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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:目々屋敷

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20/194

 ひねもす亭を出た矢凪、アオ、シロは、冴木にて本日の昼餉と夕餉を買い求めていた。


「目々屋敷に、二晩お泊まりだからな。おいしいものたくさん買って、持って行かないとだめなんだぞ。でないとおれ達は、こげこげの米と魚と肉を食う事になるんだ」

「おいちぃのー! おいちぃのがいいー! こげこげいやー!」

「あ、あそこ行くぞ矢凪。あっちの店のたこ飯は美味いんだ。あと、あとな、あそこのな」


 と、言いながら駆けて行こうとするシロを、矢凪は呼び止めた。


「おい、ちっと待て」

「なんだ?」


 昼時とあって、通りには人が多い。特にこの辺りは総菜屋や飯屋が多い為、それ目当ての客で広い道があふれていた。

 そんな所に小さいシロを放流したらたちまち潰されてしまう。


「抱っこしてやっから、こっち来い」


 通りに片膝を付いて手を広げると、戸惑ったように白いおかっぱ頭が揺れた。


「だっこ……?」

「だっこだっこー!」


 矢凪の肩に跨って頭に顎を埋めているアオが、ぺふぺふと矢凪の頭を叩く。痛くはないが鬱陶しいので頭を左右に振ると、「みゃー」と歓声だか悲鳴だか分からない声が上がった。


「だっこ……仏頂面で、だっこ……みけんにしわ寄せて、だっこって……」


 なにかがツボに入ったのか、毬で口を隠して全身を震わせるシロ。くふくふ、と笑う童に、矢凪は片眉を跳ね上げた。


「あ? いいからさっさと来い。潰されても知らねえぞ」

「シロー、はやくー! はやくだっこー!」

「分かった、だっこさせてやる。でも、下手くそだったらすぐにふり落としてやるからな」


 その台詞は抱っこされる側が言うものではない気がする。

 そんな事をのたまい近づいてきたシロを見ながらそう考えつつ、小さな身体を片腕一本で抱き上げて立ち上がった。


「わ、危なっ……? ……矢凪! 矢凪!」

「あ?」

「すごいな、お前すごいな! だっこ上手だな! 上手だ、すごい! ぐらぐらしない! 危なくない! どっしりしてる!」

「……うるせえ。分ぁったから、耳元で騒ぐんじゃねえ。落とすぞ」


 白い頬を赤く染めて、シロは凄い凄いと繰り返した。

 誉められるのは別に構わないが、耳元で叫ばれるのはうるさい。興奮して足をばたつかせて暴れる身体を落ちないように抱え直して、先ほど行こうとしていた総菜屋に足を向けた。


「おい。それとそっちの炒り豆腐、それから胡瓜と茗荷みょうがの酢の物と……」

「つくだに、その小魚のつくだにもだぞ。あとな、ここのたくあん甘くておいしいんだ。矢凪、たくあんも買ってくれ」

「オレそれ! おにくのみそづけがいいー!」

「……こいつらが言ったのも頼む」


 はいはい、と頷いた店主が重箱に総菜を詰めていく。詰めながら、店主は人の良さそうな笑みを浮かべた。


「はい、どうぞ。嬢ちゃん達、お父ちゃんと買い物かい? いいねえ」

「こいつぁ男だし、俺ぁこいつらの父親(てておや)じゃねえよ」

「へぇっ?」


 気の抜けた声を上げる店主に銭を放り、風呂敷に包まれた重箱を持ってさっさとその場を後にした。

 目的の目々屋敷は両棚だというから、この近くにある船着き場まで行かなければ。この時間、武家屋敷の集合する両棚に行く者は少ない。だから水路は混んでいないだろうが、船着き場はそうはいかない。


「とっとと行くぞ。混んでたら並ぶの面倒くせぇからな」

「だっじょーぶ! そしたらね、オレが乗っけてってあげう! オレはやいの、びゅーんよ!」

「あぁ?」


 矢凪の薄茶色の癖毛を引っ張りながら、アオが自信満々に胸を張った。子どものナリだが、この怪異は力が強い。それが加減無しに髪を引っ張るものだから、矢凪は痛みに顔をしかめた。

 道の端に一旦寄り、荷物とシロを地面に置いてアオを引っぺがす。首根っこを掴んで目の前にぶら下げると、青い目がぱちぱちっと不思議そうに瞬いた。


「うー?」


 足をぶらぶらさせるアオを睨みつけ、矢凪は低い声で唸るように告げた。


「髪引っ張んな。痛ぇ。止めろ」

「う!」


 首根っこを掴まれたまま、気を付けの体勢を取るアオに、「分かったな」と念を押す。こくこくと頷いたので、また肩に戻した。重箱とシロを抱え上げて、通りを歩く人波に加わる。

