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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
根国:堅須国

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143/193

幕間

本日は豪華二本立て!!

 胃の腑がひっくり返るような感覚と共に、堅須国の瘴気が波のように遠ざかっていく。一瞬の浮遊感と共に、地に足が着いた。

 どこか甘さを含んだ、澄んだ空気が頬を撫ぜる。それに誘われるように、閉じていた目を、ついと開ける。

 真っ白い光が、瞳を突き刺した。


〇 ● 〇


 ぴったりと閉じられた頑丈な戸の隙間から、微かに声が漏れている。

 それを聞き流しながら、小雪は胸の中に抱え込んだ膝を、ぎゅうと強く抱き込んだ。

 冷たい廊下に直接尻を付けて座っていると、段々身体が冷えてくる。だが、奉行所が用意してくれた部屋に行く気にはならず、小雪は部屋の隣に下がった『浄化部屋』と書かれた札を、睨むように見上げていた。


「……」


 沈黙が満ちた廊下は、空気がひどく重たい。

 小雪は膝を抱えたまま、隣の矢凪を横目で見た。壁に背を預けた矢凪は腕を組み、真正面にある戸を睨んでいる。

 矢凪の隣では、座り込んだ夕吉が組んだ両手を祈るように額に押し付け、孝右衛門が端座して瞑目(めいもく)していた。

 さっきまで一緒にいた為成は、同僚に呼ばれてこの場を離れた。同心である彼は、今から異怪奉行――なんだか可愛らしいお婆ちゃんだった――に、色々と話す事があるらしい。

 なので今は小雪に矢凪、夕吉に孝右衛門の四人が廊下の壁に背中を預け、浄化が終わるのを待っていた。


 全く、なにしてんだい、あの馬鹿間夫。間夫の癖に、あたし達に心配かけないで、早く出といでよ、馬鹿。

 心の中で罵って、小雪はまた、顔を札に戻す。

 戸の隙間から流れてきている声をよく聞けば節がついていて、まるで歌っているようにも聞こえた。黒光りする硬い材質の戸に、声のほとんどを遮断されて、内容を聞き取る事はできなかったが。

 自分達から少し遅れて、現世に戻ってきた丞幻が、今この戸の奥にいるのだ。



 あの時。膳郎丘陵の木の下で。

 戻ってこれた、良かった良かったと泣き濡れていた小雪は、唐突に耳に飛び込んできた絶叫に、我に返った。

 振り返れば、萌黄色の髪を振り乱した体格の良い男が、両手で目を押さえて絶叫を上げ、地を転げ回っていた。それを複数の同心が押さえつけえ、札を貼り付けようとしている。

 一瞬、その男が誰だったか思い出せず、


「丞幻!?」


 矢凪の驚いた声が男の名を叫ぶ。

 それで、小雪は思い出した。そうだあれは丞幻だ、自分が間夫と呼んでからかっている男で、自分達が暮らしているひねもす亭の家主だ。


「げん兄っ」


 夕吉が悲鳴を上げ、駆け寄ろうとするのを孝右衛門が止めた。同心達の邪魔をしてはいけないから、と宥める声音が絶叫の合間に、小雪の耳に届く。

 耳に痛い絶叫を上げ続ける丞幻は、暴れながらも両目から手を離そうとしない。顔の皮膚に皺が寄って、相当強く押さえているのが分かった。ともすれば眼球に、指が突き刺さりそうだ。

