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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
小噺集

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183/194

小雪の力

本日は豪華二本立て!

「じゃ、ちょっとやってみてちょーだい」


 眼前に胡坐をかいた丞幻が、軽く言う。胡坐の中に座るシロの頭に顎を乗せ、「重いー!」と結っていない髪を引っ張られながら。

 小雪は隣に座る矢凪を見上げた。満月の目が、静かに促す。矢凪の肩に乗ったアオが、わくわくとした顔で小雪を見下ろしている。

 注目されるのには慣れているが、力を使う様を間近でじっと見られると、少し緊張する。何せ、こんなのは初めての事だ。

 小雪は一度大きく呼吸してから、手の中に握り込んだ将棋の駒に意識を集中させた。ふわり、と駒を冷気が取り巻き。

 ぱきんっ。

 微かな音と共に、将棋の駒は一瞬で氷に覆われた。


「おー!」

「すごいな、すごいなあ! あっという間だったぞ、ぱきんってなったぞ!」


 アオとシロが、きゃあっとはしゃぎ声を上げる。喜色満面、興味津々。目をきらきらさせ、小雪の手の中を覗き込んだ。


「ちゅめたいね、シロ!」

「冷たいな、アオ! でもずっとさわっても溶けないな、すごいな!」


 小さな手で氷に触れては、きゃっきゃとはしゃいでいる。


「はあー、成程ねえ。これ、ちょっと見てもいい?」


 口髭を引っ張りながら、丞幻が感心したように目を丸くした。手を出されたので、小雪は無言でそれを渡した。

 丞幻はそれを指につまむと、真剣な顔で凝視する。まるで宝物を鑑定するかのように、じっくり観察しているものだから、なんだか気恥ずかしい。


「えーっと、後は確か氷の塊みたいなのを作れたわよね。ワシを殺そうとした時の奴」

「あれは惜しかったよ。あんたがもうちょい避けるのが遅かったら、その脳天砕いてやったのに」

「やめて歴戦の猛者みたいなその目」


 そっちの方ももっかい見せて、と言われたので、手の中に拳大の氷塊を作り出してみせる。


「これも、勝手に溶けない感じかしらん?」

「そうだよ。でも、こっちは気づいたら消えてるんだ。何かを氷漬けにした時は、あたしが念じないと砕けないんだけど、氷を作った時は気づいたら無くなってる感じ。ただ、溶けてはいないよ。水は見当たらないから」

「お宅の意識が氷塊から逸れたら、消える感じなのかしらねえ」


 ふむ、と丞幻は首をかしげる。

 さあ、と小雪も首をかしげた。

 そこまで詳しく考えたことはないから、分からない。


「あら、本当に消えたわ。やっぱり、氷から意識が逸れたら消えるっぽいわねー」


 いつの間にか空っぽになった小雪の手のひらに視線を向けて、丞幻が口髭を指でいじった。

 ――なぜ急に、小雪の能力お披露目会をすることになったのか。。

 それは今朝に遡る。

 ひねもす亭に来て三日目。朝の身支度を整えていた時に矢凪がふと気づいた様子で、小雪に聞いてきたのだ。


「そういや、雪。結局、なんなんだろうな」


 その氷の力、と矢凪は続ける。


「さあ。あたしもよく分からないや」


 なにせこの力を得たのは幼いみぎり、腹を減らした小雪が氷でできた菫を食べた時だ。

 貧しい小さな村に、祓い屋や怪異に詳しい者はおらず。小雪自身も、この力を異様なものだと分かっていたから、他人に教えたことは無かった。


「氷の菫を食べてから、この力が宿ったんだよねえ……あれ何だったんだろうね?」


 と言った次の瞬間には小雪は、矢凪に抱えられ丞幻の部屋に突撃をかましていた。


「起きろ三流」

「なになになに!? 襲撃!? 曽根崎屋からの刺客!?」

「違えわ。とっと起きて小雪の力ぁ視ろ。んで危険かどうか教えやがれ」

「はぁ!?」


 寝ぼけ眼で、わたわたしていた丞幻だったが、矢凪の言葉を聞いてよっこいしょと布団から起き上がる。結っていない萌黄色の髪をかき回しながら、「はいはい」と頷いたのだった。

