水茶屋娘の悩み
「ぶらぶら小舟」と「御子受胎」の間の時間軸なので、まだ小雪ちゃんが出ておりません(/・ω・)/
軽い足音を立てて落ち葉を蹴りながら、三人の娘が並んで道を歩く。
娘達の装いは秋らしく、紅葉や栗が散っている。髪にさした簪は、揃いの赤い平打ち簪。一目で良い所の娘達であることが分かる、上等なものだ。
くすくす、きゃはは。鈴のような笑い声が秋風に溶けて流れ、微笑ましいものを見る目が周囲から向けられていた。
「ねえ、ねえ。ちゃんと持ってきた?」
左端の娘が、内緒話をするように口元に手を当てて、真ん中の娘に囁いた。
真ん中の娘は大きく頷き、胸の前に抱いた小箱を軽く揺らした。漆塗りの小箱の中から、かたこと、かさこそと、小さなものが動き回るような音が、絶えず響いている。
「もちろん。うちの白花は優秀なの。ちゃんと生きたまま捕まえてくれるのよ」
それを受けて右端の娘が、困ったような笑みを口元に浮かべた。
「もう生きたものじゃないと、喜んで頂けないものね」
「そうそう。それに最近は、大きいものじゃないと怒って、降りてきてくださらないし」
「前は虫とか、蛙でも良かったのにね」
「私、虫を捕まえるの嫌だったわ。気持ち悪いもの」
「分かるわ。蚯蚓とか、ミツユビトビグモとか、本当嫌だった」
「しかも、虫ってすぐに死んじゃうしね。数を用意しなきゃいけないっていうのが、ねえ」
「ね。だから、今くらいのでちょうどいいわ。鼠ならまだ、我慢できるし」
「あんたのところは、白花がいるからいいわよね。うちは難しいわ。奉公人が、鼠を見るとすぐ殺しちゃうのよ」
「うちも。……ああでも、最近うちの庭に、子犬が入り込んでくるの。あれなら触れるし、可愛いから、いいかも」
「いいわね。きっと、大きいから喜んでくださるわ」
「そうね、子犬は大きいから、きっとなんでも教えて頂けるわよ」
「そうそう。次は子犬にしましょうよ」
くすくす、あはは、と芝居の感想を言い合うような楽し気な口調で語らいながら、娘達は足を進める。
ひおまさま、ひおまさま。おりませ、おりませ、このばにおりませ。よろずのことを、みききして。よきこと、あしきこと、おしえませ――……
〇 ● 〇
蛙田沢は料亭通り、通人中の通人こそ知る小さな飯屋「にぎりまる」。品書きは無く、焼きおにぎりと豚汁のみしか出さない店だが、これがまた絶品で、何度食べても飽きない味なのである。
澄んだ秋晴れの朝、丞幻は矢凪、シロ、アオと共に、にぎりまるへ朝餉を食べにやって来ていた。本当に無名に近い店なので、店内の客は丞幻達を除けば一人のみ。
もっと宣伝すればいいのにとも思う時もあるが、老店主一人と看板娘一人で店を回しているので、これくらいの客数がちょうどいいのだろう。
まあ、あんまり有名になって朝から並ぶようなことになったら、面倒だしねえ。
そんな事を思いながら、丞幻はおにぎりを一口。
拳骨ほどの大きな焼きおにぎりは醤油、味噌の二つ。本日の味噌は葱味噌で、かぶりつくと口内に葱の香りが溢れ、食べれば食べるほど食欲が増していく。
「んー、葱味噌うまぁ……」
「あっ、アオ、こら! なんでお前はそうやって、口の中にどんどんものをつめるんだ! 丞幻、矢凪、アオがほっぺたぱんぱんにしてるぞ」
「むむむー、むむー!」
「うるせぇ、まず口ン中のもん食え」
葱味噌に舌鼓を打つ丞幻、豚汁を食べながらアオを叱るシロ。目の前から皿を取られて抗議するアオ、それを押しとどめて仏頂面で叱る矢凪。
