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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
おまじない:ひおまさま

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193/194

水茶屋娘の悩み

「ぶらぶら小舟」と「御子受胎」の間の時間軸なので、まだ小雪ちゃんが出ておりません(/・ω・)/

 軽い足音を立てて落ち葉を蹴りながら、三人の娘が並んで道を歩く。

 娘達の装いは秋らしく、紅葉や栗が散っている。髪にさした簪は、揃いの赤い平打ち簪。一目で良い所の娘達であることが分かる、上等なものだ。

 くすくす、きゃはは。鈴のような笑い声が秋風に溶けて流れ、微笑ましいものを見る目が周囲から向けられていた。


「ねえ、ねえ。ちゃんと持ってきた?」


 左端の娘が、内緒話をするように口元に手を当てて、真ん中の娘に囁いた。

 真ん中の娘は大きく頷き、胸の前に抱いた小箱を軽く揺らした。漆塗りの小箱の中から、かたこと、かさこそと、小さなものが動き回るような音が、絶えず響いている。


「もちろん。うちの白花(しらはな)は優秀なの。ちゃんと生きたまま捕まえてくれるのよ」


 それを受けて右端の娘が、困ったような笑みを口元に浮かべた。


「もう生きたものじゃないと、喜んで頂けないものね」

「そうそう。それに最近は、大きいものじゃないと怒って、降りてきてくださらないし」

「前は虫とか、蛙でも良かったのにね」

「私、虫を捕まえるの嫌だったわ。気持ち悪いもの」

「分かるわ。蚯蚓(みみず)とか、ミツユビトビグモとか、本当嫌だった」

「しかも、虫ってすぐに死んじゃうしね。数を用意しなきゃいけないっていうのが、ねえ」

「ね。だから、今くらいのでちょうどいいわ。鼠ならまだ、我慢できるし」

「あんたのところは、白花がいるからいいわよね。うちは難しいわ。奉公人が、鼠を見るとすぐ殺しちゃうのよ」

「うちも。……ああでも、最近うちの庭に、子犬が入り込んでくるの。あれなら触れるし、可愛いから、いいかも」

「いいわね。きっと、大きいから喜んでくださるわ」

「そうね、子犬は大きいから、きっとなんでも教えて頂けるわよ」

「そうそう。次は子犬にしましょうよ」


 くすくす、あはは、と芝居の感想を言い合うような楽し気な口調で語らいながら、娘達は足を進める。



 ひおまさま、ひおまさま。おりませ、おりませ、このばにおりませ。よろずのことを、みききして。よきこと、あしきこと、おしえませ――……


〇 ● 〇


 蛙田沢は料亭通り、通人中の通人こそ知る小さな飯屋「にぎりまる」。品書きは無く、焼きおにぎりと豚汁のみしか出さない店だが、これがまた絶品で、何度食べても飽きない味なのである。

