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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
禍神:ウロヤミ様

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126/194

 ちび二体がそんな風に、栗拾いではなく茸採りに勤しんでいる頃、夕吉と小雪は屈めていた腰が痛くなってきたので、休憩する事にした。

 この辺は出店が多い。小腹が空いたので葡萄飴を買い求め、縁台に並んで腰かける。

 葡萄飴(ぶどうあめ)は、串に刺した葡萄の上から薄く飴をかけたものだ。葡萄の取れる秋にしか出ない甘味である。


「わあっ、わああっ、凄いねえ、綺麗だねえ。紫水晶みたいだ。ねえ、これ本当に食べれるの?」

「そりゃあ葡萄だからね、食べれるよ」


 あ、と大口を開けて、夕吉は串から葡萄を一つ(かじ)り取った。口の中で噛むと、表面にかかった薄い飴がぱりっ、と音を立てて割れ、葡萄の甘い汁が口中に広がる。


「ね、食べれるだろ?」

「へえー」


 串に四つ刺さった大粒の葡萄をためつすがめつしてから、小雪は葡萄を半分だけ齧る。すぐに、頬が幸せそうに緩んだ。


「美味しいねえ。あたし、これ初めて食べたよ。本当に美味しいねえ」


 一口一口、大事に食べている小雪に、夕吉は若干の同情を込めた視線を向けた。


「遊女ってのも、華やかだけど不便だねえ。こんなん、子どもだって一個六文で買えるのにさあ。ホイホイ食べに行けないんだろう?」


 栗拾い中の雑談で、元々遊女だったのだと聞いている。

 綺麗な所作で葡萄を飲み込んで、小雪は深く頷く。


「そうだよー。白粉や紅なんかは、決まった日に店から人が来て売ってくれるし、貸本屋も来たりはしたんだけどねー」

「菓子売りは来なかったのかい? 井村屋とか葛巻屋なんかは、遊郭にも菓子を売りに行ってるって聞いたけどねえ」


 白い頬が、少女のようにぷうと膨らむ。


「確かに来てたけどさあ。それだってなんていうかこう、上品な感じの甘味ばっかでね、こんなのは全然、本当に、ぜんっぜん、無かったよ」


 あたしは、こういう素朴なのが食べたかったの、こういうの。

 そう言って、小雪はまた一口葡萄を齧る。

 女同士で小雪が二十四、夕吉が二十二と年も近く、互いに好き合っている相手がいるという事で、栗を拾う内に二人はすっかり意気投合していた。

 食べ終えた串を行儀悪く(くわ)え、ぴこぴこと揺らす。


「そういえばさあ、アタシに料理を教わりたいって言ってたけど、本当にアタシでいいのかい? 別に凝ったものなんか作らないよ。煮つけとか、白和えとか、炊き込みご飯とか、そういうのなんだけど」


 小雪は勢い込んで頷いた。


「そう! 旦那様はそういう普通のが好きだから、あたしが作ってあげたいの。夕吉さんはそういう、普通の料理を美味しく作るって丞幻の奴が褒めてたから。だから是非とも教わりたいの。ちゃんと教えてもらう分、お金は払うから」


 身体を捻り、上半身ごとこちらに向き直る。

 よろしくお願いします、と下げられた頭に、夕吉は手刀を落とした。ぽかんとした顏に、呆れ顔を向ける。


「やめとくれよ。大した料理を教えるわけじゃないのに、それで金なんか貰っちゃ、むず痒くってしょうがない。金はいらないから、代わりに化粧とか、着物の選び方とか教えとくれよ。アタシはそういうの、(うと)くってね」

「でも夕吉さん。それ、とても似合ってるよ?」


 栗皮色の小袖は地味に見えるが、眩しい夕焼け色の洗い髪と瞳を上手く引き立てている。

 からりと笑って、夕吉は頭に巻いた空色の手拭を撫でた。


「これは、あの人が全部選んでくれたんだよ。アタシはそういうの、からっきしでねえ。たまには自分で良いものを選んで、あの人をびっくりさせてやりたいのさ。アタシはアンタに料理を教える。アンタはアタシに着物や化粧を教える。それでいいだろ? 金のやり取りは無しだ」