店内なので控えめに、しかしそこそこ賑やかに。いつもの光景を繰り広げる丞幻達に、横合いから声がかけられた。
「センセ、センセ。楽しそうなとこすみません、ちょっとだけいいですか?」
「あら、おそねちゃん。なーに?」
そっと白和えの小鉢を置きながら声をかけてきたのは、「にぎりまる」の看板娘、おそねだ。
小鉢を見るや矢凪が皿を放り投げ、いそいそと箸をつけている。初めて彼女の白和えを食べてから、すっかり大好物の一つになっているのだ。
「爺さん、酒。……んだよ、置いてねえのか」
何やら店主に文句を付けている矢凪の足を踏みつけながら、丞幻は傍らに立つおそねを見上げた。
「ええと、実はちょっと困ったことというか、悩んでいることというか……」
細い眉が、何やら軽く寄せられている。
矢凪が無言で反撃してくるので、それを防御しながら丞幻はなにかしらん、と首をひねった。
おそねは葉月の終わりころ、とある怪異に目を付けられて捕らわれ、あわや怪異の一部に成りかけたことがある。それを救ったのが誰あろう丞幻と、助手になったばかりの矢凪だった。
今では後遺症も無く、元気いっぱいに働いている。良い事だ。……まあ、それは横に置いておくとして。
一度あることは二度、二度あることは三度あるというし、またぞろ、怪異に目を付けられでもしたのだろうか。
「あっ、違いますよう! あたしじゃないんです」
丞幻が考えていることを察したのか、おそねは慌てたように胸の前で手を振った。
「あたしと同じ長屋の子なんですけど、なんだか最近、困りごとがあるみたいで」
「あらま。秋っていえば美味しいもの楽しいもの一杯あるのに、お困りごとで楽しめないってのもいやーねえ」
「ええ。それでセンセは顔が広いし、色々と変わったことを知ってるから、何かその子の悩みを解決できる糸口が見つかるかもって思って」
困ってる、とおそねは言うものの、その顔はそこまで深刻な様子ではない。なので丞幻も口髭を撫でながら、軽い調子で言った。
「いいわよー。ワシ、そういうお話聞くのだーいすき」
その言葉に、ほっとしたようにおそねが胸を撫で下ろした。
「その子……冨美ちゃんは、三町先の水茶屋で働いてるんですけど、そこに変なお客さんが来るって言うんです」
他の客が帰り、丞幻達だけになった店内で、おそねが切り出した。
「あら。白湯だけ頼んで、茶葉を自分で持ち込んでお茶を淹れるとか?」
「団子一個で四刻粘って上手くもねえ歌を贈るとか」
ありそうな「困った客」をそれぞれ口にしていると、アオとシロが口を挟んできた。
「んと、えと、へんなやちゅ!」
「いいか、アオ。変な客が来るんだから、変な奴なのは当然だ。水茶屋に来る変な客っていうのは、大体すけべなやつに決まってるんだ」
「う! しゅけべ!」
「そうだ、すけべな奴だ。きっと、むすめに無体を働こうとしているんだ」
顔にでかでかと「野次馬」と書いてあるアオとシロに、丞幻は一つ残った焼きおにぎりをそっと横流しした。
「アオちゃんシロちゃん、ワシお腹いっぱいだからおにぎり食べてくれる? 喧嘩しないで半分こしてね」
「おにぎり!」
「おににり!」
きゃあっ、と歓声を上げておにぎりを分けっこし始める二体。よし、少し静かになった。
「ごめんねおそねちゃん、それで?」
おそねを見ると、彼女は首を横に振った。
