部屋が暗かったんだ。

 上座には、萌黄色の髪の男の人が座っていた。呆れたように、萌黄色の瞳が薄茶色髪の男の人に向けられている。こちらも背の高い人だ。がっしりとした体躯は六尺くらいか。三つ編みに結われた髪が、動物の尾のように揺れていた。


「あー……悪ぃ、間違えた」


 矢凪と呼ばれた男の人が、首の後ろをかりかりとかいた。気まずそうに私達から目をそらして立ち上がると、萌黄色の男の人の隣に座る。

 そこでようやく、雲藤姐さんがお座敷に入った。遅れて私も続き、行灯を囲む輪の中に加わる。


「遅くなって申し訳ありんせん。……あかね」


 ひそ、と囁かれて、私は畳に手をついて一礼した。


「あかねと申しんす。よろしゅうお願いしんす」

「はいはい、よろしくねー。そんな固くなんなくていいのよー、楽にしてちょーだい。折角の怪談会なんだから」


 へらりと笑った萌黄髪の男の人が、口元の髭を指先で撫でて笑った。すかさず、隣の薄茶髪の男の人が仏頂面を向ける。


「季節外れてんだろ」

「いーじゃないの別に、秋の始めに怪談会したって。なんなら真冬に炬燵(こたつ)囲んで怪談会も悪くないじゃないのよ」

「炬燵入ったら鍋と蜜柑食って酒飲む以外にすることあんのか」

「待って最強の組み合わせ即座に出してくんのやめて。そんなん出されたら怪談会負けちゃうから。ぼろ負けだから」


 軽妙なやり取りに、他の禿がくすくす笑った。思わず私も笑ってしまう。面白いお客様達だ。


「ま、炬燵と最強の組み合わせは置いとくとしてよ。えーっと、あかねちゃん?」

「あ、はい!」


 唐突に名前を呼ばれて、私は思わず大きな声で返事をしてしまった。雲藤姐さんが一瞬だけ、咎めるような視線をよこす。私は肩をすくめて、上座を見た。人好きのする笑みを浮かべた萌黄の男の人が小首をかしげている。


「そーいうわけで怪談会してたんだけど、あかねちゃんは何か、怖い話持ってるかしらん?」

「お耳汚しではありんすが、一つばかり」


 私はそう言って、口を開く。行灯にまた布が被せられて、周囲が真っ暗に染まった。


 〇 ● 〇


 わっちがここに来た日のことでござんす。

 慣れないところで寝つけず、わっちは与えられた布団の中でぼうっとしておりんした。

 わっちの他に、部屋には五人ほどの禿がおりんしたが、みんなすうすう寝息を立てて寝ておりんす。その寝息がやけに耳について余計に眠れなくて、わっちは外の空気でも吸おうと起き上がったんでござんす。


 なぁ……なぁ……。

 わっちの耳に、そんな声が聞こえたんはそん時でござんす。

 なぁ……なぁ……。

 猫のような鳴き声でござんした。姐さん方の中には、猫を飼っている人もいると聞きんした。だからわっちは、猫が近くにいるのかと軽く考えていんした。

 猫は好きでありんす。家でも、猫を飼っておりんした。冬は猫を抱いて寝たものでござんす。

 だから猫を撫でれば、少しは落ち着いて寝付けるかと思って、わっちは廊下に続く障子に膝立ちで近寄りんした。


 なぁ……なぁ……。

 猫の声は、わっちの上の方から聞こえてきんした。猫が歩いているなら、もっと下の方から聞こえるでござんしょう? でも、聞こえてきたのはもっと上……ちょうど、戸の天辺辺りからでござんした。

 なぁ……なぁ……。

 その時でござんす。雲で隠れていた月が顔を出して、障子の向こうがさぁっと明るくなったんでありんす。


 わっちの目の前に、人影がありんした。

 姐さん方のような着物を着ているように見えたので、背の高い姐さんだと最初は思いんした。なにせ、来たばかりでござんしたから。そんな姐さんもいるんだと、思ったんでござんす。

 なぁ……なぁ……。

 影の上の方から相変わらず猫の声は聞こえんした。わっちは釣られるように、視線を上げていきんした。


 姐さんの首から上は、()うござんした。

 わっちは思わず、口を押えて悲鳴を殺しんした。

 なぁ……なぁ……。

 無い筈の頭があるだろう辺りから、相変わらず猫の声が聞こえんす。あの時のわっちは、あまりに驚き過ぎていて、逆にその影をじっくり見ていたんでありんす。

 だから、気づきんした。


 その姐さんは、頭が無いわけではなかったんでありんす。

 鶴のようにほっそりした首の影の先端に、大福くらいの小さな、小さな頭がついてござんした。

 なぁ……なぁ……。

 猫の鳴き声は、そこから聞こえてきたんでありんす。


 〇 ● 〇

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