 澄んだ秋晴れの朝、丞幻は矢凪、シロ、アオと共に、にぎりまるへ朝餉を食べにやって来ていた。本当に無名に近い店なので、店内の客は丞幻達を除けば一人のみ。

 もっと宣伝すればいいのにとも思う時もあるが、老店主一人と看板娘一人で店を回しているので、これくらいの客数がちょうどいいのだろう。


 まあ、あんまり有名になって朝から並ぶようなことになったら、面倒だしねえ。

 そんな事を思いながら、丞幻はおにぎりを一口。

 拳骨ほどの大きな焼きおにぎりは醤油、味噌の二つ。本日の味噌は葱味噌(ねぎみそ)で、かぶりつくと口内に葱の香りが溢れ、食べれば食べるほど食欲が増していく。


「んー、葱味噌うまぁ……」

「あっ、アオ、こら! なんでお前はそうやって、口の中にどんどんものをつめるんだ! 丞幻、矢凪、アオがほっぺたぱんぱんにしてるぞ」

「むむむー、むむー!」

「うるせぇ、まず口ン中のもん食え」


 葱味噌に舌鼓を打つ丞幻、豚汁を食べながらアオを叱るシロ。目の前から皿を取られて抗議するアオ、それを押しとどめて仏頂面で叱る矢凪。

 店内なので控えめに、しかしそこそこ賑やかに。いつもの光景を繰り広げる丞幻達に、横合いから声がかけられた。


「センセ、センセ。楽しそうなとこすみません、ちょっとだけいいですか?」

「あら、おそねちゃん。なーに?」


 そっと白和えの小鉢を置きながら声をかけてきたのは、「にぎりまる」の看板娘、おそねだ。

 小鉢を見るや矢凪が皿を放り投げ、いそいそと箸をつけている。初めて彼女の白和えを食べてから、すっかり大好物の一つになっているのだ。


「爺さん、酒。……んだよ、置いてねえのか」


 何やら店主に文句を付けている矢凪の足を踏みつけながら、丞幻は傍らに立つおそねを見上げた。


「ええと、実はちょっと困ったことというか、悩んでいることというか……」


 細い眉が、何やら軽く寄せられている。

 矢凪が無言で反撃してくるので、それを防御しながら丞幻はなにかしらん、と首をひねった。

 おそねは葉月の終わりころ、とある怪異に目を付けられて捕らわれ、あわや怪異の一部に成りかけたことがある。それを救ったのが誰あろう丞幻と、助手になったばかりの矢凪だった。