「うーん……分かった! じゃあ、それで」

「決まりだね」


 にっこりと笑い合って、頷く。

 その様子を視界の端に捉えつつ、矢凪はひょいひょいと栗を拾っていた。

 ちなみに、もし小雪達に不埒者が声をかければ、すぐに駆けていける位置である。


「やっぱ、あんまり無えな。栗」


 立ち上がり、仏頂面で周囲を見渡す。

 この辺は人が多いから、落ちているのは空のいがばかりだ。ほとんど採り尽くされているのでは、と思うほどに栗が見つからない。

 底が見える籠を一睨みし、休憩がてら腰の瓢箪から酒を一口。

 奥に行けばそれなりに拾えるのだろうが、小雪達を放置していくのも気が引ける。毛色の違う美人が二人、舞う葉の下で笑い合っているのは一幅の絵のようで、人目を引いて仕方が無い。


「女人同士のいちゃいちゃ……いちゃいちゃ……! 楽園……! いちゃいちゃの理想郷……!! あっこれ良い()になる、絶対良い画になる! え、ちょっと口吸いとかしてくれないかなしてほしいな……! してもらうように頼んでみようかな……!」

「……」


 なんだ、あの阿呆。急に湧いて出て来たぞ。つーか、なに鼻血流しながら書いてんだ、あの阿呆。誰だあいつ。とりあえずぶっ飛ばしていいだろうか。よしぶっ飛ばそう。知らん顔だから手加減はいらん。俺が法だ。


「あれ、矢凪じゃないか。どうしたんだ、そんなに殺気だって。なんだ、悪さでもする気か?」


 血走った目で鼻血をどばどば垂らし、(せわ)しなく手を動かしている不審者に向かって、拳をぺきぺきと鳴らしながら一歩踏み出そうとした瞬間。背後から声がかけられた。

 矢凪は小さく舌打ちして、振り返る。

 鋭い三白眼と、額の右側から鼻筋にかけての刃物痕が目に飛び込んできた。


「なんで、てめえがいんだよ」


 好んでいる蟹牡丹模様の着流しの上から、異怪奉行所の羽織をまとった為成が、ひらひらと片手を振っている。


「見回りだよ、見回り。人が多い所には、怪異もよく出るからな。なにかあったらいけないだろ?」

「じゃあその五寸を俺に向けんじゃねえよ」

「いやあー。お前が殺気振りまきながら、無辜(むこ)の民に近づこうとしてるから、つい、な」


 五寸釘を片手で(もてあそ)びながら、人懐っこい笑みを向けられた。……五寸釘のせいで、ちっとも、全然、懐っこく見えなかったが。


〇 ● 〇


 ごおん、と昼時を示す鐘が遠くから聞こえてくる。

 ずっしりと重くなった籠を背負い、あらかじめ決めていた集合場所へと丞幻は向かった。

 孝右衛門は、勾配のきつい所で栗を拾うと腰が痛くなるというので、別の場所へ(おもむ)いていた。

 ので、鼻歌混じりに一人で集合場所――膳郎栗(ぜんろうくり)と呼ばれる、丘陵で一番大きな木の下である――へと向かうと、既にシロとアオと矢凪が待っていた。明らかに「え、俺も最初から参加していましたが?」とでもいうような雰囲気を(かも)し出している、おまけと共に。


