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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
閑話:虫の末路と炎の女

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 贅を凝らした広い座敷だった。

 窓の無い座敷を、天井から吊るされた玻璃竹が照らす。竹は燃え盛る炎の形に加工され、六角形の硝子の中でまばゆく輝いていた。三方を囲む襖では、数多の骸骨達が竹林で酒盛りをしている。

 座敷の最奥は壁であり、そこには屏風が置かれていた。金で縁どられた屏風に、流れる川と遊ぶ雀が描かれている。『闇虫』の常蔵(つねぞう)は、その屏風から一等離れた場所でうずくまっていた。

 がたがたと、その全身が震えている。砕けた手首の激痛の為に震えているのではない。

 小刻みに震える背に、静かな声が降りかかった。


「――目々屋敷(もくもくやしき)から、日記を持ち帰ることもできず。その場にいた者達と大立ち回りを繰り広げ。挙句に、連れて行った者を全て倒され貴方自身も手首を砕かれ。無様に泣き叫ぶしかできない中で、助けられて帰ってきたと。……そういうことですね」


 感情の全くこもらない平坦な声。それが逆に声の主の怒りが深い事を示しているようで、常蔵は恐怖に歯を噛み鳴らした。

 伏せた顔を、そろりと上げる。

 屏風の前には、四畳の大きさはあるだろう黒塗りの膳が置かれていた。その上に、様々な料理が並べられている。

 肉を焼いたもの、蒸したもの、刺身、酒蒸し、タタキ、煮付け、白和え、おひたし、味噌漬け、虫を佃煮にしたもの、毒茸に餡をかけたもの、鉱石を煮付けたもの、和紙を刻んで酢をかけたもの、なんだかよく分からないぶよぶよしたもの……およそ人が食べられるものではないものも、そこには並んでいた。

 膳に並ぶ料理は、およそ三十人前。それは全て屏風を背にして座る、女一人の為に(きょう)されたものであった。


 美しい女である。

 青みを帯びた宵色の髪は長く伸ばされ、畳に波のように広がっていた。肉感的な肢体を包む黒い着物の裾で、巻き上がる赤い炎がゆらゆらと()()()()()。写し染めと呼ばれる、特殊な技法で実際の景色を布にそのまま染め付けたものだ。

 玻璃竹の光に照らされて冷然と光るのは、墨を溶かしこんだ切れ長の黒瞳(こくどう)


「どうしても任せてほしい……そう言うから任せてみたというのに。とんだ無様を晒すとは。全く期待外れでしたね」


 品良く正座した女は淡々と呟いて、緑の鉱石を赤い唇に運んだ。ぱき、と石が砕かれる硬質な音が、離れた所でうずくまる常蔵の耳に届く。

 びく、と肩が跳ねた。

 謝らねば、と常蔵は思った。謝らねば。とにかく彼女に謝罪し、罪を許してもらわねば。さもなければ、どんな仕置きが待っているか。

 凍えたように強張る唇を何とか動かして、言葉を紡ぐ。


「も、申し訳あ、ありませ……」

「謝罪をしてどうなるというのです? 貴方が誠心誠意謝罪すれば、日記がここに飛び込んでくるとでも?」


 筆ですっと払ったような細い眉をぴくりとも動かさず、女が尋ねる。

 それに常蔵は、答えられず畳に額をこすりつけた。


「なぜ、わざわざ姿を見せ日記を渡すよう恫喝したのです。たかが男二人と侮りましたか」

「は、は……っ」


 全くその通りだったので、喉から絞り出すような声を上げるしかない。

 失望の色を含んだため息が、常蔵の背を滑った。


「侮りは禁物です。……特に、我々盗人においては。次は寝静まった後、密やかに忍び込むよう、肝に銘じなさい。それと、相手の力量を正確に把握する事。それでも盗人、かつて一味を率いていた頭ですか」

「は、はい……」

三過必罰(さんかひつばつ)。――覚えていますね」


 常蔵は身を縮こまらせた。


「も、もちろんでごぜえます!」


 三過必罰。この一味の掟だ。

 人間誰しも、一、二度の過ちはある。だから、よほどでない限り二度まではしくじりを許される。しかし三度目ともなればそれは、その人物に克己心が無いのとことで、処分される。


「過日も貴方は呉服問屋、雨露峯屋(うろみねや)で奉公人に気取られる失態を犯していますね。加えて此度の一件。次はありません。分かっていますか」

「は、そ、それはもう! 次、次こそは必ずや」

「二度の間違いを犯した人間の『必ずや』ですか……私はそれをどう信用すればいいのやら」


 ふふ、と女が吐息だけで笑った。嘲笑だった。


「下がりなさい。食事の邪魔です」


 話は終わった、とばかりに女は口を閉じた。ぱきぱきと、硬い物を砕く音だけが後には聞こえてくる。

 常蔵は「へ、へぇっ」と何度も頭を下げ、素早く座敷から退室した。廊下は静寂に包まれ、ひんやりとしている。磨き上げられた床をよろよろと歩きながら、常蔵は肺の空気が無くなるほど、大きく息を吐きだした。

