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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:目々屋敷

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 うっすらと霧のように漂う瘴気が、墨の香りと共に絡みつく。ぱたぱたと手を振り、丞幻は苦虫をしっかり噛みしめたような顔をした。


「ねえ、お夕。ここ、ずいっぶん瘴気が満ち満ちてんだけど。いかにも、今から怪異が出ますよ、宴ですよ! みたいにおどろおどろしいんだけど」

「そらそうだよ。そこ、奉行所の連中が浄化してないからね」

「はぁ!?」


 がばりと丞幻は背後を振り返った。


「なにそれ怠慢じゃないのよ、何してんのあいつら! こちとら守り紐やら護符やら買って金落としてんのに、なーんでさぼってんの」


 通常、怪異による被害があった家屋敷は、異怪奉行所の手によって浄化されるのが決まりだ。

 怪異自体を祓っても屋敷内に瘴気が残る事はあるし、それが呼び水になってまた新たな怪異が寄ってくる事もある。二次被害を防ぐ為にも、浄化作業は必須なのだ。

 だというのに。


「もう、投書箱に文句書いちゃおっかしらん。えーっと……町奉行所はまず貴墨にはびこる盗人よりも腹の黒い隣の狸を取り締まるべきでありーっと」


 早速懐からネタ帳と矢立やだてを取り出し、文句を書きつけようとする丞幻に、夕吉は声をかけた。ちなみに彼女は、一歩たりとも屋敷内に入らず戸口の前で立ち尽くしたままである。しかも器用な事に、家の中を見ないようにしながら丞幻だけを見ている。


「目々屋敷の武士が狂死したのは十年前だって話しただろう? 十年前って言ったらほら、椿小僧の事件があったじゃないか」

「…………あったかしらん?」

「あったよ! しっかりしとくれな、げん兄。あんな大事件、忘れる方がどうかしてるよ」


 やれやれ、と夕吉は大仰に肩をすくめて見せた。

 椿小僧。十年前に突如現れ、貴墨中を戦慄の渦に陥れた盗人の通称である。

 この盗人、一味を率いて商家に押し入り、金を根こそぎ奪い、美しい女がいればこれを犯し去って行くという、なんとも非道な輩であった。しかも怪異を操る術にも長けており、それを惜しげもなく使う為に町奉行所も異怪奉行所も、当時はてんてこ舞いな日々が続いていた。

 そうなれば、どうしたって取りこぼすものもでてくる。


「だから、ここは浄化もされずに放っておかれたままなのさ。そこを曾根崎屋が買い取ったんだよ」

「ふーん。そういやそんな事あったかねえ。ワシそん時、お前と一緒に旅してたから、忘れてたわ」


 当時、丞幻は十八歳。既に家を出て一人暮らしをしていたが、ふと、


「あ、なんか急に三野筅国みのせんこく名物の生シラス丼食べたいわあー。お夕、お前一緒行かない?」


 と、当時十二歳の夕吉を連れて旅に出ていた。

 九歳の時に親を亡くした夕吉は、他に身寄りもなく、親しくしていた丞幻の家に引き取られていた。だから、共に旅に出る事はなんの問題も無かった。幼い夕吉を危険な目に合わせたら今後一切絶対に断固として家の敷居は跨がせんぞ、と家族全員に厳命されたが。

 ちなみに旅路の途中に出会ったアオとシロを連れ帰ってきた為、帰って早々揉めたのは言うまでもない。

 とにかくそう言った理由で椿小僧の難を逃れていたのだ。記憶が薄くても無理はなかった。


「まあ、そこはいっか。こっち置いとくとしてー、とりあえずここで明後日まで過ごせばいいのね? この、瘴気満載どろどろ屋敷で」

「そうだよ。その瘴気満載どろどろ屋敷で二晩過ごしな。一応、布団とか細々したのは運び込んであるし、厨にも日持ちする食べ物は置いてあるから問題は……、あ」


 言いかけて、夕吉は口元を押さえた。


「…………げん兄が曾根崎屋に忘れてった井村屋の水饅頭、ちび達に届けるついでに何か適当な総菜買って持ってくよう伝えとくよ。どうせ、ちび達にもこっち来てもらう予定だったし」