 どうして、丞幻の事を一瞬忘れていたのか。なぜ彼だけ悲鳴を上げているのか。両目をどうして押さえているのか。

 全く分からないまま、小雪達は先に同心達に異怪奉行所に連れて行かれ、汚れを(ぬぐ)われ怪我の手当てをされ、浄化を受けた。丞幻はその場にいなかった。


「浄化は終了しました。禍神との縁は切れているようですし、問題はありません。後日、聞き取りを行うかもしれませんが、今日の所は帰ってもらっても」


 それを遮って、矢凪が同心に声をかける。


「丞幻は」


 低い声音が尖っている。苛立っている、と小雪は感じた。


「……今、別の場所で浄化を受けています」


 同心が、一瞬の間を置いて答える。

 その間は、小雪達に言いたくない事を飲み込んだ為に、生じてしまったもののように思った。ざらりとしたものが胸を掠める。

 なにか、あったのかな。

 そんな不安を覚えたのは、小雪だけではなかったようだ。


「げん兄は、生きてるのかいっ。大丈夫なんだろうね、ねえっ! あんたら、げん兄をどこにやったんだよ、なんでげん兄だけ、あんなになってたんだい!」


 引っくり返った声で、夕吉が同心に詰め寄った。


「お夕、落ち着きなさい。――申し訳ないですな、同心殿。丞幻殿の姿が見えなくて、これは心配なのです。できれば顔を見せて安心させてやりたいのですが、義兄上(あにうえ)殿は、今いずこに? もしも会えないというのなら、義兄上殿の状態だけでも教えてほしいのですが」


 胸倉を掴まんばかりの勢いの妻の腕を、軽く叩いて落ち着かせながら孝右衛門が前に出る。声音は穏やかだが、口調が少し早い。彼も焦っているようだ。


「みんな。丞幻殿はこっちだ、こっち」


 詰め寄ってきた夕吉に押されて一歩下がった同心に変わって、席を外していた為成が戻って来て、小雪達を促す。

 そうして連れてこられたのが、矢凪でも簡単に蹴り破れなさそうな頑丈な戸の前だった。


「丞幻殿はこっちに戻る前に、一人だけ少し厄介な異界に連れ込まれていたみたいでな。それで俺達より穢れ度合いがひどかったんだ。だから、念入りに浄化を受けてるんだ」

「目ぇ押さえて転げ回ってたろ、ありゃなんだ」


 うんうん、と小雪も頷く。


「目に一番強く、穢れがまとわりついていたんだ。矢凪も視たろ? それに、丞幻殿がいた異界ってのが、太陽が無い所でな、それで余計に目が眩んだんだろう」

「生きてんのか」

「当たり前だろ。おっ、どうした矢凪。顔が心配そうだぞ」

「うるせえ」


 舌打ちした矢凪が、為成の脛を蹴り上げた。



 それが確か、二刻ほど前。

 そこからずっと、丞幻の浄化が終わるのを待っている。


「……まだかな……」


 抱えた膝の上に顎を乗せ、小雪は上目遣いで浄化の続く戸を見上げた。


「あ、こんなとこにいた。矢凪、小雪ー、夕吉ー、孝右衛門ー」

「丞幻、まだおわんにゃーの?」


 とたとた、と軽い足音が二つ聞こえてきて、小雪は視線を滑らせた。手を繋いだシロとアオが、廊下の向こうから歩いてくる。


「……あんた達って、怪異だったんだねえ」


 ぴたり、と二体の足が止まった。


「あ、あのね、大丈夫だよ。別にね、怖くないから。あたしの事、気遣ってくれたんだよね。あたしが羽二重楼でひどい目にあったから、怪異だって知って怖がらないように。大丈夫、シロの事もアオの事も、あたし全然怖くないから。ウロヤミ様からも助けてくれたでしょ? 怖がる道理なんて無いよ」


 小雪は、慌てて言葉を足した。

 ウロヤミ様から逃げる直前と、膳郎丘陵でのどたばたで、シロとアオが人間の子どもではなく、怪異だというのを小雪は知った。

 確かに、最初は少しびっくりしたが、シロもアオも悪い子じゃないのは分かっている。だからその正体が怪異だと知っても、恐怖は湧かなかった。丞幻達が小雪に隠そうとしていたのはこれだったのかと、妙に納得した。