「……」


 そっぽを向いている矢凪に、丞幻は半眼を向けた。


「矢凪」

「幻覚だ。気にすんな。無視しろ」

「へー、そう。随分はっきりした幻覚だわね」

「じゃあ怪異だ」

「ああ。怪異、拷問五寸釘愛好(やっこ)?」

「そうそう」

「成程ねえ。確かに凶悪な面してるわあ。後で異怪奉行所に連絡しましょ」


 と、軽口が一段落した所でその拷問五寸釘愛好奴――笹山為成が口を挟んできた。


「や、丞幻殿。こんにちは」

「はいはい、こんにちは笹山殿。異怪の羽織ってことは、今日はお仕事?」

「ああ、この辺の見回りだ」


 言って、為成は人懐こい笑みを浮かべて、頬をかいた。


「この時期になると、膳郎は人が多くなるだろう? 人が増えれば普段静かな奴らも起き出すかもしれないからな、何人かで手分けして見回りをしてるんだ」


 静かな奴ら、とは当然怪異の事である。


「ふーん。そゆこと」


 ならなぜ、一緒に栗拾いに参加してましたよ、と言いたげな顏で共にいるのか。

 その疑問を口にする前に、足に塊が二つ突進してきた。


「おっと!? シロちゃん、アオちゃん危ないでしょ! ワシがこけたら、一生懸命ちまちま拾った栗さんぜーんぶ、ばら撒かれる所だったわよ!」

「ほら、丞幻! 見ろ、きのこだぞ、きのこ! いっぱいとったんだ!」

「きのこよ、きのこ!! おいちおいちね、たびるの!」

「きのこお?」

「おう。こいつら、栗じゃなくて茸採ってやがったらしい」

「あらそうなの、まあ茸も生えてるもんねえ、この辺」


 地面に置かれた二体の籠を見れば、スミタケがたっぷりと入っている。ちなみに本命である筈の栗は見当たらない。

 枯葉や枝を髪と着物に絡ませたまま、シロが興奮して両手をばたばたと動かした。


「きのこなべに、きのこごはんに、くりごはんに、かんろにに、いっぱい食べれるな、丞幻!」


 アオもぴょんこぴょんこと跳ね飛んで、興奮に頬を赤く染めている。


「いっぱいよ、いっぱい!!」

「はいはい。じゃあ、この茸もお夕に頼んで、美味しいものに変えてもらいましょうねー。ほらシロちゃん、動かないの。こーんな一杯葉っぱ付けちゃってまあ」


 片膝をついて、ぐしゃぐしゃになったシロの髪から枯れ葉や枝を取ってやる。アオはその後ろで順番待ちをしながら、せっせと髪に枯葉をくっつけていた。


「うっ、うー、うー」


 ご機嫌な声を上げ、丞幻に取ってもらう為に大きな葉っぱを付けているアオから視線を外して、矢凪は隣にいる為成をじろりと睨んだ。


「で、てめえはいつまでここにいるんだよ」

「ええ、いいじゃないか。昼餉くらい一緒に食わせてくれよ、友人だろ?」

「仕事行け異怪同心」

「怪しい奴を見張るのも同心の仕事なんだよなあ」

「あ?」


 そうじゃれている内に、小雪と夕吉がやってきた。

 丞幻達のように、膳郎栗を待ち合わせ場所にしている人々が、美人二人にぽうっとした目を向ける。

 周囲の視線は意に介さず、丞幻達の元に向かって来た二人は(いぶか)し気な顔をした。


「……誰?」

「ちょいと、なんで一人増えてんだい」


 矢凪と話す為成を不審げに眺める小雪と夕吉に、丞幻は葉っぱを取りながら説明した。端的に。


「異怪同心の笹山為成殿よ。矢凪の友達」

「ふうん」


 夕吉は成程、と納得していたが、小雪は氷色の目をたちまち尖らせた。


「旦那様の……友達…………ほんとうに?」


 短い髪が、さわりと冷気を帯びて揺れる。

 アオの枯葉頭を綺麗にしてやりながら、小雪をちらと見上げる。秀麗な顏を、ゆるゆると怒りが染め上げていくのが見えた。

 あ、まずいわこれ。

 丞幻は慌てて、口を開いた。


「あの、小雪。落ち着いて? ほんっとうにあの二人、ただの友達よ? 普通に飲みに行ったりするくらいの、そういう友達だからね?」

「本当に? 本当に、ただの、普通の、友達? 旦那様に不埒な真似してない? 旦那様に酷い事してない? 友人だと思ってた旦那様を騙し討ちの形で攻撃して土に埋めるくらいの事してない?」

