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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
神祭:大祓祭

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156/194

霜月一日・払暁

 わたっこ一つ、みーつけた。

 わたっこ二つ、みーつけた。

 お山に、お空に、飛んでって。

 白いちょうちょに、なっちゃった。


〇 ● 〇


 払暁。貴墨国南端、旗里(はたさと)

 のどかな田園地帯が一面広がり、墨渡や色町、猿若町、冴木などの賑やかな町とは違い、喧騒とはかけ離れた場所である。

 稲刈りがほとんど終わった白茶けた景色が、紺色の濃い空気に沈む中。白の壁と青の瓦で構成された豪奢な三階建ての御殿が、ほの白い玻璃竹行灯に下から照らされ、その身を紺色の中にぼんやりと浮かび上がらせていた。

 今、貴墨中で話題となっている、人の寿命と死に様を視る事ができる生き神、しらてふ様。それを擁する白寿教の蝶御殿である。

 その、両開きの表戸ではなく、裏戸をそっと開けて、永治(えいじ)は骨に染み入るような冷たい空気の中に、身を浸した。

 うぅ、寒ぃ。九季原も寒ぃが、貴墨はもっと寒ぃや。

 朝の早い農民が、そろそろ起き出す時刻。まだ静謐を保っている空気を壊さないように、胸の内で呟いて御殿の脇を回って表へ出る。


「おう、永治か。こんな朝早くから、どうした」


 御殿をぐるりと囲む門。その門扉の隣には、門番所がある。そこの小さな窓から、門番の織部(おりべ)が顔を出した。

 永治は、寒さでかじかみ出した頬に笑みを浮かべてみせる。


「おお、織部さん。おはようさん。実は教祖様が、朝一で納豆汁が食べたいと言うんで作ってたんだが、肝心の納豆が無くってなあ。今から買いに行くところなんだ」


 織部は左右に張り出した頬骨の目立つ、三十路ほどの痩せ気味の男だ。

 前髪を作らず後頭部できつく結った髪と、常に眉間に寄った眉はいかにもとっつきにくい男という雰囲気を漂わせているが、垂れた目尻にはどこか愛嬌がある。

 実際、話してみると話しやすく、永治は彼とよく世間話をする仲だった。


「教祖様にも、困ったもんだよ。毎日毎日、あちこちから芸者を呼んで、どんちゃん騒ぎ。よくまあ、こっちがもつもんだ」


 こっち、と永治は自分の下半身を指さして、苦笑いする。織部も微かに苦笑する風に、唇を歪めた。


「ま、教祖もまだ三十路だからな。それに二ヵ月近く、小娘一人抱けちゃいなかったんだ。旺盛になるのも仕方ねえってこった」


 元々、白寿教は貴墨から離れた九季原国で立ち上げたものだ。少々派手に稼ぎすぎて上に睨まれたのと、折角だから大きな国で儲けたいという教祖の一声で、三ヵ月ほどかけて貴墨へ辿り着いたのである。

 貴墨へ行く、と決めた時点で貴墨の大工に御殿建築を依頼していたので、墨川山脈を超えてようよう貴墨に辿り着いた半月前には、完成した御殿ですんなりと白寿教を始める事ができた。

 ちなみにその旅路は教祖に生き神様、織部に永治に他男数名ばかりと、非常にむさくるしい面子だった。地元九季原では、女好きで知られた教祖の事。旅の最中よっぽど溜まっていたと見え、貴墨に来てからは女の嬌声が響かない日は無い。


「あやかりたいよ、全く。こっちは煮炊きに洗濯、雑用ばっかりだってのにさあ」

「いいじゃねえか。俺は門番だ、一日中このくそ狭い箱ん中だぞ。しかも今はいいが、もうじき『しらてふ様~しらてふ様~』って押しかけてくる連中を、はいはいこっちこっち、って並ばせなきゃいけねえんだ。ここ最近は人が増えたからよお、休む暇もねえ」