 助かった。首の皮一枚だが、何とか命が繋がった。助かった。罰を受ける事も無く、生きて部屋を出る事ができた。我知らず、ほおお……っ、と安堵の息が漏れる。


 ――畜生畜生畜生! なんだってんだあいつらは、なんであんなに強い奴等がいるんだ、畜生畜生ツイてねえ。


 人というのは不思議なもので。無事に叱責が終わったと安心した途端、常蔵の胸にめらめらと湧き上がったのは怒りだった。

 後から後から、業火のように怒りが湧き出てきて止まらない。足音荒く廊下を進みながら、腹の奥底で吼え散らかした。


 ――そうさ、あいつらがいなけりゃあ今頃すんなりあの日記を手に入れて頭に渡せたんだ、だってのに! それに連れてった奴等もクソの役ほど立ちゃしねえ。あんな奴等二人に、あっという間にやられやがって! 俺が昔使ってた奴等の方が、まだ役に立つってもんだ! あいつらがもうちっと動けりゃ、問題無かったんだ。そうだ、あんな役立たず共しか寄こさなかったお頭が悪ぃんだ!


 己の事を棚に上げ、常蔵は己のお頭を心の中で罵倒した。

 常蔵は三月ほど前までは、西の方で十数人の配下を率いて暴れ回っていた盗人であった。これと目星を付けた家に押し入り、一家皆殺しにして金を根こそぎ奪っていく。そんな血腥(ちなまぐさ)いお(つと)めをする事で有名だったが、奉行所に嗅ぎつけられそうになった為に、ほとぼりを冷ますべく配下と別れて貴墨へ飛んだ。

 遠く離れた貴墨に当てなど無かったが、常蔵には一つ考えがあった。

 貴墨では、二人の大盗賊が闇の世界を二分している。

 片や、五ツ頭(いつがしら)香坂刃左衛門(こうさかじんざえもん)。かつて五つの盗人組織の頭を惨殺し、その首を並べて組織に服従を迫った事からそう異名が付いた大盗。

 片や、炎骨(えんこつ)十六夜(いざよい)無月(むげつ)一味と称される盗人組織のお頭であり、絶世の美女とも(うた)われる。


 常蔵はその、炎骨の十六夜の配下に下る事にした。本心ではない。内部から組織を食い荒らして頭の座を乗っ取り、己がその座に就いてやろう――そう考えてのことだった。

 刃左衛門を選ばなかったのは、彼が手下を手酷く扱う事で有名だからだ。野心を隠して一味に入っても、ぼろぼろに使い捨てられては意味が無い。その反面、十六夜は手下に優しく、仕事が十分にできれば分け前もたんと弾んでくれるという。

 甘い女だ、と常蔵は殊勝な顔の下に嘲笑を隠して、十六夜の配下に下ったのである。

 しかし思ったより、無月一味は甘くなかった。それなりに名の知れた盗人と言え、一味に入ったばかりの男にまともな仕事は回ってこず、精々がお盗めの際の見張り程度。それも一度しくじってからは回されなくなり、雑用ばかりをやらされていた。

 元々、常蔵は我慢強い質ではない。それは己がやっていたお盗めにも現れている。

 故に段々と、彼は現状に倦んできた。このままでは、いつまで経っても組織を乗っ取れない。焦りと苛立ちの中、十六夜がとある家から日記を取ろうとしている――そういう話を聞いて、ぜひとも行かせてほしいと立候補した。


 ――自分は隠し物を探すのは得意だし、仮にも一味を率いていた。場数も踏んでいる。もし誰かと鉢合わせしても、上手く対処できる。


 そうして必死に自分を売り込み、「そこまで言うなら任せましょうか」と言質を取ったのだ。

 が、結果はあの様である。

 連れて行った奴等は打ち倒され、自分も手首を砕かれた。密かに十六夜が潜ませていた者達が助けてくれなかったら、あの場で捕まっていただろう。

 いやそもそも、助けが来たという事は、十六夜は自分の事を微塵と信じていなかった。だからこそ、何があってもいいように手練れを潜ませていた。

 その事実が余計に常蔵をみじめな気持ちにさせ、また腹立たしくて仕方なかった。

 握り締め過ぎた拳が白い。ぶるぶると激しい怒りで震えている。


 ――そもそも頭も頭だ、偉そうな事ばかりくっちゃべって、自分じゃちっとも動きゃしねえ。俺なんざあ、頭をやってた時は先頭に立って血を浴びたもんだってのに、所詮は女だ、矢面に立つ事を嫌がりやがって、奥に引っ込んで上げ膳下げ膳……くそくそくそ、あんな女に馬鹿にされて顎で使われるなんざ、もうまっぴらだ……!