 今では後遺症も無く、元気いっぱいに働いている。良い事だ。……まあ、それは横に置いておくとして。

 一度あることは二度、二度あることは三度あるというし、またぞろ、怪異に目を付けられでもしたのだろうか。


「あっ、違いますよう! あたしじゃないんです」


 丞幻が考えていることを察したのか、おそねは慌てたように胸の前で手を振った。


「あたしと同じ長屋の子なんですけど、なんだか最近、困りごとがあるみたいで」

「あらま。秋っていえば美味しいもの楽しいもの一杯あるのに、お困りごとで楽しめないってのもいやーねえ」

「ええ。それでセンセは顔が広いし、色々と変わったことを知ってるから、何かその子の悩みを解決できる糸口が見つかるかもって思って」


 困ってる、とおそねは言うものの、その顔はそこまで深刻な様子ではない。なので丞幻も口髭を撫でながら、軽い調子で言った。


「いいわよー。ワシ、そういうお話聞くのだーいすき」


 その言葉に、ほっとしたようにおそねが胸を撫で下ろした。



「その子……冨美(ふみ)ちゃんは、三町先の水茶屋で働いてるんですけど、そこに変なお客さんが来るって言うんです」


 他の客が帰り、丞幻達だけになった店内で、おそねが切り出した。


「あら。白湯だけ頼んで、茶葉を自分で持ち込んでお茶を淹れるとか?」

「団子一個で四刻粘って上手くもねえ歌を贈るとか」


 ありそうな「困った客」をそれぞれ口にしていると、アオとシロが口を挟んできた。


「んと、えと、へんなやちゅ!」

「いいか、アオ。変な客が来るんだから、変な奴なのは当然だ。水茶屋に来る変な客っていうのは、大体すけべなやつに決まってるんだ」

「う! しゅけべ!」

「そうだ、すけべな奴だ。きっと、むすめに無体を働こうとしているんだ」


 顔にでかでかと「野次馬」と書いてあるアオとシロに、丞幻は一つ残った焼きおにぎりをそっと横流しした。


「アオちゃんシロちゃん、ワシお腹いっぱいだからおにぎり食べてくれる? 喧嘩しないで半分こしてね」

「おにぎり!」

「おににり!」


 きゃあっ、と歓声を上げておにぎりを分けっこし始める二体。よし、少し静かになった。


「ごめんねおそねちゃん、それで?」


 おそねを見ると、彼女は首を横に振った。


「そういう、困った男性のお客さんじゃなくて。女の子が三人、来てるそうなんです。十二、三歳くらいの子達がここ最近、毎日」

「休憩してんじゃねえのか。教え処の帰りとかでよ」


 頬杖をつき、矢凪が面倒そうに眉をひそめる。おそねは、その言葉にも首を横に振った。


「お茶やお団子を注文する時もあるそうですけど、大抵は何も注文しないそうです。それで大体、いつも二刻近く居座っているらしくって」

「ふうん?」

「着物も簪も上等なものだから、どこかの大店のお嬢さんじゃないかって。でも、そんなお嬢さん達が水茶屋に来るのって、変ですよねえ」

「そうねえ」


 おそねの言葉に、丞幻は頷いた。

 水茶屋の主役は、ぶっちゃけ茶や団子などではなく看板娘である。見目の良い彼女らを目当てに客達が訪れては、彼女達の為に金を落としていくのだ。なので客は、圧倒的に男性が多い。

 中には、見目の良い男性を看板()()として置いている変わった水茶屋もあるが、おそねの話を聞いていると、どうも普通に看板娘がいる水茶屋のようだ。

 そこに、十二、三歳くらいの女の子が三人。毎日、ほとんど何も注文しないで居座っている。

 それは確かに、少し変かもしれない。


「その、冨美ちゃんって恰好良い感じの子?」

「え?」


 唐突な丞幻の質問に、おそねが目を瞬かせる。丞幻はほら、と口髭をつまんで捩じりながら続けた。


「芝居の『姫若道中坂転び』の主人公みたいな、男装が似合う女の子って感じの子」

「ああ、違います違います。冨美ちゃんはそういう、しゅっとした細身じゃなくて、どっちかっていうと冬毛の狸みたいな、ころんっとした感じの可愛い子です」


 では、たまたま見かけた格好良い看板娘の追っかけをしている娘達、という線は消えた。


「じゃあ純粋に、水茶屋に興味を持ったお嬢さん達……って言ってもねえ、色遊びに慣れてない若旦那が興味持つならともかく、お嬢さん達だしねえ」

「二刻で切り上げんなら、稽古とかサボッて来てんじゃねえのか」

「ああ、それはあるわね。お嬢さん達がお稽古をサボッて、水茶屋にいるとは誰も思わないだろうし」


 ううん、とその言葉におそねは唸り、片手を頬に当てた。


「冨美ちゃん達も、最初はそう思ってたらしいんですけど。その子達、縁台の一つを陣取って三人丸くなって、紙みたいなのを広げてそれを見下ろして、ずっとぶつぶつ言ってるそうなんです。二刻近く、ずっと。……だからちょっと、気味が悪いそうなんです」

「店主は何も言わねえのか」


 おれのが小さかった、ちあうのオレのがちいさかったの、と半分こしたおにぎりの大きさで喧嘩を始めた二体を宥めながら、矢凪が訪ねる。


「てめえの店先で好き勝手してる小娘三人も追い出せねえのか?」


 おそねが、困ったように眉を八の字に下げた。


「店主さん、ちょっと気の弱い人だそうなんですよう。一度、注意したことがあったらしいんですけど、そしたら……」


 ――ちょっと! あんたのせいで、()()()()()が帰ってしまったじゃないの!! 折角、今日は機嫌良く答えてくださってたのに!

 ――何考えてるの、一体! ひおまさまのご機嫌を損ねたらどうなるかなんて、ちょっと考えれば誰だって分かるじゃない! あんた大人なのに、そんなことも分からないの!? あたし達を殺す気!?

 ――ああ、もう、最悪! これでひおまさまが怒ったら、あんたのせいだからね! 呪い殺してやる、絶対絶対絶対、ひおまさまに呪い殺してもらうんだから!!


