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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
神祭:大祓祭

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霜月二日・昼-四

「白寿教の門番をしていた、織部という男だそうだ。今、春太に式を飛ばして確かめた。ついさっきに、凄い絶叫を上げて御殿から飛び出して行って、行方がしれないらしい。教祖に訳を聞いたら、『今日が寿命だと伝えたら絶叫して逃げて行った』と言ってたようだな」

「へえ」


 瓢箪から酒を飲みながら、矢凪が気の無い返事を為成に返している。

 端が擦り切れた(むしろ)に仰向けに寝かせた男は、目と口を大きく開いた状態で事切れている。突然、横にある小道から転げるように飛び出てきたかと思えば、為成の黒羽織を掴んだ後、一息に言葉を発してそのまま倒れたのだ。肩を掴んで引っくり返した時には、もう息が無かった。

 茶屋の老婆――店の前で人死にが出た事に腰を抜かしていた――に詫びを入れて筵を借り、「白寿教」と名が出た為に為成が式を飛ばし、異怪奉行所と白寿教に潜入している春太に連絡を取った。

 織部という名に聞き覚えがあったので、丞幻は記憶を思い返していた。深く思い出すまでもなく、すぐにその名と付随する情報が浮かび上がってくる。

 昨日、巾木が言っていた名だ。


「あれよねえ。白寿教を教祖と共に立ち上げた男が確か、織部っていう名前だったわねえ」


 為成と矢凪が頷く。


「今日が寿命だって知って、絶望してここまで逃げてきたってか?」

「ええ、そりゃおかしいわよ。流石に遠いでしょ」


 丞幻達がいる本町と、蝶御殿のある旗里はそこそこ遠い。少なくとも、「ついさっき」旗里にいた筈の男が移動できる距離ではない。


「うん、そうなんだよなあ。御殿を飛び出した後は畦道を駆けてったらしいんだが、そこでぶつっと悲鳴が聞こえなくなって、姿が見えなくなったと。隠れる場所も無いのにどこに行ったんだろうと、不思議に思ってたところに俺からの連絡が来たらしい」

「ふーん。仲間割れでもして、異界に飛ばされたのかしらね。そうすればほら、距離なんて関係無いし……っていうか、こいつがなんで死んだかはどうでもいいのよ。問題はこいつが話した内容よ」

「あのガキ使って、天帝に成り代わろうとしてるってぇ言ってたな」

「いやあ、恐れ多いだの罰当たりだのを通り越して感心しちまったぞ、俺。何考えたらそんなことを思いつくんだ」

「小物がうっかり強い力持ったから、野望が天高くなったんだろ。くだらねえ」


 けっ、と矢凪が舌を打つ。

 ――丞幻の視界に、ひらりと白い羽が舞った。季節外れの白い蝶。雪かと見まごう程に、その蝶は白かった。羽も、触覚も、胴体も、足も、全てが白い。


「もう乗り込もうぜ面倒くせえ」

「待て待て矢凪、向こうにはあのちびがいるんだ。白寿教に乗り込むのはいいとしてだ、あのちびが例えば『この場の全員は今死ぬ』なんて言ったら終わりだぞ」

「言う前に潰す」


 瞬きをするごとに、ざやざやと蝶が増えていく。視界の端からゆっくりと、白い蝶で覆い尽くされていく。


「『炎よ出ろ』とか、『床よ腐れ』なんてあの子が言ったら、その通りになる可能性が高いんだぞ。それで足止めされてるうちに、『死ね』なんて言われたら全滅だ。……ほんっと教祖はともかく、そっちのちびが問題なんだよなあ。教祖はともかく。いや本当教祖はともかく」


 ざやざや、ざやざや。笹の擦れるような音が、鼓膜の中で響く。視界が真っ白になる。無数の蝶が、瞳の中で白い羽を羽ばたかせている。


「……なんで三回言ってんだよ」

「だってなあ、こうして春太と式でやり取りしてても、あいつが気づいた様子は無いし。しかも『普通の芸者には飽きたから、珍しいのを連れてこい』って言ってるらしいし……」


