表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
禍神:ウロヤミ様

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

123/194

 ――気味が悪い、と思った。

 この山の木は表皮がどれも、ぼこぼこ、ぼこぼこ、盛り上がっている。小さいものは拳大、大きなものは人の顏。

 瘤松(こぶまつ)の名の通り、すらりとした真っすぐな幹に、ぼこぼこ、ぼこぼこ、瘤が垂れ下がって、(いびつ)な姿を見せている。

 地に落ちる影は岩や木の根に当たって更に歪み、もはやそれが幹であると判別がつかない程に、ぐにゃりぐにゃりと揺れていた。


「ウロじゃ」


 そしてどの瘤にも、ウロがぽっかりと口を開けている。大きさも場所も違えど、必ず瘤にはウロがあった。

 このウロの中に、真っ白な身体の雪蜂が棲む事がある。

 雪蜂の蜜は普通の蜂と違って、とろりと白い。これを男衆が採って帰り、女衆が薬草と混ぜて飴にする。それを行商人が都へ持って行く。

 蜂蜜と薬草で作った飴は、喉の痛みに効く。これが都では高く売れるのだそうだ。

 だから今日も、男衆は狩りのついでに蜂の巣を探しに山に入る。

 枝葉の向こうから、眩しい光が地面を照らしていた。足元を、ちょろりと栗鼠(りす)が走っていく。大きな尻尾が、茂みの向こうに消えていった。

 周囲を見渡せるほどに明るい中、木々に開いたウロだけは一切の光を通さないかのように、漆黒を覗かせている。


(はず)っご、蜂っご、どごさおる」


 音がした気がして、横を見た。

 目線の近くに、ぼこりと膨れた瘤があった。ぼこぼこ、ぼこぼこ、あちこちが歪んで盛り上がった瘤松は、まるで木が瘤に食われているかのようで不気味だ。

 その瘤にもやはり、ウロがあった。

 ぽっかりとした黒い穴の大きさは、人の目玉くらい。そこから何か、音が聞こえる気がした。雪蜂だろうか。


「おい、おめえ。あんましウロっごんなが、見んじゃねえど」


 しげしげとウロの中を覗き込んでいると、一番年嵩の男が眉をしかめて行動を(いさ)めてきた。


「……なして」


 ウロを覗かないと、蜂がいるか分からない。


「なしてって、よう……んだんだ、おめえ、山ご初めてだったが」

「んだ」

「じゃーじゃー……」


 年嵩の男は口の中でもごもごと呟いてから、


「巣があっどごはな、ウロっごの(はず)っごが白ぐなっでんだ。だはん、わざわざ覗ぐな。ちょすな」


 ――ウロヤミ様が、こっちば見どっがらよお。


 そう、続けた。

 ウロヤミ様、という言葉にたっぷりとまぶされていたのは、紛れもない恐怖。

 大の大人が、と思ったが見れば、その場にいる男達は皆が皆、ウロから目を反らすようにして、地面を睨んでいた。


「……んだか」


 背筋が寒くなった気がして、ふいとウロから視線を反らす。

「トトト」「トトト」――己が先ほどまで見ていたウロの中から、何かをつつく音がした。


〇 ● 〇


 影の中に何かいるのなら、日の光の元に引きずり出してしまえばいい。

 闇の中に何かいるのなら、玻璃竹の一つも当ててやればいい。

 そうすれば、何かいたとしても、正体が分かるのだから。

 ならば。

 ウロ。

 日の光の届かない奥の奥。竹の光も遮る闇の闇。

 ウロの中には、何が潜むのだろう――。


〇 ● 〇


真澄鏡(ますみかがみ)の逸話って、三百年くらい前でぱったり途絶えてるのよねー……その辺りに松伸国(まつののくに)で起こった事といえば、当時の国主が夜な夜な城下で人斬りを行っていたのと、稲奈酒(いなさけ)が生まれたくらいなのよねー』

『そういえば兄様(あにさま)、兄様の所の怪異はなんと言ってるんです? あいつら無駄に年食ってるんですから、噂の一つ二つ知ってるでしょう。紅瓢(べにひさご)なんて六百年近く前から逸話あるんですよ』

『聞いてみたわよー、もっちろん。でもねえ、真白ちゃんも蒼一郎ちゃんも怪異でしょ? 「俺達を祓うかもしれない神具の所に、わざわざ行くわけないだろう」「ちょうどそん時、オレ達は狩月国(かりつきのくに)で遊んでたからなあ。松伸国は行ってないんだあ、悪いなあ」って言われちゃってねえ』


『なんの為に兄様達の元にいるんですか、あいつら。こういう時に兄様を助ける為にいるんでしょう。ふざけてるんですか、祓いましょうか』

『怒んないでちょーだい、蓮丞。あの子ら、基本的に興味無いものには近づかないし、すぐ忘れちゃうから。ワシもそうだし蓮丞もそうでしょー? 真白ちゃん達はそれが極端なだーけ』