 言って、織部は首の後ろを手のひらで擦った。

 貴墨に来た当初こそ、口の端にすら乗らなかったが。ここ十日ほどの間で蝶御殿を訪れる人はどっと増え、のどかな田園は人で埋まるようになった。

 あと一刻もすれば、しらてふ様に己の寿命を視てもらおうと……あるいは憎い相手の寿命や死に様を教えてもらおうと、人が押し寄せてくる。

 しかも今日は霜月一日。普段の拝観料は五両だが、月始めだけは先着百人に限り、拝観料は一両になる。前々からそう宣伝していた為、いつも以上に人は来るだろう。

 織部の苦労がしのばれる。


 ――やれやれ。()()もここまで来れば、立派なもんだよ。


 腹の中でそう零して、永治は織部との世間話を切り上げた。


「じゃ、織部さん。あっしはそろそろ」

「そうか、気を付けてな」


 窓から手を出し、ひらりと振る織部に会釈して、永治は寒々しい畦道に足を踏み出した。

 さくさくと、乾いた地面を踏みしめる音が周囲に響く。背後にそびえる蝶御殿を一瞥して、永治は小さく肩をすくめた。


 ――ようやく、お役御免だ。長かったなあ。


 胸の中に、開放感がじわりと溢れる。

 永治は、白寿教の内情を探る為に九季原国の異怪奉行所から送り込まれた隠密方だ。

 たまたま、「永治」という名で自分と背格好も似ている男が、しらてふ様に心酔して足(しげ)く通っていたので、その名と顔を借りて潜り込んだのだ。

 そうしたら、出るわ出るわ。

 ご禁制の泥翡翠を使い、人心を惑わし金を毟り取り。明日、明後日に死ぬと予見した後、その日に合わせてその人物を手にかけ。地位のある人物に擦り寄り、天帝(あめのみかど)の子の言葉であると甘言を吹き込み。

 よくもまあ、今までばれなかったものだと、驚き呆れるほどに白寿教の犯した悪事が出てきた。

 証拠を掴み、早速しょっ引こうと奉行所に連絡をつけたのだが、様々な不運が立て続けに起こり、まんまと逃がしてしまった。

 永治の素性は幸いにもばれなかったようで、お前も来いと教祖に言われ、慌ただしく荷造りをして山を越える羽目になった。


 まさか、貴墨くんだりまで足を運ぶ事になるとは思っていなかったが、永治の役目はもう終わりだ。

 後は、貴墨の異怪奉行所に任せればいい。数日前に、なんとか繋ぎは取れた。

 今日から永治の代わりに、別の者が白寿教の内部に潜入する。永治は、朝早くに出かけたところ運悪く、倒れてきた木材の山に潰されて命を落とした。そういう筋書きが既にできていた。

 指定された場所に向かえば、待機している同心達が上手くやってくれる手筈だった。

 思わず早足になりながら、永治は懐に手を当てる。硬いものがそこに触れた。


「……とんだ詐欺師共だぜ。よくまあ、あんなちび助に、天帝様の子だと騙らせるなんて事ができたもんだ」


 罰当たり共が、と毒づく。

 しらてふ様と崇められているのは、まだいとけない幼子だった。

 五、六歳くらいの幼子が、髪を天帝同様の空雲色に染められ――特殊な染料を使ってだ。永治も染め直すのを手伝った――毎日毎日淡々と、目の前で伏す人々の寿命と死に様を告げさせられていた。

 まだ善悪の区別もついていないような年の子だ、きっと自分が何をしているのか、分からないのだろう。

 そんな子どもを利用し、儲けの種にしている教祖に、永治は憤りを覚えていた。

 永治にも、子どもがいる。二歳になる男の子だ。妻のお八重に似て、ぽっちりとしたえくぼが可愛い息子だ。

 だから、子どもを食い物にする輩は許せない。本当はあの子も連れて行きたかったのだが、流石に生き神様と崇められているだけあって、御殿の奥に常に引っ込んでいる。そう簡単に、連れてくる事はできなかった。


