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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
真・荒れ寺の祟り神

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 慣れていない矢凪が顔をしかめて、手を振り払った。


「うっせえ。俺ぁ荷物片づけんだから邪魔すんじゃねえ」

「ええー、あそこに荷物なんてあったかしらん? あんなぼろっぼろのとこじゃ、すぐ虫に食われたり狸に持ってかれない? 床下収納?」

「ありゃ別荘。寝泊りしてたのはもっと奥にある廃寺だよ」


 言い捨てて、さっさと矢凪は部屋に入ってしまった。廊下にうつ伏せになった丞幻は、「別荘てお前、ワシでもそんなん持ってないのに生意気な……」とぶつぶつ呟いている。

 そこにととっ、とシロは近寄った。丞幻目掛けて毬を投げつける。鋭く飛んだ毬は、あやまたず萌黄色の後頭部に激突する。


「おふっ!?」


 悲鳴を上げた丞幻が、のろのろと寝返りを打った。

 顎には無精髭がまばらに生え、前髪の向こうに見える目は血走っている。着崩れた着物と相まってなんとも凄惨な様相だ。夜中に子どもが見たら泣きだしそうである。


「あー……シロちゃん、アオちゃんおかえりー。お洗濯ありがとうね」


 シロは転がった毬を拾い上げて、大袈裟にため息を吐いた。


「あーあ。ちゃんと書いているのかと思えば、まさか嫌がる相手を無理やり()()に引きずりこもうとするなんてな。やっぱりおれとアオみたいな古女房は、みくだりはんで、りえんの定めか……せめて、持参金は返してもらうぞ」

「閨って……シロちゃんほんっと、そういうのどこで覚えてくんのよー」

「じょーげん、ただいま! あんねあんね、オレたちごはんたべたらね、矢凪とあしょぶの!」


 どーん、と勢いよく胸元に飛びついたアオの頭を撫でて、丞幻は隈の浮いた顔に笑みを乗せた。


「あー、そうなの。いいんじゃない、いっぱい遊んでもらいなさいよ。んじゃワシ、頑張って巫女姫の続き書くからねー」


 ずりずりと仰向けのまま部屋に戻ろうとする丞幻の手のひらを、シロはぶみっと踏んだ。ぐりぐりと踵を突き刺しながら、冷たい目で見下ろす。


「おい、じょーげん。あさげよこせ、あさげ」

「……シロちゃん、それ絶対他の人にやっちゃだめよ。絶対、とある人種の危ない扉を開けちゃうからねー」

「そんなのどうでもいい。あさげ」


 墨にまみれた指が上がり、くりやを指した。


「厨に置いてあるから、それ食べて。ごめんねえ、昼は外に食べに行けるように頑張るからねー、ワシ。ちなみにどっか食べに行きたいとこある?」

「しゅんこま屋の冷たいお茶づけ」

「オレもー! オレも、ちゅめたいおちゃちゃがいい!」


 うっ、と丞幻の喉が鳴った。


「一杯銀一枚するじゃないのよ、あそこ……」

「あさげはがまんしてやるんだ。昼はおいしい所にしろ」

「あのねー、えびのてぷらもたべうの!」


 はいはい分かったわよー、と投げやりに言って、丞幻はかさかさと部屋へ戻っていく。


「さて、あさげ食べるか。アオ」

「う!」


 厨に向かうとかまどの隣にある台の上に、皿に乗った四つの狐寿司があった。ちなみに狐寿司とは、甘く煮た油揚げに酢飯を詰めて三角形に成形したものだ。水瓶から水を湯呑に汲み、盆に乗せて部屋に持って行く。

 向かい合って、ぱんと手を合わせた。……アオは狼姿のままなので、ぽふっと肉球同士を合わせる。


「いただきます」

「いたーきましゅ!」


 胡麻と椎茸が酢飯に混ぜられた狐寿司は美味しいが、小さい。あっという間に食べきって、両手を合わせて「ごちそうさま」と唱和する。


「う! シロシロ、矢凪のとこいこ! あしょぼ!」


 う、とシロは言葉に詰まる。覚えていたか。

 しかし遊ぶ、と言ってもだ。はたして当の矢凪は遊んでくれるのか。「うるせぇ」と一蹴されて終わりではないのか。

 ぐるぐると正座のまま考え込むシロと違って、アオは呑気なものだ。身軽に立ち上がると、前足で襖をちょいちょいっと開ける。


「シロはやくー!」

「……」


 廊下で尻尾を振るアオを呑気者め、と睨んでから、シロは渋々立ち上がった。

 地を這うような唸り声が、丞幻の部屋から廊下へ響いてきている。どうやら今回も、〆切は守れなさそうだ。


「あしょんでー! ねえねえ矢凪、あしょんでー!」

「あ?」


 矢凪の部屋は唸り声の音源の隣だ。アオがぐいぐいと襖を開けて、弓矢のように飛び込んでいく。備え付けの箪笥たんす文机ふづくえがあるだけの部屋の真ん中で、あぐらをかいていた矢凪がこちらを向いた。