 その言葉に、丞幻はほっと胸を撫でおろした。


「助かるわぁー。ワシが厨に立つと、なんでか全部焦げるからねえ」


 独り身であるので自炊でも、と思い立った事は何度かあるが、その度に焼き魚も煮物も菜飯も黒焦げになるという、謎の得意技を持つ丞幻であった。



「さーて、まず窓開けんとねえ」


 夕吉が置いていってくれた玻璃竹提灯片手に、暗くて黒い廊下を歩きながら丞幻はひとりごちた。

 買い取った際に掃除はしたのだろう。十年間ほったらかしという割には、屋敷内は綺麗だった。提灯を上へ下へ向けるが、蜘蛛の巣も埃も見当たらない。


「しっかし、よくまあここまで塗ったねえ、その武士。ワシなら板の間塗った時点で飽きちゃうわよ、めんどいもの。いや偉いわ、ほんっと偉い」


 固く閉ざされた妻戸を開け、部屋という部屋の障子も襖も全て開けて風と光を取り入れる。濃い墨の臭いが押し流されて、少し呼吸が楽になった気がした。

 それでもあまり明るくなった気がしないのは、屋敷内が真っ黒に染め上げられているからか。どことなく廊下や部屋の隅に、こごった闇が残っているように見えてすっきりしない。


「……んー」


 屋敷の一室に立って、丞幻は目をすがめてくるりと周囲を見渡した。

 瘴気がまるで、黒い霧のように屋敷内に滞留している。家中を開けて風通しを良くしたのに、流れる気配が無い。

 淀んだ所に瘴気は溜まりやすいが、落ち葉や埃と同じく風や水で流せば散って消えていく。異怪奉行所による屋敷の浄化もまず風通しを良くして、箒で掃き清める事から始めるのだ。だからまず、丞幻は屋敷中を開け放ったのだが、瘴気が散る気配が無い。と、いうことは。

 萌黄色の瞳に剣呑な光が宿った。


「この家にまだ怪異が潜んでるか、相当つよーい怪異が残した瘴気ってことよねー。あー、やだやだ。こっちは物見遊山気分だってのにねえ」


 過日に遭遇した友引娘なんかは後者だ。強い怪異の放つ瘴気は、その場にしばらく染みついて消えない事が多い。

 目々屋敷の方は、はて、どちらだろう。

 なにかおかしいものがいないかと、意識を凝らして家中見回ってみたものの、漂う瘴気が邪魔をしてうまく視ることができない。面倒だ。


「まー、いいわ。それよりお腹空いたわねー、ぼちぼち昼時だし、シロちゃん達がなんか美味しいもん買ってきてくれればいいけど」


 正体を探る事をあっさりやめて、丞幻は思考を切り替える。

 見鬼持ちの自分が頑張っても視えないものを、無理に視ようとしても仕方ない。なにかが起きてもなるようになれ、だ。

 面白い事が起きればネタになるし、起きなければつまらないが、それもいいだろう。

 とりあえず今は、喉が渇いたので水を飲みたい。炎天下の中を散々走り回らされたので、喉がからからだ。


「えーっと、厨ってどっちだったかねー。あっちだったかしらん」


 確か、玄関の隣だった気がする。

 真っ黒な畳にとすとすと足音を響かせて、廊下に出た。


「……?」


 ふ、と振り返る。

 背後には何も無い。ただ、地肌が見えぬくらいに黒く塗られた廊下の突き当たりがあるだけだ。

 何も無い、誰もいないはず、なのだが。


「うーん?」


 丞幻は顔を戻した。こめかみをかりかりとかく。二、三歩ほど足を進めて、勢いよく振り返った。何も無い。

 念の為、突き当たりまで行って壁や天井、床をじろじろと検分するが、覗き穴のようなものは見当たらない。

 苦いものを飲み下したような顔で、丞幻は呟いた。


「……あー、これね。成程。……いやーな感じだわ、もう」


 見られている。

 じっとりと粘つくような視線が、丞幻に注がれているのを感じる。どこからか、正確な位置は分からない。ただ、すぐ近くで瞬き一つせずに凝視されているような気がして、胃の腑の辺りがぞわぞわする。