「そうだ。あのちび助は利用されているだけで、罪は無いと――」


 そう呟いた声が、途中で途切れる。

 永治は、畦道の真ん中ではたと考え込んだ。


「いや……待てよ……?」


 しらてふ様を名乗らされている、あの子ども。

 本当に、あの子に罪は無いのだろうか。本当に、ただ適当な事を言えと教祖に言われ、従っているだけだろうか。

 そうだ……と永治は記憶を引っ張りだす。

 貴墨に来たばかりの時だ。

 海産問屋の主が、己の寿命を視てほしいとやって来た。物見遊山感覚だと言うのは、その浮ついた空気ですぐ分かった。永治は天井裏から、その様子を覗き見ていた。

 永治は、見鬼の才も霊力も乏しい。だが、人の死期を感じ取る事に長けている。

 死期の近い人間には、黒い影がまとわりついているように視える。それこそ明日、明後日の命の者は、黒い影に全身覆われて顔が見えないほどだ。

 海鮮問屋の主に、死の影は視えなかった。あと二十年は生きるのではないかというほど、ぴんぴんしていた。


 しかし、しらてふ様は「きょうのよる、もえてしぬ」と告げた。

 その瞬間。

 海鮮問屋の主の顔が、黒い影で覆われた。あっという間だった。そんな光景を見るのは初めてで、流石の永治もぎょっとした。主は本気にしていないようで、馬鹿にしたように笑っていたが、その笑顔も見えない程に黒い影がまとわっていた。

 そしてその言葉通り、海鮮問屋の持つ蔵が夜に燃え、中から主の焼死体が見つかった。主は玻璃竹より蝋燭が好きで、その日も手燭を持って蔵の見回りに行った。その時に炎が着物に燃え移り、焼け死んだのだという。

 教祖が手を回し、蔵ごと主を焼き殺したのか。あるいは呪殺したのかと思って調べたが、結果はただの事故だった。その日、教祖は泊りがけで遊郭に遊びに行っていた。海鮮問屋の主が来た事すら知らなかった様子だった。


 ――あれは、確かに嘘じゃなかった。遊郭にも確認を取ったから、間違いない。御殿にいた連中も、外の誰かに繋ぎを取った様子は無かった。ってことは、あのちび助が呪い殺したってのか? 馬鹿な、あんな教え処にも行ってない、自分が何をやってるか分からねえようなちびが? でも、あのちび助が予見をした瞬間、死の影が濃くなったのは確かなんだ。


「おうい。おうい、永治。良かった、まだここにいたのか」


 背後から織部の声がぶつかって、永治は我に返った。


「ああ、織部さん。なに――」


 振り返った永治の腹に、深々と小太刀が突き刺さった。


「あっ……」


 痛みは無かった。ただ、腹の中に冷たい感触があった。心臓が脈打つごとに、そこから炎のような熱さが広がっていく。


「てめえと話す事は嫌いじゃなかったが、ここで死ね」


 冷たい声と瞳で、織部が言った。その言葉すら、耳鳴りがひどくて聞こえづらい。

 小太刀がぐりっと(ひね)られて、はらわたがかき回される。永治の口から血の霧が散った。小太刀が引き抜かれ、永治はへなへなとその場に倒れ込んだ。起き上がろうとしたが膝に力が入らず、横向きに倒れた。

 顔が草の中に突っ込む。尖った草が頬や鼻に当たって、ちくちくとした。驚いた(いなご)が頬を蹴って飛んでいく。


 ――お八重、松吉……。


 悪い、父ちゃんは帰れそうに無い。


 〇 ● 〇


 倒れた永治の懐を探り、巾着を取り出す。

 口を開けて手のひらに出してみると、泥翡翠と小さく折り畳まれた紙が転がりでてくる。周囲は薄暗いが、夜目は利く。織部は紙を広げ、ざっと内容を斜め読みした。

 思った通り、白寿教の内情がそこには書かれていた。


「てめえが犬だったとはな。九季原じゃ危なかったぜ」


 奉行所の動きを察し、先んじて逃げていなければ、九季原国から逃げる前に一網打尽になっていただろう。これは内部から情報を漏らした者がいる、と察して探り、浮かび上がったのがこの永治だった。