「……」


 恐るべし、女の勘。

 思わず黙り込んだ丞幻に、小雪がますます目を吊り上げた。


「おっのれ間夫二号……! あたしの旦那様を……!」

「ちょいと、どうしたんだい急に。殺気立っちまってさあ」


 肩を怒らせて為成に詰め寄ろうとするのを、夕吉が掴んで押し留める。

 着物が乱れるのも厭わず、小雪がじたばたと暴れた。


「あいづあ生ぎどっだら旦那様にロクなごどしねえに決まっでんだ、あの()()()()()凍らせてやんだげ、離せざ!!」

「急にどうしたんだい、何言ってるか分からないし、落ち着きなったら!!」


 ぎいい、と歯ぎしりしながら(なま)り全開で叫ぶ小雪に、周囲の人々がずざっと後退りした。

 さしもの為成も、戸惑った様子を見せた。


「……えっと、あちらの泡雪花魁はどうしたんだ、矢凪」

「…………小雪」


 矢凪が頭を抱えた。


「笹山殿がやらかしたのを察して、激怒してんのよ。女の勘って怖いわあ」

「ええ? 別に、俺は矢凪にひどい事してないんだけどなあ。四日前も一緒に飲みに行った大親友じゃないか」

「だいしんゆう」

「これっほど信用ならない言葉も珍しいわね」

「そうかあ?」


 胡乱な顔をする大人を尻目に、ひしょぽしょと、シロがアオの耳に囁いた。


「いいか。ああいう奴が、女子に甘い言葉をささやいて、金をむしりとるんだ。丞幻の小説にも、出て来たやつだぞ。すけべだ、すけべ」

「う!? じゃあ、あいちゅ小雪と夕吉、だましゅの? わりゅいやちゅね!」

「言われてるわよ助平」

「あっはっは、照れるなあ。まあとりあえず、昼餉にするんだろ、俺も一緒に行っていいか?」

「なんでよ」

「いいじゃないか別に。見回りもあらかたやったし、暇なんだ」


 あはは、と軽やかに笑った為成の背後に、すっと小柄な影が近寄った。


「――()()()

「うっ!?」


 ぎくりっ、と為成の肩が分かりやすく跳ねた。

 引き攣った頬に、汗が一筋伝う。

 小雪を押さえていた夕吉が、ぱちりと目を瞬かせた。


「あれお前さん。遅かったね」

「ああ、お夕。いやあ、少し遠くまで足を伸ばしていたので、遅くなってしまいましたぞ。すみませんなあ」


 硬直した為成の後ろから進み出てきた孝右衛門が、夕吉に向かって眉を下げてみせる。それからついと瞳を細めて、傍らの黒羽織を見上げた。


「で、お前はここで何をしているのですかな、笹の字。仕事を放って、のうのうとお喋りしても許されるとは。尻に殻が付いていた雛が、随分と偉くなったようですなあ」

「あー、や、いやあ……あのー……あはは……」


 目をあちこちに泳がせた後、為成は勢いよく頭を下げた。


「ご無沙汰しています、為村さん!」

「誤魔化し方が雑ですなあ、相変わらず」

「……えーっと、孝右衛門殿。笹山殿とお知り合いなのかしらん?」


 なにやら(かしこ)まった様子の為成。呆れ顔でそれを見上げる孝右衛門。

 そこに確固たる上下関係を感じて、丞幻は置いてけぼりにされてしまった一同を代表して、問いかけた。


「ああ、申し訳ありませんな、義兄上殿。懐かしい顏だったもので、つい。……しかし義兄上方が、これと知り合いとは思いませんでしたぞ」


 孝右衛門が目尻の皺を更に深くして、鷹揚に笑う。


「これは元々、羅刹隊(らせつたい)におりましてな。少々私が面倒を」

「へえ……」

「……世間って狭いんだな」

「ワシはね、東丸村で笹山殿と会った時にもそう思ったわよ」


 何やら噛みしめるように呟いた矢凪に、丞幻はとりあえずそう返しておいた。

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