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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
神祭:大祓祭

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159/193

霜月一日・昼前

〇 ● 〇


 ひらり、蝶が舞った。


〇 ● 〇


『いかはし屋』と(のぼり)に書いてあったから、どんなものかと思って入ってみると、長方形に切られた長く太い烏賊(いか)の天婦羅が二本、(どんぶり)の上に橋渡しになっていたものが出てきた。丼の中には普通の蕎麦が入っていて、湯気を上げている。

 この辺りでは知られた名店なのか、昼前の店内でも人が多かった。

 小上がりの座敷向かいに座る矢凪が、蕎麦を(すす)りながら、「で」と不機嫌な声を上げる。


「目ぇ覚めたか、阿呆作家」

「はいはい、目が覚めました。ありがとうね助手」


 ずず、と熱い蕎麦を啜って、丞幻は礼を言いながら顔をしかめた。

 蕎麦が当たった、頬の内側が痛い。舌で探ってみると、ぴりぴりと痛んだ。舌先に、でこぼことした感覚が伝わる。思い切り噛んでしまったので、まあしばらく痛いだろう。


「しっかし……こともあろうにしらてふ様が天帝の落とし子とは、また、ねえ。ふかしもあそこまでいくと立派だわ。ワシびっくり」


 つい半刻前に出会った「天帝の落とし子」を名乗る……正確にはそう教祖が紹介したしらてふ様を思い出し、丞幻は思わず苦虫を噛み潰した顔をした。

 天帝の妻や子孫を名乗り、悪さをする不届き者は天大神の罰を受ける事は、あまりにも有名な話だ。だというのにそれを騙るとはまあ、阿呆と言うか豪胆というか。

 すかさず、矢凪が唇の片側を吊り上げて混ぜっ返した。


「それにうっかり騙されかけたなぁ、どこの三流作家だ」


 丞幻は、更に顔をしかめた。


「悪かったわよぅ。……ま、お前がいてくれて助かったわ」

「おう。俺にあれが効かなくて良かったなぁ」


 言うが早いか、丞幻の丼から烏賊の天婦羅を一つ掻っ攫う。「ちょっ」と丞幻は声を上げた。


「ワシの天婦羅!」

「うるせえ。さっき助けた駄賃だ」


 文句あっか、と金の目が睨む。ちっ、と丞幻は悔しげに舌打ちした。

 半刻前。しらてふ様に「ふつかご、もえてしぬ」と予見をされた丞幻が反応を返す間も無く、しらてふ様の奥から恰幅の良い、御殿の内装同様に派手な男が出てきたのだ。「白寿教の教祖、永白である」と名乗ったその男は、丞幻を見下ろして大仰に嘆いてみせた。


 ――おお、まだ若い身空で残りの命が二日とは、なんと哀れな身の上だろうか。おお、おお、分かる、それを認められぬのはよく分かる。……しかし我が白寿教の生き神様、しらてふ様の予見は絶対。外れる事は無いのだ。お主が二日後に儚くなる、それは決められた定めなのだ、受け入れよ。


 そうして続けて、ぼうっと丞幻を見つめていたしらてふ様の空雲色の髪を、ひとすくい取ると見せつけるようにした。

 そして、こちらにおわすしらてふ様は天帝の子である。この髪が何よりの証左で、父である天帝に「あまねく人を救うべし」と言い遣わされた。自分はそのしらてふ様をお守り申し上げている守り人である、とつらつらと語ったのである。

 つつけば(ほころ)ぶ嘘臭いそれを、なぜか丞幻は素直に聞いていた。

 ああ、成程、そうなのね。まあ、天帝の子どもがそう言うなら、そうなのねえ。あーあ。

 教祖永白の言葉に妙に納得してしまい、諦念にも似た感情が脳を舐めたのだ。


 ああ、そう言うのなら仕方ない、自分は死ぬのか、という思いがあの時の丞幻を支配していた。

 永白は更に、金子を要求してきた。大仰な言葉を並べ立てていたが、要するに、しらてふ様に全財産を喜捨すれば燃えて死ぬ事になっても苦しまずに死ねる、という事だった。

 ああ、まあ、火傷って痛いもんねえ。まあ、お金出して苦しまないってんなら、いいかしらねえ。

 そんな風にぼんやりと思った瞬間、丞幻は頬に鈍い衝撃を食らって畳に倒れ込んだ。油断していたので、思い切り口の中を噛んでしまう。あまりの痛みに悶えていると、頬を思い切り殴りつけた矢凪が、こちらを見下すようにして鼻を鳴らした。