 倒れた永治……いや、永治を名乗っていた男を見下ろし、織部は小さく鼻を鳴らす。

 ここに捨て置いてもいいが、疑われるのは避けるべきだ。近くに川がある、そこに流そう。

 ぐんにゃりと力を失った身体を担ぎ上げ、振り返った織部の瞳に空雲色が飛び込んできた。


「――っ」


 思わず、息を呑む。


「……()()()か。驚かすんじゃねえ」


 くるぶし近くまで伸びた真っすぐな髪を天帝と同じ空雲色に染め上げ、白い肌と単衣を暁の薄闇にぼんやり浮かび上がらせた男童。

 生き神、しらてふ様。

 織部と、白寿教教祖である永白(えいはく)は、子どもを「わた坊」と呼んでいる。彼を拾った時、その村の人間が彼をそう呼んでいたからだ。


「……」


 しらてふ様ことわた坊は、ただこちらをじっと見上げている。丸い、大きな真っ青な瞳は感情を映さず、ただ硝子玉のように無機質な(きらめ)きを放っていた。

 まるで人形に見つめられているような、気味の悪い居心地の悪さに、織部はすぅっと肝の辺りが寒くなった。


「おい。今日は忙しいんだから、とっとと帰って……」


 手が、すっと上げられた。まだ青に塗っていない稚貝のように小さな爪が、織部の担いだ男を指す。


「そのものの、じゅみょうは。あと、さんこきゅうご。おりべにころされて、しぬ」


 担ぎ上げた身体が僅かに動いた。一呼吸。織部はとっさに男を背から振り落とし、その喉を思い切り踏みつけた。二呼吸。足裏に、ぐぎゅ、という鈍い感覚が伝わる。男の身体が震え、その後動かなくなった。三呼吸。

 そのまましばらく踏みつけ続けた後、大きく息を吐いて、織部は足を離した。

 わた坊は、ただじっと一連の流れを見つめていた。


「わた坊……お前、さっさと帰れ。寒いだろ。そんで、とっとと寝ろ」


 周囲の空気はひどく冷たい。薄い単衣一枚だけでは身を切るような寒さだろう。しかも裸足だ。だが、わた坊の小さな身体は震えてすらいない。

 織部を見上げるばかりだったわた坊は、やがてゆっくりと手を下ろすと、くるりと踵を返した。と、と、と軽い足音を立てて、元来た道を戻っていく。


「わたっこ……一つ、みーつけた……わたっこ、二つ……みーつけた……」


 ぽそぽそと、小さな唇から歌が漏れ、空気の中に溶け込んでいく。


「……相変わらず、気味の悪いガキだ」


 織部は小さく吐き捨てた。

 前からぼんやりとしていて、何を考えているか分からないような子どもだったが、ここ最近は輪をかけてそうだ。生き神様としての務めが無い時も、しらてふ様の間で何刻もぼうっとしている事が多い。

 まあ、いい。今は薄気味悪い子どもより、(これ)の始末だ。

 完全に息絶えた男をもう一度担ぎ上げながら、織部はちらり、と蝶御殿を見た。自然、視線が険しくなる。

 今頃、教祖の永白は呼んだ芸者と共に大いびきをかいているのだろう。

 白寿教を立ち上げたのは、織部も一緒だった。

 祓い屋()()()の永白と、忍()()()の自分とで、組んで騙りをしていた時に、他人の寿命を視る為、村で気味悪がられていたわた坊を見つけて引き取り、白寿教を立ち上げた。

 なのに、なぜ自分だけが毎日狭い門番所に詰め、こうしてあくせく泥を被らないといけないのか。なぜ永白だけが金を浴び女を抱き、美味い飯を貪っているのか。

 不公平だ、と不満を込めた呟きが冷気の中に漂った。

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