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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
禍神:ウロヤミ様

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124/194

〇 ● 〇


 遡る事、二刻(四時間)程前。



「はーい、忘れ物はなーい? そいじゃ行くわよー!」


 栗を入れる藤籠を背負い、籠の中には栗を拾う火箸。いがで怪我をしないよう厚めの足袋と新しい草履を履き、丞幻達は準備万端整えて栗拾いに出発した。

 矢凪は相変わらず、どてらを着込んで綿を縫い込んだ手拭を首に巻いているが、そこまで寒くはない。現に丞幻は動きやすい鉄砲袖の着物と野袴で十分だし、アオはいつも通り膝小僧を出して元気一杯だ。

 ちなみにシロは(すすき)で遊ぶ狸模様の振袖、小雪は桔梗模様の小袖で、きっちりめかしこんでいる。

 薄墨を流したような灰色の空の下、空気は水分を含んでもったりとしているが、冷たいわけではない。ぬるま湯に浸かっているような、のんびりとした暖かさがあった。

 川面を走る小舟の上は流石に肌寒かったが、舟を下りて歩く内に指先が温まってくる。


「いーち、にーい、産婆のばばさんどこへ行くー。わたしゃ、四辻(よつじ)の道の先、五つ子取り上げにまいりますー」

「くれむちゅこえたりゃ、おちゅきさんー! にゃにゃにゃままー!」


 仲良く手を繋ぎ、繋いでいない方の手に握った草を振り回しながら、シロとアオが澄んだ歌声を響かせた。


「ちゃのしみね、シロ!」

「な。なんてったって、去年はちっとも、くりが拾えなかったからな。おれは悲しかったぞ、アオ」

「ね! ()()よ、()()! かろろににしゅるの!」

「かんろ煮だぞ、アオ。か、ん、ろ、に」

「かろに!」


 きゃあきゃあ揺れるシロとアオの後ろ頭を見ながら、うんうんと丞幻は一人頷いた。横で矢凪もうんうんと頷いている。


「確かにな。去年はひでえもんだった」

「あら」


 もふもふと、着膨れしている矢凪に視線を向ける。

 ちなみに広い街道を、シロとアオが手を繋ぎ、その後ろを丞幻、矢凪、小雪と横並びで歩いている。


「お前も去年、栗に泣かされたクチ?」

「焼くと酒のあてに良いだろ、栗」

「分かるわー。揚げても美味しいわよ、後で揚げ栗出してくれるとこ行きましょ」


 猪口をつまみ、口に運ぶ動作をすると、矢凪は大きく頷いた。と、そのどてらの袖を、小雪がちょんと引っ張った。


「ねえ、旦那様。あたしも一緒に行きたい。いいよね?」

「おう」


 小雪は、ふにゃりと表情を緩めた。胸の前で、両手の指先を合わせる。


「あたし、居酒屋って一回行ってみたかったんだあ。居酒屋って、急に口喧嘩を始めた二人が小突き合いだして、椅子を使って殴ったり卓で防いだりして、凄い戦いが繰り広げられるって話じゃないか。それでそれで、勝った人が自分と相手の分のお金を払って去っていく事がよくあるんだろう? 一度それ、生で見たいんだあ」


 物凄い誤解が生じている気がする。


「あたしが遊郭にいた時ね、旦那様が話してくれたんだ。貴墨の居酒屋では、よくそういう事が起こる、って」


 隣を歩く罪人(やなぎ)が無言で視線を反らした。

 丞幻は、その顔をじとりと睨み据えた。まろい頬を、つつーっと一滴、冷や汗が伝う。

 やがて視線に耐え切れなくなったのか、そろりと矢凪がこちらに顔を向ける。


 ちょっと、お前どーすんのよ。ワシそんなひょうきんな居酒屋なんて知らんわよ。見なさいよ、あんなに楽しみにしちゃって。

 なんとかしやがれ。てめえそういう、とんちきな店の三つや四つ知ってんだろ。

 知ってるけど、あんな可憐な娘連れて行けるほど、治安良い場所じゃないわよ。お前、責任持って探しなさい。っていうか、お前の口が招いた事でしょ、ワシに頼んないでちょーだい!