「俺ぁ、こいつに女房取られてんだ。二日で死ぬってなぁ、悪くねぇ。ああ、胸がすくぜ。おい、聞いてるか。てめぇ、楽になんか死なせねぇからな。覚悟しとけよ」


 そのまま永白が口を挟む隙を与えず、丞幻の襟首を引きずって蝶御殿を後にしたのだ。


「……っていうか、ワシはいつから小雪をお前から取ったのかしらん」


 諸々を思い返して、丞幻は烏賊の天婦羅を大口で齧る。むっちりとした身が美味しい。油も良いものを使っているようで、古い油特有の臭さが無い。


「お前から小雪取ろうもんなら、ワシ今頃、頭からお尻まで氷柱で貫かれて山奥に放置されてるわよ」


 もちろん下手人は小雪である。矢凪ではない。


「咄嗟に思いつかなかったんだから、しゃあねえだろ」


 けっ、と舌打ちをして、矢凪は丞幻から奪った天婦羅を二口で食べた。


「つうか、思ったより質悪ぃな、あそこ」

「そーね。……まーさか、()()()吸わされるとは思わんかったわよ」


 砕いて燃やすと緑の煙が立ち上り、それを吸うと頭がすっきりと冴えて多幸感を感じるが、一度吸えばそれだけでひどい中毒を起こす鉱物、泥翡翠。ご禁制の物ではあるが、裏の世界ではまだ流れている。

 矢凪の義息子である子虎が関わった『泥桜事件』の下手人も、泥翡翠を流通させ私腹を肥やしていた。

 しらてふ様の間には、玻璃竹行灯ではなく蝋燭が立てられ、緑の煙がそこからたなびいていた。あれこそ、泥翡翠を燃やしていた証だ。

 それについさっき思い出したのだが、煙は鼻がすーっと通るような清涼感ある匂いがするという話だった。あそこでも、そんな匂いが充満していた。

 ただ、と丞幻は首をかたむける。


「それにしちゃ、きゃーワシってばすっごい幸せー! みたいな感じにはなんなかったのよね。泥翡翠って、物凄い多幸感を感じる筈じゃない?」

「まぜもんしてんだろ。俺ぁよく知らねえが、泥翡翠に色々な草ぁ混ぜると、なんかこう、言う事聞かせれるらしい」

「言う事聞かせる」


 おう、と矢凪が首を縦に振る。


「裏じゃぁちっと有名な話だ。まぜもんした泥翡翠嗅がせっと、そいつぁものを深く考えられなくなって、なんでも言う事聞いちまうんだと。()()と違って、一度嗅いだくれえなら中毒にゃならねえらしい」


 さっきのてめぇみてえにな、と箸で指される。


「俺ぁ、ああいう薬は効かねえから問題無ぇがな」

「箸向けんの行儀悪いから止めて。でも、ふーん、成程ねえ」


 蓋を開けてみれば、単純だが悪質な絡繰りだ。

 まぜものをした泥翡翠を嗅がせて白寿教に来た人を操り、教祖のでたらめを信じ込ませて金を吐き出させる。一度嗅いだくらいでは中毒にならないなら、物見遊山感覚で一回訪れた人は問題無いだろう。

 ただ、白寿教に傾倒して何度も何度も足を運んでいればその内、心も身体も蝕まれていく。そうなれば、泥翡翠欲しさに何でもする人形の一丁上がりだ。


「あの()()も、そうやって操られてんじゃねえか。ぼーっとしてたろ」


 子どもに甘い矢凪は、しらてふ様が気になるらしい。様子を思い返しているのか、苦々し気に眉をひそめている。

 確かに、丞幻も少し気になった。

 あそこで泥翡翠を燃やしているのなら、一日中座していなければいけないしらてふ様は、ずっとその煙を吸っていることになる。……もし毎日毎日、あの子どもが煙を吸い続けていたのなら。