「そういう、困った男性のお客さんじゃなくて。女の子が三人、来てるそうなんです。十二、三歳くらいの子達がここ最近、毎日」
「休憩してんじゃねえのか。教え処の帰りとかでよ」
頬杖をつき、矢凪が面倒そうに眉をひそめる。おそねは、その言葉にも首を横に振った。
「お茶やお団子を注文する時もあるそうですけど、大抵は何も注文しないそうです。それで大体、いつも二刻近く居座っているらしくって」
「ふうん?」
「着物も簪も上等なものだから、どこかの大店のお嬢さんじゃないかって。でも、そんなお嬢さん達が水茶屋に来るのって、変ですよねえ」
「そうねえ」
おそねの言葉に、丞幻は頷いた。
水茶屋の主役は、ぶっちゃけ茶や団子などではなく看板娘である。見目の良い彼女らを目当てに客達が訪れては、彼女達の為に金を落としていくのだ。なので客は、圧倒的に男性が多い。
中には、見目の良い男性を看板息子として置いている変わった水茶屋もあるが、おそねの話を聞いていると、どうも普通に看板娘がいる水茶屋のようだ。
そこに、十二、三歳くらいの女の子が三人。毎日、ほとんど何も注文しないで居座っている。
それは確かに、少し変かもしれない。
「その、冨美ちゃんって恰好良い感じの子?」
「え?」
唐突な丞幻の質問に、おそねが目を瞬かせる。丞幻はほら、と口髭をつまんで捩じりながら続けた。
「芝居の『姫若道中坂転び』の主人公みたいな、男装が似合う女の子って感じの子」
「ああ、違います違います。冨美ちゃんはそういう、しゅっとした細身じゃなくて、どっちかっていうと冬毛の狸みたいな、ころんっとした感じの可愛い子です」
では、たまたま見かけた格好良い看板娘の追っかけをしている娘達、という線は消えた。
「じゃあ純粋に、水茶屋に興味を持ったお嬢さん達……って言ってもねえ、色遊びに慣れてない若旦那が興味持つならともかく、お嬢さん達だしねえ」
「二刻で切り上げんなら、稽古とかサボッて来てんじゃねえのか」
「ああ、それはあるわね。お嬢さん達がお稽古をサボッて、水茶屋にいるとは誰も思わないだろうし」
ううん、とその言葉におそねは唸り、片手を頬に当てた。
「冨美ちゃん達も、最初はそう思ってたらしいんですけど。その子達、縁台の一つを陣取って三人丸くなって、紙みたいなのを広げてそれを見下ろして、ずっとぶつぶつ言ってるそうなんです。二刻近く、ずっと。……だからちょっと、気味が悪いそうなんです」
「店主は何も言わねえのか」
おれのが小さかった、ちあうのオレのがちいさかったの、と半分こしたおにぎりの大きさで喧嘩を始めた二体を宥めながら、矢凪が訪ねる。
「てめえの店先で好き勝手してる小娘三人も追い出せねえのか?」
おそねが、困ったように眉を八の字に下げた。
「店主さん、ちょっと気の弱い人だそうなんですよう。一度、注意したことがあったらしいんですけど、そしたら……」
――ちょっと! あんたのせいで、ひおまさまが帰ってしまったじゃないの!! 折角、今日は機嫌良く答えてくださってたのに!
――何考えてるの、一体! ひおまさまのご機嫌を損ねたらどうなるかなんて、ちょっと考えれば誰だって分かるじゃない! あんた大人なのに、そんなことも分からないの!? あたし達を殺す気!?
――ああ、もう、最悪! これでひおまさまが怒ったら、あんたのせいだからね! 呪い殺してやる、絶対絶対絶対、ひおまさまに呪い殺してもらうんだから!!
