霜月一日・午後
白寿教は、昼八つ半|(十五時)になれば門を閉める。
門番の織部がまだ居残っている者を追い払い、この地で集めた信者達――しらてふ様の予見で救われたから、恩返しがしたいと言う者達だ――が、細々とした雑事をしている中。
白寿教教祖、永白は己の部屋で、眼前に端座したしらてふの目の前に、ざらりと何枚もの紙を広げた。
「さあ、読んでみろ」
達五家長女・おきゅう、静ノ宮家当主・閏、呉服屋『あけぼの』店主・曙……その他、神社の神主であったり、相当のお役目についている役人の名が、紙一枚一枚に書かれている。
その横には、その人物の特徴をうまく捉えた人物絵が描かれていた。
「…………」
相変わらず、どこを見ているか分からない青い瞳で、しらてふはそれらの絵をじっと見る。
数拍の間をおき、すっと指をさした。
「おきゅう、ななねんご、やまいでしぬ。うるう、さんじゅういちねんご、おいてしぬ。あけぼの、みっかご、おぼれてしぬ。おさえ、いちねんご……」
一番左側に置かれた姿絵から順々に指さしながら、玻璃のように透明な声が淡々として寿命と死因を告げていく。
永白は、数年前よりぶくぶくと肥えた頬に、にんまりと蟇蛙のような笑みを浮かべた。
青地に金色の蝶が大きく舞い、その間に牡丹と菊が隙間なく咲いた特注の着物――丞幻が「派手過ぎて趣味悪いわあ」と眉をしかめそうなものだ――と、これまた派手な竜模様の半襟を太い指で撫で付けながら、しらてふの言葉を聞く。
「……さだげんじろう、にじゅうよねんご、がけからおちてしぬ」
最後の一人の寿命と死因を口にした後、しらてふは手を膝の上に戻して、小さな口を一文字に閉じた。
永白は、笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。胸の奥から浮かんでくる、たまらない愉悦を唇に乗せて、しらてふの前に並べた紙を回収する。
「よし、よし。すぐに金を搾り取れそうなのは、半分はいたな。早速、手紙を書かせるとするか」
手を叩くと、すぐに信者の女がやってきた。
とても抱く気にはなれない痩せぎすの鳥のような女だが、下女として使うのにはちょうどいい。それに織部を呼ぶよう伝えると、一礼して去っていく。
「どいつもこいつも、しらてふ様を頼りにして、結構なことだ」
白寿教に寿命を視てもらいたいが、自ら足を運ぶのは憚られる者。自分の利益の為に、他人の寿命と死因を視てもらいたい者。そういった者達が、視てもらいたい者の姿絵を送ってよこすのだ。
永白はその姿絵をしらてふに見せ、告げられた予見を先方へ伝える。そして、金が永白の懐に入ってくる。白寿教の絡繰りの一端を担う泥翡翠を買うのにも金はかかるが、それを補って余りあるものだ。必然、永白の懐はぶくぶくと肥え太った。
それが、ひどくたまらない。
ほんの数年前までは、明日食うものにも困る根無し草だったというのに、今ではこんな巨大な御殿に住み、朝から晩まで贅沢三昧。毎日美味いものを食い、芸者を呼んで享楽に耽ってもなお、余りある金、金、金。
それもこれも全部、こいつのおかげだ。
ぐつぐつと、汚泥の煮え立つような笑声を上げて、永白はしらてふに視線を投げた。
「全く、しらてふ様様だな」
元々、永白はあちこちを旅しながら、詐欺まがいのお祓いと予言で小金を巻き上げる、けちな祓い屋もどきだった。
両親は一端の祓い屋で、自分も異怪奉行所に入れるほどの霊力はあったものの、生来の怠け癖が災いして修行に身が入らず、早々に勘当された。
そこからは、覚えた小技を使ってこすっからく生きてきた。
道中、似たような理由で家を追い出された忍もどきの織部と出会い、同じような身の上同士、共に旅をすることになった。
永白の予言に応じて、織部が細工――帰りに岩が落ちると言えば岩を落とし、妻が亡くなると言えば家に忍び込んで暗殺した――し、前よりも金が入るようになったことで、安定した旅ができるようになった。
織部はそれで満足するような欲の無いつまらない男だったが、永白はまだまだ満足していなかった。
もっとだ。
もっともっと、金が欲しい。
贅沢だ。浴びるほど酒を飲み、腹がはちきれるほど飯を食い、精が枯れるほど良い女を抱きたい。
だからその為に、もっともっともっともっともっともっともっと、金が欲しい。
そんな永白の飽くなき欲が、どこかの神に届いたのだろうか。