 また髪を引っ張ったらぶん殴ろうと思っていたが、ちゃんと反省したようだ。ぽすっと頭に顎を乗せて、大人しくしている。


「うぶー……」


 シロが手を伸ばし、アオの頬をぷにぷにと突っついた。


「こらアオ、ちゃんとごめんなさいしろ。丞幻も言ってるだろ、悪いことしたら、ごめんなさいだ。めーだぞ、めっ」

「……めんしゃい」

「二度とすんなよ。てめぇも髪ぃ引っ張られりゃ痛ぇだろ」

「う」


 頭の上でこくんと頷いた気配がする。素直だ。

 人の世で、人の振りをして生きる怪異は、矢凪も何体か知っている。しかし、ここまで人間臭い怪異達は初めてだ。怪異というのは基本的に倒すものだと思っている矢凪からすれば、調子が狂わされて仕方無い。


「アオ、ほら見ろ。あっちに手妻師がいるぞ! ほら、ほら!」

「あー! てまぢゅー! 矢凪、矢凪、てまぢゅ!」

「うるせぇ。時間無ぇんで行かねえよ」


 興奮気味に騒ぐ二体に、眉間の皺を増やしてきっぱりと断言する。不満そうな唸り声が上がったが、黙殺した。


「……」


 今ごろ、目々屋敷で一人いるだろう丞幻を思い浮かべる。

 本当にあいつは変な男だ。

 怪異と暮らしているのみならず、素性の知れない自分を「ネタだわ」などという阿呆な理由で招き入れた。それでいて、しつこくあれこれ聞いて来ない。本気でしつこく迫られれば殴るなり、出て行くなりできるのだが、こちらが嫌がる素振りを見せればあっさり退く。