「と、凄い剣幕で怒鳴られたそうなんです。それで、下手に刺激したら呪い殺されるんじゃないかって、すっかり怖がってしまって。冨美ちゃんもあまり、気が強い方じゃないので……」
最近は居座る三人娘のせいで空気が悪く、客足も減りがちになっている。あまりよろしくない輩が店に来ることも多く、気弱な店主は「店を畳もうかな」と零すことが多くなったとか。
冨美は長屋からも近く、稼ぎの良い――気に入った看板娘に、客が小遣いを渡すこともあるのだ――今の仕事を気に入っているらしく、なんとか店主を思いとどまらせたい。しかしそれには、その三人娘をどうにかしないといけない。
ちなみに例の娘達は店主を怒鳴りつけた翌日も、けろっとした顔で店に来た。まるで昨日、何事も無かったかのような普通の態度であったらしい。
だが店主や冨美が近寄ろうとする度、
――さんたん、さんたん
面のような無表情で凝視しながら、そう囁いてきた。
その様が何とも言えず不気味で、すっかり店主は委縮してしまい、我が物顔で振舞う彼女らを黙認する形になっている。
「それで、センセなら良い知恵があるかなあ、と思って」
そう、おそねは話を結ぶ。
「そういうことねえ……」
己の顔がしかめ面になるのが分かった。出された茶を一口飲んで舌を湿し、おそねに尋ねる。
「おそねちゃん。その、ひおまさま、ってなにか分かる?」
「あ、センセやっぱり気になりますか」
おそねは「ちょっと待っててくださいね」と言うと厨へ消え、すぐに戻ってきた。その手には、四つ折りにした紙が握られている。
「これ、その子達がたまたま茶屋で忘れていったのを、冨美ちゃんが回収したそうなんです。でも、変なのじゃありませんよ。ただの『菓子問答』の紙ですよう、ほら」
「『菓子問答』?」
矢凪が首をかしげる。それにおそねが、「ほら、いろはを書いた紙の上にお菓子を乗せて、近くの神様に来ていただいて……」と説明している。
丞幻は、湯呑をどかして卓上に紙を広げた。
手触りの良い紙の中央に、いろは文字が縦書きで書かれている。読みやすく流麗な文字だ。
いろは文字の上には「はい」と「いいえ」という二つの言葉。紙の四隅には鳥居の絵。
成程、確かに典型的な菓子問答の紙だ。
「だいぶ紙が汚れてるみたいだけど、これ最初から?」
紙の上には、薄い茶褐色の線が何条も走っていた。交差している所は色が濃くなっていて、中には何度も何度も線が交差している為に、下の文字が見えなくなっている所もある。
「ええ。醤油か何かをこぼしちゃったんですかね、その子達」
「……」
指先で、ぽりぽりと丞幻は顎をかく。
一見でたらめに走っているように見えるが、いろは文字の上と、「はい」「いいえ」の所にしか、色が付いていない。それ以外の箇所は綺麗なものだ。
「ひ……お……ま……、ひおま、ねえ……」
いろは文字のほとんどが茶褐色の線で汚れているが、中でもその三文字周辺は異様だ。執拗なまでに塗り潰され、そこだけ線がぐちゃぐちゃに乱れている。
他の場所は、まるで墨壺でも使ったかのように、真っすぐに茶褐色の線が伸びているのに。
「じょーげん、じょーげん」
アオがいつの間にか近寄ってきていた。丞幻の腿に両手と顎を乗せ、じっとこちらを見上げている。見下ろすと、真っ青な瞳がきゅるっと動いて、卓上の紙を捉えた。
「ち。ちのね、においしゅるの」
「そうねー、アオちゃん。血だわねえ」
「かえるとね、ねじゅみのにおい、しゅる」
鼻に皺を寄せるアオの頭を撫でて、丞幻は今一度紙を見下ろした。
おそねは醤油だと勘違いしていたが、この茶褐色の線はまぎれもなく、血が渇いた跡だ。仮にも食事をするための卓上に、蛙と鼠の血が付いた紙をいつまでも広げておくのも嫌なので、丞幻はそれを折り畳んで懐の懐紙に包んだ。
水茶屋に居座る少女達。菓子問答。乾いた血の残る紙。そして謎の「ひおまさま」……なんだか、ロクでもないことになりそうだ。