 ふと気づくと、目の前に子どもがいた。小さな子どもだ。どこもかしこも真っ白な子ども。白い顔も、足首までの長い髪も、染み一つ無い肌も、全てが白い。白い蝶が集まって、人の形を取ったならこうなるだろう。そう思わせるほどに、子どもは白かった。

 ただ一つ、こちらをひたと見据える双眼のみが青い。見開かれた瞼の下にある瞳は青く、その表面は虫の目のように網目が走っていた。

 口が。歯も舌も喉の奥までも白い口が、大きく開かれた。

 ――『 』

 大きく開いた口が、中心に向かって(すぼ)められる。唇の中心に皺が寄ったのが、やけにはっきりと見えた。

 ――『 』

 窄められた唇が横に引っ張られる。小さな口が半開きになり、ちらりと歯が覗く。

 ――『 』

 半開きの口内で、白い小さな舌が震えた。

 ――『 』


 声無き声が、丞幻の鼓膜を力無く震わせる。ざやざや、ざやざやと蝶の羽音がうるさくて聞こえない。


「……おい、おい」

「丞幻殿、丞幻殿!」


 ぱんっ、と玻璃が砕けるように、眼前の子どもが砕けた。



「あ、え、なに、なんて?」


 我ながら間が抜けていると思うような声を上げ、丞幻は周囲をきょろきょろと見渡した。

 先ほどと変わらない、荒れた廃神社だ。手入れのされていない境内は寒々しく、時折吹く寒風が枯れ葉を巻き上げている。

 目の前の矢凪と為成が、こちらを見つめていた。矢凪は何をしてんだと言いたげな呆れた表情を浮かべ、為成は心配そうに眉をひそめている。


「大丈夫か、丞幻殿。なんだかぼーっとしてたぞ。声をかけても返事しないし、矢凪は遠慮なく張り倒そうとするし」

「殴れば治るだろ、ああいうのは」

「ちょっと、やめてよね」


 拳をぐっと握る矢凪に渋面を向け、丞幻は頬を平手でぱんぱんと叩いた。まだ、どことなくまどろんでいるように思考が鈍い。


「ええとねえ、大丈夫よ為成殿。ちょっと、変な幻覚っぽいのを視てね」


 と、先ほど見た白い蝶の群れと、白い子どもについて二人に話す。話しているうちに、鈍かった思考はいつもの調子を取り戻していた。


「白い蝶に子どもときてるし、白寿教関連だと思うの。朝にも同じ感じの視ちゃってねえ、運命を捻じ曲げられて、変な影響が出てるんだと思うけど」

「ああ、そういや朝も蝶がどうとか言ってたな」


 ぽく、と矢凪が手のひらに拳を打ち付ける。

 納得した、と言いたげな助手に対して、為成は眉を寄せたまま、懐から書付を取り出した。ぺらぺらとめくって、小さく唸る。


「どしたの、為成殿」

「いや、そのなあ。白寿教に行って、寿命を宣言された奴らに奉行所で話を聞いたんだが、そういう蝶の幻覚を視た奴は、一人もいないんだよ」


 ふむ、と丞幻は口髭をなぞる。


「まあそうだわね。白寿教に行った人が全員、あんなの視てたらあっという間に騒ぎになってるわよ」

「運命を曲げられた歪みが蝶の幻覚として現れるっていうのはまあ、理解できるし納得できるんだが。それだったら、全員がその幻覚を視てないとおかしいんだよなあ」

「こいつが明日死ぬって言われたからじゃねえか? 時期が近くなると視えるとか、見鬼持ちだとか」


 矢凪の意見に、為成は首を横に振る。


「いや、実は五日後に死ぬって予見されたのもいてな。そいつからも話を聞いたんだが、蝶の幻覚の話は無かった。見鬼持ちも何人か予見されてるけど、そいつらも蝶の幻覚は視てない。あの子に異様な雰囲気を感じてはいたらしいが」

