前
二人の巫女姫の合わせ技の前に、一度は倒れたかに見えた友引娘。
しかし彼奴は恐るべきことに、また立ち上がった。長い首をぐいんぐいんと揺らし、明け空に絶叫を響かせる!
「おのれおのれおのれええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「くっ……まだ倒れないなんて! もう一度行くわよ、シロミ! 玲瓏たる蒼水晶よ、我に力を!」
「ええ、分かっていますわアオナ! 煌く紅水晶よ、我に力を!」
指を絡めて手を握り合い、声も高らかに叫んだシロミとアオナ。その胸元に輝く水晶が、蒼と紅の光を放つ!
裾が大きく翻り、純白の巫女服が蒼紅に染まった。恐れをなしたか友引娘、その足は前では無く後ろに下がる。
「「二人とも――!」」
巫女姫の後ろから駆けよってきたは、双頭の猫。右は三毛、左はぶち。
そう、荒れ地に埋められていた所を、シロミとアオナに掘り出され助けられた神の使い。そして二人を巫女姫へと変身させる水晶を渡した、かの猫である。
「なーちゃん! 危ないわ、下がって!」
「なー様! ここは私達が戦います、どうかお下がりを!」
「「これを使って、あの友引娘を倒すっち!!」」
双頭の猫が、咥えたものを巫女姫に投げる。可憐な繊手が受け止めたのは、全長六尺はあろうかという巨大な刀であった――
〇 ● 〇
「ボツ」
「なんでよ!」
「ったり前じゃないか。ガキ向けならともかく、怪異本でこれはちょっと、ない。そもそもアンタは、脚色が過ぎるんだよ。折角実際の怪異を手本にしてんだから、もうちょい本物に寄せなよ」
「いやいや、そこをなんとかできない? ワシとお前の仲じゃないの。ね?」
両手を合わせて頬に寄せ、小首をかしげてみせる。しかし彼女――丞幻の担当の反応は冷淡であった。
「ボツ。〆切まで日が無いんだから、ちゃちゃっと書き直しな」
「ちゃちゃっと、って言われても、それがいっちゃん大変なんじゃよね。ちなみに夕吉、どこ書き直せばいいのかしらん?」
夕吉と呼ばれた女性は、手にした草稿をぱんと叩いた。
「どこって言われても、ねえ」
夕焼け色の洗い髪が目に眩しく、きりりと吊り上がった髪と同色の瞳が、本人の気の強さをそのまま表していた。空色の手拭を巻いた頭を左右に振って、重々しく宣言する。
「最初と途中と最後」
「……」
「そもそもアンタ、ウチの方針分かってるかい? ウチの怪異本は『ぞわぞわ・がたぶる・ギリギリ』で売ってんだよ。これのどこがそれに掠ってんだい、言ってみな」
ちなみに方針の「ギリギリ」とは発刊ギリギリの意味である。
出版基準が緩い貴墨においても、お上から発刊を差し止められるかどうか、という度合いの本を出す事に謎の熱意をかけている曾根崎屋であった。数年前、大将軍とご家老の禁断の恋物語そして大奥との確執からの心中物を発刊したせいで取り締まられたらしいが、それでも出版方針は変わっていないらしい。とんでもない根性である。
閑話休題。
「とにかく、書き直しだよ。巫女姫とそのお供は良いと思うから、それを活かしてもうちょいおどろおどろしく、怖い話にしてきな」
「…………ぐう」
徹底的に打ちのめされた丞幻は、萌黄の三つ編みを力無く垂らして畳に轟沈した。打ちのめした側は涼しい顔だ。
「なんだい、まだぐうの音は出るんじゃないかい」
「……あのねえ」
畳から顔を上げ、恨めし気に真向いの相手をじっとりと睨む。
「もうちょい幼馴染の兄貴分に優しくしてもいいんじゃないの、お夕。ワシだって一生懸命書いてんのよ?」
「幼馴染の兄貴分だから優しく諭してやってんじゃないか、げん兄。他の奴だったら問答無用でケツ叩いてるよ」
「こないだの千忌憚で、そういう恐怖描写成分ぜんっぶ絞り出されてんのよ!? 物理で! しばらく打ち止めよ、打ち止め!」
「じゃあ外から補充しな。無くなったもんは補充する、基本じゃないかい」
言って夕吉は、ひらひらと手を振った。
「とにかく、〆切はこれ以上伸ばせないからね。破ったら、げん兄だろうと物理でケツひっ叩くよ」
外に出ると、突き刺すような日差しが襲ってきた。炎天下の中、立っているだけでぶわりと汗が噴き出してくる。
突っ返された草稿を手に、丞幻は口髭を撫でながらため息をついた。
「もー、お夕はほんっとキツいんだから。今から全部書き直しって、ひどすぎない?」
ねえ、と虚空に同意を求めつつ、大通りをぶらぶらと歩く。
貴墨、ひいては陽之戸国を統べる将軍が住まう城近くにある町の道は、幅が非常に広い。十数人が横並びに歩けるほどだ。
遡ること天下統一前。時の城主が墨に凝り、各地より質の良い墨を手あたり次第に求めたことがあったという。その際、墨を乗せた荷車を通す為にわざわざここを整地し直し、墨渡と名付けたこの場所は、今では一等賑やかな繁華街だ。貴墨どころか陽之戸各地に店を出しているような大店が、軒を連ねている。そんな所に店を構える曾根崎屋は、実はかなり大きな版元なのである。