 端的に言って、落ち着かない。


「もうっ、こんな紅顔の美青年たるワシを勝手に見ようとするなんて失礼ね! ワシを見るならせめて見物料一両持ってきなさいよー! でないと目ん玉に辛子塗ったくるわよ」


 きいー、と瘴気漂う無人の屋敷で、丞幻は拳を振り回した。

 どうやらこの屋敷には、まだ怪異が潜んでいるらしい。


〇 ● 〇


 見ている。見ている。見ている。

 飯を食っている時も。風呂に入っている時も。糞を垂れている時も。

 どこからか見ている。瞬きせず、ずっと見ている。


〇 ● 〇


 ひねもす亭の地下には酒蔵がある。

 床に無造作に並べられた酒樽は、銘柄が書いているものもあれば、無いものもある。そこから飲みたいものを探して選ぶのは、宝探しのようで中々楽しい。


「凪之原と、桃雫と……なんだ、下戸踊げこおどりがあんじゃねえか」


 じゃあこれもだな。

 口の中で呟いて、矢凪は酒樽から目当ての酒を瓢箪に移し替えて立ち上がった。成果は上々だ。

 酒蔵は暗いが、夜目はきく方なので明かりは持っていない。幅の狭い階段を上がって廊下に出る。途端に目がくらんで、金色の目を何度か瞬かせた。

 廊下の中ほどにぽっかり開いた黒い長方形の穴が、酒蔵への入口だ。廊下の床が一部横開きするようになっていて、普段は入口が隠されている。

 初めてそれを見せられた時、矢凪は密かに思った。

 ――どこの絡繰屋敷だ。

 足で蹴って入口を閉ざし、長い廊下を歩く。ひねもす亭は上から見ると「ロ」の字型になっている大きな屋敷であり、とにかく廊下が長いのである。

 地下にある酒蔵は石造りでひんやりと心地良かったが、廊下は蒸し暑かった。素足で歩く廊下が生暖かくて気持ち悪い。


「……」


 ちっ、と矢凪は舌を打つ。いっそ、涼しい地下で飲めば良かったか。しかしまた戻るのも面倒である。

 不快感の赴くままに眉間に皺を刻んでいると、玄関の方から声が聞こえてきた。


「――で、そういう訳だから、頼まれてくれるかい」

「まかせろ。全く、じょーげんはしょうがないな。おれとアオと矢凪がいないと、なんにもできないんだから」

「おばけやしきー! おばけやしき、おもしろそーね、オレね、おばけやしきしゅきー!」

「……ん」


 気配を消して、そっと廊下の角から顔を覗かせる。

 玄関先で、シロとアオが夕焼け色の髪の女と話していた。楽しそうにしている所を見ると、顔見知りか。

 なら、出て行くのは止めておくか。見知らぬ顔がのこのこ出て行って、話に水を差すのも面倒だ。


「それにしても、げん兄の助手とやらが見えないね。顔、見てみたかったんだけどねえ」

「あいつは酒ぐらにいるぞ。おれ、案内してやろうか?」

「オレも! オレもあにゃいしゅるー!」

「あー、いいよ。縁がありゃあ、その内会えるだろうさ。じゃあね」


 シロとアオの頭を一つ撫でて、女が玄関を出て行く。十分に足音が遠ざかってから、矢凪は角から姿を現した。


「おい」


 女の背に手を振っていたシロとアオに声をかける。二体は一糸乱れぬ動きで振り返った。


「なんだ、矢凪。お前がそこにいたの、おれ知ってたぞ。出て来れば良かったのに」

「矢凪ー! どーん!」


 脛に突撃してくる小さい童を小動こゆるぎもせず受け止め、話の邪魔なので転がして両足の間に挟み込む。床に寝そべった状態で胴体を挟まれたアオは、きゃっきゃと楽しそうに笑った。

 それを黙殺して、顎で外をしゃくって見せる。


「シロ。今なぁ誰だ? この辺じゃぁ見ねぇ面だが」

「あれは夕吉だ、丞幻の担当だぞ。そんな事より矢凪、行くぞ」

「どこに」


 脈絡の無い言葉に矢凪は首をかしげる。

 話を聞くために瓢箪を置き、アオを解放して腰を折ると、夜明けを溶かしこんだ瞳が楽しそうにきらきらと輝いた。


「お化け屋敷だ、お化け屋敷!」

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