 なんとかしてください。


「おっま」


 ぺこりと頭を下げられて、思わず丞幻は噴き出した。

 こいつの口……というか目から、そんな低姿勢な言葉が出るとは。

 花魁となれば、ほとんど外に出る事は叶わない。出られたとしても見張りは付くし、行ける所も限られている。そんな小雪の為に、矢凪なりに色々と面白い話を聞かせてやったのだろう。

 まあその際、話に尾鰭と胸鰭と足まで付けてしまったようだが。

 腹を抱えてひとしきり笑ってから、丞幻は口髭を撫でつけた。


「……わぁったわよ。でも、お前も探しときなさいよ。程良く喧嘩が起こって、程良く治安の良い居酒屋」

「おう」


 と、話がまとまった所で待ち合わせ場所に着いた。

 貴墨の西端にある串畑(くしはた)から続く西街道に添うように、右手には膳郎(ぜんろう)丘陵がうねくっている。紅の衣をまとった丘陵を眺めながら歩けばやがて、千方国と松伸国の国境に跨る墨川山脈へと辿り着く。

 だが今回、山脈に用は無い。用があるのは、うねうねと連なっている丘陵の方だ。

 膳郎丘陵はなだらかで栗の木が多く、危険な生き物も……怪異も少ない。なので貴墨民にとっては、絶好の行楽地なのである。現に丞幻達の他にも、丘陵目指して沢山の人がぞろぞろと歩いていた。


「さて、ここでちょっと待つわよー」

「あーい!」

「分かったぞ」


 丞幻が夕吉、孝右衛門夫婦と待ち合わせをしていたのは、街道沿いに建てられた道守(みちまもり)のお堂だった。

道守の神使が宿るお堂は、旅人が一夜の宿として使用する事もあり、小さな庵くらいの大きさがある。中に入れば簡素ながら布団や、小さな火鉢なんかもある。場所によっては保存のきく食べ物を置いている所もあるのだ。

 待ち合わせ場所に人影は無い。どうやら、自分達の方が早く来たようだ。

 青く塗られた屋根を物珍しそうに眺めていた小雪が、そういえばと丞幻に顔を向けた。


「ねえ、丞幻」


 ちび二体がいる所では、小雪は丞幻を名前で呼ぶ。


「なあに、どしたの」

「その、今日一緒に栗拾いする夕吉さんっていう人は、どんな人? 料理とか、上手?」

「上手よー。ほら、この間、にぎりまるって所で白和え食べたでしょ? あれくらい美味しいの作れるわよ」

「包丁さばきも上手いの?」

「一人で魚の鱗取って内蔵取って(さば)けるくらいには上手。大したもんよ、あの子。料亭で働いても良いってくらいだわね」

「ふうん……」


 そっか、そっか、と小雪は何度も頷いた。そして、よし、と気合を入れるように胸の前で拳を握る。


「がんばるぞー!」

「う? オレもがばるー!」

「そうだ、がんばれアオ。いっぱいくり、拾うんだからな」


 腰の瓢箪から酒を一口やっている矢凪の脇を、肘でとんと小突く。


「……ね、矢凪。あれどしたの」

「料理、ちゃんとできるようになりてえんだと」


 矢凪がそれなりに料理ができる事と、この間の紅葉見物の時に長屋の女衆が手早く料理をこしらえている所を見て、何か思う所があったらしい。

 そういえばここ数日、厨で矢凪に包丁の持ち方を教わっていたなあと思い出す丞幻である。おかげで最初のように、大上段から振り下ろす事は無くなった。

 今は味噌汁に入れる葱を切ったり、卵を溶いたりするのを手伝っている。完全に子どものお手伝いだが、小雪にとっては一つ一つやれる事が増えるのが楽しいのだろう。上機嫌な鼻歌がいつも、厨から響いている。

 シロとアオもそれを見て手伝いをしたがっていたが、鍋をひっくり返し笊を壊し水をぶちまけたので、丁重に厨から追い出されていた。ちなみに丞幻は、てめえが触ると全部黒焦げになりやがると怒られ、厨立ち入り禁止令が出された。悲しい。