 その膝上に飛び乗り、アオは尻尾をぶんぶん振りながら肩に両前足をかける。


「あしょんで! オレとシロとあしょんで!!」

「うるせぇ耳元で騒ぐんじゃねえ。……遊べだあ?」


 胡乱うろんげな声音が廊下へ流れる。襖の隙間から室内を覗き見ながらシロはほら、と内心呟いた。

 ほら、やっぱり鬱陶しがられた。またぶたれるぞ。


「……なにして遊びてえんだ」

「えっ」


 驚いた拍子に、襖を思い切り開けてしまった。矢凪がこちらを振り向く。

 頬に頭突きを繰り返すアオの鼻面を押さえながら、薄茶色の頭がかしげられた。金の瞳にこちらを疎む色は見受けられない。ただ不思議そうな色を宿していた。


「なんだ」

「え、あ、と、あの」

「んなとこにいねえで、入ってくりゃいいだろうが」


 こいこい、と手招きされて、おっかなびっくり足を踏み入れた。見知った部屋なのに、別の家に来たように心臓がばくばく脈打って緊張している。

 どこに座ろうかと視線を彷徨わせ、結局シロは矢凪から少し離れた所の斜め向かいに、縮こまるように座った。

 座ったはいいが、言葉が出てこない。膝頭をもじもじとりあわせていると、


「で、なにして遊びてえんだ。毬か」


 至極当然という風に矢凪がそう聞いてきたので、シロはまたまた驚いた。

 なぜそんなに遊ぶことに乗り気なのだ。もしかして、あんな仏頂面だけど実は子ども好きだったりするのか。ずっとシロ達と仲良くなりたいと、うずうずしてたとでもいうのか。

 お座り体勢であぐらの中にすっぽり収まっているアオが、首をかしげた。


「うー?」

「うー、じゃねえよ。遊びてぇから来たんだろうが。なにすんだ」

「ねーシロ、なにしてあしょぶ?」

「うぇっ!?」


 矢凪が実は稚児趣味ではないかと妄想を飛躍させていたシロは、唐突に現実に引き戻されて奇声を上げた。

 自分で遊ぼうと提案しておきながら、なんでこっちに話題を振るんだ。なにで遊ぶかくらい考えておけ、ばか。

 そう恨みを込めて睨むが、アオはきょとんとするばかりだ。矢凪がこちらを促すように見つめてきて、思わず視線を逸らす。逸らした先に、膨らんだ風呂敷包みがあった。先程持って帰ってきた奴だ。

 風呂敷包みの結び目から、髪の毛の束のようなものがべろんと伸びている。なんだろう、あれ。


「あの……」

「あ?」


 一つ息を吸った。そろそろと、指をさす。


「あれ、なんだ?」

「ああ」


 身体を仰け反らせて包みを取り、矢凪は結び目を開いた。ひらり、と紺青こんじょうの布がほどける。現れたものに、シロはおかっぱを揺らして首をかしげた。


「かつら?」


 風呂敷の中には、盃や徳利や本の他に、色々と使いどころの分からないものが乱雑に詰め込まれていた。

 その中で一番目を引くのが、結び目から見えていた、たっぷりとした黒髪のかつらだった。長さは肩くらいだろうか。別に鬘が必要な毛量には見えないが、なぜ持っているのだ。

 ひょいと鬘を手に取った矢凪が、おもむろにそれをアオにかぶせた。

 さらさらつやつやの黒髪をなびかせた子狼が生まれた。


「シロ、にやう?」


 咄嗟にシロはうつむいた。


「……っふ」

「いつだったか人が気持ちよく酒飲んでた時に、どっかの馬鹿が喧嘩売ってきやがってな。うるせえ邪魔だってぶっ飛ばしたら、鬘だったんだよ。それ奪い取ってやったら泣きながら逃げてったんでよぉ、戦利品として飾ってたんだ」


 矢凪が鬘を手に入れた経緯を語るが、それどころではない。

 右に左にアオが首を動かす度に、さらさらと黒髪が揺れる。それがなんとも言えず笑いを誘って、シロは口元を押さえて肩をぷるぷるさせた。


「ひっ……ふ……アオ……それやめっ……」

「にゃにが? あ! ねー矢凪、こえは?」

「あ?」


 ぴっ、と短い前足が、畳まれた茶色の毛皮を指す。ああ、と呟いた矢凪がそれを取り上げた。まだ笑いの波が収まらないシロがどうにか視線を上げると、それは綺麗になめされた狸の毛皮だった。