「ってこたぁ、てめえしか視てねえんだな」

「そうね」


 寒そうに肩をすくめた矢凪に、丞幻は頷く。なんだか口の中に、朝に感じた「()()()」とした感触が蘇ってきたような気がして、顔をしかめた。


「考えられることは、蝶の幻覚は白寿教とは関係ない怪異の仕業か、単に丞幻殿が白寿教を意識しすぎて視た幻か、後はまあ、そのー」


 と、言いにくそうに為成は鼻の横辺りをこりこりと指でかく。

 言わんとしている事を察して、丞幻は肩をすくめた。


「ま、見鬼しか能が無いごく潰しだけど、鉦白家の直系だしね。他とは違うものくらい視えるでしょ」


 軽い調子で言おうとしたが、予想以上に冷たく湿った声が出た。

 ぎょっとしたように、為成が目を(みは)る。矢凪が(すね)を爪先で蹴ってきた。地味に痛い。


「ちょっと矢凪、痛いんだけど」

「るせえ。鬱陶しいんだよ最近。なにいじけてんだ」

「うっさいわね、こっちだってなんでだか知りたいわよ」


 睨んでくる矢凪を、丞幻も睨み返す。

 本当に最近、胸中がごちゃごちゃと落ち着かなくて、気持ち悪い。些細な事でむしゃくしゃとしてして、その程度の事で気持ちを揺らがされるのに更に苛々として、だけど胸の奥は相変わらず冷えたように固まっていて。相反する気持ちが気持ち悪くて、叫んで暴れ出したい気持ちだ。

 ああだこうだ、と言いあう丞幻達を、為成がまあまあと宥めていると。


「ねえ。……ねえ、ごめんね。ちょっと良い、旦那様」


 小雪がひょい、と鳥居の外から顔を出した。……流石に道端に死体を置いてはおけないので、丞幻達は男の死体を茶屋の前にある廃神社へ運んでいた。小雪達は茶屋で待っているよう矢凪が言いつけていたが、顔を出した小雪の下には小さい頭が二つ覗いている。


「ああ、雪」


 舌戦を切り上げて、矢凪が鳥居の方に顔を向けた。刺々しい雰囲気を綺麗に押し隠し、柔らかい声を上げる。


「俺らぁもうちっとかかっから、書奉祭に戻ってていいぞ」

「そうねー。ワシも流石に、今日はもう売り子はできないわ。後で尻でもなんでもしばかせてあげるって、夕吉にも言っといてくれる?」


 丞幻も先ほどまでのぐちゃぐちゃの感情を押し殺して、苦笑してみせた。


「違うよ旦那様。そうじゃなくって……」


 雑草が石を割って伸びたせいで、歩きにくい参道に眉をしかめながらも、小雪はこちらまでやってくる。

 シロとアオは鳥居をくぐるなり、「いいか、あっこのちょーずばちに、順番に石を投げていって、どっちが先に石を入れるか、勝負だぞ」「う! ののむちょころよ!」と、水の枯れた手水鉢に石を投げ始めた。アオが順番を守らず次々に石を投げるので、シロがどんどん眉を吊り上げていく。