 幼い二つの顔が、あからさまに緩んだ。とたたたっ、と早足で駆け寄ってくる。


「てめえら、ここにいていいのか」


 自分の足に引っ付いてきたシロを見下ろして、矢凪がそう聞いた。どういうこと? と小首をかしげると、矢凪は小雪をちらりと見て説明してくれた。


「こいつら、怪異だろ。奉行所ん中ほいほい歩いてたら、祓われんじゃねえかと思って」

「だいじょぶだ」


 シロは細い右手首にくるりと巻かれた、白い紐を小雪達に見せた。

 少し不服そうに頬を膨らませながら、続ける。


「ほら、これ。これはな、怪異の力を封じる呪具だ。これを大人しく付けるなら、歩いてもいいって言われたんだ。しょうがないから、付けさせてやったんだぞ。だってな、そうしないと丞幻達がどこにいるか、教えてくれないっていうから」

「おっきいオレとね、おっきいシロがね、ゆーこときけっていっちゃの!」


 小雪の脳裏に、異界から脱出する時に一瞬だけ見た、白髪の男と青い毛並みの狼が浮かんだ。


「おっきいアオとシロって、あたし達をウロヤミ様から助けてくれた人だね。あっちが本当の姿なの?」

「う!」

「そだぞ。あいつは年増だ、年増。矢凪も小雪も、次にあいつに会ったら、ちゃんと年増っていうんだぞ」


 大きく頷いてから、二体は夕吉の元へ駆け寄っていった。


「夕吉、夕吉、だいじょぶだぞ。丞幻な、言ってたぞ。今度の〆切、死んでも破れないって。だからもし死んでも、ちゃんと復活して、最後まで書いてくれるぞ」

「丞幻ね、かえっちゃら、ほんよんでくれうの。しゅごろくすうの。夕吉もくりゅ?」


 目をぎゅうっと閉じ、組んだ両手を額に当てている夕吉を左右から挟み、肩を叩いて引っ張って慰めている。

 夕吉が、のろのろと顔を上げた。左右から一生懸命慰めるシロとアオの顔を順繰りに見て、弱々しく微笑んだ。


「……ありがとうね、あんた達」

「いいんだいいんだ。礼にな、くりごぜん作ってくれ。くりごはんと、甘ろ煮と、焼きぐりと、あとー……」

「う! おいちいのがいいの! おいちいのちゅくって!」

「そうだね、分かったよ。真白と蒼一郎の分も作るから、後で食べさせてやりなよ」


 偉そうに胸を張るシロと、飛び跳ねるアオ。いつもと変わらない無邪気な様子に、少し心が軽くなったのか、夕吉は両手をほどいて腿の上に置いた。そうして、ぽつりぽつりと言葉を交わす。

 その様子を見ながら、小雪はあれ、と気づいた。

 そういえば夕吉さんは、シロ達を怪異だって知ってるんだ。

 孝右衛門はどうなんだろう、と少し身を乗り出して彼の様子を伺うが、孝右衛門は夕吉の様子を微笑して見守っている。その表情からは、何を考えているのかあまり読み取れなかった。

 小雪の隣で黙していた矢凪が、不意に壁から背を離す。

 少しだけほっとしたような、緩んだ声音が矢凪から漏れた。


「遅ぇんだよ、阿呆作家」

「うっさいわねー、二刻近く、指一本動かせないで、延々祝詞聞かされ続けたこっちの身にもなってちょーだい」


 耳に馴染む、少し低めの落ち着いた声。

 聞き馴染んだそれに、小雪はぱっと顔を上げた。その場にいた全員も、同様に顔を上げる。

 いつの間にか、戸が開いていた。

 白布で目元を覆った丞幻が、矢凪とへらへら笑いながら喋っていた。着替えたのか、見覚えの無い藍色の着物から覗く手足や首元には包帯が巻かれ、額や頬の怪我にも手当てが施されている。