『兄様は可愛い可愛い妹より、怪異の方の肩を持つんですね。ふんっ』

『もー、そんなに拗ねないで蓮丞』

『じゃあ兄様、甘やかしてください。今日は夢で会いたいです。頭撫でてください。愚痴聞いてください、本読み聞かせてください。兄様の巫女姫を情感たっぷりに読んでください』

『分かった、分かったわよー、蓮丞。じゃあ、今日夢でね』


 はい、と今までより大きな文字が巻物に記された。


『では兄様またあ~~~~~~~~~~~~』


 突如、蚯蚓(みみず)に墨を垂らしてのたくらせたように、蓮丞の文字が乱れた。

 ぐねぐねとうねるそれに、丞幻は小首をかしげる。


「あらま。ミツユビトビグモでも出たかしらん」


 そういえばひねもす亭(わがや)でも、矢凪が虫よけ薬をぶちまけたにも関わらず、この間またミツユビトビグモの幼虫が出たなあと、埒も無い事を思い出す。

 足元に「こんにちは! また来ました!」と這い寄ってきたそれに絶叫暴走する矢凪、颯爽と登場して幼虫を凍らせ、「もう大丈夫だよ旦那様」と爽やかに笑う小雪。その場には拍手喝采が巻き起こった。

 そして矢凪は両手で顔を覆い、「……すき」と小雪化した。

 そんな事を思い出していると、凄まじい速さで文字が綴巻物に浮かんでくる。筆跡が乱れているのは、慌てているからだろうか。


『すみません今、兄様とおしゃべりしなら初代当主様の日記を読み返していたら、真澄鏡らしき記述がありました』

『本当? 日記にはなんて』

『はい。晩年、堅洲の穢れに侵された当主様が「どんな穢れも祓う()」を求めて松伸国へ赴いたそうです。それで』


 ――真澄鏡をひとすくい飲む。途端に忌々しい堅洲の穢れが消えた。身体が軽い。伝説は本当だった。ざまあみろ堅洲。ざまあみろ糞猿。ざまあみろ運命。あと二十年は生きるぞ、俺は。


 丸っこい癖字が書き連ねた文字を、丞幻は凝視した。これは。


()()()()()()()()()()()()?』

『はい。あの私、鏡というから普通に鏡についての伝承を探していたんですが、これを読む限り、鏡ではなく水という事ですよね』

『そうねえ。……ってことはその名の通り鏡みたいに丸い形の池とか、湖の水とか』

『神社に収められている薬湯、神水、そういうものの可能性もありますね』

『日記には他に、なんか書いてる?』

『いえ、当主様ですから書いてないです。ただ、日付は書いてるので。妻や息子娘の日記を漁ってみます』

『ワシも、その辺りの記録を調べてみるわねー。蓮丞、日付教えてちょーだい』


 綴巻物に浮かんだ日付を書き取り、丞幻は筆に墨をたっぷりと含ませた。


『ありがとー、助かってるわあ。でも、無理しちゃ駄目よ蓮丞。お前、大祓祭(おおはらえまつり)も近いんだから。当主としてやる事沢山あるんだから、そっち優先しなさいね』

『え、兄様を優先しますが?』

『至極当然みたいに書かないの! 当主の仕事を第一にしなさい! お前、天帝(あめのみかど)のお付きがあるでしょ!!』

『大丈夫ですよ、兄様。この蓮丞にお任せください! 天帝のお付きと兄様の手伝い、同時にこなしてみせます! それより兄様こそ、無理はしないでくださいね?』

『ワシはだーいじょうぶ。そうそう、明日はお夕達も一緒に、栗拾いに行くのよー。大祓祭の時、寄れるんだったら寄んなさいね。お前の好きな甘露煮作っといてあげるから』



 妹の返事を待たず、くるりと綴巻物を巻いて文机の下に転がした。

 真澄鏡をひとすくい飲む。どんな穢れも祓う水。

 それは大きな手掛かりだ。少なくとも、松伸国に数多伝わる鏡の噂を精査するより、よっぽど楽である。

 日記には「辛い身体に鞭打って、山中分け入り」とあった。ならば真澄鏡があるのは山の中。それと、三百年前に何かが起こった場所、という条件で絞り込んで探せば、おのずと目的地は絞り込める。