雲のような白い綿花が一面広がる、なんの面白みもないつまらない村に立ち寄った時。不吉な予見ばかりをすると、恐れられ遠巻きにされている子どもを見つけた。
綿花のように真っ白い髪と、綺麗な青い目を持つ子どもだった。
無口で大人しく、寂しそうな目をして子ども達の遊びの輪を眺めていた。
わた坊。
そう呼ばれていたその子は、村の誰々がいつ死ぬ、誰それはいつ死ぬ、と人の死をそこそこ言い当てる為、村の連中からは腫物扱いされていた。
彼を庇護していた母親が死んでからは村長の家で下働きをしていたそうだが、どうにも彼を持て余している様子だった。
――いっそ殺しちまえっちゅうもんもおりますが、何せ、人の死を当てるでしょう。殺しちまったら、なんぞ祟りそうで、恐ろしゅうて恐ろしゅうて……
永白に、稲妻に打たれたような衝撃が走ったのはその時だ。
天からお告げを受けたような心地だった。
この子どもはきっと、自分と出会うために生まれたのだ。そう思った。
「この子は恐らく高い霊力があります。どうでしょう、私に任せてみませんか」
村長にそう吹き込み、金三枚を渡すと、村長は一も二もなく頷いて、わた坊をこちらに引き渡してきた。
それはもう、厄介払いができて清々したといわんばかりの態度であった。
それから、奇妙な三人旅が始まった。
わた坊は確かに人の死を予見したが、当たる回数は決して多くなかった。十回予見させて、三回当たる程度。まだ自分の力をちゃんと制御できていないのだろう。そう判断した永白は、織部に命じて泥翡翠を用意させた。
――おい、永さん。何をする気だ、あんた。
不安がる織部を無視し、永白は手持ちの薬草を泥翡翠と混ぜたものを、わた坊に嗅がせ続けた。
実家に口伝で伝わっていた“神成リノ秘薬”。
これを嗅ぎ、深い瞑想を続けることにより魂は研ぎ澄まされ、霊力は飛躍的に上がる。それを繰り返すことで魂からは余計なものが削ぎ落とされていき、いずれは神に成るほどの力が身に宿るという。
神に近づく、というのは大袈裟だと思ったが、確かにわた坊の霊力は驚くほど高まった。元々、子どもは七つを過ぎるまでは魂が安定せず、少しの刺激で人の境界線を容易く超えてしまう。
秘薬を使って後押ししたわた坊の力は日々高まり、永白の見立てではそこらの術者よりも――それこそ噂に名高い、鉦白家以上の力を得ていた。
以前は直接姿を見なければ駄目だったが、今では姿絵を見せるだけで予見ができるようになっている。
そんなわた坊を「しらてふ様」として担ぎ上げ、白寿教を作り、馬鹿な連中から金を巻き上げ始めた。おかげで、湯水のように金が入ってくる。毎日、美味い飯を食える。東西の銘酒をいくらでも飲める。女をいくらでも抱ける。
もういいだろうか。これが贅の頂点だろうか。
――いいや、まだだ。まだまだだ。
「――おい、永さん」
織部に呼ばれ、ふと永白は我に返った。
手紙を書き終えた織部が、相も変わらぬ辛気臭い面で、それを差し出してきている。
「おう、出しとけ」
放り投げるように言い、永白は息を吐いて重い身体で立ち上がった。
部屋にある、黒螺鈿の箪笥に近寄り、星粒が数多縫い込まれた派手な紙入に包んだ銀一枚を取り出し、織部の膝に投げる。
「それ使え、余ったら女の一人でも買っていいぞ」
「……永さんよ。これぽっちじゃ、夜鷹くらいしか買えねえだろうよ」
「十分だろ。それともお前、自分の面に花魁が似合いだと思ってんのか? そいつは自惚れが過ぎるぞ」
そう、せせら笑う。
織部の骨ばった指に握られた紙束が、くしゃりと歪んだ。
「……最近、おれへの態度がどうも粗雑になっちゃいねえか」
震えるような言葉に、永白は片眉を跳ね上げる。
「あ?」
煙管に火をつけ、煙を吸い込みながら織部を見れば、頬骨の張り出した顔に怒りのような色を浮かべていた。
黙って煙を吐き出すと、織部は堰を切ったように言葉を吐き出した。
「昔は、分け前は五分五分だったはずだ。だってのに、最近はなんだ。報酬も、美味いもんも、女も永さん一人が独占して、おれにゃあ雀の涙しか寄こさねえ。こっちは、朝から晩まで番小屋に押し込められて押し寄せてくる連中の相手して、あれやこれやと立つ噂の火消しに回ってやってんだ。潜り込んだ犬の始末だってした」
だから、おれにもいい思いをさせろ。あんたの番犬をするために、おれはあんたについてきたわけじゃねえ。
「は」