 ここに至るまでのあれこれを思い返していると、隣の矢凪が動いた。苛々した調子で立ち上がり、丞幻の頭をごんと拳でやる。


「おい、まだ分かんねえのか」

「いっだ! あのね、恋女房が心配で待てないからって、ワシを小突くのやめてくれるぅ!? こっちだって慎重に見極めてんだからね!!」

「さっさとしゃーがれ」

「お前が小突かなかったら、さっさと終わるから大人しくしててちょーだい!! ちょいとシロちゃん、あの馬鹿の重しになってやんなさい!」


 小突かれた所をさすって、丞幻が膝の中のシロを矢凪の方に放り出す。


「合点だ」


 くふくふと笑ったシロが、矢凪の胸に飛びついた。そのまま、ぐいぐいと着物を引っ張る。


「なあ矢凪。おれな、だっこ力が甲のお前にだっこしてもらいたいなあー」

「抱っこ力? なんだい、それ」


 仕方ねえなこいつは、と言いたげな顔で矢凪がシロを抱き上げる。抱き上げられてご満悦なシロが、ふふんと胸を張った。


「いいか小雪、だっこの上手さをきそうのが、最近のはやりなんだ。こうやってだっこされた時の安定感、だっこの持続時間、あとやわらかさとかを合わせて、甲乙丙丁で点数をつけるんだ。矢凪はな、甲だ。すごいんだぞ!」


 続けて、びしりと丞幻を指さす。


「あいつは(へい)だ。へたくそなんだ」

「しょよ! へたくしょなのよ!!」


 矢凪の肩に乗ったアオも、むんと胸を張る。


「そうなんだ。貴墨は今、面白いのが流行ってるんだねえ」


 遊郭の中でも大きな流行りは聞こえていたが、局所で流行しているものの情報は流石に入ってこない。

 感心して頷いていると、矢凪が首を横に振った。


「こいつらの間だけだ」

「そうなんだ」


 そちらにも感心して頷いていると、丞幻が顔を上げた。いつの間にか、書物を何冊も膝の上に広げている。


「ちょいと、人が真剣に視てんのに、そっちだけで楽しそうにほのぼのしないでちょーだいよ」

「るせえ。てめえが遅ぇのが悪ぃ」

「まー、この助手は雇い主使いが荒いったら」


 子どものようにむくれて――全く可愛くない――みせてから、丞幻は小雪に氷漬けの駒を返した。


「まあ、分かったわよ。小雪の力がどんなものなのかは」

「なんだ」


 ぐい、と矢凪が前のめりになる。小雪も、少しだけ心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 幼い時から付き合ってきた力で、特に由来も何も気にしていなかったし、危険かどうかも考えていなかったが。

 改めてその正体を示されるとなると、緊張するのも事実だ。


「なーによ、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」


 硬い顔の二人を安心させるように笑って、丞幻は口髭を撫でつけた。


「とりあえず、小雪が食べた氷の菫だけど。それは辰雪瞳女(しんせつどうにょ)の鱗ね」

「辰雪瞳女?」


 小雪は首をかしげる。

 それは陽之戸の東西南北を守護する四神のうち、北方を守護する神の名だ。故郷である白岑国(しらみねのくに)は、辰雪瞳女の守護域に含まれている為、小雪の家にもかの女神を祀る神棚があったのを、微かに覚えている。