通りを歩きつつ、丞幻は右手を仰ぎ見た。青空に、墨色の瓦が映えて光る。貴墨の象徴たる貴墨城は、今日も威風堂々とした佇まいで丞幻達を見守っていた。
「見守るくらいならネタちょーだい、ネタ。あと時間。できれば一月……いや二月ちょーだい。そんくらい時間あるなら、ワシだって〆切守れるんだから。あーあ、なんで日が経つのって、こんなに早いかねえ」
独り言にしては大きな声を上げながら歩くが、気にする者はあまりいない。それすら飲み込む程に、通りはひしめく人々の声で騒がしかった。
大通りの端では、猿回しが猿に指示を出して妙技を繰り広げている。猿が大玉に乗って逆立ちすると、周囲からわっと歓声が弾けた。丞幻もそれに混じって拍手をして、銭をいくばくか投げる。
「お、澄泉屋。ここの墨ってすぐ乾くし、滲みもしないって評判なのよねー」
猿回しが芸をしている隣にある大手の墨屋は、店頭で墨の試し書きをしていた。和紙に適当に文字を書いてから触ってみると、触れた指先に墨が付かない。評判通りだ。値段は評判以上に高いので、未練がましく視線を投げるだけにした。
風車を持って走る子とそれを見守る母親や、「ひゃっこいー、白玉ひゃっこい一杯八文ー」と歌いながら歩く白玉水売りとすれ違いつつ、蜃屋の店頭に並べられた蜃をつついて幻を吐かせ、八百屋に置かれた珍しい形の野菜をしばし眺める。
ぶらりしゃらりと歩くうちに、くさくさした気持ちが少しは静まってきた。
「ま、いつまでも悩んでてもしゃーないしの。とはいえ、どーしよっかしら。矢凪から聞いたのを話に組み込んでもいいけど……」
うーむ、と腕を組んで唸る。
遊女に迫られ凍らされかけ、知人に拷問され埋められた、という例の話は、それはそれでまた別の物語として出したい。そう言えば、他にも何かネタになりそうな話があるか後で聞かなくては。それに、死んでも蘇るというあの話。あれから何度か水を向けてみたが、その都度はぐらかされるので、結局詳しい話を聞けていないのだ。
色々と文献を調べてみたが、人間が死んで蘇るという例はいくつかあった。しかしどれも信憑性に欠けるもので、どうにも頼りない。神の祝福か怪異の呪いか、丞幻の「目」をもってすれば分かるかと思って矢凪を集中して視たが、どうにも気になるものは視えなかった。
「しかも、『なにじろじろ見てんだてめぇ』って怒られちゃったしねえー。まあそれは置いといてよ、置いといて」
今はそっちではない。何かを横によける動作をしてから、丞幻は口髭の端を引っ張った。
夕吉はもっと怖くしろと言ったが、丞幻としては物語内の友引娘をあれ以上悍ましく描写する気は無い。
「他にも怪異本書いてる作家はいるんだし、怖いのはそっちが書けばいいのよ。ワシはああいうの書くのが好きなんだから。そっちのが書いてて面白いしねー」
怪異が恐ろしいのは現実だけで十分。物語の中では現実と違い、どんな怪異も面白おかしく滑稽に倒せるのだ。
読んだ人が怖がりながらも最後は楽しい気持ちになってくれればそれでいいと、そう思っている。
「さーて、なんとかお夕を誤魔化しつつ、なんかこう……わやっと怖いっぽい感じに書き直しましょー」
そうと決まれば、さっさと帰ろう。
ついでに昼餉の総菜を買って行かなくては。そうだ、近くの魚屋で鯉の刺身を売っているはずだ。あれにしようか。刺身と一緒に井戸で冷やした酒をぐっとやってから、書き始めるのも悪くない。
「一人で飲む分にはそうでもないのに、二人で飲むとついついお酒進むのってなんでかしらねー。あとシロちゃんとアオちゃんの好きな、甘い厚焼き玉子でも買ってー……あらなにあれ美味しそうね」
目当ての魚屋の前に、屋台が出ている。そこに、蛇のような人の列ができていた。
見れば氷冷石で凍らせた桃や梨を、鉋で削って客に出しているようだ。普通の店では買えない高価な氷冷石を使っている所を見ると、どこかの料亭辺りが宣伝がてら屋台を出しているのか。
今日のような暑い日には、凍らせた果物はさぞ美味いだろう。
ぐびり、と丞幻の喉仏が上下する。
「……」
悩んだのは一瞬で、丞幻はそそくさと列の最後尾に並んだ。
ちょっとくらい昼餉の時間が遅れても大丈夫だろう、うん。それに夕吉にこってり絞られたのだから、自分へのご褒美だって必要だ。執筆には何よりやる気が大事。
「そもそも夏がこんなに暑いのが悪いから冷たいものが食べたいわけで、ワシは別に暑くなきゃ寄り道する気だってないのよ、うん。夏が悪い、夏が」
夏に責任転嫁して汗を拭いつつ、牛歩のように進む列に並んでいると。
「ん?」
ふと、小さい影が目に止まった。