「でも鏡って名前にしないで真澄水とか、真澄鏡かっこ鏡じゃなくて水かっことじる、みたいに書いときなさいよね。ったくもう……どいつもこいつも親切じゃないんだから」


 歯型が付くほど筆の尻骨を噛んで、丞幻は傍らに積み上げていた書物を恨めし気に睨んだ。

 シロの背丈ほどの高さあるそれらは、全て真澄鏡に関わる事柄が書かれた書物だ。そのどこにも、真澄鏡とは飲む事で穢れを祓う水だとは書いていなかった。

 不埒者に荒らされないよう門外不出、他言無用、場所厳禁を徹底しているのかもしれないが、今こうして真澄鏡を必要としている人だっているのだから、その辺配慮して欲しい。

 遠い昔の人々へ文句を連ねつつ、丞幻は万年床に寝転がった。鈍く痛む目頭を、ぎゅうぎゅう揉む。


「あ――――…………やってられんわ」


 横になった途端に、意識していなかった疲れがどっと伸しかかってきて、深く息を吐く。とろとろと瞼が落ちてくるのが、自分でも分かった。

 眠い。とても眠い。今、瞬きする為に目を閉じたら、そのまま眠ってしまいそうだ。重たい疲労と程良い眠気が、身体を覆っている。

 ごぉん……と夜四ツ|(二十二時)の鐘が、遠くから聞こえてきた。

 蓮丞に書いた通り、明日は夕吉、孝右衛門夫婦と共に栗拾いだ。

 シロとアオは楽しみで眠れないと騒いでいたが、温かい甘酒を飲ませて布団に寝かせ、腹をぽんぽんと二、三回叩いてやったらすぐに寝落ちた。小雪も栗拾いは楽しみだと浮足立ち、矢凪と連れ立って部屋に戻って行った。

 本当は丞幻も、さっさと寝てしまいたいのだ。

 だが、やる事が多すぎる。

 巫女姫の続きも書かないといけないし、書奉祭(しょほうさい)――貴墨中の版元や作家が集まり、本を売る催しものだ――に出す本も書かないといけない。それに真澄鏡についての調査。……鏡ではなく水と判明したので、また別の文献を探さないといけない。

 それから。


「あの女、んっとに食あたりでも起こして、(かわや)に一日中立てこもる呪いでもかけてやりたいわ……」


 この間、鉄太がいなくなった際に嫌疑をかけた事に対しての嫌がらせか、ここ最近の十六夜の要求は度を越していた。

 やれ金物屋に出る、手にしたら柔らかいものを潰したくなる金槌の怪異を獲って来い。

 やれ四方川に潜むという蛙の顔をした老人の怪異を獲って来い。

 やれ蒔いていた呪歌が良い具合に怪異に変わりそうなので、それを獲って来い。

 やれ、やれ、やれ……。

 おかげで連日、休む間が無い。矢凪と二人、貴墨中を駆け回る日々だ。金と疲労だけが溜まっていく。


「あ――――! もう! 終わり! 今日はもう終わりよ、終わり! はいおしまい! ワシはもうくったくたよ! 後は後で! 矢凪も寝てるし!!」


 無性にいらいらとして、丞幻は寝っ転がったまま叫んだ。死にかけた虫のように、手足をばたつかせる。拳が本の山に当たって崩れた。後で直す。

 今までは、矢凪と協力して文献を探していたので、それなりに楽だった。

 だが小雪がひねもす亭に来て以降、夜は彼女と共寝をしている。小雪一人で寝ると悪い夢を見たり、眠りが浅くて何度も起きてしまうからだ。

 誰かが傍にいると安眠できるようで、矢凪が添い寝するのが最近の日常になっていた。


「まあねー、そうよねー。急に薄暗い座敷牢に閉じ込められて、見知った人達に追っかけられたんだったら、そりゃ心の傷にもなるわよ」


 羽二重楼(はぶたえろう)の事件は、小雪の心に大きな棘を残しているらしい。

 事件後すぐは大丈夫でも、日が経って落ち着いてきたら、恐怖がぶり返して心をじくじくとさせる事はある。昼はまだ色々とやる事があって、不安を忘れるくらいに動き回るからいいようだが。

 夜の静けさと暗さは、不安と恐怖を増幅させるのだろう。


「明日のお出かけ、少しは気晴らしになればいいんだけどねー。あと栗いっぱい拾えりゃいいんだけど。去年はシロちゃん泣いちゃったし」


 去年は栗が不作だったようで、栗拾いに行ったがいいが、結局拾えたのは空っぽの()()のみ。散々な結果にシロは泣きじゃくり、アオはいがを噛み砕いて怒り心頭。慰めるのが大変だったのだ。

 今年はそんな事に、ならなければいいのだが。


〇 ● 〇


「……とは思ったけど、さあ」


 栗の木とは全く違った、ぼこぼこと瘤だらけの木に取り囲まれている中。

 丞幻はゆっくりと、その場の面々を見渡す。

 仏頂面の矢凪。地面を見て首をかしげるシロとアオ。不安そうに矢凪にくっついている小雪。刀に手をかけ周囲を見渡す孝右衛門。その腕を掴んで今にも泣き出しそうな夕吉。とりあえず五寸釘を木々の向こうに投擲している為成。

 総勢六人と怪異二体。


「……」


 胸一杯に、丞幻は息を吸い込んだ。――そして、叫んだ。それはもう力一杯、心の底から叫んだ。


「栗拾い中に異界に連れ込まれるなんて聞いてないんだけど――――!?」

「じゃーじゃー」:「いやいや」

「ちょすな」:「触るな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