 歯を食い縛った怒りの表情のまま、常蔵は細い廊下で踵を返した。床板を踏み抜かんばかりの勢いで、先ほど退室したばかりの座敷へ向かう。


 ――そうさ、所詮は盗人組織のお頭と言っても女だ、無理やり手籠めにしちまえば、言いなりにするくらい楽勝だ……! どうせ、いつかやろうと思ってたんだ、それが今になるだけだ、女を悦ばせる手なんていくらでも知ってる、ちょっと嬲ってやりゃあ、ひぃひぃ善がるにちげぇねえ……! 抵抗してきた所で、女の力なんざ高が知れてらぁ!


 懐に呑んだ匕首(あいくち)に手をやり、襖に手をかけた時だった。


「三過必罰。お頭に刃向けようとするたァ、三下風情がいい度胸じゃねェの」


 背後から笑い含みの男の声が聞こえたと思った瞬間、目の前が真っ暗になった。



 ふっ、と常蔵は気が付いた。


 ――なんだ、身体が、身体が動かねえ……真っ暗だ、今は夜なのか……?


 首を動かそうとしたが、身体は痺れたようにぴくりとも動かなかった。背中には硬い板のような感触がある。

 糸の切れたような身体を動かそうと四苦八苦していると、男の声が三つ聞こえてきた。


「――じゃ、それで頼むぜィ。お頭もお待ちかねだかんなァ」

「仕方ない、任せろクズ。料理が一つ増えた所でどうという事はない」

「まかせて、がんばる」

「偉いぞ左近! よしよし、貴墨の半分をあげような」

「いらない!」

「おゥおゥ。仲ァ良いの結構だが、とにかく取り掛かってくれや、右近に左近。あの日記手に入らなかったから、お頭の機嫌が悪ィんだよ」

「そんなのは貴様がどうにかする事だろうクズ。さっさと行けクズ。お頭の機嫌がどれだけ良くなるかは貴様にかかってるんだぞクズ」

「クズクズ言い過ぎて、語尾がクズになってんぞ。まァとにかく、頼むわ。俺ァ、お頭に報告に行くから」

「がんばってね」

「よしよし左近、あんなクズの心配をするなんて偉いぞ。陽之戸国の半分をあげような」

「いらない!」


 どこか気の抜けたようなやり取りが、右から左へ通り抜けていく。


 ――あ…………あぁ……。


 常蔵は視界が真っ暗なまま、ひぃ、ひぃ、と息を零した。逃げたいと思っても、身体が動かない。どれだけ身体に力を込めても、まつ毛一本動いてくれなかった。

 まずい、まずいまずいまずいまずい。右近と左近と言えば、十六夜専属の料理人だ。なぜそれが自分達の近くで会話をしているか――なんて答えは分かり切っている。


 ――助けてくれ、助けてくれ! 俺が悪かった、二度とお頭をどうこうしようなんて考えねえ、だから頼む助けてくれ、これからは心を入れ替えて一生懸命一味の為に尽くす、だからだからだからだからだから!!


 どうしようもないほどの恐怖が、全身を支配していた。かひゅ、かひゅ、と荒い息が喉から漏れる。踊り狂う心臓は痛いくらいなのに、身体がどうしても動いてくれない。口を動かして謝罪の言葉を紡ぐこともできない。

 金属同士が擦れる音と、衣擦れの音が相次いで聞こえた。


「左近、そっちの方を頼むぞ。(にぃ)はこれを煮込むから」

「わかった。いつもみたいに、さばいていいの?」

「いや、味噌漬けにしろとのことだ。手足を切って、(はらわた)は臭いから抜いておけ」

「うん」

「そうだ。人頭酒(にんとうしゅ)がそろそろ切れるはずだ。そいつの頭を切って、酒に漬けておけ」

「うん」


 己の近くで金属音が聞こえて、常蔵はいよいよ恐慌状態になった。


 ――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ!!

「このへんかな……?」


 何が悪かったのか、お頭を襲おうとしたことか、任務をしくじったことか、一味に加わった事か、盗人に身を落としたことか。

 しかし今更何を後悔しようがもう遅い。後で悔いるから後悔と言うのだ。


 ――死ぬのは嫌だ、()()()()()()……嫌だあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!


 鋭利になった聴覚に、包丁の振るわれる風切り音がやけにはっきりと響いた。

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