「前にのこのこ迷い込んで来たんで、食った奴だ。なめした毛皮は金になるから、いざって時に持ってんだよ」


 言いながら、毛皮をアオの肩にかける。狸の皮を羽織った黒髪さらさらの子狼が誕生した。


「ふぐ……っ!」

「シロ、シロ、にやう?」

「こっ、こっち見るな、ばか……!」


 もはや畳に突っ伏し、肩を震わせるしかできないシロである。自信満々でこっちを見てくるアオの顔があんまりおかしくて、油断すれば噴き出してしまいそうだ。


「あー、あとなんかあったか?」


 そんな声を上げながら、風呂敷上に広がったがらくたを漁る矢凪。突っ伏したまま顔を上げ、シロはそれを睨み上げた。

 こいつ絶対、面白がってる。おれで遊んでる……!


「ああ、こんなんもあったな」


 伸びた指が、がらくたの中から摘まみ上げたものを見て、シロはひくっと白い喉を上下させた。まさか、いや、今までの流れではやりかねない。

 狼をやめて珍妙な生き物と化したアオが、顔を上向けて矢凪を見た。


「それにゃーに?」

「黒眼鏡。洒落で付けるんが流行ってんだとさ。肝試しに来たガキが付けてたんだが、人の顔見た途端に逃げやがってよぉ。取りに来るかと取っといたんだが、とんと音沙汰がねえ」


 ぷらぷらと矢凪が揺らしているのは、巷で最近流行っている黒眼鏡だった。

 眼鏡といえば、水晶を丸く成型した透明なものが基本だが、黒眼鏡はそれに特殊な墨を縫って染めたものだ。見た目は真っ黒だが、ちゃんと見えるらしい。


「金二枚はするらしいし、そんなん持ってるってこたぁ、どこぞの武家か祓家ふつけのガキだったんだろうが。どっちにしろ取りに来ねえんじゃ、とんだ腑抜けだぁな」


 はんっ、と鼻先でせせら笑った矢凪は、シロの予想通り黒眼鏡をアオの鼻面に乗せる。

 狸の皮を羽織り黒髪をなびかせ、いなせな黒眼鏡をかけた子狼が爆誕した。


「――――!」


 限界だった。

 とうとうシロは噴き出して、畳を叩きながら声を上げて笑い出した。



「あらま、シロちゃんてばあんなに笑っちゃって」


 隣から笑い声が聞こえてきたので、そっと覗いてみれば。なんとも楽しそうな光景が広がっていた。


「ねー矢凪、これは?」

「あ? 煙管だ煙管。狸どころか浪人も引き込んで祟り殺した、ってー噂の祟り神を拝んでやろうってんで、来た奴らがいたんでな。俺んちに勝手に入ってくんじゃねぇって叩き潰してよぉ。詫び代わりに奪ったんだよ」

「しょーなのー」

「そう」


 頷いた矢凪が、くるりと回した煙管をそのままアオ……もとい、頭に手拭を巻いて狸の毛皮を肩に羽織り、黒眼鏡をかけて尻尾に数珠を巻き付けた珍妙な生物と化したアオだったものに、くわえさせた。

 一人と一匹の前に突っ伏したシロが、畳を平手で叩きながら笑っている。


「それ……っ、絶対、お前、お前のことだぞ……! なあ矢凪、それお前のこと言ってるぞ……!」


 夜明けの瞳に涙すら浮かべ、声を上げて爆笑している。矢凪と珍生物(アオ)が同じ方向に首をかしげた。


「そうか?」

「しょーか?」

「だって……、お前以外にっ、その荒れ寺に誰が住んでるんだ……! 絶対、お前っ、祟り神だって思われてる……!」


 ひゅーひゅーと喘鳴を上げながら笑うシロに、昨日までの矢凪を避けるような様子は見られない。

 仲良くなったようでなによりだ。丞幻は一人頷く。

 シロは警戒心が強いが人に興味はあるので、一度勇気を出してえいやっと歩み寄ってしまえば、あとはなし崩しだ。ただ、その勇気を出す期間が長いので、顔見知り程度の仲――例えばおそねとか――には、無口で引っ込み思案な子だと思われがちなのである。


「ほんとはああやって笑える良い子なんだけどねえ」


 いや待て、怪異を「良い子」と称すのは違うか。しかしあの子は怪異にしては人間臭いので、「良い子」でも間違っていない気がする。

 しかしまあ、と楽しそうな光景を見ながら、丞幻は半眼になった。


「……ずるくない? ワシここの家長よ? なんで家長抜きで楽しそうにしてんの。ずるいわー、こんなに〆切に追われても頑張ってる健気なワシをほっぽいてきゃっきゃうふふしてるとか、許せなくない?」


 よし混ざろう。今日は休み。明日からまた頑張ろう。即断即決して、丞幻は襖を勢いよく開け放った。

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