「と、凄い剣幕で怒鳴られたそうなんです。それで、下手に刺激したら呪い殺されるんじゃないかって、すっかり怖がってしまって。冨美ちゃんもあまり、気が強い方じゃないので……」


 最近は居座る三人娘のせいで空気が悪く、客足も減りがちになっている。あまりよろしくない輩が店に来ることも多く、気弱な店主は「店を畳もうかな」と零すことが多くなったとか。

 冨美は長屋からも近く、稼ぎの良い――気に入った看板娘に、客が小遣いを渡すこともあるのだ――今の仕事を気に入っているらしく、なんとか店主を思いとどまらせたい。しかしそれには、その三人娘をどうにかしないといけない。

 ちなみに例の娘達は店主を怒鳴りつけた翌日も、けろっとした顔で店に来た。まるで昨日、何事も無かったかのような普通の態度であったらしい。

 だが店主や冨美が近寄ろうとする度、


 ――さんたん、さんたん


 面のような無表情で凝視しながら、そう囁いてきた。

 その様が何とも言えず不気味で、すっかり店主は委縮してしまい、我が物顔で振舞う彼女らを黙認する形になっている。


「それで、センセなら良い知恵があるかなあ、と思って」


 そう、おそねは話を結ぶ。


「そういうことねえ……」


 己の顔がしかめ面になるのが分かった。出された茶を一口飲んで舌を湿し、おそねに尋ねる。


「おそねちゃん。その、ひおまさま、ってなにか分かる?」

「あ、センセやっぱり気になりますか」


 おそねは「ちょっと待っててくださいね」と言うと厨へ消え、すぐに戻ってきた。その手には、四つ折りにした紙が握られている。


「これ、その子達がたまたま茶屋で忘れていったのを、冨美ちゃんが回収したそうなんです。でも、変なのじゃありませんよ。ただの『菓子問答』の紙ですよう、ほら」

「『菓子問答』?」


 矢凪が首をかしげる。それにおそねが、「ほら、いろはを書いた紙の上にお菓子を乗せて、近くの神様に来ていただいて……」と説明している。

 丞幻は、湯呑をどかして卓上に紙を広げた。

 手触りの良い紙の中央に、いろは文字が縦書きで書かれている。読みやすく流麗な文字だ。

 いろは文字の上には「はい」と「いいえ」という二つの言葉。紙の四隅には鳥居の絵。

 成程、確かに典型的な菓子問答の紙だ。


「だいぶ紙が汚れてるみたいだけど、これ最初から?」


 紙の上には、薄い茶褐色の線が何条も走っていた。交差している所は色が濃くなっていて、中には何度も何度も線が交差している為に、下の文字が見えなくなっている所もある。


「ええ。醤油か何かをこぼしちゃったんですかね、その子達」

「……」


 指先で、ぽりぽりと丞幻は顎をかく。

 一見でたらめに走っているように見えるが、いろは文字の上と、「はい」「いいえ」の所にしか、色が付いていない。それ以外の箇所は綺麗なものだ。


「ひ……お……ま……、ひおま、ねえ……」


 いろは文字のほとんどが茶褐色の線で汚れているが、中でもその三文字周辺は異様だ。執拗なまでに塗り潰され、そこだけ線がぐちゃぐちゃに乱れている。

 他の場所は、まるで墨壺でも使ったかのように、真っすぐに茶褐色の線が伸びているのに。


「じょーげん、じょーげん」


 アオがいつの間にか近寄ってきていた。丞幻の腿に両手と顎を乗せ、じっとこちらを見上げている。見下ろすと、真っ青な瞳がきゅるっと動いて、卓上の紙を捉えた。


()()のね、においしゅるの」

「そうねー、アオちゃん。血だわねえ」

「かえるとね、ねじゅみのにおい、しゅる」


 鼻に皺を寄せるアオの頭を撫でて、丞幻は今一度紙を見下ろした。

 おそねは醤油だと勘違いしていたが、この茶褐色の線はまぎれもなく、血が渇いた跡だ。仮にも食事をするための卓上に、蛙と鼠の血が付いた紙をいつまでも広げておくのも嫌なので、丞幻はそれを折り畳んで懐の懐紙に包んだ。

 水茶屋に居座る少女達。菓子問答。乾いた血の残る紙。そして謎の「ひおまさま」……なんだか、ロクでもないことになりそうだ。

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