 傍らに座る矢凪が、片眉を跳ね上げる。不機嫌な顔が恰好良い。


「神さんの鱗が、なんで菫になってんだよ。で、なんでこいつが食って氷を使えるようになってんだよ」


 矢凪の問いに、丞幻は指を一本立てた。「いい?」と首をかしげながら、続ける。


「まず辰雪瞳女って娘と竜、二つのお姿を持っているじゃない? それで五百年に一度、鱗が生え変わるのよ。剥がれた鱗は基本的に千々に砕けるんだけど、時々大きな欠片が砕けないで残ることがあるのね」


 ここまではいい? と言われたので、小雪は矢凪の横顔に見惚れながら頷く。真剣な瞳が恰好良い。


「……本当に聞いてる? まー、続けるわよ。そんで、その残った欠片を人が取り込んでしまうと、小雪のように氷を操る力を得るの。まあ、神の加護ってとこだわね。ほら見て、ここにもそういう記述があるでしょ」

「字が下手過ぎて読めねえよ」

「おいちそーなのかいてる! にゃにこれ、おまんじゅ?」

「ばかだなあ、矢凪は。これはな、たっぴつっていうんだぞ、たっぴつって」


 丞幻が差し出した本を覗き込んだ矢凪とアオの感想に、シロがやれやれと言いたげにわざとらしく肩をすくめた。小雪は、少し身を乗り出した矢凪に釘付けになっていた。かたむけられた顔に、薄茶のくせ毛がかかって恰好良い。


「……えっとねえ、『辰雪瞳女の鱗を食った奴は、氷を使えるようになるらしい。色々凍らせることができるらしい。五百年に一度だから、俺は無理だが。糞怪異共を凍らせて千々に砕いてやったらさぞ気持ち良いだろうに残念だ糞が』って書いてあんのよ」

「矢凪の日記か?」


 きょと、とシロが首をかしげて矢凪を見上げる。矢凪はむうんと難しい顔をした。眉間に皺を寄せた姿が恰好良い。可愛い。


「書いた覚えはねえ」

「限りなく似てるけど、お前が日記書くほどまめなわけないでしょ。これはワシん家の初代様の日記よ」


 端々に饅頭や、へのへのもへじやらの落書きが書かれた日記を、丞幻は結論づけるように大きな音を立てて閉じた。


「――ま、そういうわけで。小雪の力は怪異由来でも霊力由来でもなくて、神様由来の力ってわけよ。まあでも極々ちょぴっとだけだから、身体にはなーんの害も無いわよ。安心した? 矢凪」

「……ん」


 ぽり、と矢凪は鼻の頭を人差し指でかいた。眉根が少し下がっている。気まずそうな顔だ。可愛い。いつまでも見ていられる。


「あと、神の力だから怪異に多少の効果はあるけど、なーんの修行もしてないんだから、怪異に手ぇ出したら駄目よ、小雪。下手にちょっかいかけるとあいつら付け上がるんだから……って、聞いてる?」

「雪?」

「小雪、どした? ぼーっとしてるぞ? 具合悪いのか?」

「どちたの? だっじょぶ?」


 四人の顔が、訝し気に小雪を覗き込む。

 小雪はぱっちりとした氷色の目で、()……と矢凪の顔を見上げていた。もう釘付けだ。矢凪の顔しか見えない。恰好良い。愛しいこの人とこれからずっと一緒にいられるとか夢だろうか。いや現実だった。話も途中から耳に入ってきていない。


「すき。かっこいい。だいすき」


 小雪の口から、語彙力の溶けた言葉が垂れた。


「……矢凪」


 頭痛をこらえるような表情を浮かべ、丞幻は矢凪に声をかけた。


「……おう」

「あとで、もっかいワシが言ったこと小雪に説明なさいよ。お前」

「…………おう」


 大人二人が何とも言えない顔で小雪を見ている横で、シロはこそこそとアオに耳打ちした。


「いいかアオ、ああいうのを、べたぼれって言うんだ」

「わかっちゃ! 小雪べちゃぼれ!!」


 アオが元気良く、両手を挙げて叫んだ。

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