「多分、とっくに中毒でしょうねえ……」


 しかも、相当重度の。

 食べ終わった椀を横にどけ、そこに頬杖をついて丞幻は舌を鳴らした。


「あんなちびちゃん、頭っから薬漬けにして言う事聞かしてるなんて。あの永白って教祖、最悪だわね。きっと頭に(ぬか)詰まってんのよ、糠。あいつの頭かち割って、そこに糠床作ってやろうかしら」

「やめろや。俺ぁそんな糠漬け食いたかねぇぞ」


 今まさに糠漬けをぱりぱり食べながら、矢凪が胡坐をかいた足を伸ばして丞幻の膝を蹴る。地味に痛い攻撃から逃げつつ、丞幻は頷いた。

 よし、決めた。


「予定変更。真白ちゃんの瓢箪使って、あのちびちゃん連れてくわよ。んで、奉行所に置いときましょ。あいつらだって馬鹿じゃないんだし、ちびちゃんの様子がおかしいことくらいすぐ分かるわ。したら、白寿教に手入れの一つも入るでしょ」


 そのどさくさに紛れて髪を少し貰い、形代の術を使って十六夜を騙す。


「それなら、ちびちゃんもあの場所からは助けられるし、それでいいでしょ矢凪」

「ん」


 言葉少なに頷いた矢凪の眉間の皺が、また深くなった。


「後は、風鳴の連中にばれなきゃいいんだがな」

「それよー」


 丞幻は両腕を伸ばし、机に突っ伏する。そのまま、駄々をこねるように腕をぱたぱたとさせた。


「盗人が忍連れてるとか反則じゃないのよー。なんでも調べ放題の暴き放題じゃないのよー。ふざけんじゃないわよー。(くじ)に全部当たりついてるようなもんじゃないのよー」


 あーやだやだ、と子どもじみた駄々をこねる丞幻を、給仕をしていた娘が炉端で踊る芋虫を見るような目をして眺めていた。



「ごめんなさいまし」


 声をかけられたのは、店を出てすぐの事だった。

 その方向を見れば男が一人、真っすぐにこちらを見上げている。

 痩せた頬に無精髭を散らし、髪には白いものが混じり始めた男だ。痩せた身体に似合わない、小綺麗な蝶模様の上衣と袴を身に着けている。


「あら……確か、白寿教の? 先ほどはどうも」


 隣の矢凪が、僅かに構える素振りを見せるのを目顔で制し、丞幻はゆっくりと声をかけた。

 見覚えがあった。白寿教で並んでいた時、一番に声を張り上げていた男だった筈だ。

 男は小走りで近寄ってくると、痩せて肉の無い手のひらに包んだものを、丞幻達に差し出した。


「こちら、落とされませんでしたでしょうか」


 手の中に納まっていたのは、鯉に乗った蛙の根付だ。

 見覚えのあるそれに、丞幻は懐を探る。

 矢立に付けていた根付だ。取り出してみれば、根付の紐が切れていた。


「ありゃま、確かにワシのだわ。悪いわねえ、持って来てくれたの」

「よく、俺らがここにいるってなぁ分かったな。どこの誰とも名乗っちゃいねえのに」


 着けてきたのか、という言外の言葉に気づいているのかいないのか、男は熱を帯びた瞳で笑った。


「しらてふ様のお導きによるものです」

「あ、そ」


 気の無い返事をして、根付を返してもらおうと丞幻は手を出す。その手のひらに、男は根付を乗せた。そうして、上から丞幻の手をぎゅっと握りしめるようにする。

 かさり。

 手の中で、紙のようなものが小さく動く気配がした。こちらを見上げる男の瞳に宿る熱が、一瞬だけ冷える。

 おや、と丞幻は片眉を跳ね上げる。矢凪が訝し気に眉をひそめた。男が、悪戯っぽく片目をぱちりとつぶってみせた。


「では、これにて」


 そっと手を離した男は深く一礼して、元来た道をすたすたと戻って行く。

 男が人込みに紛れて見えなくなった辺りで、丞幻はいつの間にか握りしめていた指をそっとほどいた。

 自分の根付の横に、四つ折りに畳まれた小さな紙片がある。こちらに向いた表には、たった一言。


()()


 と、記されていた。

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