織部の吐き出した鬱屈の余韻を吹き飛ばすように、永白は紫煙を吐いた。
「笑わせるな、織部。確かに、組んだ時は分け前は五分五分にしようと言った。そりゃあ、俺とお前の働く量が等分だったからだ。働く量が等分じゃなくなったのに、同等の分け前を渡す馬鹿がどこにいる」
まあ、と厚い唇を歪めて、永白は蔑むように織部を見下げた。懐から財布を取り出し、放り投げる。
「確かに、それじゃ足りなかったかもしれんな。ほれ、もう少しくれてやる」
「……ッ、ふざけんな!」
怒声を上げ、織部が立ち上がった。投げた財布が、畳を転がる。
「おれは、一日中番小屋に詰めて周囲を見張ってる! 奉行所からの犬も片づけた! こうしてあんたの雑用もしてやってる! あんたは一日中、女と酒を食らってるだけだろうが! ここ最近、あんたがなんの仕事をしたってんだ、言ってみろ!」
織部の握りしめた拳が、ぶるぶると震えている。
今にも飛びかかりそうな剣幕を無視し、永白は着物の上からでも分かる突き出た腹を指でかいた。湯に浸かるのが面倒で、身体を拭くだけで済ませていたが、流石に垢がたまってきて痒い。仕方が無い、風呂に入るとするか。
「織部、そんなことはどうでもいいから、湯を沸かさせろ。芸者達が来る前に……いや、いっそ芸者達と風呂に入るか。風呂で歌ってもらうのも悪くない」
絶句し、顔色を赤くする織部に向けて、永白は犬猫を追い払うようにしっしと手を振った。
「いつまでぼさっと突っ立ってる。さっさと湯を沸かさせてこい」
ごりり、と奥歯を噛みしめる音が響く。剃刀のような瞳が恨めし気な色を宿し、じっとりと永白をねめつけた。それを受け止め、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
口の中で何かを呟いてから、織部は身を翻すと畳を踏み鳴らして部屋を出て行った。乱暴に襖が閉められ、跳ね返って隙間が空く。
それでも、しっかりと小判と財布を持って行った浅ましさを、永白は笑い飛ばした。
「なんだ。あれこれ言ってたが、結局金は持っていくのか。相変わらず、小物だ」
煙管を口の端に咥え、脇息に身体をもたせかけながら、永白は口の隙間から煙を吐きだした。
「しかし、最近は耳障りな事ばかり吐くな。あいつも」
小さな瞳を、剣呑に光らせる。
確かに、組み始めた当初は奴の調査能力には助けられた。細々とした命令を忠実にこなしてくれている。使える奴であることは確かなのだ。
だが、しらてふがいる以上、調査能力も予見達成のいかさまも必要無い。
不埒者の始末は確かに必要だが、金が唸るほどある今、わざわざ奴に固執する理由は無い。貴墨には、やらせたい仕事に応じて忍や錠前破りに火薬使いなど、裏で生きる者を貸してくれる盗人一味がいる。
そこに金を払い、忍の一人や二人雇えばあんな辛気臭い男など、必要なくなる。
「ま、それは後でいいか。……さあ、しらてふ。次だ、これを見ろ。ここに書かれている奴の寿命と、死因だ。視ろ」
ずっと口を挟まず隅で端座していたしらてふの前に、永白は懐から出した紙を広げた。
細い筆で描かれたそれは、空雲色の長い髪と瞳だけが目立つよう青く色づけられている。誇張されたものではなく、なるべく本人に近いものを選んできたものだ。
永白はこんな、ちんけな御宗旨の教祖で終わるつもりはない。
折角、しらてふという力を手に入れたのだ。ならばこの力を使い、どこまでも上り詰めて栄華を貪る。
――そう、例えば、この国で最も尊き身にしらてふを成り代わらせ、己がそれを裏から操れたら。
一国一城の城主でも、陽之戸を統べる大将軍でもなく、「天大神の子」という唯一無二の存在を支え導く存在、となれば。
天帝の住まう雲涼殿には、各国から様々な貢物が届けられる。それを全て、味わい尽くすことができる。それこそがきっと、永白の追い求める最高峰の贅。
首を動かさないまま、玻璃のように透明な青い瞳がきゅろりと動いて、紙を見下ろした。
「このものの、じゅみょうは――」
天帝の傍に控える者達など、物の数ではない。五大名家がなんだというのだ。こちらにはしらてふがいる。類稀なるこれの力を使えば、天へ爪がかかる。
本当に、大した道具だ。これを見つけた己を、絶賛してやりたい。
「あと――」
感情の色が無い声が、淡々と言の葉を部屋に広げていくのを、永白は脂下がった笑みを浮かべて聞いていた。
〇 ● 〇
ひらり、蝶が舞った。