 小雪は立ち上がり、丞幻の様子をじっと見つめた。他人の顔色を読む事は、得意だ。


「てめえが遅れたのが悪ぃんだろうが」

「しょーがないでしょー。あのおてて大量わちゃわちゃ禍神に引っ張られて、別の異界に落っこっちゃったのよ。真白ちゃんが助けにきてくんなかったら、ワシってばまだあの砂だらけの荒野をじゃりじゃり歩いてたわよ」


 軽い口調で話す丞幻。目元が隠れているから読みにくいが、頬から下の顔色は良い。足元もふらついた様子は無い。

 戻ってきた時、絶叫を上げて転げ回っていたのと、同じ姿とはとても思えないくらいに、ぴんぴんしていた。

 矢凪が鼻で笑って、腕を組む。


「へえ。もう少し歩いてりゃ、砂まみれの色男が出来上がったろうな」

「は? 砂まみれになんなくても色男でしょー……がっ!?」

「げん兄いぃっ!」


 夕吉が、絶叫しながら飛びついた。それを支えきれず、丞幻がよろめいて尻餅をついた。

 夕吉は首に腕をしっかと回して丞幻に抱き着つくと、声を上げてわぁわぁと泣き出す。廊下を通りかかった同心が、ぎょっとしてこちらを三度見した。

 泣きじゃくる夕吉の背を宥めるように、丞幻は優しく叩いた。


「大丈夫、ごめんねー、お夕。心配かけちゃったわねー、もう大丈夫だから、ねー。ほーら、ワシ無事よー。おててもあんよも、ぜーんぶ動いて大丈夫だからね、ほーらほらほら」

「んんんんん! んんんんんんんん!」


 胸元に顔を埋めながら、夕吉がもごもごと怒鳴った。


「なあに、『もっかいやったら、一生地下牢に閉じ込める』って? それは嫌だわー、お空は見たいもの。頑張るから許してね」

「んんんんんん!」

「『信用ならないよ』? はいはい、そうねー。信用ならない兄ちゃんでごめんねー」


 丞幻の背中に、アオとシロが飛びついた。


「しょよ! ちんよーなりゃなっのよ!」

「そうだ、お前は信用ならない。だからおれとアオと、後でたっぷり遊ぶんだぞ。いいな、分かったか、丞幻!」

「はいはい、分かったわよ。分かったから揺らさないで、アオちゃんシロちゃん」


 ちび二体にもみくちゃにされている所に、孝右衛門がゆったりと近づいた。

 丞幻の傍らに膝をついて、彼の肩を一つ叩く。


「義兄上殿、ご無事で何よりですぞ。目の方はいかがですかな」


 夕吉の背を撫でながら、丞幻は目元を覆う布をさらりと撫でる。

 見ればその布には、朱色の糸で難しい文字がずらずらと刺繍されていた。


「ちょっと異界にあてられちゃっただけだから、大丈夫。失明はしてないわー。とりあえず今日と明日は、この布付けて過ごすことになるから助手に苦労かけるけど、問題無いようだったら明後日には外せるわよ」

「そうですか、それは何よりですぞ」


 おい、とそこに矢凪が割り込んだ。


「もしかしなくても、苦労かけられる助手ってなあ、俺か」

「もしかしなくても、お前よ。助手ってのは雇い主助ける為にいんの。ワシの目の代わりとして、精々働いてちょーだい」

「蹴るぞてめえ」

「助けてー! 怪我人に暴行を働く極悪人がここにー!」


 何事も無かったかのように、下らないやり取りを繰り広げる二人に、小雪はゆっくりと近づいた。

 と、と、と足音を立てて近づくと、音に気が付いたのか丞幻が顔を向ける。口髭の下の大きな口が、にっこりと弧を描いた。


「あら、小雪。なーに」

「うーん」


 小雪は首を軽くかたむける。

 丞幻が起きてきたら、何を言おうか二刻の間、考えていた。

 色々と、ごちゃごちゃ考えていたが、結局出てきたのは、この一言だけだった。


「おかえり、間夫」

「……せめて、名前で呼んでちょーだい」


 ふにゃり、と丞幻が苦笑した。

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