 そんなほのぼのとした二体を背景に、小雪は何やら決意を込めた氷色の瞳で、きっと矢凪を見上げた。目元にかなり力を入れているのか、目尻の泣き黒子が震えている。

 矢凪は、なんだなんだ、と丸い目をぱちぱちとさせていた。


「ごめんね、盗み聞きするわけじゃなかったんだけど、話は少し聞かせてもらったんだ。ええとね、旦那様。それでね」

「駄目だ」


 小雪の言葉に被せるように、矢凪が鋭く言い放った。


「絶対駄目だ」


 ぴしゃり、と叩きつけられたそれに、小雪が首をすくめる。


「ちょっと、矢凪」


 珍しく、小雪に対して当たりが強い。丞幻は軽く眉を寄せて咎めるが、矢凪はそれをすっぱり黙殺し、腕を組んで小雪をじろりと見下ろした。


「雪。お前、白寿教に潜り込む気だろ。芸者に紛れて。駄目だ、駄目」


 丞幻は即座に矢凪の援護に入った。


「小雪、それは駄目よ。潜入の()()()なんてお前分かんないでしょ。下手に突っ込んで、お前人質にされたらワシらどうすんの。どうやって矢凪押さえればいいの」


 万一、小雪が刀を突き付けられているのを見た日には、無言で堪忍袋の尾を引きちぎり、全てを血に染めるまで止まらない殺戮の神になりそうだ。

 絶対に駄目だ、と男二人で却下する。対する小雪は腕を組み、徹底抗戦の構えだ。

 なおその小雪の背後では、順番を守らないアオに向かって、ぷんすこと頬を膨らませながら毬を投げているシロという、絶妙に気が抜けるやり取りが繰り広げられている。


「大丈夫だよ。あたしだって、遊郭の天辺張ってたんだよ。男一人篭絡するのなんて簡単なんだから」

「駄目だ」


 矢凪に重ねて却下され、小雪はむうと頬を膨らませた。


「あたしだって、旦那様の役に立ちたいのに」


 それから、丞幻を恨めし気にねめつける。


「……間夫ばっかり、旦那様と一緒にいてずるい」


 そりゃ、お前の愛しい旦那はワシの助手だからねえ。

 と、喉を通って出かけた言葉を丞幻は全力で飲み込んだ。

 これはどう考えても、煽っているようにしか聞こえない。なので代わりに、小雪の気持ちを一発で鎮める伝家の宝刀を抜いた。


「あのねえ、小雪。矢凪はね、お前が蟇蛙(ひきがえる)みたいなおっさんにしなだれかかったり、甘い言葉を吐いたりするのが嫌なのよ。お前の愛しい旦那の嫉妬心を分かってあげてちょーだい」


 細い肩を軽く叩き、とどめの一言。


「あいつ内心、俺()()()雪なのに、なんでよその男を篭絡しようとするんだ、って思ってるわよ」

「え、すき」


 効果は絶大だった。


「え、旦那様かわいい。すき。むり。かわいい」


 両頬を押さえるように手を当てて、小雪が身悶えた。語彙力が、夏の日の飴のように溶けている。

 よし、と丞幻は拳を握った。

 これで、小雪の頭から潜入だのなんだのは吹っ飛んだに違いない。丞幻を射殺しそうな目でねめつけている矢凪を見上げ、白い頬を真っ赤に染めてぴょいぴょいと跳ねている。……正直、元花魁の手練手管をもってすれば、教祖をたらし込むことはできるだろう。教祖が小雪に鼻の下を伸ばしている間に、奉行所が動いてしらてふを確保。その後に教祖を捕らえれば、事は簡単に片付く。小雪の話術で教祖が悪事を自白してくれれば、更に事は簡単だ。

 だが小雪に危ない橋を渡らせる気は、丞幻には無い。もちろん矢凪にも、為成にもだ。

 いくらやる気があって能力があっても、小雪は特殊な鍛錬も受けていない、普通の女人である。下手に関わらせた結果、危険な目に合わせてしまうのは避けたい。

 だが、教祖の弱点である女を使い、気を引いている間に……というのは、いい考えだ。


「ねえ為成殿、小雪の案なんだけど」


 春太と式で連絡を取り合っている為成に、声をかける。耳を貸して、と口を寄せ、ひそひそと丞幻は囁いた。

 ぎょっ、と先ほどとは別の意味で為成が目を瞠る。


「え、いや、丞幻殿、それは……」

「いけるでしょ」

「いけ、る、か……あ……?」


 腕を組んで眉間に皺を寄せ、天を仰ぐ為成。それに丞幻は、「いけるいける」と繰り返して無理やり頷かせる。そうして何事かとこちらに視線を向けた小雪に、親指を立ててみせた。


「小雪、お前の案で行くわよ」

「え」


 小雪が目を輝かせ、矢凪が眉を吊り上げた。

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