 何か裏でもあるのかと最初こそ警戒したが、白紙の草稿に向かって土下座しているのを見て、それすら馬鹿々々しくなってしまった。

 大の大人が、半泣きで土下座していた光景を思い出して遠い目になっていると、


「あのな矢凪、じょーげんは一人ぼっちがだめなんだ。さびしがりやだから、早く行ってらないとだめなんだぞ」

「あんね、きっと泣いてうの! オレたちいないと、じょーげんすぐ泣くのー」

「そりゃてめぇらの方だろが」


 ふんす、と胸を張るシロとアオに、矢凪はじと目でつっこみを入れた。


〇 ● 〇


「ううっ……もう、ひどいわ! お前らみんなして、そんなにじろじろ見て……なによなによ、そんなにワシの美しさが妬ましいっての!?」


 相変わらず感じる粘ついた視線相手に、屋敷の一室でよく分からない小芝居を繰り広げていると。


「……なにしてんだ、てめぇ」

「な、な。ほら矢凪、言っただろ。丞幻泣いてただろ。おれ、嘘ついてなかっただろ」

「じょーげん泣き虫―! オレたちいないとだめねー!」


 呆れた顔の矢凪。それに抱かれて得意満面のシロ。肩車をされて足をぱたぱたしているアオが、部屋の前に勢揃いしていた。


「……」


 真っ黒な畳から起き上がって胡坐をかき、丞幻はぽりぽりと頬をかく。


「なによぅ。見てたら混ざってくれたっていいじゃないのよー。っていうか、なにその仲良し体勢。ずっるいわー、ワシも混ぜなさいよ!」

「丞幻あのな、矢凪のだっこすごいんだぞ! 片手なのにな、どっしりしててな、落ちないんだぞ!」

「えー、そうなのー? でもワシだって抱っこ上手でしょ。ほれほれ、どーお?」


 矢凪の腕から降りて近寄ってきたシロを、ひょいっと抱き上げて膝に乗せる。

 ふっ、と幼気な顔に似合わぬ冷笑が浮かんだ。


「だめだめだな。矢凪が甲なら、お前は丙だ。あーあ、〆切も守れない作家は、だっこも下手くそか」


 そこまで差があるのか。ただの抱っこなのに。というか、〆切と抱っこには何の因果関係も無いと思うのだが。

 そうだ、とシロは目を輝かせた。


「お前もだっこしてもらえば分かるぞ、ほら、矢凪にだっこしてもらえ。なあなあ矢凪、丞幻を抱っこしてやってくれ」

「……あ?」

「いやそんな顔しなくても、お前に抱っこはねだらんわよ。それより昼餉食べましょ昼餉ー、なに買ってきたのん?」

「総菜。あと酒」

「よし偉い」


 手にした風呂敷包みと瓢箪を揺らす矢凪から降りたアオが、鼻に皺を寄せて唸った。


「うー、じょーげんー……」

「あらどしたのアオちゃん、すっごい顔してるわよ。んっふふふ、納豆に鼻突っ込んだ時みたいねー」


 瞬き一つで子狼の姿に戻って、丞幻の着物の裾に鼻面を突っ込んだ。長い尻尾が、機嫌悪そうに下がる。裾に隠れきれていない背中を、シロがよしよしと撫でた。


「じょーげん、ここくしゃい。すみと、かいいのにおいしゅるー。オレやーや、きらい!」

「そーねー、臭いわよねー。でもねアオちゃん、これでもだーいぶマシになったのよ、ワシがせっせこ妻戸開けたおかげね」

「ありやとごじゃますー……」

「どいたしましてー。それより、ワシお腹空いちゃったわん。矢凪ー、お前も腹減ったでしょ、昼餉にしましょー」


〇 ● 〇


 見ている。見ている。見ている。見ている。

 天井から。床下から。壁から。床の間から。

 ずっと。ずっと。ずっと。ずっと。


〇 ● 〇


 じろじろ、じろじろと、舐め回すような嫌な視線を、絶えず感じる。


「……」


 丞幻は敷いた布団に腹ばいになり、ぺらりぺらりと洒落本を繰っていた。だが、内容がさっぱり頭に入ってこない。気が付けば同じ個所を延々と読んでいて、ちっとも先に進まない。

 駄目だこれは、とてもじゃないが集中できない。

 本を枕元に投げだし、ごろりと仰向けになった。隙間無く黒に塗られた天井に、玻璃竹提灯の光によって生まれた影が踊る。


「あー、もう! 鬱陶しい! じろじろじろじろ見るんじゃないわよー!」


 四方八方から感じる視線に耐えかねて、丞幻は叫んだ。

 それで視線が無くなれば御の字なのだが、それで上手くいくほど世の中甘くはない。粘っこい視線は変わらず丞幻に突き刺さっていて、げんなりと息を吐いた。

 これは、中々に疲れる。

 既にとっぷりと日は暮れ、外からは虫の声が鳴り響いていた。

 今日は夜でも蒸し暑い。妻戸を開けたままにすれば少しは涼しいのだが、雑草が伸び放題の庭に加え、蚊帳が無いのでそれは諦めた。やぶ蚊の集団に不法侵入されるのは御免である。


「四六時中これだもんねえ。そりゃまあ、誰だって狂うわよ、こんなん」


 手元の団扇でおざなりに自分を仰ぎながら、はだけた胸元をこりこりと指先でかく。

 飯を食べている時も、風呂に入っている時も、今こうして布団でごろごろしている時も、ずっと間近で見られているというのはひどく精神を消耗する。しかもその相手は、目に見えないときた。

 どんな強靭な精神を持っていても、これが続けば流石に参ってしまうだろう。かの武士が狂った理由も分かる気がする。

 昼から夜まで過ごしてみたが、正直もう帰りたいと思っている丞幻だ。


「これで二晩って、きっついわぁー……いっそ負けた方が良かったかしらん」


 しかし負けたら負けたで、悔しくて歯ぎしりする己が容易に想像できる。

 うつ伏せに戻って、放り投げた本を引き寄せる。これはシロ達が持ってきてくれた本だ。貸本屋から借りたものだが、返却期限は明後日だから、とりあえず読んでしまわないと。

 読み終わったら、矢凪を誘って酒でも飲もう。ちび達は我が物顔で乱入してくるだろうから、つまみの争奪戦になるのは覚悟しておかないと、と考えながら本を開こうとした丞幻の頭上に、ふっ……と影が差した。


「……?」


 指が止まる。

 強烈な視線を、上から感じた。瞬きもせずに穴が空くほど、こちらをじっとじっと眺めている。そう、ちょうど上から自分を覗き込めば、こんな風に影が差すのではないだろうか。

 つまり今、実体のあるなにかが、上から丞幻を覗き込んでいる。

 じわ、と背中に汗が滲んだ。


「……」


 息を吸い、吐く。

 そうして、丞幻は勢いよく背後を振り返った。

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