「俺を驚かせたいから、俺以外の誰かに教わりてえって言ってた。俺の前で」

「素直でよろしいわね」


 驚かせたい人の前で、うっかりそう言ってしまう所が、小雪の可愛い所だ。遊郭で学んだ手練手管の一つか、天然のものかは置いておくとして。


「まあ、お夕はきっちり分量を計って料理する子だし、人に教えるのも得意な方だし、先生に向いてると思うわよー」


 と、太鼓判を押した時。

 その夕吉と孝右衛門が、道の向こうからゆっくりと歩いてくるのが見えた。



 矢凪と小雪は夕吉達と初対面だったので、簡単に自己紹介を済ませた直後。孝右衛門が極々自然な動作で、小雪の両手を取った。


「小雪殿と仰るのですか。その艶やかで美しい氷色の髪と瞳に、よく似合った名前ですなあ。それに何より、小雪という可愛らしい響きが良い。そうそう是非一度、共にお茶などいかがですかな。質の良い茶を出してくれる茶屋を知っているのですよ。いやあ全く、こんな美しい女人(にょにん)と一つ屋根の下で暮らしているとは義兄上(あにうえ)殿も隅に置けませあたたたたっ」

「お、ま、え、さ、ん! いつもいつもいつも、言ってるだろう!! 見境無く、女を、口説くんじゃ、ないよ! しかも! アタシが、いる前で!!」


 頬を膨らませ、目を尖らせた夕吉が、孝右衛門の細い背をばっしばっしとひっ叩く。いつも丞幻をぶっ叩く鉄扇ではなく、素手な辺りに夫への手加減が伺えた。痛い痛いと孝右衛門も大袈裟に騒いでいるが、その目はでれでれと笑み崩れている。

 相変わらず、仲が良さそうで何よりである。


「えーっと。ごめんね、小雪。孝右衛門殿はねえ、まあ悪い人じゃないのよ。ただちょっと、女人と見るや出会い頭に褒めるというか、口説くというか、そういう癖があってねえ……まあ別にそれだけで、変な事をするわけじゃないんだけどね。うん」


 ごめんね、びっくりしたでしょ、と両手を合わせて謝ると、小雪は平然とした顏で笑った。


「別に構わないよ。単純に女人が好きなだけなんでしょ、あの人。下心とか無しでさ。そういう手合いはよくいたよ」

「ああー、そう……そうよねー、花魁だもんね。そりゃ言い方悪いけど慣れてるわよねー」

「そうそう。……旦那様? どうしたんだい、いつもより眉間の皺が凄いよ? 小判挟めそう」


 小雪の視線を追って、丞幻はひくりと頬を引きつらせた。


「……」


 いつもより五倍くらいの皺を眉間に刻み、両腕を胸の前で組んで仁王立ち。満月の瞳に殺気をびしばし(みなぎ)らせた矢凪が、じっとりと孝右衛門をねめつけていた。


「あー……矢凪。あのね、孝右衛門殿には言っておくから」

「あいつぶっ殺す」

「矢凪、落ち着いて!! あーやめてやめて!! 行かないで! 拳握んないでべきべきしないで!」

「嫌だ蹴り殺す」

「一発、後で一発だけ殴っていいから! 蹴るのは止めて! 孝右衛門殿折れちゃうから!!」


 拘束などものともせず、ずいずいと孝右衛門の元に向かおうとする矢凪。それを羽交い絞めにして必死に押さえる丞幻の袴の裾が、ぐいと引っ張られた。


「じょーげん、早く! 夕吉達来たんだから、早く行くぞ! くり、無くなっちゃったらどうするんだ!」

「しょよ! くいごはんちゃべれないでしょ! くいよ、くい!!」


 視線を下ろせば、ほっぺたをぱんぱんに膨らませたシロとアオが、袴を一生懸命に引っ張っている。


「分かった、分かったわよ! 今行く、行くからね! 矢凪もほら、小雪がそわそわしてるから! ね!」


 結局、栗林へ到着する前に孝右衛門を一発ぶん殴るという事で話はまとまり、遠慮会釈の無い一撃が初老の痩身を吹き飛ばした。

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